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第1話 ギャンブラー聖女、聖女資格剥奪

 聖女ナトリに犯罪歴はない。

 しかし――


「聖女ナトリ・グレイよ。汝が行ったポーカー、ブラックジャック、シックボーなどギャンブルと呼ばれる行為は罪ではない。罪ではないが、聖女にそぐわないものだった。それにより――聖女資格の剥奪、加えて王都からの永久追放とする」


 ――今この瞬間から、彼女は前歴持ちの『元』聖女となった。



◇◇◇◇◇



 この国――リンデンには、多種多様な種族が互いを尊重し生活している。しかし、時には価値観や食文化、宗教観から衝突することも少なくない。種族の特性ゆえ早朝からの仕事に向かない者、逆に夜から行動が活発になる者なども存在する。

 そんな中、比較的朝から夜まで働くことのできる人間(ヒューマン)は労働力として重宝される。

 それは聖女という特殊な職も例外ではない。


「……がんばれわたし。この棚の補充が終われば寝れる……」


 夜も深まったころ。しん、と冷たい空気が流れる薬草室で、朦朧とする頭をかきながら、ナトリは一人ごちる。

 寝不足のせいだろう、人間(ヒューマン)である彼女が持つ鼠色の断髪はささくれ立ち、金色の瞳は濁っていた。かろうじて修道服だけは清潔に保たれていたが、それすらも限界に近い。睡眠時間もなければ、服を洗濯する時間もないのだ。


「……これが終わればあしたは休み、久しぶりの休みだから、なくなりそうな日用品買わなきゃ。洗剤とスポンジ、あと……」


 声を出していなければ寝てしまう。それほどまでの極限状態。

 聖女に夢をみている人の前で声を大にして言いたい、とナトリは頻繁に思う。

 神聖そうな仕事も蓋を開ければこんなもんだ、と。

 『聖女』といえば、聖騎士と共にダンジョン探索や魔物討伐にも参加する花形の職業だ。しかし、そんな聖女は生まれつき魔力を持っているほんの一握りの人たちで、それ以外は王都の医療機関と研究所で薬草栽培や薬の調合。休みどころか食事の時間さえ満足に取れない激務ぶりだ。


「……歯磨き粉買って、それから、それから……」


 古くなっているが不調などは一切ない薬草棚に、十分乾燥させた薬草を補充していく。だが、すぐにその手はぴたりと止まった。


「……あ、これ脚立使わなきゃ一番上の段、補充できないや」


 いつも木製の脚立が立てかけられているはずの場所に目を向ける。

 ――ない。ほかの聖女が使っているのか、それとも返し忘れたのかはわからないが、ナトリの見える範囲には存在しない。

 ……探しに行かないと。

 かさついた唇の隙間から息が漏れ出る。


「……はぁ、ばあちゃんのご飯食べたい」


 ぽつりとこぼれた胸の内は、窓の外で鳴った風の音にかき消された。




 ナトリが聖女資格を剥奪される二日前――彼女にとっては二ヶ月ぶりの休日。

 返し忘れたのだろう脚立が資料室で見つかり、無事薬草の補充を終えて宿舎に帰った時にはもう鶏が鳴いていた。

 食事をする気力もなく固いベッドに倒れ込む。そして限りなく気絶に近い眠りから目を覚ますと、世界の時間はゆうに昼を過ぎていた。


「えッ⁉ うそ⁉ わたしそんな寝てた⁉」


 飛び起きて時計を確認するも見間違いではない。


「うわぁどうしよ! 雑貨屋さんって何時までだっけ⁉」


 次の休みがいつになるとも分からない仕事だ。今日買っておかなければ確実に日用品が底を尽きる。

 二十代の女としてありえないと言われるかもしれない、と思いながら、支度もそこそこに宿舎を飛び出した。




 ナトリが全力で走った結果、雑貨屋はまだ開いていた。

 息を整え、部屋の棚の中を想像し、足りなくなっていた物が思い浮かび次第品物を手に取っていく。

 ……あれ、これまだストックあったっけ? まぁ、あって困るものでもないし、買っておけばいいか。

 そんな少々ガサツな買い物を終えて店を出た。買い忘れがないことを脳内で確認し、商品がぎちぎちに詰め込まれた茶色の紙袋を抱え直す。その瞬間、ナトリの腹の虫が豪快な音で空腹を告げた。


「……そういえば、昨日の夜からなにも食べてないかも」


 誰にも胃袋の旋律が聞かれていなかったことを確認し、空っぽであろう腹をさする。

 ――その時だった。


「お願いします! あと十分! いえ、五分だけでも待ってもらえませんか!」

「こちとらもう散々待ったよ、それでも来ないきみのお仲間が悪いんでしょうが。頼むから早く演奏してくれ」

「待ってください! そうするとメンバーが足りないのでちゃんとした演奏ができないんです!」


 絶叫に近い懇願がナトリの耳に響く。声の方に顔を向ければ、向かいの店の三軒隣――そこに橙色の髪を持つ可愛らしい少女と恰幅の良い中年男性がいた。


「あのなぁ兎人(クニークルス)のお嬢さん、うちのバーは慈善活動じゃないんだ。小さい舞台しかないが、あんたらみたいなアーティストさんに演奏や曲芸なんかの目を引くことをやってもらって、お客さんはうまい酒を飲む。そういう商売なんだよ。誰も舞台に上がらない時間があったら退屈でみんな帰っちまう」

