伐人フリアム
□0
雨が降っている。
都心から少しばかり離れた郊外にある一軒家。
そこに住む家族四人。平凡な家族だ。
父、母、息子、娘。
家の中は血まみれだ。生きているのは息子だけ。だがもうすぐ死ぬ。
父は首の骨を折られて。母は腹を割かれて。娘は上半身だけある。
「あ……あ……」
息子は涙を流していた。両腕がない。
何もできず、引きちぎられた。相手は人間ではない。
数年前、宇宙から飛来した生物群。
そのうちの昆虫型と呼ばれる、カブトムシとカマキリに似た生物。
二種の目玉が、それぞれ齧っていた父母から息子に向く。
涙と血を流しながら、芋虫のように這いずることしかできない息子は、彼らにとっては美味い食事だ。
昆虫は宇宙から飛来したとされる説がある。
息子はそんなことを思いながら、割れた眼鏡越しに、顎をカチカチ動かしながら近づいてくる宇宙生物を眺めていた。
殺される。もうどうしようもない。怒りよりも困惑が勝る。
どうして自分たちが死ななくてはいけないんだろう。
どうして自分たちが襲われなくてはいけなかったんだろう。
カマキリの鎌が、首筋に当たる。
そのときだった。
天井が割れた。轟音とともに、何かが降ってくる。
「gyagyu-!!」
粉塵が舞う中、叫んだのはカブトムシだった。
その背中に五十の拳が降ってくる。
ミシミシ、メキメキと歪な音を立てて甲虫の硬い羽が割れる。
鈍色をしたもう五十の手がカブトムシの角を掴み、そのまま背中側に引き寄せる。
ブチュリ、と嫌な音がして、カブトムシの頭がもげた。
緑色の血が飛び散って、カブトムシはピクリとも動かなくなった。
「カブトムシ討伐完了」
機械を通した声が響く。角ばった岩のような筋肉質の身体。その背中から百の腕が生えている男が立っていた。
カマキリの鎌が息子の首元から離れる。
カマキリの眼前には、蜘蛛がいた。
正確には多脚型の宇宙飛来生物制圧ユニット[タイプ:アラクネ]だったが、息子の目には新たな化け物が来たようにしか見えなかった。
円盤に六つの脚が着いた形。下半身を埋め込む操縦席。
女性に見える上半身のラインは黒のラバースーツに覆われていて、頭部に装着されたヘッドセットには八つの目が付いていた。
「一体逃げた。他SCの気配なし。討伐対象残り一体」
蜘蛛のほうから、軽やかな声が響いた。そして──。
「了解」
最後の一体が天井から降り立ち、音もなくカマキリの背後に着地した。
その姿は三面六臂の阿修羅だった。
「SYAAGYAA-!!」
カマキリはすぐに反応した。
振り返ると同時に鎌を振るった。しかし、阿修羅には届かない。
中層にある二本の腕が持っていた剣で鎌を受け止め、下層にある二本の腕が握った短槍でカマキリの腹部を貫く。
「GYAAAA!」
カマキリの悲鳴。それから胸の前で祈るように合わされていた手が握り締められて拳となり、目に留まらぬ速さで突き出された。
今度は悲鳴もなかった。
あれほど残虐の限りを尽くした生物の首が、あっさりと千切れて壁に当たり、空気の抜けたボールみたいに転がった。
「ふぅぅ……」
機械を通したノイズ混じりの呼吸が、息子の耳にも届いた。
「ねえ、その子、まだ生きてる!」
アラクネの声がした。それから、百腕の男と、阿修羅の目が息子に向いた。
直後、アラクネから射出された糸に息子は包まれる。
意識が途切れていく。慌ただしい声が遠くに離れていく。
どうして、こんな目に遭ったんだろう。
息子の意識は、そこで完全に途絶えた。
□1
『起床せよ。起床せよ』
響く機械音声とともに、古河不二は目を覚ました。
またあの夢を見ていた。またか、という思いのすぐあとに、仕方ないと思う気持ちが芽生える。
あれはまだ、一ヶ月前の出来事だ。
家族を殺され、身体の一部を失った。
ブシュッ、と空気を吐き出しながらカプセル型の睡眠装置の天井が開く。
起き上がると、まだ目覚めていないカプセルが数十と並んでいる部屋を見渡す。
まるで虫の卵みたいだ。
思うたびに、不二は宇宙飛来生物、通称『SA』のことを思い出して憂鬱になり、それから怒りが湧く。
「起きたか、不二上等兵。すぐに研究室へ来い」
部屋に入ってくるなりそう告げたのは、美しい金髪を雑にゴム紐でくくった野暮ったい眼鏡で白衣のアモンドール博士だった。
「はい」
不二は応え、それから“両手”でカプセルの縁を掴んで睡眠装置から抜け出した。
身体に対して平均的な太さの最低五倍はあろう逞しい機械の双腕。
眼鏡が必要なくなったキョロキョロと勝手に動く機械の瞳。
