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幼稚園に入る頃、私は千葉県に引っ越してきた。生まれてすぐに狭山市へ帰り、父の転職をきっかけに二~三歳を流山市の借家で過ごし、幼稚園児くらいに柏市に引っ越した。
この頃、父は勤めていた電気関連企業から、父の叔父の営む建設業に転職した。ここでやっていく覚悟のようなものがあったのだろう。柏市への引っ越しは戸建て注文住宅だ。しかし、今思えばこの立地がなかなか強烈な所だった。袋小路の突き当り、後ろは鉄工所、隣は線路。青少年期の私を彩る音は、鉄工所の鉄を加工する音、電車が走るガタゴト音、母の大きな声で染まっている。
そんな少年時代、母が泣くのを目の前で見たことがある。しかも、自分のせいで。
私は自分で言うのもなんだが、結構優秀な児童だった。低学年の頃の成績は毎回ほぼオール三(三段階評価)。五段階評価になる中高学年でも三以下を取ることはほぼ無く、四よりも五が多い通知表だった。小学校六年間では、毎年一回は学級委員長に推薦されたり、何かと表舞台に推薦されたりすることが多かった。親からしてみれば自慢の息子といったところだろうか。しかし、成績は良かったが、結構ふざけた児童だったと思う。三~四年生の時の川畑先生は、秋田県出身の若い先生で、子ども達をのせることが上手く、人気があった。
とある音楽の授業では、二人ずつ先生の前に行ってリコーダーの課題曲を演奏する時があった。私と友人の繁雄は直前にトイレに行っていた。本当はトイレではなく、水道で口に水を含んだまま帰ってきていた。
「じゃあ次、康樹君、繁雄君。前に来て」
二人とも無言で先生の前に立つ。
「準備はいいかな? じゃ、いくよ。一,二,三、ハイ! 」
もちろん、音ではなく、水が噴き出た。教室は大爆笑。先生も目を丸くしたあと苦笑い。
「早く拭きなさい。リコーダーが乾いたら後でもう一回ね。今度はちゃんとやれよ」
思えば、小、中、高校と、私は担任の先生に恵まれていた。どの先生も顔と名前を憶えているし、思い出深い良い先生だった。先生運というものがあるとすれば、かなりの強運だったと思う。
小学校高学年にもなると行動範囲が一気に広がり、これまで行かなかった地域やお店などにも友人と顔を出すようになった。
その頃、ほぼ毎日のように遊んでいる友人がいた。俊也と大佑と勇二だ。
「空手やろうぜ」
唐突に俊也が誘ってきたことがあった。俊也は小学生ながらにリーバイスのジーンズをはき、足元は日本で売り出し始めたばかりのニューバランスのシューズといったお洒落さんだが、どこか天然なところがある。
「空手? なんで? 」
「兄貴がやっているんだよ。俺もやりたいな、と思ってさ。一人じゃ行きづらいし」
「うちの母さんも、何か習い事やれば? って言っていたから、聞いてみようかな」
ずいぶん乗り気な雰囲気の大祐は、親が広告代理店を営む裕福な家柄で、おっとりとした心優しき男だ。興味津々の目で俊也を見ている勇二は、料理人の親父さんをもつ見た目からしてのやんちゃ坊主で、当時流行っていたマルコメ味噌のマルコメ君を思い出してもらえばほぼ間違いない。二人がその気になっているのがわかると、私も置いてけぼりになるわけにはいかない。
「俺も聞いてみようっと」
両親に確認すると二つ返事で了承された。これでもう、習うしかない、と腹を括った。
思いのほか、空手は楽しかった。週に一回、近くのコンビニで待ち合わせて道場へ向かう。帰りは今日の稽古での出来事を話しながらコンビニまで自転車をタラタラ走らせる。
「ウィアーさん怖ぇーよ」
「オバ、やっぱ遅いよね」
「まっつんがさぁ――」
小学生ならではのあだ名のネーミングセンスで、今考えれば失礼極まりないのだが、当時は大いに盛り上がっていた。
行動範囲が広がった私は当時、小学校高学年から中学生くらいが溜まっている「なかよし」という駄菓子屋兼ゲームセンターに顔を出すようになった。そこには大体、島谷君という同級生の友人がおり、お店で待ち合わせては駄菓子を買ってゲームを見たり、たまに自分でもゲームをやったりしていた。
「これ、面白いから二人協力プレイでやろうよ」
島谷君から誘われたゲームは「バブルボブル」というアクション系のゲームで、今では名作の一つに数えられているゲームだ。
これが面白い! ハマってしまった。
このゲームをきっかけに、「餓狼伝説」や「魔界村」などのゲームにドはまりしていってしまった。
「三時になかよしで! 」
島谷君に誘われて急いで自転車を走らせていた。
「今日も行くでしょ? 」
島谷君を誘って行くことも多かった。
週に二~三回は行っていただろうか。駄菓子を買ってゲームをやって、また駄菓子でゲーム談義をする。そんなことが日常の一つに組み込まれていた。
