第2話 罪人のような『元』聖女
地元のおじさんたちから叩き込まれたことは嘘じゃない。
自分の中で一番得意だと断言できるものであることは間違いない。
でも周りからは、似合わないとか、やめた方がいいとか言われるから、胸を張れる特技であるかは――わからない。
「ストレートだ! また嬢ちゃんの勝ちだ!」
「あぁぁぁぁ! 俺のスリーカードォォォォ!」
「次はオレとやろうぜ嬢ちゃん!」
「おいおい、嬢ちゃんと対戦したいならここ並びな」
興奮、そして熱狂。木樽ジョッキを片手に、男たちは吠える。
人間の中年男性が経営する小さなバーで、その駆け引きは行われていた。一つの卓を舞台上に移動し、必要ものはトランプのみ。これだけで、ここにいる様々な種族の者たちは盛り上がることができた。
「嬢ちゃん強ぇなぁ! ポーカーでここまで負けたのは初めてかもしれん!」
「あはは、ある意味初めての人になれて光栄です。ほかのゲームもやったらもっとその『初めて』を味わうと思いますよ」
「かーッ‼ 口も上手ぇな!」
わはは、と豪快な笑い声があがる舞台の中心にナトリはいた。考えを読ませない勝負師のような独特な笑みを浮かべている。細めた金の瞳はまぶたに隠れて半分ほどしか見えず、まるで夜を照らす半月のように卓上のカードを映し出していた。
「はぁ~、これで七連勝だぜ? そんなに強くてなんで何も賭けねぇのか不思議でしょうがねぇや」
「たしかにな。こんだけ勝ってんだ、金でも賭けりゃあ儲けもんなのになぁ」
ナトリの隣で、鳥の遺伝子を持つ種族――鳥人の若い男と、犬の遺伝子を持つ種族――犬人の壮年が話し始める。鳥人特有の頭部から生える小さい羽がばさばさと音をたて、犬人特有の毛量の多い尾がふさふさと揺れた。
人間の自分には存在しないそれらを見つめながら、ナトリは口を開く。
「ここは楽しくお酒を飲む場であって、なにかを賭ける場じゃないでしょう?」
「聖女みてぇなこと言うなぁ嬢ちゃんは」
ナトリはその言葉に笑うことしかできなかった。
…………まぁ実際、聖女なんですけどねわたし!
しかし、彼女がそんなことを考えているとは誰も思わない。この場にいる人で彼女が聖女だと知っているのは、少し離れたカウンターにいるマスターとクニークルスの少女だけだ。
なぜそんなことになっているのか――それはナトリ自身が聖女であることを言わないでくれと頼んだからだ。もしほかの聖女も好んでギャンブルをやっていると思われたら申し訳ない。これでも一応人気職なのだ。
「……まぁでも、聖女みてぇな嬢ちゃんが賭ける時は一体どんな時なのか、気になるねぇ」
すぐ喧騒に飲み込まれてしまったその言葉は、カードを集めてシャッフルしていたナトリの耳に残った。
たしかに大人になってからは何かを賭けてゲームをしたことはないな、と思い返す。自分は賭け事が好きなのではなく、賭け事に使われるゲーム全般が得意なのだ。そこに賭けるものがなくたって楽しい。
だが、この特技は周りからあまりいい顔をされない。当然だ、ギャンブルに狂った人が破滅の道を辿るなんてこと、子供でも知っている。たとえそれが身の丈に合わない賭け方をした者のみに訪れる末路だとしてもいい印象はないだろう。
シャッシャッシャ――小気味いい音が手元から聞こえる。
なんだかんだと考えていても、手だけは器用にカードを混ぜてくれるものだ。昔からこれと勝負時の顔だけはよく褒められたっけ。
「よし、次はなんのゲームにしますか? またポーカーでもいいですし、セブンブリッジとかもけっこう楽し――」
「――え⁉ 聖女さま⁉」
男の声がバーの中で響き渡る。
声のした方――バー入口に顔を向ければ、人間の騎士が驚いた顔をしていた。王都内の見回りが終わった足で酒でも飲みに来たのだろう。全身から疲労が滲み出ている。
「聖女だぁ? 何言ってんだ兄ちゃん、この嬢ちゃんは中々のギャンブラーだぞ! なーんも賭けちゃいないがね!」
「そうだぜ、騎士さまにはこーんな濃いクマ作ってる娘が聖女に見えんのかい?」
「俺なんかもう三回はこの子に負けてんだぜ? 聖女さまなら手心を加えてくれるだろ」
次々と声があがる。誰も騎士の言うことなんて信じていなかった。
「何を言ってるんだ、この人は王都医療機関で働いている聖女さまだぞ⁉ ていうか今ギャンブラーって……」
まずい、面倒なことになった。
この男には見覚えがある。十分な睡眠時間も確保させてくれない王都医療機関、つまりナトリの職場によく顔を出す騎士だ。話したことはないが、聖女に対して固定観念を持っているらしいと同僚から聞いたことを思い出す。
なんでも、聖女は清廉潔白で、おしとやかで、笑顔が美しい生き物なんだそうだ。あんな激務を処理している限界状態の聖女を見ても、その考えが口から出ることに驚きである。
「聖女さま! ギャンブルなんて、どうしてそんな似合わないことを!」
彼はずんずんと近づき、ナトリの周りにいる人たちを押しのけ、彼女の手からカードを奪い取った。
「こんな、聖女にそぐわないことをして、恥ずかしくないのですか‼」
眉も目もつり上がり、彼はナトリを叱責する。周りの人々もさすがにこの状況を茶化すことはできないのだろう、嫌な空気を漂わせたまま静まり返っていた。
