第6話 愛娘は金髪チャラ男に夢中
「こちらナトリ、目標であるガントさんを確認。どうぞ」
「こちらズゥシャン。同じく仕事帰りのガントおねいさんを確認しました。どうぞ」
「こちらアント。二人同様、可愛い愛娘を確認したよ、どうぞ」
ズゥシャンの診療所から少し離れたルツェルン中心部。王都に比べたら少なすぎる店の陰に隠れた三人は、まるで極東の団子のように上からアント、ナトリ、ズゥシャンの順で並び、ある女性が仕立屋から出て来るのを待っていた。
肩甲骨辺りまでまっすぐ伸びた美しい金髪に整った顔立ち。女性らしい華奢な身体が夕日で染まり、まるで絵画の中の人物のように見える。そんな彼女の名はガント・エンガーデン。アントの娘だ。
「今日も一日針子の仕事を頑張ったんだね、偉いなぁ。あ、見てごらんナトリちゃん、あのコルセットワンピースは二年前に僕がプレゼントしたものなんだ。あの時期は薄水色がトレンドでね、絶対に似合うと思って買ったんだよ。まさか今も着てくれてるなんて思わなかったなぁ、どうぞ」
「二年前の服なんですか⁉ すごい……くたびれた感もないし、きっと丁寧に手入れしてたんでしょうね。偉すぎます、ガサツなわたしにはできない……! あと薄水色がガントさんのためにあるってくらいマッチしてて可愛いです、どうぞ」
「お褒めいただきありがとう。きみもズゥシャン先生と色違いの医療ウェアとても似合っているよ、どうぞ」
「ありがとうございます。褒められ慣れていないので正直照れます、どうぞ」
会話終わりに必ずつく「どうぞ」という言葉に、ズゥシャンは何とも言えない表情をする。その感情を表すように、ずるり、と尾が地面を這ってしまった。
「……あの、全員同じ場所で尾行しているので『どうぞ』必要なくないですか? しかもこれ、もう何年も前の騎士が見回り報告する時に言っていた言葉ですし…………どうぞ」
「たしかにそうだね、必要ないね。どうぞ」
「ついてます、ついてますよ。外せてませんよ」
どこか抜けているアントと介護のような接し方をするズゥシャンの話を聞きながら、ナトリは昨日のことを思い出す。
「娘を唆したどこぞの馬の骨を特定してほしい」という薬膳師の範囲を越えた依頼に、困ったような顔をしながらも「ま、任せてください」と首を縦に振ったズゥシャンは、その翌日である今日の夕方からガントの身辺調査という名の尾行を始めた。
アント曰く、今日は帰りが遅くなる、とガントは言って仕事に向かったそうだ。朝から鬼のような形相で診療所に来たアントに、驚きで声をなくしたのは言うまでもない。
「あ! ガントさん移動しました! ……たしかあっちって飲食店が多くある通りでしたよね?」
ナトリの声に反応し二人もガントの背中を目で追う。
「……おかしいですね。あちらはガントおねいさんのお宅とは反対方向のはずですが」
「や、やっぱり男だ……! これからその男とあーんとかしてご飯を食べるんだ……!」
「落ち着いてくださいガントおじさん! そう断定するのは少し早計ですよ!」
「そ、そうですよ! もしかしたらお持ち帰りできるお店にアントさんと一緒に食べるご飯を買いに行ったかもですし!」
「………………お持ち帰りぃ?」
「あぁぁぁ違います‼ そういう意味でなく‼」
血涙を流し今にもガントの元へ突入しそうになっているアントをズゥシャンと一緒に止める。
ルツェルンに来てのどかな時間が増えたと思っていたが、そこに一点付け加えさせてほしい。のどかだが、とてつもなく特徴的で濃い時間が増えた。
「ここからだと見えなくなってきましたね。場所を移しましょう。アントおじさん、いい子にしてられますね?」
「はい、ぼく、いいこ、してます」
「心が欠落した悲しき魔物か何かですか?」
いつ暴走してもおかしくないアントを両脇から抱え、細心の注意を払いながら軽やかな足で進むガントの後を追った。
「あれ? 止まりましたね」
まっすぐ家に帰らず飲食店が多くある通りに向かったガントは、あるスイーツ店の前で足を止める。そこから一定の距離を保って、ナトリたちも止まった。近くにある飲食店の陰に隠れて彼女を観察する。
ガントは誰かを待っているかのように端に寄った。そして乱れてもいない前髪を整えたり、道行く人の顔をよく見たりと少し落ち着かない様子だ。
「……なんか、そわそわしてません?」
「僕もそのように見えます。……待ち合わせ、でしょうか」
「……ま、待ち合わせ、だと……?」
またも突撃しそうなアントを押さえる。ズゥシャンに至っては、彼の腹部に尾を巻き付けていた。服越しだとはいえあの美しい尾に触れられるなんて、正直羨ましい。
「こら、いい子にしているという約束だったでしょう。駄目ですよ」
「うぅぅ、二七二歳にもなって怒られるなんて……」
「え⁉ アントさん二七二歳なんですか⁉」
驚いてガントから目を離してしまう。
二七二歳、普通とっくの昔に寿命で死んでいる歳だ。だが、たしかに千年近く生きる長命種がこの世界にはいることをナトリは知っている。
「アントさん、妖精人だったんですね。見た目も話し方もお若いのでわかりませんでした」
「たしかに妖精人は古臭い喋り方する人もいるよね。……いやぁでもそう言ってもらえると頑張って若作りしてる甲斐があるなぁ。ありがとうね」
妖精の遺伝子を持つ種族――妖精人。せいぜい百年が寿命の他種族に比べて、とてつもなく長い時を生きる者たち。姿形は人間とよく似ていて、一目で見分けるのは難しい。
アントには耳も尾もないので人間だと思い込んでいた。まさか妖精人だったとは。そうなると今尾行しているガントも二十代前半に見えるが、実際は百歳を越えているはずだ。
話題が愛娘から変わったことで落ち着きを取り戻したアントは、ナトリの顔をまじまじと見つめて子供に向けるような顔で笑った。
「ナトリちゃんは人間かな? きっと赤ちゃんみたいに若いんだろうね」
「人間なのは正解ですけど、若くはないですよ。もう二十四ですから」
「二十四なんて僕からしたら赤ちゃん同然だよ。ん? ということはズゥシャン先生の方がナトリちゃんより年下なんだね。たしか今年で十九だっけ?」
急に話が振られたことで一瞬驚いた様子のズゥシャンだったが、すぐに何事もなかったような顔に戻る。
「はい、たしかに今年で十九になります」
「若いとは思ってましたが、まさか五つも年下だとは……!」
「こんな若いのに街のみんなから頼りにされる存在だって知れば親御さんも嬉しいだろうね」
この国――リンデンでは十五歳から成人とされる。だとしてもズゥシャンは若い部類に入るだろう。
基本、この国の人は十七、八で婚約をし、二十になるころには結婚してしまう。女性の場合、ナトリの年齢くらいになると子供を授かっている割合の方が多いだろう。つまり彼女は行き遅れとなっているわけだ。
先生の未来ある若者効果でわたしも若返らないかな……若返るはずないか!
