第14話 赤飯と親指の付け根に残る熱
「夕飯もあるので、簡単にお赤飯のおにぎりといきますか」
「やった! おにぎり好きです!」
診療所に着いてすぐ二人は手を洗う。そしてズゥシャンは米類が保存してある棚からもち米が入った袋を取り出した。
「ナトリさん、提案なのですが……」
そう言った彼は、取り出した袋を差し出してくる。
「今回はそう難しい工程はありませんし、ナトリさんが主でやってみませんか?」
「え⁉ できますかねわたし⁉」
「工程は隣で伝えるので問題なくできると思いますよ」
「そ、それではご指導のほどよろしくお願いします……がんばります!」
「こちらこそ」
ナトリは袋を受け取った。ずしりとした重さが両腕にかかる。
「では、まずもち米を研ぐところから始めましょうか。研ぎ終わったら二十分ほど水に浸します」
「はい」
米を研ぐのには慣れた。この診療所では、極東の料理がよく出るので米を扱う機会も多いのだ。ズゥシャンが見ている中では緊張もするが、目立ったミスもなく無事研ぎ終える。
「もち米を浸している間に、オータスおにいさんからいただいた小豆を煮てしまいましょう。……小豆は軽く洗って鍋に入れます。そうしたら小豆が隠れるくらい水を入れてください」
ズゥシャンが準備してくれた片手鍋に洗った小豆を投入し、大量の水を入れる。水の勢いによって踊り出す小豆たちが可愛く感じた。
「そうしたら火にかけて沸騰させます。あ、もう少し火は強くても大丈夫ですよ。沸騰したら弱くしますが、今は心配ありませんので」
「わかりました」
言われた通りコンロの火を強める。少し時間が経つと、鍋の底から泡が出てきて小豆たちも暴れ始めた。
……沸騰し始めたら弱火にするっと。
火を弱めると、小豆の動きも落ち着いてくる。そのまま数十分が過ぎると、一つの変化が訪れた。
「わ、お湯も赤くなってきましたね」
「はい。色も鮮やかですし、いい小豆をいただけました」
嬉しそうにそう言う彼を見ていると、ナトリまで嬉しくなる。自分の一発芸は無駄ではなかったようだ。
「それではしっかり煮えているか確認しましょう。木べらで小豆を壁に寄せて、少し力を入れて潰れるくらいの固さであることが確認できれば大丈夫です。……そう、上手」
「……っ」
ナトリは努めて平静を装った。まるで子供と接するように褒められて、よくない扉が開いてしまいそうな気がしたからだ。
この歳で赤ちゃん返りとか笑えない……!
ズゥシャンはナトリの肩口から鍋を覗き込み頷く。
「うん、大丈夫そうですね。そうしたらこのもち米を入れてください」
「はい……ってあ、水がなくなってますね」
「ええ、こちらは僕の方で水気を切っておきました。ですのでそのまま入れてしまってください」
「お手間をかけてすみません、ありがとうございます」
煮汁がこぼれてしまわないよう、慎重にもち米を投入する。自覚はあるが、何とも不器用であることがよく分かる手つきだ。きっとズゥシャンだったら慣れた所作でぱぱっとこなしてしまうのだろう。
もち米を入れ終え、全体が煮汁で覆われるよう軽く混ぜる。ナトリが混ぜ終えたことを確認し、ズゥシャンは片手鍋に蓋をした。
「これで再沸騰するまで待ちます。沸騰したら最初と同じく弱火で数十分加熱。その後少し蒸らしたら完成です」
心配せずとも、ここまでお上手でしたよ。ズゥシャンはそう言って笑った。
目の前に鎮座する赤い三角形のおにぎりを見て、ナトリは目を見開く。
「本当に赤い……!」
「小豆の煮汁を吸収しているので赤くなってるんですよ」
「そうなんですね」
無事完成した赤飯は、ズゥシャンの手で美しい三角形へと形を整えられた。どこへ出しても恥ずかしくないお赤飯になったことだろう。なんだか鼻が高い。
自分が主で作ったからって、親目線になっちゃってるなこれ。
ならば一番おいしいであろうあたたかい内に食べてあげよう、と手を合わせる。
「いただきます」
「はい、では僕もいただきます」
ほかほかとあたたかいそれを手に取り、口に含む。
最初に感じたのは塩味。ごま塩をかけてあるとズゥシャンが言っていたから、おそらくそれだろう。次いで、素朴ながらも味わい深い風味が口の中を駆け回る。普通の米よりも弾力があり、腹持ちもよさそうだ。
口内のもちもちとした感触を楽しむ。小豆を嚙み潰すと、豆特有の香りが広がった。
