第8話 チャラいけどチャラくなかった男とまた一難
「大変、申し訳ございませんでした!」
「いいって、いいって! むしろ勘違いさせるような行動した俺ちゃんにも非があるっしょ!」
チョリスが泊まっている宿付近の飯屋にて、ナトリとズゥシャンは二人揃って頭を下げていた。テーブルを挟んで座るチョリスは気にした様子もなく笑っている。
「マジで気にしないでよ! てか実を言うと、俺今ちょー嬉しいんだかんね? きみズゥシャン君っしょ? ガントから聞いたんだよ、『可愛いおでこのトカゲ薬膳師さんがいる』って!」
「お、おでこ……失礼、そうだったのですね。ではすでにガントおねいさんから聞いていると思いますが。改めまして、ズゥシャン・リウと申します。この街で薬膳師をしています」
「よろしく~! 俺ちゃんはチョリス・トレレクスね。こう見えて行商人してんの。んで、おねえさんの名前も聞いていい感じ?」
「は、はい! ナトリ・グレイといいます!」
「オッケ! ズゥシャン君とナトリ嬢ね! これで俺たちフレンドになったわけ!」
うぇ~い、と言って突き出された拳に、おそるおそる自分のものをぶつける。ズゥシャンに至っては、何をするか見当もついていない様子だった。
「やっぱ歳とってもおニューの友達はテンション上がるわ! ここは俺ちゃんが奢るから好きなもの頼んでいーかんね!」
「いえそれは、さすがに申し訳ないので……」
「なーに言ってんの? 二十代か十代かわかんないけど、二人共まだ赤ちゃんみたいな歳っしょ? たくさん食べなきゃダ~メ! 遠慮なんかしないしない! あ、店員さん注文おなしゃーす!」
「ちょ、チョリスさん、ちょ、ま……」
二人の制止も聞かず、チョリスはすごい量の注文をし始めてしまった。これは覚悟を決めるしかない。
「……先生。先生の胃袋はわたしが守ります。なので、数時間後ぱんぱんに膨らんだわたしを見ても引かないでください」
「大丈夫ですよ、僕も今『自分は食べ盛りの少年』だと暗示をかけていました。破裂する時は一緒です」
注文し終えたチョリスは、そんな会話をしていた二人の方へ顔を向けた。
「――んで、二人共俺ちゃんに聞きたいことある系な? ガントとのことかな?」
核心を突かれてしまいナトリは驚く。彼の表情を見れば、最初から自分たちの考えが読まれていたことが分かった。
……そうだ、この人行商人なんだよね。
人が求めていることや考えていることに敏感じゃないとやっていけない仕事だ。先回りして行動するのも職業病みたいなものだろう。これは隠したって仕方がない。
そう思うと同時に、ズゥシャンも頷いていた。
「……単刀直入に聞きます。ガントおねいさんとは、どのようなご関係ですか?」
ここまでまっすぐに尋ねるとは……と思っていると、ズゥシャンの誤魔化そうとしない姿勢にチョリスは嬉しそうに笑った。
「聞いてた通りマジで素直な子じゃん! 俺ちゃんそういう子ラブだわ! ……と、話を戻そっか。ガントとの関係ね、世間一般で言うところの『恋人』だよ。まだ日は浅いけど」
「……想い合った経緯を聞いても?」
「いいよ、隠すようなことでもないしね。さっきも言ったけど俺行商の仕事してるからさ~、色んな場所に行くわけよ。で、今回初めてこの街に来たのね。そしたら結構大変なことになっちゃってさぁ、慣れない土地で困ってるとこをガントが助けてくれたんだよね。も~そこで運命感じちゃって!」
頬を染めて「運命」という言葉を口にするチョリスは、絵に描いたような恋する男性だ。
「俺妖精人なんだけどさ~、妖精の遺伝子持ってるからか『運命』とかわかるんだよね、いやホントに! でも数段飛ばしの間柄じゃなくてまだ手も繋いでないような関係だからさ、親父さんにも安心してもらえればいいんだけど」
「そうなんで……え⁉」
「え? ガントの親父さんから言われてきたんじゃない系な?」
「そ、その通りなんですが……どうしてわかったのかな、と……」
ナトリの問いかけに、チョリスは淡々と答える。
「恋仲になった時にさ、ガントから聞いてたんよね〜。親父さん、超が付くほど心配性だって」
血涙を流したアントの姿を思い出す。
あのレベルを心配性って言葉で片付けられるのは懐が深すぎるよチョリスさん……!
