第五話 父と息子
朝焼けの光を浴びて伸びる二つの影。それが今、一つに重なった。その陰の発生源も、隙間無く、ピッタリくっ付いている。しかし、抱き合っているという訳ではなかった。
名取燿平と劉雨淋。二人は互いの体を「背中合わせ」で交互に担ぎ合っていた。所謂「ペア・ストレッチ」。早朝ジョギングを無事故で遂行する為の準備運動だ。
お互い、怪我をしないように。
耀平は、雨淋の小柄な体を背中に乗せて、それを楽々持ち上げた。すると、雨淋の体が空中に浮きあがった。
今、雨淋の体を支えるものは耀平の背中以外無い。不安定な状態だった。しかし、雨淋の顔には笑みが零れていた。
ああ、気持ち良い。
雨淋は「最高級羽毛布団に横たわっている」と錯覚した。その感覚を存分に味わうべく、全力で脱力した。
ずっと、このままが良いな。
雨淋は目を閉じた。耀平を寝具代わりにして、寝てしまうつもりだった。
しかし、そうは問屋が卸さなかった。何しろ、今はストレッチの真っ只中なのだ。天国を味わった後には地獄が待っていた。
燿平は、前屈していた体を伸ばした。その際、雨淋の脚が地面に着いた。
雨淋の脚の裏に、固いアスファルトの感覚が伝わった。その瞬間、雨淋の眉が残念そうに歪んだ。しかし、残念がっている場合ではなかった。
雨淋の背中に、耀平の体がズシリと圧し掛かった。
「!!!」
耀平の体は、同級生達と比べると細い。しかし、雨淋と比べれば、その体格差は「大人と子ども」と断言できた。
お、重い。重いよ、よ~へくんんんんんんっ。
雨淋は前屈したまま、全く身動きが取れなくなっていた。その事実を、耀平の方も直感していた。
ここでユーリンに頼み事をしたら――きっと、断れないだろうな。
燿平は雨淋に体重を掛けながら、背中越しに話し掛けた。
「『俺が最強戦に出る』って、誰から聞いたの?」
その情報は、今のところ部外秘だ。軽々に情報を漏らす訳にはいかなかった。ツクモス学園最強決定戦は、数ある学園行事の中でも別格といえる特別なイベントなのだ。それを際立たせているのが「優勝特典」だ。
「優勝者は地球軍ツクモス部隊に入隊できる」
この破格の報酬が、教育機関の枠を超える世界的大イベントに仕立て上げていた。
地球軍ツクモス部隊。この部隊だけが、軍用ツクモスの使用を認められている。
例え操縦免許を取れたとしても、軍用ツクモスそのものが無ければ全くの無駄。 ツクモス学園の生徒となったなら、誰もが「絶対に入隊したい」と希望する。
それほどまでの魅力がツクモス部隊には有り余るほど有った。
そもそも、ツクモス自体が現代科学を超えるオーパーツ。それを倒せる兵器は、例え核兵器を含めたとしても、現況に於いてはツクモスだけ。
当然ながら、同じツクモスであっても一般作業用では話にならない。軍用だけが「対ツクモス用武器」を使用できるよう設計されている。
ツクモス部隊は、あらゆる意味で「敵がいない」のだ。部隊が組織されて以降、実戦に投入されたことは、実は一度も無い。
部隊の主な仕事は模擬戦などの訓練。後は威力行動。端的に言えば暇を持て余している状態だ。
現況に於いて、軍用ツクモスの操縦者が生命の危機に脅かされる可能性は限りなく低い。しかも、破格の高給取り。「特別な兵器を扱うのだから」と、地球軍の将校を超える最高レベルの給料が保証されている。
将来絶対安泰。そんな未来が、中学生の内から約束される。夢のような、いや、夢を超える奇跡。
しかし、その奇跡を得られる者は希少だ。殆どの生徒には最強戦に挑む機会すら与えられていない。
幸運を得る生徒は、成績上位者十六名のみ。
選手の選抜は、中等部に所属する全生徒を対象に一括りで行われる。その判断材料には操縦技術や実践成績も含まれる。むしろ、それが主要な選択要因になる。故に、一日の長が有る最高学年生の有利は否みようがない。
