第16話 蜥蜴人の求愛行動
「王都にはいつまで滞在するの?」
「明後日までです。エルサンドロさんの新薬発表のために来ただけなので、そこまで長居はしないそうです」
「わお! 僕のために来てくれてたんだね! 嬉しいよ! あ、『エルサンドロさん』は長いからエルでいいよ」
「では、エルさんで」
「うん! そういえば宿は取った? もうすぐお祭りだから空きがないって聞いたよ?」
「王都医療機関宿舎の空き部屋を貸してもらえることになったので、宿については大丈夫ですかね」
「そっか、よかった。衣食住の心配は無用そうだね」
東館の植物ハウスに向かいながら、ナトリとエルサンドロはそんな話をする。彼が話し上手であるため、会話が途切れることはなかった。
周りを見ながら歩いていると、この場所で働いていた時のことを思い出す。あの時は毎日が忙しくて、こんなゆっくり施設内を歩くことなどなかった。いつだって小走りだった気がする。
「――あ、そうだ」
思い出に浸っていたナトリを、エルサンドロの声が引き上げる。
彼は白衣のポケットに手を突っ込んだかと思えば、中からチューブ型の何かを取り出した。シンプルすぎるデザインのせいで一体何なのかは分からない。
「はい、これあげる」
「……ありがとうございます。けど、これは?」
「人間用塗り薬を改良してできたハンドクリームだよ」
それはナトリの手の上にころん、と転がるように置かれた。
「この仕事けっこう水仕事も多いしさ、肌荒れするでしょ?」
「たしかにしますね」
「ね! 僕のダーリンは医療関係者じゃないんだけど、めっちゃくちゃガサガサでさぁ。あかぎれとか痛そうだし、できればケアして欲しいんだけど、そういうの面倒くさがる人なんだよね。だから会う度に僕が塗ってあげてるんだよ。もういい大人なんだから勘弁してほしいよね」
「あはは、その方は人間なんですか?」
「うん、そうだよ。ナっちゃんより歳は上かな。機会があればぜひ会ってあげて。彼女、友達いないから」
不満をこぼしているが、それすらも満更ではなさそうだ。
それを微笑ましく思っていると、植物ハウスが見えてくる。ハウスといっても、館内にある施設なのでそこまで大きくはない。
王都医療機関は重い病を患った人や街の医者が手に負えないような怪我をした人などが入院しているため、その人たちの息抜きのために植物ハウスができたと言われている。
聖女だったころは入ったことなかったし、中がどんな風になってるのか楽しみだな。
そう思いながら近づけば、植物ハウスの入口には「本日閉演」の看板がぶら下がっていた。
「これは……ツイてないですね」
それを見た二人はお互い目を合わせ、思わず苦笑する。
「ごめんねぇナっちゃん、まさか閉演だとは」
「いえいえ、ハウスを見せようと思ってくださっただけで嬉しいですよ」
「はは、そう言ってもらえると救われた気持ちになるよ」
その時、ごーん、という腹の底に響くような音が鼓膜を震わせる。ずっと聞いてきたから知っている、十二時を知らせる鐘だ。
「あ、もうこんな時間か、研究室戻らないと。案内したのにこんな結果になっちゃってごめんね! 埋め合わせは必ず!」
「そんなお気になさらないでください! ……あ、すいません最後に一つ質問していいですか?」
「いいよ、なんだい?」
多忙のエルサンドロに失礼のないよう、脳内で簡潔にまとめる。最近、ずっと気になっていたことだ。
「先生って、昔から噛み癖とかありました……?」
「噛み癖?」
「はい、人の指とか噛むようなやつです」
「いや、ズっちとは付き合い長いけど、そんな癖はなかった気が……あ」
急に何か気づいたエルサンドロは、気まずそうに目を逸らす。その割に、尾はぶんぶんと興奮したように揺れていた。
「あー、その、それね、めちゃくちゃ言いにくいんだけど……」
「はい」
「…………蜥蜴人の、求愛行動だと思う」
「え、あ……」
求愛行動。その言葉を理解した途端、凄まじい速さで頬に熱が集中する。
「……な、なるほど」
何とか声を絞り出すが、ほとんど掠れてしまった。
な、なんて情熱的な行動……! 若いってすごい……!