そんなことを考えていると、やけにズゥシャンが静かなことに気づく。顔を向けると、彼の目はどこか諦めたような色を帯びながら遠くを見ていた。
「……父も母も、僕の現状を知ったとて喜びはしないでしょう。興味がないですから」
「え?」
聞こえた言葉が理解できずに思わず聞き返す。すると、彼はナトリを見て眉を下げて笑った。
「すみません、失言でした。忘れてください」
「え、あ――」
「――娘が動いた!」
何と答えるのが正解なのか。分からずに意味もなく発した音はアントの声にかき消された。
ズゥシャンの表情はすぐに普段通りの真面目なものに戻ってしまい、話を続けられる状況ではなくなってしまう。気にならないと言ったら噓になるが、今はまずガントのことが最優先だ。
それに、忘れてください、と彼は言った。そうやって一線引かれた話題にずかずかと踏み込めるほど、ナトリはズゥシャンのことを知らないし近しい存在でもない。
雇い主だけどかわいい年下の頼みなんだから、言う通り忘れてあげよう。
ナトリはズゥシャンから少し離れ、ガントの方へ顔を向けた。アントの言う通り、彼女は元いた位置から少し移動しているようだ。
「すごい手を振ってますね、一体誰に……」
そこまで言って、ナトリは言葉をなくす。
嬉しそうに手を振り駆けていくガントの視線の先――そこには、黒いシャツの胸元を大きく開けた褐色の男性がいた。襟足のみ長い彼の髪は人為的に染めたであろう金色だが、脳天からは地毛である黒が伸びてきてしまっているためプリンのように見える。ガントに向けて手を振る度、首から下げた鎖と勘違いしてしまうほどごつい銀のネックレスが揺れた。耳もたくさんのピアスでごてごてしている。
――と、とんでもなくチャラい……! いや、人を見た目で判断しちゃいけないし、もしかしたらすごい真面目な人かも……まずは二人の会話をよく聞かないと!
ナトリは耳を澄ます。
「チョリーッス! マジごめーん、俺ちゃんちょっち遅れちまった感じ系な?」
「ううん! そんなことないよ! チョリスに会いたくて私が早めに着いちゃっただけだから気にしないで!」
「ちょ~、そういうこと言われると嬉しすぎ! 男は狼って子供のころ教えてもらったっしょ~?」
「ふふっ、言うことが古いよ~。本当に面白いんだから」
「いやいやマジの話だからコレ! てか親父さんの方は? だいじょぶそ?」
「うん、今日は帰り遅くなるって言っておいたから」
「おけおけ! んじゃあ? 今日は? 俺たち二人で? パーリナイしちゃおうぜ!」
己の耳が拾った会話に、ナトリは思わず頭を抱えた。
駄目だ! やっぱりチャラい! 見た目通りのパターンだこれ!
そう思っていると、二人は楽しそうに笑いながら歩き始めた。このまま距離が広がっては会話が聞こえなくなってしまう。
後を追おうとナトリが一歩踏み出した時、手首にひんやりとしたものが巻き付いた。目を向ければ、黒鳶色の鱗に覆われた尾が動きを優しく止めている。
「なッ⁉ こ、これ先生のし――」
「――ナトリさん、これ以上はいけません、薬膳師ストップです」
首を振るズゥシャンは深刻な表情をしていた。
「これ以上の尾行はアントおじさんにとって精神的な致命傷となります。まずは帰って今後の行動を考え直しましょう」
「……チョリーッスって今時言わんだろそんな挨拶チョリスだから挨拶もチョリーッスってかふざけるな何もうまくないんだよあぁガント僕の愛娘そんな男がいいのかい昔はパパの清潔感が好きって言ってたじゃないかそれなのにあんな――」
「このように、もうすでにまずい状態です」
「は、早く帰りましょう!」
アントはもう自力で立つことすらできないようで、ズゥシャンに抱えられたまま虚ろな目でぶつぶつと喋り続けている。もちろん歩くこともままならないので、そのまま引きずるようにして三人はその場を後にした。