耀平も、三年生になって漸く出場資格を得た。例年通りであれば、殆どの出場者が三年生になるだろう。
尤も、何事にも例外は有る訳だが。
何れにせよ、全体に比して選手となる生徒は余りに希少。選ばれし者は、選ばれなかった者から怨嗟や嫉妬の念を浴びることになる。学園側から緘口令を敷かれずとも、「俺が選手」とは言い難い状況だ。
耀平も、今現在に於いては誰にも言うつもりはなかった。だからこそ、「雨淋が知っていた」という事実に危機感を覚えた。
「ゆ~り~ん」
耀平は全力で脱力した。すると、雨淋の小さな背中に耀平の全体重が圧し掛かった。
「だ、れ、に、聞いたの~?」
耀平の声は、直下にいる雨淋の耳にも入っていた。雨淋も「答えなければ現状から抜け出せない」と直感していた。だからこそ、答えようとした。ところが、
「ぐぅ」
ぐうの音しか出せなかった。その情けない声は、直上にいる耀平の耳に入っていた。
「あ、ごめん」
耀平は直ぐ様起き上がった。その瞬間、雨淋は激しく咽た。それが落ち着いたところで、声を上げた。
「あのね」
「うん」
「『よ~じ先生』から聞いた」
「あぁ――……」
よ~じ先生。その言葉を聞いて、耀平の口から情けない声が漏れた。その際、耀平の顔には苦虫を噛み潰したような渋い表情が浮かんでいた。
あの野郎、余計なことを。
よ~じ先生は、燿平にとって因縁浅からぬ存在だった。
よ~じ。その本名を「名取耀児」と言う。その姓が示す通り耀平の親族、「父親」だ。その関係性を鑑みると、耀平に関する情報を知っていても不思議は無いのかもしれない。
しかし、耀平は実父に最強戦出場を伝えていなかった。
故有って、耀平と耀児は離れた場所に住んでいる。尤も、互いの情報交換をする機会は、作ろうと思えば作れた。しかし、互いに積極的に取ろうとはしていなかった。今回の件に関しても同様だ。
しかし、耀児は耀平の情報を掴んでいた。何故なのか? その理由と思しき言葉が、耀平の口を衝いて出た。
「流石――『ツクモス開発の第一人者』だな」
ツクモス開発の第一人者。二十二世紀の状況を鑑みれば、「これ以上の名誉な呼称は無い」と断言できる。
しかし、それを告げた耀平の口調には、ハッキリ分かるほど皮肉めいた想いが籠っていた。その想いは、至近にいる雨淋にも伝わっていた。
「そう――だね」
雨淋は、言葉の上では耀平に同意した。しかし、その声音は沈んでいた。その変調は、耀平も直感していた。
「ま、そう言うことだから――」
耀平は思い切り雨淋を担ぎ上げた。すると、雨淋の足が地面から離れ、天空に舞い上がった。そのタイミングに合わせて、耀平は再び声を上げた。
「『お手柔らか』に――」
お手柔らか。それは格上に対して使う表現だ。実際、雨淋は耀平にとって、いや、全ツクモス学園生にとって雲の上に存在だった。
雨淋は、既に地球軍ツクモス部隊の入隊資格を持っている。しかも、それを得たのは中等部一年の頃のこと。
二年のときも、雨淋は優勝した。彼女は、ツクモス学園葬氏以来、初めて連覇を成し遂げた才女だった。その為、彼女にも二つ名が有った。
「『ツクモスの申し子』さん」
耀平は雨淋の体を地面に下ろした。その直後、耀平の背中越しに、雨淋の声が上がった。
「その名前――嫌い」
雨淋は剥れていた。不満の意を表して、踵で燿平の脚を蹴った。
尤も、威力は控えめだ。雨淋の方も気を遣って加減している。その事実を、耀平も直感していた。
「ははははは」
耀平は笑った。軽薄な笑い声だった。しかし、その笑顔は歪だった。
雨淋の地雷を踏んだかな?
耀平は笑いながら、脳内で「雨淋の機嫌を取る作戦会議」を開始した。




