第19話 彼がわたしのために動くと言うなら
ズゥシャンと共に休憩から戻って五時間が経った。彼が「願いが叶う飴」について上に報告をしてくれているはずだが、状況はどうなっただろうか。もう怪しい飴を販売している輩の調査が始まっただろうか。
「東の診療所からもヘルプ来てくださいました! 初日から働いている方は一度宿舎へ戻ってお休みください! 繰り返します!」
大きな声を出しながら、見習い医師が駆け回っている。よかった、人手が増えたようだ。
この状況で働き続けたら、多分また先生がお迎えに来るな……。
眉根を寄せて登場ズゥシャン、容易に想像ができる。今回ばかりは素直に休みをもらおう。
「お疲れ様です。ナトリ、宿舎に戻ってお休みいただきます!」
「――いえ、お休み前に少し時間をいただけませんか?」
入口から、低い男性の声が聞こえた。タイミング的にナトリに向けて言った言葉だろう。見れば、ガタイのいい鳥人の騎士が彫刻のように動かず立っている。
「『元』聖女さま、大司教が別室でお待ちです」
ルツェルンの人たちが呼ぶあだ名のような軽さではない。責任が伴う役職として、重く懐かしい響きを持って、彼はナトリを「元聖女」と呼んだ。
最初の時のような大理石で造られた教会の中、ではなく、豪華なシャンデリアがきらめく部屋で大司教はナトリを待っていた。
「あぁ、よく来てくれたナトリ」
彼女が部屋に着いた途端、長い白髪の老人は席を立ち破顔する。空っぽの、誰がどう見ても嘘だと分かる笑み。
「さぁかけてくれ。ワインでも飲もうか、これは祝いの席だからな」
「……祝い?」
祝われるようなことをした覚えはない。思わず聞き返してしまうと、大司教は大きく頷いた。
「そうとも。……ナトリよ、汝に聖女へ戻るチャンスを与える」
「…………は?」
何を言っているのだ、この老人は。
ナトリは聖女に戻りたいなど一度も思ったことはないし、言ったこともない。それなのに、チャンスを与えるだと? 資格剥奪の上に追放令を下したお前がそれを言うのか。
ふざけるな……!
ナトリの顔が苛立ちで歪む。それに気づいた上で、大司教は話を続けた。
「このチャンスは汝だけでなく、食中毒に苦しむ患者たちも救えるものでもあるのだ」
「……しかし、まだ原因も対処法も分かっていないんでしょう」
「いいや、わかった」
その言葉に思わず目を見開いてしまう。
「ズゥシャンという若い医師のおかげでな。その者は汝の名も出していたが、その話は一旦置いておこう。……彼の進言によって『願いが叶う飴』の出どころをすぐに調査し、すでに売っていた者も捕らえた。事象としてはこれで終わりだが、実は査問によって新たな事実も判明してな」
困り切ったように、大司教は額を押さえた。
「飴に毒スライムを混入していたのだ。なぜ混入させたか、理由はまだ調査中だがな。……全く面倒な事件を起こしてくれたものだ。医師たち曰く、毒スライムは複数の毒を持っているそうではないか。だから一つの毒消しでは効果が出ないと聞いたぞ」
たしかにその通りだ。複数の毒が体内にあった場合、一つ一つ解毒していくか、全ての毒を一気に消し去るしかない。だが前者は不可能に近い。毒同士が混ざり合って、一体どこに支障をきたす毒なのか判別がつかないからだ。残すは後者になるが、それも難しいだろう。なぜなら、ある魔物の一部が必須だからだ。
「そこでだ、ナトリ」
あぁ、嫌な予感しかしない。
「――汝には、ユニコーンの角を入手してきてもらいたい。それが、聖女に戻るチャンスだ」
予感が的中し、頭が痛くなる。ユニコーンの生息地といえばダンジョンの中だ。戦闘など全くできないナトリが突入したところで、他の魔物に殺されて終わるだろう。
「安心しなさい、護衛の騎士はつけるとも。身の安全は保障する」
「……なら、どうしてわたしなんです? そんな条件だったら他の聖女たちだって行くでしょうに」
ナトリの言葉に、大司教の顔に険しさが増す。
「……ユニコーンに取り入る条件を、知らないわけではないだろう」
そう言われて、ユニコーンの特性を思い出す。
額から一本の角が生えた馬。その角は毒消しにも治療薬にも変わる、まさに万能物。しかし、とてつもなく厄介な本能を持っている。それは、処女しか自分の領域に入らせないというものだ。処女でない者がユニコーンの元へ行こうとすると、もはや住処まで辿り着けないとまで言われている。
だが、それでもまだ疑問があった。処女である聖女くらいいるだろう、と。なぜ自分でなければならないのか。そう尋ねれば、悪びれもせず大司教は言った。
「全ての聖女に処女であるかを確認するなんて、そんな秘め事、誰も口にしたくないだろう。……その点、汝については他聖女から聞き及んでいる。昔から異性の影はなく、自分の時間全てを仕事に費やすような子だったとな」
――吐き気がする。
己について知られていることも。他の聖女には聞いてはいけないという意識が働くのに、自分だけその意識の外に位置づけられていることも。簡単に、人のことをべらべらと話してしまう元同僚たちにも。
全てが腹立たしくて、気持ち悪い。こんな話、受けるわけがないだろう。
「お断りし――」
「――汝を雇っている薬膳師の少年はまだ若いな」
「え、」
急な話題の方向転換に追いつけずにいると、大司教は視線だけでナトリを捉える。
「未来ある若者故に、非常に残念なことだが。今回の件で魔物食という分野の印象は凄まじいほどに悪くなった。その研究をしている以上、彼への被害も少なからずあるだろうな」
「――は、」
完全なる脅し。しかもナトリではなく、ズゥシャンに狙いを定めた卑劣な行為。
でも、それに対抗する術を彼女は知らない。混乱の中では、正常な判断を下せない。
「もちろん、このチャンスは無理強いではない。よく考えてから決めてくれ」
よく考えてから決めろなど、どの口が言うのだ。元々一つしか道がないじゃないか。
……天秤、にかけるまでもないなこれは。どっちが重たいかなんて、考えなくてもわかってる。
「……わかりました、やります」
――彼がわたしのために動くと言うなら、わたしが彼のために動かないわけがないんだから。




