第11話 元ギャンブラー聖女は突然拉致される
多種多様な種族が互いを尊重し生活している国――リンデン。そんな国の国境沿いである最西端に位置する街――ルツェルンのとある家で事は起きていた。
そこはカーテンを閉め切っており、日の光も一筋すら入らない。この家の主を知っている近所の住民でさえも、近寄りがたい不気味な感覚に襲われてしまう。
何やら声も聞こえるが、一体何をしているのかまでは皆知りたくないのだろう。家の前を通った人々は、声の発生源であるその場所から視線を逸らして去って行った。
「いいぞ! その調子だ! この薔薇もぜひ咥えてみてくれ! ……くぅ~ッ! やはり本物の人間じゃないと駄目だな!」
……拝啓、三十分前のわたしへ。先生と仲よく薬膳お弁当配達してますか? え? わたし? 未来のあなたであるわたしはね……
「服も着替えてみるか! いやうちに女物の服なんてなかった! くそッ、一着は持っておくべきだったな! おい人間、次はこのガーベラを咥えてみろ! そうだいいぞぉ! てかお前口でかいな!」
……知らない山羊人の男性に拉致されて、お花をたくさん咥えさせられてます。
人間と種族名で呼ばれた女性――ナトリは、死んだ魚のような瞳をしながら素直にガーベラを咥えていた。
なぜこんなことになったのか、彼女は現実逃避がてら少し前の自分を思い出すことにした。
◇◇◇◇◇
「いやぁおめでたいですね! ルマさんの息子さんがご結婚されるなんて!」
「ええ、本当に。おめでたいことです」
時計が一番上を指すころ、ナトリとズゥシャンは朝から仕込んでいた薬膳弁当を患者の元へ配達し終えた。
そして最後の配達先であるルマの雑貨屋で、彼女の息子が結婚するという話を聞いたのだ。こういう話は、自分が当人でなくとも気分が高揚してしまう。
「どんな式になるんでしょう、今から楽しみですね!」
ナトリの言葉にズゥシャンは笑顔を浮かべて頷いた。
配達を終えた二人はゆっくりお互いの速さに合わせて、診療所とは違う方向へ歩を進める。今日は午後の診療を休んで、マーケット広場まで食材の買い出しに行くのだ。様々な食材が売られているらしく、ズゥシャンはいつもそこで魔物を購入するのだという。弁当を配達するために使用している二輪の木製リヤカーいっぱいになるほど購入するそうだ。すでに弁当を配り終えて空になったそれが、準備万端とばかりにがたんと軽い音を立てる。
ナトリはリヤカーを引くズゥシャンに視線を向けた。整った顔立ちに加えて十代特有の華奢さも残る彼だが、なぜか思っていたよりもリヤカーとの相性がいい。なんというか似合うのだ。
細身の彼にはリヤカーを引くことは大変だろうと思い自分が引くと声を上げるも、危ないからと即却下されたことが脳裏をよぎる。露出している肘から下に男性らしい筋肉や筋が見えるためいらん心配だろうが、老婆心から彼が転んでリヤカーの下敷きになってしまったりしないかと時折不安になってしまう。
……聖女だった時はけっこう力仕事もしてたし、リヤカーも引けると思うんだけどなぁ。
そんなことを考えていると、ズゥシャンもナトリの方に顔を向けた。
「おめでたいと言えば、ナトリさんは『お赤飯』というものをご存じですか?」
「いえ知らないです。その……お赤飯? っていうものがあるんですか?」
「はい。もち米に小豆を混ぜた赤いご飯です。極東ではお祝い事がある日だけ食卓に並びます」
「赤いご飯……」
「そうは言っても真っ赤なわけではありませんよ。……なんでも赤色には邪を祓う力があるとかで、縁起物ならぬ縁起食だそうです」
赤いご飯、本当においしいのだろうか。拙い想像力を総動員してイメージしてみるがよく分からない。
眉根を寄せるナトリを見たズゥシャンは優しく微笑んだ。
「今度作りましょうか。……あ、でも小豆がないな。この国ではおそらく売っていないから極東から取り寄せるか……」
