第三十三話 弁当
西暦二千百三十年、十月二十三日(月)――十二時ニ十分。
その時間になった瞬間、ツクモス学園塔の内部、各教室階層に電子音が鳴り響いた。そのけたたましい音が、全ての学園生、及び教職員に一つの事実を確信させた。
午前の授業が終わった。
耀平が所属するM1クラスは中量級最高峰。授業を担当する講師は超一流。授業時間は完璧に厳守されている。
本鈴五秒前、生徒達は全員立ち上がり、教団の行使に向かって「有難う御座いました」と頭を下げた。
その直後、本鈴が鳴り響いた。それと殆ど同時に、耀平の体が教室の外へと飛び出していた。
改造人間宛らの亜光速ダッシュ。その類稀な運動能力を披露しながら、耀平は中央エレベーターに向かって早歩きで突き進んだ。
因みに、廊下を走ることは校則で禁止されている。それを厳守しながら、耀平は目的地に向かって邁進した。耀平には、夢中になって急ぐ理由が有った。
ユーリンに、ユーリンに会える。
耀平は中央エレベーターホールまでやってきた。これを利用するには、エレベーターに近付いて、目的地を伝えなければならない。
ところが、耀平はエレベーターの反応限界範囲の手前で立ち止まっていた。
「…………」
耀平は、その場で立ち尽くしていた。無言でエレベーターを見詰めていた。そのまま暫く――三分ほど固まっていると、耀平の向かい側の壁(エレベーターの出入り口)が開いた。
エレベーターの中に、子どもと錯覚するほど小さな女子生徒の姿が有った。
女子生徒は、エレベーターの扉が開くや否や、弾丸のように外に飛び出した。その姿は、耀平の視界にバッチリ映っていた。その瞬間、耀平の口が開いて、相手の名前が飛び出した。
「ユーリン」
耀平が声を掛けると、劉雨淋が反応した。
「よ~へくん」
雨淋は、卵のようなモンゴロイド系の顔に満面の笑みを浮かべた。ニコニコ微笑みながら、耀平に向かって駆け寄った。
このとき、耀平は全くの徒手空拳だった。それに対して、雨淋は右肩に大きな白いトートバッグを担いでいた。
雨淋のバッグは、彼女の胴体ほども有った。しかも、「パンパン」という擬音が見えそうなくらい膨れ上がっている。
体の小さな雨淋が担いでいる為、一層存在感が増していた。至近に立つ耀平が気付かない訳が無い。
耀平の視線はトートバッグの方へと吸い寄せられた。それが視界に入った瞬間、耀平の腹が「ぐぅ」となった。その反応の理由が、耀平の脳内に閃いていた。
この中に、俺とユーリン、二人分の弁当が入っているのか。
弁当。雨淋の手料理である。それを直感できたのは、予め雨淋本人から聞いていたからだ。
二人の日課、早朝ジョギングの別れ際、雨淋が声を上げた。
「よ~へくん」
「ん?」
「乾坤圏(第四世代型の機体名)の開発が終わったから」
「うん」
「お昼、時間が有るんだ」
「ほう」
「今日はお弁当作るから、一緒に食べようね」
「う、うす」
雨淋の提案に、耀平はドギマギしながら全力で頷いた。
かくして、耀平達は待ち合わせ場所、Mクラス階層のエレベーター前で合流した。
現在、二人の距離は五十センチほどに迫っている。二人が並ぶと、身長差が際立ってしまう。
雨淋の方が頭二つ分ほど低い。その為、耀平を見上げる格好になった。この姿勢は、耀平の視界に上目遣いと映っていた。
「ね? どこで食べるの?」
雨淋は小首を傾げた。その仕草を見る耀平の心臓の鼓動が超高速で脈打った。その衝撃が、心臓周りの血管にダメージを与えていた。
く、苦しい。が、我慢。
耀平は痛みに耐えながら上ずった声で返答した。
「案内する。その前に――持つよ」
耀平は雨淋に向かって右手を掲げた。それが雨淋の右肩、そこに担がれたトートバッグに伸びた。その行為に対して、雨淋は微笑みながら頷いた。
「うん。お願い」
雨淋は耀平にバッグを託した。耀平は、バッグを受け取るや否や、直ぐ様右肩に担いだ。
その瞬間、耀平の右肩が軋んだ。
これ――結構な量が有るな。
大量の手料理。その事実を直感して、耀平の口許が緩んだ。耀平の腹の虫も「早く食べさせろ」と煩く騒いだ。
耀平としては、この場で弁当を広げたかった。その衝動を堪えながら、雨淋を先導して、事前に目星を付けておいた空き教室へと移動した。
机が並ぶだけの無人の教室。どの席でも自由に選べた。耀平達は、ど真ん中の席を選択した。
耀平達は協力して、二台の机を向かい合わせにくっ付けて、一卓のテーブルを完成させた。続け様に、耀平は卓上にトートバッグを置いた。
その際、耀平は雨淋の顔を見て、視線で「出して良いか?」と確認した。
雨淋はコクリと頷いた。その反応を見て、耀平はバッグの中身を解放した。
卓上に、可愛らしい弁当箱が幾つも並んだ。それを見る耀平の目に玉手箱のように映っていた。
これ、宝石とか入っているんじゃないかの?
耀平の想像は、蓋を開けた瞬間具現化した。
そこに入っていたのは、耀平にとっては宝石、いや、それ以上に価値が有る料理だった。
「これって――婆ちゃんの?」
「うん。リオンお婆ちゃんから教わったの」
弁当箱に入っていたものは、名取家の定番メニューだった。
実家に住んでいた頃、雨淋はリオンから料理を習っている。秘蔵のレシピまでも受け継いでいた。その成果が、耀平の視線を釘付けにした。
これ――小学校まで、毎日食べていたんだよな。
ツクモス学園生となった今、実家の料理は帰省した時にしか食べられない。それを懐かしむ余り、耀平は大衆食堂で同じメニューばかり注文している。
恋い焦がれる料理が今、耀平の目の前に並んでいる。
「マジか――」
耀平の目に、薄っすら涙が滲んでいた。その痩せた体が、感動で打ち震えていた。その様子は、雨淋の視界にバッチリ映っていた。
「お気に召した?」
雨淋はハニカミの笑みを浮かべながら、耀平に感想を尋ねた。すると、耀平は全力で、何度も首を縦に振った。その反応を見て、雨淋は満足げに頷いた。
「ね。食べよ」
雨淋は、耀平に声を掛けながら着席した。耀平も雨淋しいに続いて席に着いた。
二人が向かい合って座ったところで、雨淋は二人分の箸を取り出した。その一方を右手にとって、
「はい」
耀平に差し出した。
「あ、ありがとう」
耀平は、ドギマギしながら即応で受け取った。続け様に、震える手を合わせた。
すると、雨淋も一緒に手を合わせていた。その事実を直感した瞬間、二人は同時に声を上げていた。
「「頂きます」」
二人にとって、至福の時間が始まった。