破裂した内臓もいくつか機械に置き換えられている。
それらすべての手術をしてくれたのは、目の前を歩くアモンドール博士だった。
医者であり科学者であり機械工学士である彼女は、科学的鍛冶屋を自称している。
カプセルの中に眠っている兵士たちの多くは、彼女の『作品』である。
「準備は済んでるか」
研究室に入るなり、アモンドールは言って中の技師たちを急かした。
「バッチリですよ。ですが、動かせません」
作業服姿の技師が視線を落としながら答える。
視線の先には鋼鉄の台。その上には巨大な直剣があった。人ひとりかふたり分はありそうな大きさだ。
「もちろん動かせるわけない。動かせなくて正解だ。その重さこそが武器なんだから、そいつは」
アモンドールは悪戯っぽい笑みを浮かべて振り返る。
「不二上等兵、この剣、長さは三メートルだが何キロあると思う?」
「……三百キロ、ほどでしょうか。」
単純に一メートル百キロの計算で答えた。技師たちが動かせないとなると、それぐらいが妥当に思えた。
「ブブー、残念。答えは千キロ、一トンだ」
「……え?」
さすがにすぐには意味が飲み込めなかった。
三メートルの大きさで一トン。百キロでさえ持ち上げたことのない不二には想像できない重さだ。
「これは先日、阿修羅班と金剛班、その他の班によって討伐されたSCの脊椎、胸椎、腰椎、仙骨、尾骨を叩き直して作った剣だ。超高密度でな、重さが恐ろしいことになってる」
一トンという重さが想像できない。それだけで、恐ろしいというのはよくわかる。
「どうして俺にその話を?」
不二はあの惨劇のあと、目覚めた初日からトレーニングを課せられていた。
全身を改造されてサイボーグとなって生き永らえ、政府直轄の対SC(宇宙飛来生物:Space Creature)討伐部隊所属上等兵という新しい身分も与えられている。
しかし成績がいいわけでも、特別強い力を持っているわけでもない。
「君なら扱えると思ったからだよ、不二上等兵」
「……無理ですよ。俺の成績を知らないなら言いますけど、ベンチプレスは450キロが限度です。この腕でも」
不二は逞しい機械腕を見て、小さくため息を吐く。
人間としてなら化け物級だが、討伐部隊としては平均よりも下だ。
「いや、君なら持てる。違うな、君にしか持てない」
しかしアモンドールは不二の弱気を一蹴した。
「知っての通り、君の腕も、それから他の班の改造を施した部位も、そのほとんどがSCから採取した素材から作り上げている」
不二は頷き、拳を握る。自分の家族を殺した連中の素材によって生きているのだ。最初は腕を引きちぎろうとして何本もの鎮静剤を打ち込まれたことを覚えている。
「君の腕は、この剣の素材元のSCの子どもから作られている」
「……子ども?」
「そう、つまり君の腕とこの剣は親子なんだよ」
不二は絶句した。
親子。確かにSCも生物だ。そういった関係性もあるだろう。
しかしいざ目の前にその事実を突きつけられても、すぐには信じられない。
「この剣を製造しているとき、寝ている君の腕がことさらに反応してね。確認と試しに、そこにある棒切れを持ってみてくれないか」
「……これですか?」
真横の作業台に置いてある棒を取る。熱い。手のひらに熱が伝わってくる。そして軽い。発泡スチロールで作られた棒でも持っているようだ。
「軽いか?」
「はい。これがなにか?」
「その棒切れは剣を作るときに出た端材だ。武器にならないほど小さな棒だが、三百キロある」
「え?」
「試しに床に落としてみろ」
不二は技師たちとアモンドールを見たあと、棒を落としてみた。
ズドンッ、とすごい音がして、床がへこむ。
「わかっただろ? それが如何にとんでもない高密度の代物か。金よりもはるかに重い。それを君は今、軽々と持ってみせた」
「……」
不二はもう一度棒に触れ、持ち上げてみる。
棒がふわりと床から離れる。まるで羽のようだった。
作業台に乗せると、台がギシリと悲鳴をあげる。
「さあ、持ってみてくれ。不二上等兵」
「……はい」
不二は剣に近づいた。鋼鉄の台の上に置かれた三メートルの直剣。
手を伸ばす。分厚い布が巻かれた柄を握ると、先ほどよりも熱さを感じた。
「呼応してるか?」
「はい、たぶん」
この熱こそが親子の邂逅の熱だとするならば、呼応しているのだろうと不二は思う。
「いきます……」
両手で柄を強く握り締め、力を込める。
そして──。
「あ……」
直剣はするりと、驚くほどあっけなく持ち上がった。