ナトリも皆と同様に黙り込んでいる。ここまで興奮してしまっている相手には何を言っても無駄であることなんて明白だからだ。だがそれと同時に、彼の怒りがそう長くは続かないだろうとも予想していた。
なぜなら、彼女は罪を犯したわけではない。聖女の規則を破ってもいない。ただ少し印象が悪く見えてしまうため、聖女だということを隠してギャンブルゲームをしていただけだ。
この騎士の怒りは、自分の思い描いていた聖女像が裏切られたことによって生まれているはず。時間が経てば、少しは落ち着いてくれるだろう。
そう軽く考えていると、不意に二の腕を掴まれる。
「…………え?」
「立ってください」
声のトーンは先ほどよりも落ち着いたが、まだ怒りは治まっていないのだろう。痛みを感じるほどの強さで二の腕を掴んでいる。それだけでこの男の怒りがどれほどのものか分かる気がした。
「今すぐに、あなたを大司教さまの元へ連行します。貴方には聖女の自覚が無さすぎる――いや、あなたには聖女の資格なんてないのかもしれませんね」
「え、は? そんな大げさな――」
「――黙りなさい」
ぴしゃりとした言葉に、思わずナトリは口を噤む。
……前言撤回、時間が経てば落ち着くなんて希望的観測すぎた。このままではこの人が落ち着く前に、何かしらの処分を受けることになってしまう。
椅子を掴み拒む姿勢を見せたが、現役の騎士に勝てるはずもない。力づくで引き剥がされてしまった。そのままずるずると引きずられバーの入口へ。
せっかくの休日なのに、ちょっとした人助けのつもりだったのに、法を犯すようなことしていないのに――どうしてこんなことに!
ついさっきまで楽しくゲームしていた皆が離れていく。いや、実際に離れているのはナトリの方なのだが。
彼女に突き刺さる視線の針。それはバーの入口が閉じた音と共になくなった。
◇◇◇◇◇
この国で聖女になるには厳しい試験を合格しなくてはならない。それは聖女試験と呼ばれ、筆記と実技の二つで成り立っている。精神面から医療面、魔物関連など試験範囲が多岐にわたるため、年間二十名程度しか合格者がいないのが現状だ。
そんな高難易度である試験にどうにか合格できてから五年。夢だった聖女になって、ろくに睡眠時間もない中、今日まで働いてきたのに。
「聖女ナトリ・グレイよ。汝が行ったポーカー、ブラックジャック、シックボーなどギャンブルと呼ばれる行為は罪ではない。罪ではないが、聖女にそぐわないものだった。それにより――聖女資格の剥奪、加えて王都からの永久追放とする」
――まさか、こんなことになるなんて夢にも思わなかった。
「…………そ、それは、あんまりではないでしょうか大司教さま」
大理石で造られた教会の中、床に膝をつかされ、逃亡防止のためナトリは手を縛られていた。彼女の前には、大司教と呼ばれる長い白髪の老人が険しい顔をして立っている。その構図はまるで裁判のようにも見えた。
ナトリは震えた声で言葉を続ける。
「大司教さまがおっしゃった通り、わたしは、罪なんて犯していません。それなのに資格を剥奪され、王都からも追放されるなんて、そんなこと――」
――さすがに受け入れられない。そう言おうとした口は、
「――実を言うと私も、汝の姿には思うところがあった。……その断髪についてだ」
大司教の思わぬ言葉で固まってしまった。
「……………………は?」
「人間用塗り薬の研究に必要だったことは知っている。研究所からの書類にその旨も書いてあったしな。だが、やはり断髪の聖女というのはよろしくないのだ。護衛担当の騎士からも相応しくないと声が上がっている」
何を言っているんだ、この人は。いろいろ言いたいことがあるのに、そんな考えしか浮かばなかった。
たしかに、ナトリの髪は肩につくかどうかの長さだ。しかしそれは大司教も知っての通り、一ヶ月前に薬の研究に必要と求められたから差し出したのだ。それまではずっと肩甲骨より下くらいの長さでいたことも分かっているはず。
――なのに、どうして今さらこんなことで。
そう抗議しようと思った時、大司教が先に口を開いた。
「聖女とは、民から尊敬され、崇められる役職だ。勤務態度がどれだけ真面目でも、皆の思う聖女でなければ意味はない。今回の件で人を助けたとて、汝の行いは消えないのだ」
大理石の床に接している膝から温度が抜き取られていくように、ナトリの身体は冷えていく。
結局は、元から不評だった聖女を辞めさせたいということだろう。断髪に加えてギャンブルゲームをする聖女なんて、見栄えが悪いから。――皆が崇める想像通りの聖女ではないから。
うつむくと、麻縄で縛られた両手が目に入る。膝をつき、手を縛られ、大司教に判決を言い渡される――これではまるで、罪人だ。
一瞬にして目の前が暗くなったように感じる。もう、乾いた笑いしか出なかった。
「改めて――聖女ナトリは、聖女資格の剥奪に加え、王都から永久追放とする。――己の行いを悔い改めよ」
ナトリに反論の気配がなくなったことを確認し、大司教はそう言い残してその場を後にする。残ったのは、疲れ切った顔をしている『元』聖女の女だけだった。
悪いことなんてしていないのに、一体何を悔い改めればいいのか。ふざけるのも大概にしてくれ。
理不尽な判決に抗議する気力もない。こんな状況なのに涙も出ない。ただ、縛られた手首が麻縄と擦れて、ひりひりと痛んだ。