第二十八話 名取エンジン製造工場
耀平は奈落に落ちた。穴の中は真っ暗闇。何も見えない。手を伸ばそうが、足を延ばそうが、何の感触も覚えない。
耀平は成す術無く下へ、下へと降下し続けた。
もしかして――死ぬのでは?
耀平の顔が引きつった。耀平の脳内では、地面に叩き付けられてペシャンコになる自分の姿が閃いていた。
その直後、耀平の視界が開けた。
耀平の眼下に巨大な空洞が広がっている。その存在を確認できたのは、空洞の地面が淡く輝いていたからだ。その効果によって、耀平は現況を直感した。
耀平の体は、黒い大空洞の天井から飛び出していた。
地面までの距離は凡そ五百メートル。その事実は、耀平に最悪の可能性を確信させた。しかし、奇跡が起きた。
唐突に、耀平の体がフワリと浮き上がった。その現象の意味が、耀平の脳内に閃いた。
重力が――消えた?
正確には「重力が百分の一ほどに軽減されている」という状況だ。耀平の体は、今も落下し続けている。
耀平は空中で脚を振って直立した。その状態を維持しながら、ユックリ地面(床)に向かって降下した。
明るい地面に近付くにつれ、耀平の視界に周りの光景が鮮明に映り出した。
大空洞の中は半球状になっていた。その中心に、巨大な半球状の黒い山が盛り上がっている。その外観は、耀平に既視感を覚えさせた。
これって、外のやつを小さくしたみたいだなあ。
超巨大黒球の直径は五十メートルほど。その形状は、外の超々巨大黒球と全く同じものだ。その事実は、耀平の知識の中に有った。小学生の頃、祖父の耀介から聞かされていた。
当時の記憶が、耀平の脳内に閃いた。その瞬間、耀平の口から黒球の正体が零れ出た。
「これ――『名取エンジン製造工場』だ」
全世界の電力を担う名取エンジンの生産地。しかしながら、生産(製造)設備と思しきものは何も無い。超巨大黒球が有るだけだ。
耀平は黒球の威容を視界に収めながら、淡く光る床に舞い降りた。
このとき、耀平と黒球の距離は二百メートルほど離れていた。耀平の視界には黒い山しか映っていない。
しかし、現況には、それ以外のものも存在していた。
耀平が地面に降り立った瞬間、黒球の方から声が上がった。
「耀平か?」
「!」
名前を呼ばれて、耀平は反射的に黒球を見た。耀平の視界に、黒球以外のものが映った。
黒球の至近に黒革張りのマッサージチェアが有った。その上に、作務衣姿の老人が座っていた。
マッサージチェアと思しき椅子は、ツクモスの操縦席だった。その上で、老人は反り返っていた。無理矢理首をもたげて――耀平を見ていた。
耀平は、老人の視線を直感した。その瞬間、耀平の口から老人の名前が零れ出た。
「耀介爺ちゃん」
耀介。耀平の祖父、名取耀介。耀平が名前を呼ぶと、耀介の顔に嬉しそうな笑みが浮かんだ。その表情は、遠く離れた耀平には視認できなかった。それでも、耀平は耀介の笑顔を直感していた。
耀介の笑顔に惹かれて、耀平は歩き出した。近付くほどに、耀介の姿がハッキリ見えた。
白銀の髪を短く刈り込んだ、長身痩躯の老人。その相貌は、耀平とよく似ている。しかしながら、顔に刻まれた年輪が全く別人と主張する。
体付きに関しても、耀平より痩せている。紺色の作務衣から覗く胸は、ハッキリそれと分かるほど肋骨が浮き出ていた。
耀介を見詰める耀平の脳内に「骨川筋衛門」という、架空の人物名が閃いた。それに伴って、耀平の眉根が不安げに歪んだ。
尤も、中年、及び老年の男性であれば、それくらいの体付きでも問題は無い。むしろ丁度良いくらいだろう。実際、耀介本人は全く健康そのもの。運動能力は壮年期のものと殆ど変わらなかった。
耀平が近付くと、耀介は椅子から跳ねるように立ち上がった。続け様に、両腕を広げた。
「おかえり」
耀介は、全身で歓迎の意を表した。耀介の脳内では「耀平が胸に飛び込む光景」が閃いていた。しかし、残念ながら耀介の想像は外れた。
彼我の距離が一メートルに迫ったところで、耀平の脚がピタリと止まった。
「ただいま」
耀平は帰宅の挨拶をした。その瞬間、耀介の顔に苦笑が浮かんだ。それと同時に両腕を下ろした。
ちょっと、ガッカリ。
耀介は左手の人差し指で左頬を掻いた。その最中、右手をマッサージチェアに向けて、
「まあ、座れ」
耀介は耀平に自席を譲った。しかし、耀平は首を横に振った。
「ううん。爺ちゃんが座っ――」
耀平は耀介に席を譲り返した。その際、耀平の視界は、耀介の背後に聳える黒い山を捉えていた。
その黒い表面に、奇妙な変化が起こっていた。その一部がポコリと瘤のように盛り上がっていた。
瘤の大きさは直径十五センチほど。それを目にした瞬間、耀平は声を上げた。
「爺ちゃん、『生まれる』っ」
生まれる。その言葉を告げた瞬間、瘤がポンと飛び出した。その瞬間、黒い瘤は黒球となった。
金属製と思しき黒球。その重さは、地球上では砲丸の球と同じくらい有る。しかし、この場に於いては塵ほどまで軽減されていた。
黒球は、飛び出した辺りでフワフワ浮かんでいた。その様子は、耀介の視界にハッキリ映っていた。
耀介は、ノンビリ鼻歌を奏でながら、黒球の方へと歩いた。手が届く距離まで近付いたところで、黒球に向かって右手を伸ばした。
黒球は動かなかった。その為、耀介の右手はアッサリ黒球を捉えた。その瞬間、耀介の口の端が吊り上がった。
「ふふっ」
耀介はニッコリ微笑みながら、黒球を自分の方へと引き寄せた。すると、黒球の表面に、曲面で引き伸ばされた耀介の顔が映った。その口許が一層嬉しげにと吊り上がった。そのタイミングで、耀介の背後から声が上がった。
「爺ちゃん。それ、『新しいやつ』かな?」
新しいやつ。意味が分かる者にしか通じない表現だ。しかし、耀介はよく分かっていた。
「ああ、そうだ。新しい――『名取エンジンの卵』だ」
名取エンジンの卵。それは飽くまで便宜上の呼称だ。
黒球の実態は「名取エンジンの幼生」と言うべきものだ。それを名取エンジンに成長する役目を担う者は、現代(西暦二千百三十年)に於いて、名取耀介唯一人。
耀介は、たった一人で、世界の総電力を賄う名取エンジンを製造していた。




