探索記録5【痛む拳】
白色の部屋で…アルンは目を覚ました。
左右の横にはカーテンのような布で仕切られており、自分は破れかけのシーツが敷かれたベッドで横になっている。
白さが目に刺さるようだ。
病室だ…アルンはそう判断した。
『初めてだ…病院なんて…本当にこんなに白いんだ……』
静かに…アルンは目の前にある天井のタイルの一点のみを見つめていた。
その時…彼が何を考え…感じていたかは分からない。
アルンが物思いにふけていると、仕切りのカーテンが開けられる。
「おっ起きてたか!大丈夫か?」
入ってきたのは仕事着のままのおやっさんと、制服姿のソラネだった。
「おやっさん……」
アルンは何か言おうとしたが…直前で口をつぐむ。
おやっさんから目を背け、左腕が勝手に震える。
「大丈夫?アルンくん…」
ソラネの声が…アルンの背中に突き刺さる。
アルンは震えている左腕を抱え込みながら答える。
「大丈夫…?だと思うよ?…うん…大丈夫…きっと」
「そう……」
アルンの拒絶が…自然と滲み出たのだろう、現にソラネは少し抑えめの声だった。
「何か…いや…何でもないっ…!医者さんの話だと…あと3日は入院だとさ…じゃあソラネ…戻るぞ。」
「え?」
おやっさんの言葉に、ソラネは目を見開く。
おやっさんはソラネの腕を掴み、少し無理矢理仕切りの外に引っ張り出す。
そして少し小声で会話しだす。
「今のアルンは…ちょっと一人にしたほうがいいと判断したからだ…」
「けど…」
「俺の経験則だ…」
「うん…」
カーテンでどんな顔をしているかは見えないが…
『聞こえてるよ……全部……』
アルンには…聞こえていた。
「あら?ソラネちゃん達ともう話し終わったの?」
「…」
今は誰とも話したくない…しかし…今アルンの後ろにいる。
スメラギが…
「で?初の実戦どうだった?しんどかった?」
アルンの右手、義手が怒りで震え、軋む。
眉をひそめ、口はその原型を留めれなく成りそうだった。
「やっぱり…実験の話ですか………」
その言葉が…今この瞬間…確実に…アルンはスメラギとの距離を離す…"的確な言葉"を発した。
「あなた…何言って…!」
スメラギの言葉には…今まで無かった明確なアルンへと敵意が見え隠れする。
見なくても声でわかる。
声が微かに震えている…我慢している…アルンが…僕が子供だから…
「僕は実験道具じゃありません。」
「アルン!」
先に怒りの臨界点を超えたのは…"大人"のスメラギだった。
「あなた…何ふざけた事言ってるの!何が…何が言いたいかハッキリしなさい!」
「………」
"大人"のスメラギ…いや…赤髪の女性は病人である僕の胸ぐらを掴んでいる。
その形相は般若のようにぐしゃぐしゃだ。
怖かった訳では無い…しかし…僕は自然に…赤髪の女性から目を背ける。
包帯の巻かれた頭がズキズキする。
初めて生物を殺した左手は拒絶ではなく殺意が籠もる。
「僕はもう…アレには乗りません。乗りたくありません。」
ようやく出た…アルンの言いたかった言葉が…伝えたい声が…
「何言ってるの…?あなたしか使えないのよ!わかってるの!その意味!」
「わかってる…」
赤髪の女性の声は、もう怒号へと成り果てていた。
「わかってないから言ってるの!」
「わかってるって言ってるでしょ!」
その後のアルンの言葉は…悲痛で…とても見ていられないものだった。
「言葉も理解でき無いの!"あんた"は!………何も考えられないなら何も言わないでよ!求めないでよ!来ないでよ!元々関係ない話なんだよあんなの!ソレから離れるだけでしょ!元々はこうなんだよ!なんで…!なんですが…何で起こるんですか……」
アルンは…息を呑む…そして口にする…
「"あなたは大人なのに"」
アルンは赤髪の女性にそう言い残すと、右手の"義手"で、胸ぐらを掴んでいる腕を強く拒絶するように跳ね除け、自らの力で握り潰れそうな左拳は…赤髪の女性の右頬に引き寄せられた……
俯いたまま…アルンは自身の病室を出る。
騒ぎを聞き付けた看護師が部屋の目の前まできていたが…ソレに気づく事は…無かった。
……
白いはずの病院の通路が灰色に濁る。
自分がいないように感じる。
見ている人が僕を見ている。
嘲笑してる、…
逃げてる僕を笑うんだ…
皆…皆…!
あの人も………何で…誰も僕を観てくれない…
僕を観てよ…認めてよ…
怖いんだよ…、……
誰も僕の意見を…意思も聞かない…効かない!
僕を診てくれない。
誰も助けてくれない…触れない事が優しさ……?
