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第4話 ウォーターリーパーのおにぎり

「イィィィィィィン‼ ブルルッ‼」

「うおッ⁉ どうした落ち着け! どうどう!」


 外から威嚇したような馬の鳴き声と、それを宥める御者の声が聞こえてくる。荷台も少し揺れたが、倒れてしまうほどではなかった。そのことに安堵したのも束の間、ナトリの顔全体が真っ赤に染まる。


「…………すみません」


 蚊が耳元で飛んでいるかのような小さな声。そう、荷台に響き渡った音はナトリの胃袋から発せられたものだった。何日前から食べていなかったか、思い出そうとするも羞恥心の方が勝ってよく分からない。

 馬まで反応してしまうような轟音だ。さすがに平気な顔をしていられなかった。

 そんなナトリを見た青年は、隣に置いてある竹で編まれた箱をまさぐる。何をしているのか、頬の熱が引かないまま見ていると、


「これ、どうぞ」


 円筒形の箱が差し出された。両手の上に乗るくらいのサイズだ。

 どうぞ、と言われてもわけが分からない。そう思っていると、彼は長く節くれだった指で箱の蓋を開ける。

 そこには、丸々とした米の塊が五つ鎮座していた。


「これって……おにぎり?」


 そうつぶやくと、青年は少し驚いたような顔をしていた。


「実は、極東で修業を積んだ料理研究家の人が王都で屋台を出したとかで、気になって一度だけ食べたことがあるんですよ」

「なるほど。極東の料理なのでリンデンではあまり知られていないものとばかり思っていましたが、それなら納得です。……あ、ちょっと待ってください」


 頷いてナトリの話を聞いていた青年は、何かに気づいた様子でおにぎりが入った箱を置いた。そして再度隣の箱をまさぐると、次は鋭利なナイフを取り出す。思わぬ物の登場に身構えると、彼は大きく首を振った。


「勘違いしないで、危害を加えるつもりは一切ありません。安心してください」

「じゃあ、なんでナイフなんて……」

「なんでって……食事をするには不要でしょう、それ」


 そう言って指さす先は、ナトリの手首――を縛っている縄だった。

 たしかに手を縛られたままでは食べにくいだろうが、一応追放される人間だ。そう簡単に外してしまっていいの? なんて考えていると、そっと手を取られる。自分が冷えているのか、彼の手は指先まであたたかいように感じた。


「動かないでください。これでも医者の端くれです、間違いだろうと誰かに怪我を負わせる行為は御免ですので」

「はい、ご面倒おかけします……」


 なるほど。医者だったのか、とナトリは妙に納得する。まだ若いだろうに、立派な職について偉いと褒めちぎりたかったが、そんなことをしたらただの変な人だ。心の中で拍手を送るだけに留める。

 ――バラッ、という音をたてて、両手を拘束していた縄が落ちた。


「はい、もう動いて大丈夫ですよ。……手首が赤くなってしまっていますね、痛かったでしょう」

「い、いやぁ、えへへ……」


 この歳になって子供みたいな扱いをされてしまっている。恥ずかしいはずなのに、絶妙に嫌じゃない。思わず変な笑い方しかできなかった。

 青年はおにぎりの入った箱を持ち直し、再度ナトリの前に差し出す。このおにぎりたちも見ず知らずの自分に食べられるとは思わなかっただろうな、と申し訳ない気持ちになりながら右端のものを取った。何の変哲もない白ご飯のおにぎりだ。

 口の近くに運んでくれば、醬油のような香りが鼻腔をくすぐる。乾いていた口内にじゅわっと唾液が分泌された。

 すごい、いい匂い……!


「で、では、いただきます……!」

「どうぞ、めしあがれ」


 彼のお許しを得て、我慢できない子犬のように手元のおにぎりにかぶりつく。

 その瞬間、口いっぱいに程よい塩味が広がった。鼻に抜ける独特な香りに、舌上で感じる具の存在――これは鳥肉だろうか。ごろりと大きく弾力があるのに固いわけではなく、咀嚼する度にうま味が溢れ出る。……そして何より米のふんわり感! 作ってから時間が経っているだろうに、パサつきや固さなどは一切ない。風味も保ったままだ。

 咀嚼を終え嚥下すると、一口目とは思えない満足感に襲われる。


「………………おいしい」


 口の隙間から漏れ出た一言。伝えたい感想はたくさんあったはずなのに、言葉になってくれたのはたった四文字で、とても小さな音だった。

 すぐ二口目を口に含む。一口目と同様、いやそれ以上に美味しく感じた。

 おいしい、おいしい、おいしい、おいしい……! どうしよう、止まらない‼

 ――三口目、咀嚼、そして最後の一口。大きく口を開けて残りを詰め込んだ。

 喉から食道を通って、胃に辿り着く。止まっていた細胞が一斉に動き始めた気がした。

 最後の嚥下を終え、大きく息を吸う。

 ……ちゃんと味わって、ご飯を食べるのはいつぶりだろう。もうずっと忙しくて、お昼ごはん抜いちゃったり、食べても事務的に栄養を取るってだけでおいしさとかあんまりわからなくて、すぐ仕事して、へろへろになるまで頑張って、頑張って――