「うっ……」


 兎の遺伝子を持つ種族――兎人(クニークルス)

 種族の特徴である天に向かって伸びる耳が、今では感情を表すようにぺたりと力なく折れてしまっている。

 その光景はあまりにも悲しそうで、見る者の胸を痛ませる。もちろん、ナトリも例外ではなかった。

 二人の元を目指し歩を進める。辿り着くまでにそう時間はかからなかった。


「あのぉ……なにかお困りですか?」

「うおッ⁉」

「ひゃッ⁉」


 完全部外者であるため、申し訳なさそうな雰囲気を出しながら二人の間に入り込む。不意に現れた女を前に短い悲鳴があがった。


「……きゅ、急になんだい、あんたは」

「あ、ご挨拶が遅れました。わたし、聖女のナトリと申します。そこの雑貨屋から出てきたら、お二人の会話が少し聞こえてしまいまして……」


 訝しげにナトリを見ていた男性だが、彼女が身元を明かした途端人の良さそうな顔つきに変わった。


「なんだ聖女さんだったのか! あまりにもひどいクマだったから詐欺組織の一員かと疑っちまったよ! はっはっは!」

「そ、そうだったんですねー。は、はは……。あはは……」


 …………これ面と向かって悪口言われてない⁉

 そこまでクマがひどいのだろうか。宿舎を出る前にしっかり鏡を確認すればよかったと後悔する。


「それに断髪の聖女ってのも珍しいしな! とはいえ、勘違いして悪かった!」

「いえいえ、お気になさらず。たしかに修道服も着ていないのでわかりにくかったですよね。……えっと、それよりも、彼女との話を教えていただけませんか? 演奏するとかなんとか……」

「あぁそうだよ。うちはバーなんだがね、中に小さな舞台があって、芸を披露したいっていうアーティストに舞台も貸してるんだよ。で、今日はそこのお嬢さんたちが演奏することになってたのさ。なぁ?」


 男性の言葉に、ナトリの背に隠れていた少女は小さく頷く。


「マスターの言う通りです。でも、メンバーの子が予定の時間までに来なくて、それで……」


 少女の声はどんどん小さくなって、最後には音にならなかった。


「だから今いるメンバーだけで演奏してくれって頼んだんだが、どうにもメインがその遅れてる子らしくて演奏できないって言われちまってね。そうなると舞台が空いちまう。うちには舞台を観ながら酒飲みたいお客さんもいるからな、舞台がないんじゃ帰るって奴も出てくるわけだ。そしたら商売あがったりだよ」


 マスターと呼ばれた人間(ヒューマン)の男性は困ったように肩をすくめる。

 彼らの話を聞いて、とりあえず喧嘩や裁判沙汰になるようなものではないと判明してよかった、とナトリは胸を撫でおろした。だが、現状の問題は何も解決していない。

 ……さて、どうしたものか。

 少女は泣きそうな顔で、マスターは困り果て、ナトリは思考する。

 時間にして数秒の沈黙。それを最初に破ったのはナトリだった。


「……マスターさん。その舞台は、飛び入り参加も可能ですか?」

「ん? おお、別に構わないよ。正直うちはお客さんが帰るって言いださなければ何でもいいからね」

「よかった。……ではマスターさん、この子のメンバーが揃うまで、わたしが舞台に立ちます」

「わかった……ってはぁッ⁉」


 顎がはずれてしまうのでは、と思うほどにマスターは口を開ける。その顔は驚愕の色に染まっていた。当たり前だ、まさか聖女自身が舞台に上がるなんて言い出すとは思ってもみなかったのだから。

 そんなマスターに背を向け、ナトリは不安そうに見上げてくる少女に目を合わせる。


「というわけで、わたしの持ちネタでどうにか繋ぎますから安心してください」

「……聖女さま、持ちネタ、あるんですか……?」

「えッ⁉ そっ、それはもう、地元のおじさんたちから叩き込まれた至高のものが一つ!」


 思わず声が裏返ってしまったが、任せてくれとばかりに胸を叩く。

 ……正直に言うと、時間が稼げるかあんまり自信はないんだけど。

 しかし、そんなこと言えるわけもない。


「さぁ見せてやりますよ‼ 聖女の負けなしギャンブル‼」


 じっとりとした手汗に気づかれないよう拳を作り、それを天に向かって大きく伸ばす。マスターも少女も、その拳につられて顔を上げた。

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