「え⁉ 極東から⁉ いやいやいや先生! そこまでしなくて大丈夫ですよ!」
「いえ、僕が食べてほしいんです」
そう言われてしまえば、ナトリはこれ以上何も言えない。
食べたことがないからとそこまでしてくれるのはありがたいが、同時に照れくさくもある。
まっすぐな若者、恐るべし……。
マーケット広場に着くと、思っていたよりも人で賑わっていた。食材だけでなく雑貨なども売っているからだろう、子供から大人まで皆楽しそうに買い物をしている。談笑している人もいるようだ。
ズゥシャンからはぐれないように気をつけなければ。
そんなことを思っていると、視界の端にふらついている男性が入り込んできた。気になってしまいそちらを見ると、山羊のような白い耳に、手入れされていない耳と同色の長髪を持った男性がいる。彼は絶望しているかのように俯き、重たそうに一歩ずつ前へ進んでいた。その度、頭部と共に湾曲した角が揺れる。
彼はおそらく、山羊の遺伝子を持つ種族――山羊人だろう。牛人とは形の異なる大きな角は、大木すら折るほどに固く立派なものであるという。
しかしナトリが見た男性は立派どころの話ではない。膝下までのワンピース型の寝間着はくたびれており、もはや浮浪者のようだ。
ズゥシャンは屋台の店主と話し込んでいる。割って入るわけにもいかないので、ナトリは屋台の外観を記憶し男性の元へ向かった。
何もないならそれでいい。体調が悪い様子ならすぐにズゥシャンを呼ぼう。
「あの、大丈夫ですか?」
「……ぁ?」
声をかければ、男性はゆっくりと顔を上げる。そして、横長の瞳孔を持つ目でナトリを見ると、中身がこぼれてしまうのではないかというほどに見開いた。
「……ヒュ、」
「ひゅ?」
「人間の女ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ‼」
「ぅえ⁉」
突如叫び声を上げた男性は、タックルのような勢いでナトリを肩に担ぐと凄まじい速さで走り出す。
「――な、ナトリさん⁉」
「先生ぇ‼」
こちらに気づいてくれたズゥシャンすら、すぐに景色と共に流れて行ってしまう。
彼に向かって手を伸ばしたところで届くはずがなく、ナトリはまるで荷物のように拉致されたのだった。
◇◇◇◇◇
――そんなこんなで冒頭に戻る。
「お前女にしては背もでかいな。これなら俺の昔の服着れるかも……」
山羊人の男性は己の家にナトリを連れて来ると、三人は乗れるであろう大きめの白い台に彼女を立たせ、花を咥えさせたり、変なポーズを強要したりしていた。怒涛の展開すぎて、ナトリには恐怖を覚える暇すらない。
……な、なにこれ。
ナトリの前にはキャンバスが乗っていない寂しそうなイーゼルがある。画家の家でしかお目にかかれない代物だ。この人は画家なのだろうか?
そう疑問に思った時、思案顔を浮かべていた誘拐犯は何かを思いついたように手を叩いた。
「よし! いっちょ服脱いでみるか!」
「…………はぁぁぁ⁉」
突拍子もない提案に、思わず大きな声を上げてしまう。
「やだやだやだやだ‼ 絶対やだ‼」
台から飛び降り壁際に逃げるも、男性は手を持ち上げ近づいてくる。
じりじりと狭まる距離に思わず目を閉じた。その瞬間――
「――ご無事ですかナトリさん!」
けたたましい音と共に開かれた部屋の扉から、ズゥシャンが飛び込んでくる。するとナトリを背後に隠すように、彼女と誘拐犯の間に身体を滑り込ませた。
ナトリの視界いっぱいに彼の背が広がる。急いで駆けつけてくれたのだろう、肩も大きく上下していた。
「それと……」
あがる息をどうにか整え、ズゥシャンは美しい朝焼け色の瞳で目の前の男性を睨みつける。そして、
「――何してるんですか、オータスおにいさん!」
よく通る声で、そう言ったのだった。