「――あ」


 ぼろり、と目から何かがこぼれる。それが涙だと気づいたのは、口に入った時しょっぱかったからだ。でも、不思議と驚きはなかった。

 堰を切ったように止まらない涙に、あぁそうか、と気づかされる。

 自分は嫌いじゃなかったのだ、あの『聖女』という仕事が。睡眠時間はろくに取れないし、いつだって忙しくて大変で、子供のころに思い描いていた姿とは違っていたことの方が多い。それでも、嫌じゃなかったのだ。こうして泣けるほど、自分は『聖女』として頑張っていたのだ。


「――ふッ、うぐ……」


 嗚咽が漏れる。あまりにも涙が止まらないので袖で拭ってみるが、拭ったそばから溢れ出してきた。全くどれだけ溜まっていたのだろうか。

 そんなことを思っていると、ぼやけて輪郭すら分からない視界の中で黒鳶色の何かが動いている。少し考えて、すぐに青年の存在を忘れていたことに気づいた。


「あッ⁉ わッ、すいません‼ お見苦しいところを‼ これ汗です‼ 気にしないでください‼」

「あ、いえ、そのようなことは……汗?」


 勢いよく目元を擦り、これ以上涙が落ちてこないよう上を向く。

 彼は気を遣って言わないでいてくれているのだろうが、おにぎりを食べて急に泣き始める女なんて変な人以外の何者でもない。こんな空気にしてしまったのは自分だ。どうにかして話題を変えなければ。


「お、おにぎり! おにぎりすごくおいしかったです‼ お米の風味もほんとに最高で‼」


 早口でまくし立てる。


「そういえば中身はなんだったんですか⁉ おいしいのはもちろん、弾力もあって鳥肉かなって思ったんですが――」

「――あぁ、あれはウォーターリーパーです」

「…………ウォ?」

「ウォーターリーパー」

「うぉーたーりーぱー」


 まだ残っていた涙が一瞬にして引っ込んだ。今彼は何と言った? ウォーターリーパーと言ったのか?

 ナトリの知っているウォーターリーパーは一つしかない。魔物だ。水辺に生息すると言われる魔物。手足のないヒキガエルのような姿で、トビウオに似た羽と尾を持っている。人を水中に引きずり込んで食べてしまうこともあるらしい。


「あの、それ魔物じゃないですか? わたしはおにぎりの具を教えていただきたくて……」

「ええ。ですからウォーターリーパーです。おねいさんが想像している通り、魔物の」

「お、おぉ……」


 思わず変な相槌を打ってしまう。どうやらナトリが食べたものは正真正銘、魔物のウォーターリーパーだったようだ。魔物って食べて大丈夫なものなの⁉ と、自分の胃が心配になってしまう。


「安心してください。ウォーターリーパーはたんぱく質が豊富で、魔物の中では味もいい方なんです。それに味噌ダレと一緒によく焼いたので、魚特有の生臭さも消えているはずです」


 そう言われて味や香りを思い出す。たしかに、生臭さは一切なかった。あれは味噌ダレのおかげだったのか。もしかしたら、食べる前に感じた醤油のような匂いも味噌のものだったのかもしれない。あれは大変食欲をそそるものだった。

 いや、だとしても。だとしてもだ。


「おにいさんはお医者様なんですよね? 魔物を食べて大丈夫なんですか? こう、周りの目とか……」

「そこも心配はいりませんよ。僕は確かに医師ですが、正確には医療薬膳師という立場です。魔物だろうと何だろうと、おいしく食べて健康になれるものであるならば関係ありません。病を治すために研究を続ける方々と何ら変わりはないでしょうとも」


 けっこう変わるんじゃないかな、と思ったが口には出さないでおく。そんなナトリに気づいた様子もなく、青年は依然変わらず真面目そうな顔のまま話を続けた。


「おねいさんは、『医食同源』という言葉をご存じですか?」


 聞いたことがない。ナトリは首を振った。


「極東でよく使われている言葉なのですが、健康でいるためにはまずバランスの取れた食事から、という意味になります。規則正しくおいしい食事を取って、病に負けない身体をつくる。これが薬膳師のモットーです」

「な、なるほど……!」

「しかしここで問題が発生します。薬膳に使われる調味料や食材は匂いや味のきついものが多いんです。日々の食事が薬臭くまずいのでは、貴方も嫌でしょう?」

「そうですね、嫌です」

「ええ。……ですので、僕は魔物食を取り入れてみました」


 ですので、がオチと全く繋がっていないような気がするのは自分だけだろうか。青年は身振りも交えて説明してくれる。やはり何度見ても顔は真面目そのものだ。


「魔物は様々な動物が混ざり合ったキメラ体のものが多くいます。ウォーターリーパーもその一つです。あの子はカエルでありながら魚でもあるので、調理すればカエルと魚両方の栄養を摂取できるんです。触感も鳥肉のようで食べごたえもいいですし、味付け次第では薬を混ぜてもおいしく食べられるんですよ」