「ふ゛さ゛け゛ん゛な゛よ゛…゛……゛」
いつの間にか、涙で顔がぐちゃぐちゃになっていた……
痛む左手を横の壁にぶつける。
……
屋上…静かで誰もいない…いなくて良い…いないから良い。
アルンは屋上で縮こまっていた。
『また空は見えない……灰も見てくれない…………』
くすんだ視界は…空すら映さない。
『大丈夫……』
「……!」
あの時の声…あの時聞こえなかった声が…今聞こえた。
静かで…守ってくれそうな声…
…けど…後ろから…近くもなく…遠くもなく……観ているだけ……それだけ、
「お前も、お前かよ……」
左手が…体が震える…なぜか…それはアルン自身も知らない事だ………
……
「まだ…子供なのよね…アルンくんは………」
赤髪の女性…スメラギはアルンの病室で苦悩している。
殴られた右頬に触れながら…
『殴られた…年上の親じゃなくて…年下のアルンに…最近は親にも殴られなくなった…親はもう教え導く親は消え…守られ拘束される年齢になってきた……今分かった……"私は子供じゃない"もうとっくに"導く大人なのよ"…』
大人だと…そう認識したスメラギは決意する。
「ゼノ・ルナ…子供にはただの重荷ね……」
スメラギは俯いたまま言葉を落とす。
「お前にゼノ・ルナは使えないぞ…」
「!?」
熟考するスメラギの後ろには…いつの間にか黒ずくめの男…ソラガネが立っていた。
「あなたもアルンくんの様子見?」
どこか敵意を孕んだ言葉をものともせず…ソラガネは答えた。
「お前がこうなりそうだったからな……その様子見だ…お前はガキだからな…」
「あんた…!」
静かに淡々と話しながら的確に地雷を"わざと"踏むソラガネに、スメラギはソラガネの思い通りに声を荒げる。
「そういう所がガキなんだよ…スメラギ………話を戻すが…お前はゼノ・ルナには乗れない…」
ソラガネの顔が影に呑まれている…スメラギはそう感じた…敵意か…殺意…もしくは怒り…何を思っているのか分からないソラガネの顔は…まさに深淵だった。
未知…それは人間が意味嫌い…もっとも恐怖して崇めるもの…
スメラギはソラガネの未知…深淵に怖気付く。
腰は引け、自然と身構える
「私がいつゼノ・ルナに乗るなんて言ったの……」
スメラギの警戒は受け取られず、言葉のみ受け取ったソラガネは返す。
「お前はアルンには荷が重い…"大人"の自分がやらなくちゃ………と思ったろ」
と……
返す言葉を必死に探すスメラギに…ソラガネはこう言い残す。
「お前は側だけ大人になった子供だ…アルンに大人って言われて初めて自覚したろ……」
ソラガネは苦悩するスメラギを置いて…病室をあとにする。
『お父さん……私…立派に大人…出来そうもありません…"ごめんなさい"』
贖罪の気持ちが…スメラギの心を静かに締める。
……
病室をあとにしたソラガネは…アルンのいる屋上へと向かう。
屋上の扉を開けると…そこには…
「お前も、お前もかよ…!」
そう詰まった声を捻り出すアルンがいた。
「大丈夫か…シュウジ…」
暗い顔を覗かせながら…ソラガネはアルンに聞いた。
アルンは背を向けたまま答える。
「大丈夫に見えますか………こんなの…見えるわけない…観れるわけ無い……誰も…知らない、………!」
大丈夫?そんなわけない…
見えないの?
表面"だけ"の心配"だけ"して…!
いい人になった気でいて…!
僕はいい人に見られるための道具じゃない!
あの機械を動かす駒でもない!
誰も来ないでよ…
誰もいないと…心が落ち着くんだ…だれにも必要にされない、必要になる事がない…だって必要にする人がいないんだから……
来ないでよ…
どうして来るんだよ…
「誰もいなくて良いのに……」
ふと出た一言……それを聞いたソラガネは…
「一人は…寂しいぞ…」
悲しげに言った…
ソラガネは唇を噛み締めている。
そんな表情も見えない…
アルンには……決して。
「後ろばっか見たって…"なんにもいいことなんかねぇぞ'…」
やはりソラガネは地雷を踏む。
言葉が…"事実"は鋭く…加速してアルンを刺す。
突き抜ける事なく…刺さったまま残る"事実"を…
「わかってるよっ!!」
怒号を超えた悲痛な叫び声は…誰にも向けられていない…
アルンは…完全に感情が爆発し、体がその感情のはけ口を探している。
……
そこから先は覚えてない…
何があったのか…それからどうなったか…
記憶が安定したのは…どんな時だったか…
病院食を食べていた時だ…
その時ようやく意識が安定していた。
ベッドの上出食べる食事…変な気分だ…
食べるものはペースト状の謎の食べ物。
吐瀉物を食べている感覚だった。
唯一まともそうなパンも…味がなくぱさついている。
謎に高鳴る心音が周りの音を遮断する。
心音と比例するように呼吸が行われ…かなりの息苦しさがある。
寝る時間と言われ、部屋の粒子電気を消されるも…眠気が来ない…
そのせいで常に考えてしまう…
……
どうすべきか…何が良いのか…
自己否定と他者否定の堂々巡り。
「誰もいない所に行こう……」
誰もいない場所………移動要塞都市スレイブの外……僕を必要にするのが自分だけの知らないセカイに逃げよう……
ここで第一章【ゼノ・ルナ】は終わりますね……
短いですが…心情描写をしっかり描いたつもりです。
次回からは崩壊世界編 第二章【自己循環の世界】になります。