「ま、親父さんのことも聞いてるくらいだから、ガントの子供のころも教えてもらったりしたわけよ。お袋さんが出て行ってから取り憑かれたように働く親父さんをただ待つことしかできなかったこととか、ちょっち寂しかったこととかさ」
……そっか、父子家庭だったんだ。それならアントさんの心配しすぎる性格も分かるかもしれない。
そう思っていると、次々に大量の料理が運ばれて来た。食欲をかき立てる香りに鼻腔をくすぐられる。
目の前には甘ダレがかかった鶏肉の丸焼き、マッシュポテト、ドレッシングに浸ったサラダ、おつまみのピクルス、その他諸々が食べられるために鎮座している。食指が動くよう計算され尽くしたデザインだ。もはやアートの領域と言っても過言ではない。
「つまり、あ〜、なんつ〜のかな。自分語りみたいになって超恥ずいんだけど……」
チョリスは店員にお礼を言うと、頬をかきながら照れくさそうに言った。
「昔寂しかった分そこを俺が埋めてあげたいし、これからは俺がそばにいるから寂しいとかネガティブな感情になるような暇与えないってことなわけ! ……ささっ、料理も来たし冷める前に食べよ〜!」
恥ずかしさから早口で無理やり話題を変える彼を見て、ナトリとズゥシャンは笑い合う。二人共考えていることは同じだった。
疑う必要なんてなかった、この人はすごくいい人だ。これでアントにもいい報告ができる。
そう思った瞬間だった。
「――詐欺師がぁぁぁぁぁぁぁぁ‼」
この場に流れる優しい雰囲気をぶち壊す発狂。その正体は、獣のような勢いでこちらに近づいて来るアントだった。
「――アントおじさん⁉ 診療所のベッドで寝ていたはずなのにどうしてここに⁉」
「そ、それよりも止めないと‼ アントさん落ち着いて‼ ほら、ひっひっふー‼ ひっひっふー‼」
前からズゥシャン、後ろからはナトリが、腕や尾を絡めて彼をチョリスに近づけまいとするが、凄まじい力で引きずられてしまう。そんな中、チョリスに向けて確実に歩を進めるアントの腕が少し上がっていることに気づいた。
こ、これはまずい! 殴りかかる人の腕の高さだ! アントさん、チョリスさんを殴る気だ!
王都にいたころは喧嘩などを見かける機会も少なくなかった。真正面から現場に出くわしてしまい、見回りの騎士を呼びに行ったことだってある。どんな惨事になるかは想像に容易い。
もはや腕だけなどと言わず、ナトリは全体重をかけてアントにしがみついた。
「アントさん‼ ほんと、暴力沙汰は洒落にならないですから‼ 牢屋行きもありえますから‼」
ナトリの言葉をアントは聞いていない。
「誰も悪くないんです‼ チョリスさんもガントさんも、ただお互いを好きになっただけ‼ それだけだったんです‼ 騙したりとか唆したりとかもしてません‼」
アントは止まらない。それでも、どうにかして止めなければいけないのだ。
だって、ナトリは知っている。今までの積み上げてきた生活がたった一つの行動で崩れることを。冤罪だろうが、暴行だろうが関係ない。どんな人でも判決が下れば罪人扱いされてしまう。
――わたしは、その辛さをよく知ってる……! だから!
