第九話 学園塔食堂街
ツクモス学園塔に暮らす学園生にとって、食事を摂る手段は大きく分けて三つ。
一つは、地上百階、食堂街階層の食堂。もう一つは、自室で自炊。残りの一つは、学園敷地外に出て外食。
尤も、外に出る場合は「学園の許可」という条件付きになる訳だが。それも休日限定。平日には選べない選択した。
因みに、自炊の場合は「入寮時にキッチン付きの個室を希望する」という条件が有った。その機会を逃しても、申請すれば年度当初に個室の変更が可能である。耀平の場合は――
俺、料理したこと無いから。
自炊は諦めていた。耀平が名取の実家にいた頃、家事全般は祖父母に任せっきりだった。その為、耀平の選択肢は一択だ。
さて、今日も食堂街にレッツゴウ。
耀平は腹の虫の要求に従って、中央エレベーターに向かった。それに飛び乗るや否や、
「百階、食堂街」
尋ねられる前に目的地を告げた。すると、エレベーターは「了解」とばかりに上昇を開始した。
地上百階。それなりに高い。それなりに時間が掛かる。途中乗車の生徒がいれば、その度に止まる。そのはずだった。
ところが、今日の耀平は運が良かった。耀平が「何を食べようかな?」と、考えている間に目的地に到着していた。
耀平の目の前の扉が真横にスライドした。それを直感した瞬間、耀平は外に向かって飛び出した。
その直後、耀平の視界に屋外の光景が飛び込んできた。
燿平の頭上には青空が広がっていた。その光景を見て、耀平の脳内に「屋上」の二文字が閃いた。しかし、学園塔の地上部分は百五十階層(公称)も有る。現況は学園塔の途中なのだ。
屋外と錯覚した光景は天井モニターに映し出されたものだった。しかし、それは余りに広大だった。
階層の天井が、丸々一個分の巨大モニターになっていた。そんなものを表示する電力が、この学園塔には流れている。しかも、電気代は0円。無駄な消費、浪費を厭う理由は、個人的な心情を除けば無い。そのような前時代的な感性は、今年中学三年生の名取燿平には無かった。
耀平は青空(映像)を一瞥した後、直ぐ様店の物色を始めた。しかし、その行為は最悪の愚行(愚考)だった。
あ――迷うっ!?
メニューを考えた時点で、耀平の脳は無限迷宮に囚われてしまった。
食堂街階層には世界中の名店が軒を連ねてひしめき合っている。育ち盛りの燿平の目に、全ての料理が美味しそうに映っていた。
あ――決められないっ!!
耀平としては、納得いくまで考え抜きたかった。しかし、時間は有限だ。迷ってばかりでは食事の機会を逃すだけ。その失敗は、耀平も幾度となく経験してきた。だからこそ、対策も用意している。
まあ、うん。いつもので良いか。
耀平は階層南側にある大衆食堂へと移動した。
大衆食堂。一般家庭料理を扱う店だ。所謂「高級料理」は殆ど無い。
しかし、そこには「名取家の定番」といえるメニューが有った。それを食すべく、耀平は暖簾を潜って店内に入った。
食堂の中は真っ白だった。出入り口のある北側、東側、西側も、全て白壁に覆われている。唯一点、南側だけは白壁ではなかった。
南側は硝子製の巨大な窓が展開していた。その向こう側に青空が広がっている。その光景は映像ではなかった。
大衆食堂は食堂街最南端に在る。窓の向こうは本物の外だ。そこから飛び出せば、想像に易い最悪の結末を迎えるだろう。その可能性を想像すると、窓には近付きたくない。高所恐怖症であれば尚更だ。耀平の場合は――
窓際で良いな。
全く平気だった。躊躇うこと無く窓側中央の席に腰を下ろした。その際、耀平は視界を巡らせて、周りの様子を見た。しかし、他の生徒の姿は無かった。
特等席だと思うんだけどな。
耀平は詰まらなそうに鼻息を吐いた後、続けざまに窓の外を見た。すると、耀平の視界に青い空が映った。視線を下げると海が見えた。その地平線は「弧」を描いていた。
地球って、本当に丸いよな。
地平線の曲線は、耀平に地球の外観を想像させた。それに伴って、耀平の知的好奇心が騒いだ。しかし、耀平の中には、それ以上に煩いものがいた。
耀平が地球の丸さを直感した瞬間、腹が「ぐぅ」と鳴った。
お腹――空いた。
耀平は学生鞄からタブレットを取り出した。その画面には様々なアプリのアイコンが並んでいた。耀平は、その内の一つをクリックした。すると、大衆食堂のメニューが表示された。
「さて――」
耀平の視界には様々な新メニューが映っていた。どれも美味しそうに思えた。
