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誇り、そして最後の誓い

第8話

土方歳三が訪れた日の夕暮れは、真夏の庭を、どこか切ない色に染めていた。

蝉の声はまだ降り注いでいたが、その響きは朝のような元気を失い、どこか寂しげに聞こえた。


土方は、総司の枕元に腰を下ろしたまま、しばらく何も語らなかった。

ただ、総司の細くなった手を見つめたり、窓の外の庭に目をやったりしている。


総司もまた、土方の隣に座るクロの温もりを感じながら、静かに息をしていた。

二人の間には、言葉以上の、深い信頼と、そして互いへの気遣いが、穏やかに流れていた。



---


やがて、土方がゆっくりと口を開いた。


「……総司。お前は本当に、こんなところで静かにしてるのが似合わねぇな」


その声には、かつての厳しさの中に、複雑な感情が交じっていた。

総司は、ふっと笑みを浮かべる。


「ええ、土方さん。俺もそう思いますよ。でも、ここもなかなか……悪くありません」


総司の視線が、そっとクロへと向けられる。

クロは、総司の膝元で、土方の方をじっと見上げていた。


土方はその姿に気づき、小さく息を漏らした。

先ほど、この猫の瞳の奥に見た友の面影が、どうしても忘れられない。


あの友は、かつて総司の剣の才能を誰よりも信じ、共に未来を語り合った。

そして、誰よりも総司の行く末を案じていたことを、土方はよく知っていた。



---


「総司……」


土方は改めて総司の目を見つめる。

その瞳は病に侵されながらも、かつての輝きを失っていなかった。


「お前は、本当に……よくやった」


それだけの言葉だったが、総司の胸には、深く、温かく響いた。

それは、誰よりも厳しかった土方からの、最大の褒め言葉だったからだ。


「土方さん……」


総司は、かすかに微笑んだ。

そして、ずっと胸に抱えていた問いを、迷いながらも口にする。


「俺は……」


「うん」


「……俺は、幸せでしたか?」


土方は、言葉を選ぶことができなかった。


何百の嘘よりも、

ひとつの真実だけが、この夜を守る。


「――お前は、俺の誇りだ」


「……そうですか」


総司の目から、一滴の涙がこぼれ落ちた。


それは苦しさからでも、悲しみからでもなくて、

たぶん、静かな、心の底の安堵だった。


「……なら、俺は、幸せです」


そう言って、彼は微笑んだ。


「俺は……幸せでしたか?」


その問いに、土方は一瞬、言葉を詰まらせた。


総司の短い人生を、土方は知っていた。

激動の中を駆け抜け、多くを失い、そして今、病に苦しんでいる。


だが、土方の答えは、迷いなく、力強かった。


「ああ。お前は、俺の誇りだ。

そして、間違いなく幸せだったと、俺はそう思う」


その言葉が、総司の心にじんわりと染み込んだ。


総司の顔に、一点の曇りもない、心からの笑顔が広がった。

その笑顔は、病の苦しみを忘れさせるほど、清らかだった。



---


土方は立ち上がり、総司の傍らに寄り添うクロを、そっと撫でた。

クロは、土方の大きな手に、ゆっくりと頭を擦りつけた。


土方の掌から、クロは感じ取っていた。

土方が抱える重い悲しみと、総司への限りない想いを。


それは、言葉では語られぬ、熱い絆の証だった。


土方は、クロに無言で総司を託すように、深く頷いた。

クロもまた、土方を見上げ、その瞳で「任せてください」とでも言うように、静かに瞬きを返した。



---


二人の間には、最後の別れを悟りながらも、感傷的ではない、清々しい空気が流れていた。


土方は、「また会おう、総司」と、力強く言って、部屋を出て行った。


総司は縁側に座り、去りゆく土方の背中を静かに見送った。

クロは、総司の隣に寄り添い、共にその背中が門の向こうに消えるのを見届けていた。


それが、二人の今生の別れになることを、

──総司も、そしてクロも、静かに理解していた


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