思わず両手で顔を覆ってしまう。そんなナトリを見て、エルサンドロは小さく笑った。
「感想は?」
「……今はノーコメントで」
「はは、誠実だ」
きっと君のそういうところも好きなんだろうね、彼は。
そんな爆弾のような言葉を残して、エルサンドロは踊るように去って行った。
一人になったナトリは、植物ハウスの前にあるベンチに腰かける。
両手で風を送るが、頬の熱が冷めない。全身が熱い。
あぁ、まずい、これは非常にまずい。何がまずいって――求愛行動と言われた彼の行為を嫌がってない自分がいることだ。
情けなくも頭を抱えてしまう。
求愛とは、少なからず意中の相手にするものだ。つまり、
……せ、先生は、わたしのことが好き⁉
そう考えて、すぐにいやいやと首を振る。
こんな前科持ちの女を好きになるか? ありえない。おめでたすぎる思考だ。彼は若く立派で、人として尊敬できる人なのだから。
そうだ、と不意に冷静になる。
彼は未来ある若者だ。こんな罪人もどきがちょっかいかけていい相手じゃない。
急速に冷えていく熱。もう頬も熱くなかった。
……さっきの話は、聞かなかったことにしよう。
そう思った瞬間、なぜか胃の辺りが重く痛んだ気がした。
◇◇◇◇◇
「植物ハウス……は、こっちか」
速足で階段を下りる。思っていたよりも話込んでしまい、時間がかかってしまった。
……もしかしたら、植物ハウス内も見終わって退屈しているかもしれない。
そう思っていると、「本日閉演」の看板がぶら下がっているハウスの入口が見えてくる。そしてその前にあるベンチ、そこで舟をこぐ見知った鼠色の頭があった。
「……寝てる」
足音を殺して近づき、彼女の隣に座る。久しぶりの王都で疲れたのだろう、よく眠っていた。
そんな彼女を眺めていると、髪が口に入っていることに気づく。髪といえば、エルサンドロが言っていたことがあった。たしか、人間用塗り薬のために自分の髪を提供したとか。
……この人は、僕と出会う前から他人のために動く人だったんだな。
彼女の短い髪に触れる。初めて会った時から、聖女だったのに断髪であることが不思議だった。だが、まさか自分の一部を差し出したが故だったとは。
不意にぐらり、とナトリの身体が傾く。
「うわっ……と」
どうにか支えることに成功する。思っていたよりも眠りが深く、彼女の目は開かなかった。
手を離せばまたすぐに傾くかもしれない。そう思ったズゥシャンは、自分の右肩にナトリの頭を移動させた。彼女にとって丁度いい位置になるよう、ゆっくりと浅く腰かけ直す。
ちらり、と視線だけをナトリに向けた。
……彼女が住み込みで働き始めてある程度経つけど、眠っている姿は初めて見るな。
今は隠れているコインのような金の瞳が己を映し、頷いた時に鼠色の髪が揺れ、大きく開くこの口が毎日のように「おいしい」と言う。
ふと、目元のクマが薄くなっていることに気づいた。肌つやも以前よりよくなっている。
自分と生活し始めたことで彼女が健康になった。その事実に、腹底から何かが持ち上がるような感覚に襲われる。溢れた欲が、言葉になってこぼれてしまう。
「――好きだなぁ」
何にでも、全力でぶつかるこの人が。生き方すら、不器用なこの人が。
どうか、好きなものを好きなだけ食べて、笑って、安心して眠れる、そんな毎日であればいいのに。
そして願わくば、その毎日に、僕がいればいいのに。
ズゥシャンは宙を仰ぐ。
あぁ――好きだと自覚してしまった自分は、彼女が起きた時、いつも通り声をかけられるのだろうか。
◇◇◇◇◇
リンデン内、王都のある通りにて。
「そこのお嬢ちゃん、叶えたい願いはない?」
「願い事?」
「そうだよ。ここで売っているのは願いが叶う魔法の飴だ」
「うそだぁ!」
「嘘じゃないさ。なら一本試してみるがいいよ」
「えー? タダならもらうけどさぁ……んっ、おいしい!」
「そうだろう? さぁお嬢ちゃん、きみの叶えたいことはなに?」
「……えっと、もうすぐ飴祭りがあるでしょ? だからね、その、好きな子を誘いたいの」
「叶うよ。きみの願いは必ず叶う」
「……本当に? ……あ、本当かも。なんだか不安がなくなったみたいにふわふわする。……ありがと、あたしがんばってみる」
「あぁ、またおいで」
少女がもらった棒付きの飴。孔雀のように美しい色をしたそれが、光の反射で不気味に輝いた。