「――お願いします‼ あなたが罪人になったら、悲しむ人が絶対にいるでしょ‼ だからどうか、今の生活を自分から壊すようなことしないで‼」
「………………だ」
ナトリの叫びに、ぴたり、とアントの動きが止まる。そして何かを呟いた後、ぼろぼろと大粒の涙をこぼした。
「……じゃあ、どうすればいいんだ。……ナトリちゃん、僕だって本当はわかってるんだよ。ひもじい思いをさせないようにと仕事に明け暮れた日々があの子にとっては寂しかったこと、僕が器用でないから妻も愛想を尽かして出て行ってしまったこと、父親としてあの子の望むことをかなえてあげられなかったこと。全部僕が悪い。でも、僕にはあの子しかいないんだ」
アントは涙と鼻水まみれの顔をチョリスに向ける。
「なぁ頼む。何だって言うこと聞くよ。辞めろと言われれば行商だって辞めるし、金だって渡すから、だから、あんな優しい子を連れて行かないでくれ……」
何もかもを捨てた懇願。その姿を見たチョリスは、何か言おうと口を開いて、
「――おとぉぉぉぉぉぉぉぉさぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん‼」
けたたましい音と共に現れた突然の訪問者に驚き何も言えなかった。
「――ガ、ガント‼ どうしてここに⁉」
「どうしてって、お父さんがこそこそ診療所に行ったってご近所さんに聞いたからだよ‼」
美しい金糸を振り乱してずかずかと近づくガントは、ナトリの方に顔を向けるとにっこりと天使のように微笑んだ。現状に似合わない笑顔に、思わず絡めていた腕を緩めてしまう。ズゥシャンも同様のようで、困惑しながらこちらを見ていた。
そんな二人がアントから手を放したのを確認し、ガントは背後からアントの胴を掴んだ。
「――こんな、赤ちゃんみたいな歳の子たちに、迷惑かけちゃ駄目でしょぉぉぉ‼」
腹から出た声と共に、ガントは後ろに反る。そしてそのままアントは反り投げられ――美しいジャーマンスープレックスがキマッた。目の前で起きたことへの理解が追い付かずナトリたちは絶句する。
「チョリスにまで迷惑かけて、なんでこんなことしたの‼」
「そんなの決まってるだろう、娘が悪い男に連れて行かれるのを黙って見ている親がいるか‼」
二人共、逆さまになっているとは思えないほどに力強い言葉だった。
「寂しい思いをさせたのはわかってる、でもガント、頼む、こいつは、こいつだけは……」
「お父さんはわかってない‼」
ぴしゃり、とガントはアントの言葉を遮る。
「寂しかったのは本当、悲しかったのも本当。でも一番嫌だったのは、疲れてるお父さんを手伝えない、一緒に行ったって何もできない幼い自分! でも今は違う、おんぶにだっこじゃない! 好きになった人の疲れた背中を見ているだけじゃなくて、一緒にその疲れを背負える!」
胴を掴んでいたガントの手が泣き出す前の子供のように震えていたことに、ナトリだけが気づいた。
「お父さんを見てきて、行商がどれだけ大変な仕事かはわかってるつもり。だからこそ、彼の仕事を手伝いたい。家を出ようと思った理由はそれなの」
大きく目を見開き、声すら出せないアントに影が落ちる。そこには、地に膝をつきまっすぐアントのことを見るチョリスがいた。
「……アントさん。絶対、娘さんに苦労をかけることはしません。必ず傷一つつけずにこの街に帰って来ると約束します。だからどうか、連れて行かせてください」
そう言ったチョリスは深く頭を下げる。強張った声音と丁寧な口調が、彼の緊張を表しているように思えた。
それを見たアントは、何かが抜け落ちたような表情をしている。しかし数秒の後、くしゃりと辛そうに歪んだ。
「……そんなこと言われたら、駄目なんて、言えないじゃないか」
アントの瞬きと同時に、大粒の涙が一筋こぼれる。
「……うちの娘を、よろしくお願いします」
チョリスは何も言わず、ただ大きく頷いた。
ナトリたちは五歩ほど離れた場所から、彼らの様子を眺めていた。ズゥシャンの少し尖った耳に近づき、雰囲気を壊さないよう小声で話しかける。
「……なんだかんだで、最後はいい話でしたね」
「そうですね……」
――こんな格好じゃなければ、とズゥシャンは続けた。
その言葉に思わず苦笑してしまう。ちらりと見た視線の先には、絶賛ジャーマンスープレックスされながら号泣するアントの姿があった。
「んぁ〜? なんか今日騒がしくね?」
「ほんとだ。てかいつもの席空いてねぇじゃん最悪」
「どけって言やどくだろ」
「それもそうか」
瞬間、お世辞にも好意的とは言えない声が聞こえる。顔を向けると、酔っ払っているのか赤い顔をした鳥人たちが、値踏みするような目でこちらを見ていた。
一難去って、また一難。
そんな予感がした。