表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/12

夢と現実の狭間

第5話

初夏から盛夏へ――


季節の移ろいは美しく、それゆえに残酷だった。


総司の身体は、日に日に熱を帯び、夜の闇に沈むように意識が遠のく時間が増えていった。

息をするだけで肺が焼けるように痛み、世界の色がぼやけていく中で、彼は夜ごと、過去の夢を見るようになった。


夢の中では、不思議なほど身体が軽く、息を吸えば空気は澄み切っていた。


総司は剣を構え、土を蹴って駆け出していた。


隊士たちと共に、京の町を駆けるあの日々。

厳しい稽古に汗を流し、桜の花が舞う夕暮れに、近藤先生の朗らかな声が響いていた。

土方さんの叱責も、背中を押すような温かさを宿していた。

刀を握る手の感覚。血の匂い。生きているという実感――それらすべてが、あまりにも鮮やかだった。


だが、その夢の中に、いつからか黒い影が入り込むようになった。


クロだ。

あの黒猫が、夢の中に現れる。


隊士の足元をすり抜け、総司のそばへ近づき、じっと見上げてくる。


ある時は、屯所の縁側に丸まり、喉を鳴らしながら微睡んでいた。


またある時は、敵と対峙する総司の背後で、静かに、その一部始終を見守っていた。


現実の記憶にないはずの場面に、なぜかクロはいつも居た。


そこに在ることが、自然すぎるほどに。

まるで、最初から彼もあの時代を生きていたかのように。


総司は目を覚ます。


汗で濡れた襦袢が肌に張りつき、天井が揺れて見える。

そして、いつもクロがいる。

枕元でじっと、彼の目を見ている。

夢と現実の境が、その瞳に映る自分の姿でつながっている気がした。


「お前……夢の中まで来ていたね」


かすれた声でそう呟くと、クロはそっと額に頭を寄せた。


ひんやりとした感触が、火照った肌に触れる。

その瞬間、夢で見た光景が、まるで現実だったかのように、胸の奥に広がっていく。


夢ではなかったのかもしれない。


いや、夢と呼ぶにはあまりにも、感覚が、音が、匂いが、あたたかすぎた。


あの中で、自分は確かに“生きて”いた。


そして、クロはそこに“いた”。


――彼は、夢を共にしていたのではないか。


そんな馬鹿げた考えを、総司は否定できなかった。

あるいは、クロが彼に夢を見せていたのかもしれない。

過去に触れさせ、再び命の記憶を燃え上がらせるために。

忘れてはならない何かを、魂に刻み直すために――


彼の瞳には、深くて、透き通った何かが宿っていた。

それは単なる猫の眼ではない。

そこには、言葉にできない意志があった。

優しさがあり、哀しみがあり、祈りのような静けさがあった。


総司は感じていた。


この猫は、ただの存在ではない。


彼は、何かを背負ってここに来た。


自分のもとに、必然として辿り着いた。


過去と未来の狭間に横たわる、自分という命。


そしてそのそばに、変わらず静かに在るもの――それがクロだった。


外の世界では、大砲の音が遠くで響きはじめていた。

それは確かに現実の音だ。けれど、もう届かない。


総司の心は、夢と現の境を漂いながら、ただ一つの温もりに寄り添っていた。


クロ。

君は、何者なんだろう。


それでも総司は、もう恐れていなかった。


たとえこの命が消えても、クロが最後まで傍にいてくれるなら――

それだけで、何も怖くなかった。


その黒い瞳の奥で、何かが微かに揺れた。


まるで、「大丈夫」と語りかけるように。


静かな祈りと、穏やかな死生観のなかで、


総司はまた、夢へと溶けていった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