電話
RRR・・
「ん、んん。何よこんな夜中に、2時半?」
RRR・・
「も~、はいもしもし?」
「もしもし、綾野加奈子さんですか?」
「そうですよ。こんな夜中に何の用?」
「あ、そっちは夜中なんだ。申し訳ない。」
「そっちはって、国際電話でも掛けてるの? 」
「いや、日本だよ。こっちは昼間だけど。」
「へ~、最近は国内でも時差があるのね。勉強になったわ。じゃあさよなら。」
「ちょちょ、待って待って!」
「あのね、いた電するにはちょっと遅すぎるんじゃないの? 」
「違うよ、いた電じゃない。聞いて欲しいことがあるんだ。」
「こんな夜中に?」
「それは本当に申し訳ない。」
「申し訳ないと思うなら切っていい?」
「いきなりで悪いけど聞いて。実は、」
「実は、何?」
「実は、お願いがある。子供を、堕ろして欲しいんだ。」
「あら、素敵な言葉。検討します。じゃあね。」
「待って待って!」
「あのね、いたずらでももうちょっと考えてやったら?もしくはリサーチするとかさ。私は妊娠はもちろ
ん、結婚もしてないの。それでなにを堕ろせってのよ。」
「それは分かってる。」
「あ、そ。じゃあもう満足かしら?」
「だからいたずらじゃないんだってば。今付き合って長い彼氏がいるでしょう?」
「ああ、賢ちゃん。」
「そう、その人と結婚するんだ。妊娠を機に。」
「出来ちゃった結婚?別にいいけど予告されるとなんか微妙ね。」
「そして俺が産まれた。」
「・・・は?ごめん、よく聞こえなかったわ。何て?」
「だから、俺はあなたの子供なんだよ。そっちから見ればいわゆる未来から掛けてるってことになる。」
「・・・もう3時前だわ。そろそろいいかしら?」
「待ってくれよ。切られたらきっともう二度と繋がらない。今こうして話せてること自体奇跡みたいなも
んなんだから。」
「そりゃあ、君が本当に私の子供だったら、この電話は奇跡以外の何ものでもないわね。」
「まあ信じてくれって方が無理だと思う。でもとりあえず電話は切らずに話を聞いて欲しいんだ。」
「はあ。まあ幸い明日は休みだし、ちょっとくらいは付き合ったげる。あとで変に恨まれてもイヤだ
し。」
「よかった。」
「で、さっきも言ってたわね、子供を堕ろしてくれって。どういう意味?」
「そのままの意味だ。あなたが結婚する一つのきっかけとなった妊娠、それはいい。でも、その子を産ん
じゃいけないんだ。」
「意味分かんないんだけど。何で産んじゃだめなのよ?出来ちゃった結婚しました、でも子供は堕ろしま
すって?笑えないジョークね。」
「死んじゃうんだ。」
「え?」
「あなたは、その子供を生んだ直後、息を引き取る。」
「・・・出産で命を落としちゃうほどヤワじゃないつもりだけど?」
「そうとうな難産だったって聞いてる。何十時間も掛かって、母子ともに危険な状態までいって。命から
がら子供だけ助かった。」
「忠告ありがとう、気をつけるわ。」
「ちゃんと聞いてくれ、母さん。」
「母さんは止めて。まだ妊娠すらしてないっての。」
「ああ、そうか。」
「ちょっと待ってよ、君さっき私の子供だって名乗ったわよね。ってことは、堕ろしてくれっていう子供
って。」
「俺だよ。俺を堕ろしてほしいんだ。」
「俺を堕ろせって、変なセリフ。」
「そうすればあなたは死ななくてすむ。」
「なんで自分を堕ろさせてまで助けようとするの?」
「俺は、母さんが好きだ。」
「産まれてまもなく死んだ母が好きって?」
「父さんが家にたくさん母さんの写真を飾ってた。ビデオもよく観せてくれたよ。子供の俺が言うのも変
だけど、母さんは明るくて、いつも笑っていて、とても綺麗だった。父さんはよく母さんの話をしてくれ
た。」
「君の話を信用するなら、お父さんて賢ちゃんのことね。」
「そう、ビデオでもそう呼んでたね。」
「そっか、賢ちゃんは私の話をしてたか。よし、明日褒めてやろうっと。そうだ、水を差すようで悪いけ
ど、一ついいかしら?」
「何?」
「賢ちゃんは、お父さんは今近くにいないの?変わってくれれば君の話を信用してあげられると思うんだ
けどなぁ。」
「そうだね、是非僕も変わってあげたい。父さん喜んだだろうし。でも、もう無理だ。父さんは、もうこ
の世にはいない。」
「え、賢ちゃんが?何でよ?事故か何か?」
「一年半くらい経つかな?過労で、倒れた。」
「過労?あの賢ちゃんが?まさか、こう言っちゃなんだけど、あんまり自分に厳しい人間じゃないよ、
彼。」