当時、私はお小遣いを貰っていた。一ヶ月に一五〇〇円だが、今の価値に直すと三〇〇〇円くらいだろうか。そう考えると結構貰っていたなと思うが、なかよしに一回行けば、駄菓子が一〇〇円分、ゲームが一回五〇円を三~四回で二〇〇円、合計三〇〇円程度を使うことになる。週に二回行けば月で二四〇〇円以上使うことになる。お年玉とかこれまでの貯金を少しずつ切り崩しながら、その場限りの楽しさに溺れていた。
ある日、小さな事件が起きた。
「おかしいな。千円札は七枚入っていたはずなんだけどな」
母が首を傾げながら財布を睨んでいる。
「買い物のとき、お釣りを貰い間違えたかな」
何度か数え直した後、台所へ夕食の準備に立った。
「フンフーン、フフフフフーン、フンフフーン」
母はお気に入りの曲を鼻歌で歌いながら、先ほどのことは無かったかのようにいつも通りだった。
事件は終わりではなかった。また、母の財布から千円札が無くなっていたのだ。
「買い物のときに二枚重ねて出しちゃったのかな」
ブツブツ言いながら洗濯物を取り込んでいる。我が家は祖父母も同居する三世代家族だ。何事かと思った祖母が母に聞く。
「なしたな? 」
「なんも」
母が応える。
「なぁんもて。ぶちふちしゃべってらがら――。」
と今度は祖母がぶつぶつ言いながら部屋に戻っていった。
その日、六時間目の授業が終わり、いつも通り俊也と遊ぶ約束をして家路を急いでいた。夏休みが終わった秋口だっただろうか、下校時には既に太陽がオレンジ色だった。学校から自宅までは徒歩一五分ほどで車の通りも少なく、途中には畑が広がるのどかな通学路だ。何して遊ぼうか、どこに行こうか、と思案しながら自宅に着き、俊也と遊びに行ってくる、と母に告げ、自転車に乗ろうと玄関を開けるか開けないか、
「康樹! ちょっと待って! 」
母が台所から相変わらずの大声を張り上げた。
「なに? 約束しているんだけど」
「ちょっと来て。こっち」
履きかけた靴を置いて母のいる居間へ向かった。
「ここ座って」
促されるままに母の斜め前に座る。心なしか表情が強張っているように見える。
「何で呼ばれて座っているか、わがるか? 」
「……」
「……」
何分間の沈黙だったろうか。いや何十秒、何秒かもしれない。お互いの沈黙を破って母が切り出した。
「お母さんの財布から千円札取ったの、おめだが? 」
「……」
黙っているしかなかった。黙っている以外、どうしたらいいのか分からなかった。正確に言えば、何て言って認めて、何て謝罪すればいいのかが分からなかった。
「だべ? 正直に言いなさい」
私は返事をする代わりにゆっくりと頷いた。
「何でお金が必要なの? 誰かに持って来いって言われてらの? 」
大きく首を横に振った。
「ゲームがしたくて。遊びに行くのにお金がないと自分だけゲームできないし――」
目に涙を溜めながら、震える声で必死に説明した。
「友達もお菓子買ったり、ゲームしたり、僕もやりたいし、友達と一緒にやるために僕が出したり――」
「取られたり、無理やりお金出したりしているわけじゃねんだな? 」
即答で頷いたまま、下を向く。
「何で欲しいって言わなかった? 」
「お小遣い貰っているし、ダメだと思っていたから」
「黙って持っていくのは泥棒のすることでしょ。そうなりてのが?違うべ? 」
頷くと溜めていた涙が一気に零れ落ちた。
「皆には言わないでおくから、もう絶対にやるな。オラも悲しくなってくる。いいか? 何か欲しいときははっきり言いなさい。盗んだらだめだ」
頷いて母を見ると、母も涙を流していた。陽気で声が大きく、笑顔が身上の母の涙を初めて見た瞬間だった。
子どもながらに母の涙はかなりの衝撃だった。重い足取りで俊也との待ち合わせに向かったが、遊びに力が入らない。考えるのは、帰りたくないな、母と顔を合わせたくないな、ということだけだった。時間は時に無情だ。帰らなければいけない時間が刻々と迫ってくる。太陽がどんどん沈んでいく。
「じゃぁ、また明日」
明るい挨拶とは裏腹に、自転車を漕ぐ足取りが重い。自転車のギアを一段上げてみる。少し軽くなったが、何だか早く家に着いてしまいそうで、またギアを一段落とした。
外灯がちらほらと点き始めた頃、家に着いた。自転車を定位置において、迷わずに玄関を開けた。迷ったらずっと外にいそうな気がしたからだ。
「ただいま! 」
空元気というか、演技というか、とにかく精一杯の明るい声を出した。
「おかえり」
いつもと変わらない母の声がした。台所では忙しそうに夕飯を作る母が、ダイニングにはババシャツ一枚の祖母がテレビを見ていた。
「遅かったね。また俊也君とか? 」
「そう。明日も行くから」
そう言ってそそくさと手を洗いに洗面所へ向かった。家中に甘い醤油の香りが漂っていた。