「はぁぁぁ、おいしぃ……」
いつものように止まらなくなる刺激的なおいしさではない。ゆったりと、風味と香りに癒されながら食べる。それが赤飯のおいしさのような気がした。
量も多くないので、思っていたよりも早く食べ切ってしまう。もう少し食べたい気持ちもあるが、同時にどこか満足感も感じていた。ほぅ、と息をつく。
「気に入っていただけたようで何よりです」
そんなナトリの姿を見たズゥシャンは嬉しそうに笑う。
「雑穀米も嫌いではなさそうでしたので、もしかしたらと思っていたんです。予想が当たってよかった」
「ありがとうございます。とてもおいしかったです!」
そう言っているが、本当はただおいしいだけではなかった。
ナトリが食べたことないから作ってくれようとしたこと、その点も込みでおいしさも嬉しさも倍になっている。
口角が上がる。ふわふわとした心地だ。だからだろうか、変なことを口走ってしまったのは。
「……先生」
「はい?」
「わたし、先生のところに来られてよかったです」
「――え、」
ズゥシャンの顔に驚きの色が混ざる。こういう顔は十九歳らしく年相応に見えた。
「ここに来てから毎日、おいしいものをおいしいって感じて食べられるんです。それが、すごく幸せで――」
――すごく嬉しい。
そう言おうとしたのに、最後の言葉が紡がれることはなかった。
木製のテーブルの上に置いてあったナトリの手。その片方をズゥシャンが優しく掴んで引き寄せる。
されるがままに、左手が彼の口元へ近づき――そのまま、親指の付け根をくすぐったいくらいの強さで噛まれた。
「――は、」
目の前の光景が理解できず、とっさに声が出ない。
ズゥシャンはどこかぼんやりした様子で、あぐあぐと優しく噛み続ける。
「…………せ、せんせ?」
何とか絞り出せた言葉はただの名称。しかし、彼には十分のようだった。
「――ッ⁉」
一度瞬きをしたと思えば、すぐにナトリの手から口を放す。
自分が何をしたかは理解しているようだが、噛まれたナトリよりも驚愕していることには違和感があった。
「――あ、僕、いま……」
ズゥシャンの朝焼け色の瞳が不安そうに揺れている。
一体どうしたというのだろうか。声をかけようとすると、彼は勢いよく立ち上がり、ナトリを厨房まで引っ張って行く。そして流し台の前まで来ると、彼女の噛まれた方の手を大量の水で洗い始めた。
「……よく洗わないと、あ……ごめんなさい、僕、こんなことするつもりじゃなくて、どうして、こんな……本当にごめんなさい……」
いつもの理路整然とした話し方はどこへやら。悪さしたことを自覚している幼い子供のように、彼は謝罪を続ける。正直、全く要領を得ない。
なぜ自分は急に噛まれたのか。気分を害してしまっただろうか。聞きたいことはたしかにあるが、この世の終わりとでもいうように思い詰めた顔をしている彼が優先だ。
なんだかよくわからないけど、どうにかフォローしなくちゃ……!
狂ったようにナトリの手を擦り続けるズゥシャンへ向けて口を開く。
「そんな謝らなくたって大丈夫ですよ! 気にしないでください! ほら、別に嫌じゃなかったんで!」
これで少しは楽になれるといいのだが。そう思っていると、彼は一瞬ぽかんとして、すぐに顔全体を赤く染めた。そして、
「――そ、そういうことは軽々しく口にしない方がいいかと!」
そう言われてしまった。
え、軽々しく口にしちゃいけないようなこと言ったっけ?
混乱。何が正解なのか分からない。彼にとっては恥ずかしい行為だったのだろうか? なら、なぜその行為に及んだのだろうか?
理解が追いつかないナトリは困惑してしまう。
「う……、僕は食べ終えたお皿を取ってきます。ナトリさんは、その、もっとしっかり洗っておいてください」
「は、はい」
すぐにズゥシャンの姿が見えなくなる。どうやら詳細は教えてもらえなさそうだ。
それにしても、と噛まれた時を思い返す。
あの時のズゥシャンはぼんやりとしていた。いつもとは異なる、一枚膜が張ってあるような虚ろな瞳。しかしそれと同時に、熱っぽさもあった気がする。
「……わからないな」
ぽつり、と言葉がこぼれる。そう、どう考えようと今のナトリには分からないのだ。
唯一分かることがあるとすれば、噛まれた親指の付け根がとても熱くて、水がやけに冷たく感じることくらいだろう。




