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 中学生になり、行動範囲はさらに広がった。電車という手段を覚えたのだ。相変わらずよく遊ぶのはいつもの三人だが、勇二だけ野球部に入ったため、時間や休みが合わずに、もっぱらバスケ部に入部した私と俊也、大祐の三人で会うことが多くなった。

 バスケの道具を買いに御茶ノ水まで行ったり、地元の周辺の古着屋に行ったり、つい一~二年前までゲームと駄菓子を貪っていたとは思えないくらいに、この時期の少年は成長するのだ。

 三年生にもなると、小学六年生の時から比べ一五cmほど身長も伸び、とうに母を見下ろすようになっていた。

 中学三年生の話題と言えば、もちろん「受験」だ。周りの友人はもちろん、いつもの三人でさえ受験が話題に挙がることがしばしばだった。

「康樹、塾とかどうするの? 」

 もうすぐ中学生活最後の夏休みを迎える頃に俊也が聞いてきた。

「ん~。とりあえず夏期講習に行こうかな、と思っている」

 私はこれまで塾に通ったことがなく、習い事と言えばこの時も続けていた空手だけだった。

「康樹君、頭いいからなぁ。塾行ったら結構いいところ行けるんじゃん? 俺も通うことにしたよ、塾」

 いつの間にか大祐は決心していたらしい。

「クラスの奴らが行っているところ、近いし皆いるし、そこに行こうかな」

 後日、友人から夏期講習のパンフレットを貰い、母に相談した。

「お母さん、俺、塾に行こうと思っているんだけど」

 手にしたパンフレットを見ながら、

「結構するねぇ。まぁ、習い事も空手だけだし、もっとなんか習えば良いのにと思っていたから、これまでやらなかった分、行ったらいいんじゃない? 」

 拍子抜けした。別に褒めてもらいたかったわけではないが、自分の子どもが塾に行きたい、勉強がしたい、と言ったら、普通はその勤勉意欲を喜んでくれると勝手に思っていたが、やりたいならやれば? のスタンスに、

「うん。申し込んでおく」

と棒読みで返すだけだった。

 

 いざ夏期講習が始まると、なかなか忙しかった。塾は学力別にクラス分けされていて、一番上位クラスから順にDⅠ、DⅡ、CⅠ、CⅡ、BⅠ、BⅡの全六クラス。私は初めCⅡクラスで学ぶことになった。

 夏季講習中にも塾の宿題が出る。一週間後とかではなく、明日までとか、明後日までとか、中学生活最後の夏休みの青春を軽く奪っていく。宿題をやっていかないと、すごく怒られる。恐怖して泣き出す子もいるくらいに怒られる、スパルタ塾なのだ。昔はこんな感じの塾がほとんどだったように思う。もちろん、学校の宿題もある。そんなこんなで夏休みは、あっという間に過ぎ去っていった。

 夏季講習が終わる頃、塾長先生に呼ばれて事務室に顔を出した。

「康樹、夏期講習で終わるのか? この後も続けるのか? かなり実力は付いてきているぞ」

 この塾長が塾内で一番怖い。今考えれば、先生達は全員大学生なのだが、世間知らずの中坊にとっては立派な大人なのだ。

「続けようと思っています」

 怖いからではない。実力が付いてきているのが自分でも分かっていたので、事前に母に続けることを相談していた。決して同じクラスに色黒の美人がいたからではない。

「よし。申込書、月末までに出しとけ。九月からはCⅠクラスで授業を受けること」

 返事をして申込書を手に、事務室を出た。

 二学期が始まり、学校プラス塾の生活が始まった。「今日塾なんだよね」という憧れのセリフを言えるようになったのだが、皆が同じセリフを言うのが詰まらなかった。

 CⅠクラスに通い始めて二ケ月ほどした頃に、また塾長に呼び出された。

 「康樹、次回からDⅡに行け」

「はい」

 短く返事をしたが、DⅡに行くのは正直気が重かった。Dのクラスの英語は塾長が担当だからだ。その授業の恐怖たるや、Dクラスの友人から聞いていたからだ。

「まぁ、三ケ月の我慢だな」

 呟きながら夜の住宅街を自転車で走り抜けた。


 クラスが変わることは、母には報告していなかった。報告したらクラスのことをいちいち説明しなくてはならないし、反抗期に片足を突っ込んだ時期の私には、親に話をすることがなかなかの難題だった。高校選択の時期に入っても、どこにするのか、学力はどれくらいなのかなど、両親はほとんど聞いてこなかった。自分で学校を調べ、第一志望と滑り止めを選んで、これはさすがに報告と相談をしたのだが、

