第3話 美しい尾を持つ相乗りの青年
大司教に判決を言い渡された後、ナトリは半ば引きずられながらある幌馬車の元へ連れて行かれた。
三日三晩は走り続けられそうな健脚を持つ黒い馬がこちらを向くと、御者の老人もじろりと瞳を動かす。しかし何も言わず、まるでナトリが見えていないかのように目を逸らした。
白を通り越してもはや真っ青と言っても過言ではない顔色の女が手を縛られ、騎士に連れられているのだ。詳細が分からなくとも、面倒ごとに間違いないと察したのだろう。
ナトリをここまで引きずってきた兎人の騎士が荷台に向けて顎をしゃくる。「乗れ」という意味だろう。
「……あの、この馬車はどこに行くんですか」
資格の剥奪に、王都を永久追放としか言われなかったのだ。自分がどこに追放されるのかも分かっていない。それくらいは尋ねてもいいだろう。すると、騎士は面倒くさそうに長い兎耳を前に倒した。
「なんだよ、聖女のくせに知らないのか? あ、もう元聖女か。まぁいいや、これはルツェルン行きだよ」
「……ルツェルン」
聞いたことはある。この国――リンデンの最西端に位置する街。観光資源もないため、旅費が無料でも行きたくないと同僚の聖女が言っていた。なるほど、その地が自分の追放先というわけか。
……そこは、わたしみたいな罪人もどきが行ってもいい所なのかな。
少なからず、その街にも住人がいるだろう。そこの人々は嫌がるのではないだろうか、王都を追放されたような者が街に入ってくることを。
「なにしてんだ、早く乗れ」
「ぅわッ⁉」
「うぉわッ⁉」
背中を雑に押され頭から荷台に突っ込んでしまう。幌は開いていたので衝突による痛みを覚えることはなかったが、勢いで上半身だけ荷台に乗りあげてしまい変な恰好になった。手も縛られているから起き上がれもしない。足は地面につくこともできず宙ぶらりんだ。まるで芋虫のようにうごうごすることしかできない。
ん? というか、さっき声が一つ多かったような――
肘を使って上半身と共に少しだけ顔を上げると、こちらの様子をうかがっている青年と目が合った。朝焼け色の瞳は水面に映し出されたかのように揺れている。
「あ、えっと――」
まさか追放先に行く馬車で相乗りになるとは思っていなかった。大司教も騎士もどんな神経しているんだ、こんな女と相乗りを頼まれる方も嫌に決まっているだろうに。
ルツェルンまでの道のりがどれほどかかるか分からないが、おそらくは長い時間の付き合いとなるだろう。とりあえず口角を上げ、害意がないことを示す。
「――こ、こんにちは?」
「…………こんにちは。あの、大丈夫ですか……?」
「はい、まぁ、どうにか……」
本当は荷台の床に打ち付けたみぞおち辺りが痛い。だが、それを言われたところでこの青年も困るだろう。こういう場合は言わない方がいいのだ。
彼は何か言いたそうに口を開いては閉じ、ナトリの方に寄ってきたかと思えば、丁寧に腕を引いてくれた。飛び出していた下半身が足先まで荷台に乗る。ゆっくりとした動きだったため、擦れたはずの身体の前面に痛みはなかった。
「……ありがとうございます。自分で乗ることができなかったので助かりました」
「いえ、お気になさらず」
青年はナトリの腋に前から腕を通し、積まれた木箱に背を預けられるようにと荷台の端まで移動してくれた。縛られた腕ではバランスが取りにくいため、この気遣いは本当にありがたい。
まるで介護のような対応だというのに、どこか慣れている様子の青年へ視線を向ける。清潔感のある黒鳶色の髪に、大きなつり目から覗く朝焼け色の瞳。首元まで隠れるダークグレーの外套は崩すことなく着こなされてる。丁寧な言葉遣いだけでなく、見た目からも真面目さが窺えた。
ナトリへの対応が終わった青年は、元いた位置に腰を下ろす。しかし、やけに前傾姿勢で座りにくそうだ。――背後に何かあるのだろうか。彼の背後を横から覗き込むようにして、思わずナトリは息を飲んだ。
そこにあったのは、滑らかで光沢のある黒鳶色の鱗にびっしりと覆われている太く美しい尾だった。
犬人のように高速で尾を振ることは考えられていないデザインのそれに目が釘付けになってしまう。地元や王都でもこんなに美しい尾は見たことがない。一体どんな遺伝子を持つ種族なのか。龍か? いや蛇か?
そんなことを考えていると、わざとそうな咳払いの後にずるりと尾が動いた。
「……見すぎです」
「え、あ⁉ す、すみません……」
彼は居心地悪そうな顔で目を逸らしていた。これ以上不快感を与えてはいけないと思い、上半身ごと横を向く。肌の艶からして、彼はおそらく年下だ。そんな子に性的な目を向けたとかで本当の犯罪歴が追加されては困る。
そんなことを考えていると、がたりとした大きな揺れを合図に馬車が進み始めた。
――あ、
荷台から見える景色が、ゆっくりと、しかし着実に流れていく。
――わたし、本当に王都から出て行くんだな。
どこか他人事のように思っていたことが、急に現実味を帯びてナトリを襲う。
十九歳で聖女になってから五年、ここ暮らしてきた。覚えることも多く大変なことばかりだったが、自分なりに頑張ってきたはずだ。……まぁ、それも今日で終わりだが。
思わずため息が漏れる。自分はこれからどうすればいいのだろうか。
宿舎に置いてあった私物は何も持ってこれなかったし、おそらく近い内に処分されてしまうだろう。文字通り一文無しになったわけだ。そうすると、追放先であるルツェルンで仕事を探さなければいけないが、こんな厄介者を雇ってくれる場所があるだろうか。できれば住み込みで働ける場所がいい。体調を崩した時のために貯金だってしなくてはいけない。あぁ、地元にいる祖母にも報告しなければ。しかし余計な心配はさせたくないので、生活が落ち着くまで資格剥奪の件は黙っておいて……。
そこまで考えて、ナトリは「あれ? もしかしてこれは……」とあることに気づいてしまった。
…………お、思ったより考えなくちゃいけないことが……考えなくちゃいけないことが多い‼ これしょげてる暇なくない⁉
そう、生きていくとはそれだけで金がかかるのだ。無一文で人脈もない彼女に意気消沈している時間はない。
ばっ、と相乗り仲間の青年の方へ顔を向ける。
「あの、すみません、おにいさん!」
「あ、え⁉ は、はい!」
なぜかつられてしまい、彼も大きな声で返事をした。重そうな尾がびぃんと立ち上がってしまっている。
「知っていたらで大丈夫なんですが、ルツェルンに住み込みで働ける所ってありますか? できれば、元聖女で王都追放っていう前科持ちでも気にしないと言っていただける所だと助かるのですが……」
「……す、住み込みで働ける所、ですか」
「はい! なんでもやります!」
「なんでも……」
青年は面食らった様子でナトリの言葉を復唱する。その瞬間――
ぐぅぅぅおおぉぉぉぉぉ…………ぉぉぉごぉぅぅ…………!
――魔物の断末魔のような音が、荷台に響き渡った。