しかし、耀平は全て無視した。耀平の人差し指は「お気に入り」と書かれたアイコンに伸びていた。それをクリックすると、画面上にメッセージが表示された。
〈『焼き魚定食』――調理中〉
焼き魚定食。それが、名取家に於ける朝食の定番メニューだ。尤も、焼き魚と一口に言っても、調理対象は様々だ。何が出るかはお楽しみと言ったところ。勿論、指定はできる。しかし、耀平は敢えて「お任せ」にしている。
家では毎日色んな魚でてきたから。
耀平は生家の焼き魚定食を想起した。それぞれの味を思い出し、その感動に打ち震えた。その最中、タブレットに新たなメッセージが表示された。
〈焼き魚定食ができました。受け取りは一番窓口で〉
一番窓口まで「取りに来い」ということだ。所謂「セルフサービス」。耀平は、メッセージを見るなり直ぐ様席を立った。
向かった先は西側の白壁。そこには、壁を真横に両断するカウンターが有った。その上部の壁には、上下に開閉する小窓が複数個並んでいる。それらには番号が振られていた。
耀平は「一番」と書かれた窓の前に立った。すると、窓が上にスライドした。その開いた空間から、料理を乗せたトレイが突き出された。それが耀平の視界に入った瞬間、耀平の喉が鳴った。
今日の魚は――鯖か。
焼き鯖。耀平にとって一二を争うほどの好物だ。
耀平は「齧り付きたい」という衝動を堪えながら、トレイを持って自席に移動した。その間、耀平の視線がトレイの上に釘付けになっていた。
焼き鯖、味噌汁、和え物、漬物――皆美味そうだ。
外観から味を想像する度、耀平の口内に唾液が溢れた。それが垂れるのを堪えながら、耀平は席に着き、卓上にトレイを置いた。続け様に合掌して、
「頂きます」
食膳の挨拶。その直後、耀平は焼き鯖に箸を付けた。その瞬間、程良く焼けた薄皮が「パリッ」と乾いた音を立てて破れた。
この音――最高か。
耀平は、感動に打ち震えながら、箸先を鯖の身に突っ込んだ。すると、奥からモワンと湯気が立ち上った。
うおおおおおおっ、焼き立てっ!!
耀平は超速で鯖の身を穿った。そのまま口の中に放り込んだ。その瞬間、「はふぅ」と感嘆の溜息が漏れた。
耀平の口内に、ミネラルを含んだ磯の塩味が充満した。舌と頬が蕩けるほどの豊潤で濃厚な旨味。しかし、くどくはない。それどころか爽快感すら覚える。天然自然の滋味が、耀平の体を打ち震わせた。
ああ、幸せ。
耀平としては、十分満足できた。しかし、この先が有った。耀平は、それを知っていた。
耀平の左手が茶碗に伸びた。そこには湯気を立てる白米が盛られていた。それを、耀平は箸で巣くって口に入れた。
鯖の旨味と米の旨味。二つが合わさって、耀平の舌を天国へと誘った。
すると、耀平の口から再び「はふぅ」と感嘆の溜息が漏れた。
これはもう――堪らない。止まらない。
耀平は夢中になって鯖の身を穿り、それを飯毎掻き込んだ。その最中、味噌汁も啜った。和え物や漬物にも箸を付けた。
いつの間にか、トレイの上は完全な空になっていた。その無情な事実は、耀平の視界にシッカリ映り込んでいた。それを意識した瞬間、
「あ――」
耀平の口から情けない声が漏れた。しかし、諦めた訳ではなかった。耀平の脳内には「お代わり」という希望が閃いていた。
因みに、ツクモス学園塔内に有る商品は、料理を含めて全て0円。お代わりを躊躇う理由は無い。だからこそ、耀平は再びタブレットを取り出した。何事も無ければ二膳目に挑むつもりだった。
ところが、注文できなかった。それを邪魔する者が、耀平の傍に立っていた。
「ヘイ、名取」
耀平の至近から、誰かの声が上がった。それに反応して、耀平は顔を上げた。その瞬間、耀平の視界に十人以上の男女の姿が映った。
「!?」
耀平は囲まれていた。相手はツクモス学園生の制服を着ていた。しかし、耀平が身に着けているものとは色が違っていた。
耀平を囲む男女の制服は――真っ白だった。その色を見た瞬間、耀平の脳内に相手の名称が閃いた。それが、耀平の口からポロリと零れ出た。
「うわぁ『フィアナ騎士団』か」
耀平の声音は沈んでいた。その顔は不快そうに歪んでいた。
しかし、「フィアナ騎士団」と呼ばれた男女は笑っていた。それぞれの口許には薄ら笑いが浮かんでいた。
耀平がポロリと零した後、白い制服の男女の口が一斉に開いた。
「「「「「Exactly(その通り)」」」」」