 話す青年の口角は少し上がっているように見える。


「それに魔物は普通の食材と違ってサイズや質に関わらず、種類によってだいたいの値段が決まっているんです。天候や国の情勢によって価格が変動するなんてこともないので、いつでも安心して仕入れることができます。ですので、栄養管理のためとはいえお金がかかりすぎて長続きしないという難点も見事クリアしているわけです」


 朝焼け色の瞳がきらめいている。髪と同色の鱗に覆われた尾も持ち上がっていた。

 言葉がなくとも何と分かりやすい青年だろうか。彼はきっとこの仕事が大好きなのだ。例え変な目で見られようと関係ない。モットーである『医食同源』を体現していく、ただそれだけに向かって走っている。

 ――なんて、きれいな子。

 その生き方は羨ましくて。でも、今の自分には眩しすぎて。

 ――胸を張って、これが得意だって、好きだって、言えたらよかったなぁ。


「――おねいさん? どうかしました? 僕の顔に何かついていますか?」

「いえ、ただ素敵だなぁと思ってました」

「素敵? 何がです?」


 きょとん、とした表情はずいぶんと幼く見えた。その姿はなんだか可愛いく感じる。


「おにいさんの生き方とか考え方が、ですかね。会ったばかりの人間に言われても……となるかもしれませんが、わたしは好きです」


 気持ちが音となって口から出て行く。こんな素直に言葉にしてしまうなんて、彼の若さや真っ直ぐさにあてられたかもしれない。

 そう思っていると、青年は急に静かになって顔を逸らしてしまう。種族の特徴なのだろう、耳の先端がとがっていることに初めて気づいた。薄い耳たぶからは、リンデンではあまり見ない独特なデザインの耳飾りがぶら下がっている。


「お褒めいただき……光栄です」


 首元まである外套に顔を隠しながら、彼は照れくさそうにお礼を言った。よく見れば頬や目元が赤い。真面目なだけでなく、照れながらもきちんとお礼が言える素直な子だ。これはさぞ年上から可愛がられることだろう。

 その状況を想像して微笑ましい気持ちになる。それに気付いた彼は、わざとらしい咳払いで話題を変えた。


「……話は変わるのですが、おねいさん。働き口を探しているんですよね」

「え、あ! はい! わたしみたいな前科持ちでも気にしないと言っていただけるならどこでも……」

「――では、僕の所で働きませんか?」

「………………え?」


 予想していなかった提案に思わずぽかんとしてしまう。


「仕事内容は主に、患者さんのお宅へ薬膳料理を届けることと、そのついでの買い出し、あとは事務作業でしょうか。住み込みをご希望のようでしたので、働く際は診療所の二階をお使いください。あ、もちろん三食付きです。ヘルシーでおいしい魔物食ですのでご心配なく。僕がいますから、嫌と駄々をこねても健康にしてみせます」

「いやいやいや、健康面を気にしていたわけではなくですね! そりゃわたしとしてはありがたい申し出ですけど……」

「――そう思うのであれば、ぜひ御一考ください」


 真っ直ぐな口調の彼と話していれば、気を使ってこの提案をしてきたわけじゃないことくらい分かる。だが、本当にいいのだろうか。どんな理由があれ、資格剝奪や追放されたとなればあまりいい印象はない。そんな自分を雇ったら、よくない噂を流されてしまうかもしれない。しかし、こんな幸運な提案はきっと他にない。

 大きく息を吸って、覚悟を決める。


「……もしわたしを雇ったことで、おにいさんに対する風当たりが強くなったり、悪口言われたりするようになったらすぐクビにしてください。おにいさんの悪口言った奴らも強制的に引き連れて街を出ますので……!」

「対応方法が豪族じゃないですか。それに、ルツェルンは農家が多いので悪口を言う暇がない人ばかりですよ。……でもそうですね。僕だけでなく、貴方のことも悪く言う方がいた場合はしかるべき対応をしましょう。豪族的な方法ではなく」


 彼は笑ってこちらに手を差し出す。


「では改めまして――僕はズゥシャン・リウと申します。薬膳師という立場ですが、診療も行えますので不調の際は遠慮なくお申し付けくださいね」


 一瞬迷ったが、彼の手を両手で掴んだ。


「ナトリ・グレイといいます。聖女資格を剥奪された上に現在進行形で追放されている身ですが、どんな仕事でもやりますのでなんでも言ってください」


 がたん、と大きく馬車が揺れた。幌の外に目を向けると、王都の門が遠ざかっていくのが見える。

 王都を永久追放されたナトリはもう二度とこの門をくぐることはない。しかし不思議と嫌な気持ちはなかった。それはきっと、差し出されたこの手のおかげだろう。


「これからよろしくおねがいします、先生!」

「こちらこそ、よろしくお願いいたします、ナトリさん」


 聖女という役職名を付けずに名を呼ばれることがずいぶん久しぶりで、なんだかくすぐったく感じてしまった。

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