「自分で選んだんならそこでいいじゃない? 」

とお任せ状態だ。姉の未沙の時に高校受験は経験してはいるものの、高校など二校くらいしかなかった田舎育ちの両親には、選び放題というわけにはいかないのだがの高校の数に、白旗を挙げていたのかもしれない。

 結局、全部で三校受験することにした。一月、二月の滑り止め二校に合格したことを受け、第一志望の公立高校のレベルを一つ上げることにした。もちろん、これは相談した。

「公立高校、選んでいたところより一つレベルを上げたところを受けようと思うんだけど。滑り止めの私立も受かっているし」

「私立になったら大変だけど、やってみれ」

 私も親になり、子どもが私立の高校に通ったが、この時の母は恐らく、心の中ではそのまま志望を変えずにいたほうがいいんじゃない? と言いたかったに違いないと分かる。

 

 二月下旬。よく晴れた寒い日に、公立高校の受験が実施された。手応えは抜群だった。自宅に戻って、その足で塾に行って自己採点をする。志望校の予想ボーダーラインを大きく超えていたが、油断はできない。全体的に簡単だったなら、ボーダーラインは上がるからだ。

 自己採点の点数を塾長に報告すると、

「やったな! これだけ取れてればほぼ間違いない。おめでとう! 」

 こんなに優しい笑顔ができる人だったんだ、と失礼ながらに思うほど、柔和な笑顔で送ってくれた。

「自己採点では大丈夫だろう、ってさ」

 家に着くなり、台所にいる母に報告した。

「よかったねぇ」

 かなりホッとしたような声に聞こえたが、それを聞いて私もようやくホッとした気分になった。あとは運を天に任せ合格発表を待つのみ、と心で呟き、恰好を付けて部屋に入り目をつぶるとそのまま眠ってしまった。


 合格発表の日。この日もよく晴れた日本晴れだった。一緒に受験した友人と待ち合わせて、発表掲示板を確認しに出かけた。高校の正門を入ってすぐの所に設置された掲示板の周りには、不安そうな顔をした受験生で溢れかえっていた。

 友人と三人で、不安をかき消すようにしゃべり続けながら、その瞬間を待った。職員玄関から先生らしき人が出てきて私達に一礼する。合格者の番号一覧が広げられる。

「よっしゃ! 」

「やったぁ! 」

 歓喜の声に交じって

「はぁ……」

「だめかぁ――」

という小さな声も聞こえる。

 私達は三人とも合格していた。帰りに気まずい思いをしなくて良かったな、と内心そっちのほうがホッとしたのは私だけではなかっただろう。

 すぐに近くの公衆電話で父の会社に電話した。この頃から、父が叔父さんの会社を継ぎ、母はその経理を手伝っていたからだ。

「お母さん?受かったよ」

「おめでとう! 気を付けて帰れ」

 母の口調からも、ホッとした安堵感が感じ取れた。


 高校三年間は本当に楽しかった。自由な校風の学校だったからだろうか。バスケ部に所属し、新しい仲間もでき、今でも付き合いのある一生涯の友人もできた。そんなことを考えながら、感慨深く卒業アルバムを眺めている時だ。ふいに目に飛び込んできたものに目を疑った。

「お母さんが写っている」

 頭の中がクエスチョンマークで一杯になりながらも、卒業アルバムに目を凝らした。それは、私達の高校受験の時の合格発表の写真だった。右端手前に母がしっかり写り込んでいた。

 私が報告の電話をした後、こっそり確認に来たらしい。というより、合格発表というものを体験したかっただけなのかもしれない。ピントは喜んでいる学生に合っているので母は若干ピンボケなのだが、その表情は確かに微笑んでいた。



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