「俺は昔の父さんは知らない。俺が知る父さんはいつも良い父親で、家のことも、炊事洗濯もちゃんとこ
なす良い母親でもあった。」
「あの賢ちゃんがねえ。どうも信じがたいわ。」
「今は信じられなくても仕方ないと思う。でも、いつかは分かって欲しい。俺が産まれてしまう前に。父
さんはよくお礼を言っていた。俺がちょっと手伝いをしただけでも、すごく褒めてくれた。そして何度も
ありがとうって言ってくれた。俺はそんな父さんが好きだった。だから、父さんに死んでしまうほどの苦
労をかけたくないんだ。そのためには、母さんが生きてなきゃ駄目なんだよ。だから、母さんが生きるた
めに、俺を産まないでくれ。お願いだ。」
「お父さんは、最期に何か言っていた?」
「死に目には立ち会えなかった。連絡があってすぐ駆けつけたけど・・」
「・・・私もさあ、幼くしてお母さんと死別してんだよね。」
「知ってる。」
「そう。それでね、母の愛ってものをよく分からないまま育った。お父さんにいつか聞いたんだよね。お
母さんて昔から体が弱かったんだって。出産は難しいでしょうってお医者さんからも言われてたらしい。
でも、お母さんは私を産んだ。そのせいで死期を早めちゃったんだろうね。別にお父さんは私を責めるつ
もりでこんなことを言ったんじゃないと思う。でも、実際、私にはその話は重荷以外の何物でもなかっ
た。自分のせいで母は死んでしまったんだって、ずっと、それこそ10年以上そう思ってた。」
「・・・俺と一緒だ。」
「そっか、君も重荷に感じてるんだ。そうよね、子供からしてみればそんなのお涙ちょうだいの良いお話
なんて思えるはずないよね。私が覚えてるお母さんって、いつも床に伏せて、時々乾いた咳をして、そん
な苦しそうなイメージしか残ってなかった。親元を離れて5年くらい経った頃かな?休暇で久しぶりに実
家に帰ったの。その時、掃除してたらこれが出てきたって、お父さんが一冊の日記を出してきたの。小さ
い頃見た記憶があるそれは、弱ってたお母さんがお父さんに頼んで買ってきてもらった日記だった。最期
だからってすごい上等なものを頼むって言われてさ、お父さんは懐かしそうに呟いた。確かに、十何年も
経ってるのにその日記は全然色あせてなくて、しっかりしてた。」
「・・・その日記には何て?」
「毎ページに細かい字でびっしり書いてたよ。って言ってもまあほとんど寝たきりみたいな生活だし内容
はお父さんに対する感謝とか、私が元気で育ってくれて嬉しい、みたいなことばっかりだった。でね、そ
れをぱらぱら捲ってたら、あるページで、手が止まった。今まで綺麗な字で埋め尽くされてたそれが、不
意になくなったの。まあ、つまり、その日に亡くなっちゃったって、ことなんだよね。その最期のページ
には、前のとは比べ物にならないほど、震えた、乱れた字で、一言『正樹さん、加奈子、ありがとう』っ
て。」
「あ、ありがとう・・?」
「そう、まあ、お父さんは分かるよ。毎昼毎夜看病してさ、感謝されるのはもちろんのことだと思う。で
もお母さんは私にもありがとうって。何もしてないのにさ。私の名前書かなきゃもっと綺麗な字でお父さ
んに感謝の言葉書けただろうに。何してんのよ、無理しないでよ、そんなこと思った。その後慌てて日記
を閉じたよ。涙で滲ませちゃいけないって。私のせいでお母さんが死んでしまったなんて重荷はいつの間
にか感じなくなってた。」
「・・・父さん、最期に看護婦さんに俺宛の伝言を残してた。」
「何て?」
「『母さんも言ってた』って。」
「母さんも?」
「父さんはよく本を読んだ。だからきっとかっこつけて、回りくどい言い方したんだ。さっき言ったろ?
父さんはよく俺にありがとうって言ってたって。母さんもそう言ってたって、俺に言いたかったんだ。」
「そっか。私、言えたんだ、わが子にありがとうって。まあ君の話を信用すれば、って話だけどね、ふ
ふ。」
「その笑い方、ビデオでよく見た。俺好きだよ。母さんのその笑い方。」
「母さんは止めてってば。信用したとは言ってないよ。でもさ、君もそれを聞いたんなら、はじめから思
ってたんじゃないの?堕ろしてくれなんて言っても、母親の気持ちは変えられないって。」
「・・もしかしたら、声が聞きたかっただけかも。でもちょっとでも俺の話を聞いて欲しかったんだ。」
「そっか。」
「そろそろ切るよ。夜中にごめんね、それじゃあ。」
「うん、じゃあね。おやすみ。それと、ありがとう。」
「・・その言葉、直接聞けてよかった。じゃあ、おやすみなさい。」