夢と現実の狭間
第5話
初夏から盛夏へ――
季節の移ろいは美しく、それゆえに残酷だった。
総司の身体は、日に日に熱を帯び、夜の闇に沈むように意識が遠のく時間が増えていった。
息をするだけで肺が焼けるように痛み、世界の色がぼやけていく中で、彼は夜ごと、過去の夢を見るようになった。
夢の中では、不思議なほど身体が軽く、息を吸えば空気は澄み切っていた。
総司は剣を構え、土を蹴って駆け出していた。
隊士たちと共に、京の町を駆けるあの日々。
厳しい稽古に汗を流し、桜の花が舞う夕暮れに、近藤先生の朗らかな声が響いていた。
土方さんの叱責も、背中を押すような温かさを宿していた。
刀を握る手の感覚。血の匂い。生きているという実感――それらすべてが、あまりにも鮮やかだった。
だが、その夢の中に、いつからか黒い影が入り込むようになった。
クロだ。
あの黒猫が、夢の中に現れる。
隊士の足元をすり抜け、総司のそばへ近づき、じっと見上げてくる。
ある時は、屯所の縁側に丸まり、喉を鳴らしながら微睡んでいた。
またある時は、敵と対峙する総司の背後で、静かに、その一部始終を見守っていた。
現実の記憶にないはずの場面に、なぜかクロはいつも居た。
そこに在ることが、自然すぎるほどに。
まるで、最初から彼もあの時代を生きていたかのように。
総司は目を覚ます。
汗で濡れた襦袢が肌に張りつき、天井が揺れて見える。
そして、いつもクロがいる。
枕元でじっと、彼の目を見ている。
夢と現実の境が、その瞳に映る自分の姿でつながっている気がした。
「お前……夢の中まで来ていたね」
かすれた声でそう呟くと、クロはそっと額に頭を寄せた。
ひんやりとした感触が、火照った肌に触れる。
その瞬間、夢で見た光景が、まるで現実だったかのように、胸の奥に広がっていく。
夢ではなかったのかもしれない。
いや、夢と呼ぶにはあまりにも、感覚が、音が、匂いが、あたたかすぎた。
あの中で、自分は確かに“生きて”いた。
そして、クロはそこに“いた”。
――彼は、夢を共にしていたのではないか。
そんな馬鹿げた考えを、総司は否定できなかった。
あるいは、クロが彼に夢を見せていたのかもしれない。
過去に触れさせ、再び命の記憶を燃え上がらせるために。
忘れてはならない何かを、魂に刻み直すために――
彼の瞳には、深くて、透き通った何かが宿っていた。
それは単なる猫の眼ではない。
そこには、言葉にできない意志があった。
優しさがあり、哀しみがあり、祈りのような静けさがあった。
総司は感じていた。
この猫は、ただの存在ではない。
彼は、何かを背負ってここに来た。
自分のもとに、必然として辿り着いた。
過去と未来の狭間に横たわる、自分という命。
そしてそのそばに、変わらず静かに在るもの――それがクロだった。
外の世界では、大砲の音が遠くで響きはじめていた。
それは確かに現実の音だ。けれど、もう届かない。
総司の心は、夢と現の境を漂いながら、ただ一つの温もりに寄り添っていた。
クロ。
君は、何者なんだろう。
それでも総司は、もう恐れていなかった。
たとえこの命が消えても、クロが最後まで傍にいてくれるなら――
それだけで、何も怖くなかった。
その黒い瞳の奥で、何かが微かに揺れた。
まるで、「大丈夫」と語りかけるように。
静かな祈りと、穏やかな死生観のなかで、
総司はまた、夢へと溶けていった。