「うわ、すげぇ」と、技師。
「やはり、君がこの剣の適性者か」
続けて、アモンドールが笑みを浮かべた。
「……あぁ」
切っ先で天井を睨むように立った直剣を眺め、不二は思わず息を漏らしていた。
「これは……俺の剣だ……」
ほとんど重さは感じない。全身に漲る力が、この剣は自分に相応しいと感じている。
「シノヅカ、あれを」
「はい!」
アモンドールにシノヅカと呼ばれた技師が走っていき、コンソールを弄って何かのボタンを押した。
すると研究所の奥、強化ガラス張りの広い部屋の中央に、巨大な昆虫が出現した。
それは家族を殺し、不二の片腕をその角で抉り取ったあのSCと同タイプのカブトムシだった。
「不二上等兵。その剣であれを討伐して」
「……はい」
命じられずとも、と不二は思っていた。
一トンの重さがあるはずの直剣を片手で持ち、部屋に入る。
カブトムシが気づいた。顎を動かし、威嚇するように角を持ち上げる。
「死ね」
不二の身体は勝手に動いていた。
カブトムシに駆け寄り、斜め下から逆袈裟で胴体を切り裂いた。
悲鳴すらあげさせない。
尋常ではない重さと速さが成せる業だった。
カブトムシは斜めに裁断され、緑色の血をまき散らして消失した。
「お見事」
手を叩きながらアモンドールが部屋に入ってくる。
「トレーニング用とはいえ、奴らの硬度をキッチリ再現してるんだけどね」
アモンドールの言葉に、不二は特に反応しなかった。
訓練用だとは知っていても、怒りは噴き出し、斬り捨てたあとは少しばかりスッキリとした気分になっていた。
「よし、不二上等兵。君にはこれから任務に向かってもらうよ」
「ちょっと、アモンドール博士!?」
アモンドールの発現に、技師の何人かがギョッとした顔を見せる。
しかし当のアモンドールはどこ吹く風という顔だ。
「初陣だよ初陣。誰もが通る道だ。早いほうがいいでしょ。それにさ、私たち、というか世界には今、適性者を遊ばせておく余裕はないよ」
技師たちが黙る。アモンドールの言葉に肯定ということだ。
「俺は、戦うんですか? あいつらと」
「そう。君は戦う。その建御雷とともにね」
アモンドールが直剣を指さす。不二もつられて剣を見た。
「建御雷?」
「この剣、というか君のモデル名だ。日ノ本最強の武の神。その名にふさわしい活躍を期待しているよ」
□2
『降下予定箇所まで残り五十メートル。準備を』
ヘリのローター音に混じって、無線の声が鼓膜を揺らす。
不二を乗せたヘリコプターは、とある民家の直上まで迫っていた。
「了解」
すでに身を乗り出して不二は、視界に二階建ての民家を収める。
今は腕以外も、鈍色の強化外骨格に包まれていた。戦闘用のフルフェイスヘルメット越しに、民家の内部にいる大量のSCの姿を捉える。
『ダイブ!』
無線の声と同時にヘリの外へと飛び出す。
高さ二百メートルから、パラシュートなしの自由落下。
「特攻!」
叫びながら民家の屋根を突き破る。
両足に装着した強化外骨格のおかげで痛みも怪我も痺れもなし。
粉塵を舞わせながら、周囲を見渡すと、部屋の隅で怯えて一塊になっている家族の姿があった。
父、母、娘、息子。
全員、無傷で生きている。
「あ、あ、あの……」
父親が口を開く。
「ご安心ください。対宇宙生物討伐兵器部隊フリアムです。補償は後に国から行われます」
突貫で覚えた口上を述べて、不二は長大な直剣『建御雷』を構えた。
この剣に日本の部屋は狭い。切っ先はすでに壁に刺さっていた。
「なので少し、手荒にしても目をつぶってください」
最後は呟くようにいって、不二は建御雷を真横に振った。
部屋がズレ、屋根が崩れ落ちる。
「わっ、うわー!」
家族の悲鳴があがる。視界が晴れた。これで剣が動かしやすくなる、と不二は柄を強く握る。
斜めに切れた扉に蟻型のSCが群がってくる。それぞれが人間の子どもほどの大きさだ。
「ふんっ!」
気合の声とともに剣を横薙ぎすると、一太刀で蟻たちの首と胴体が斬り飛ばされた。
その一撃だけではない。不二が剣を振るえば振るうほど、蟻たちの死骸が積み重なる。
そして、もともとあった屋根よりも死骸が高くなったとき、その頂上に一体の巨大な蟻が現れた。
「ギチギチギチギチ」
女王蟻だった。頭も身体もこれまで斬り捨てた蟻よりはるかに巨大だった。
不二から見ても、無感情、無機質に見えるその顔から怒りが噴き出してくるのがわかった。
巨大生物を前にして潜在的に湧き上がる恐怖。ましてやそれが自分を狙っているとしたら。
腰は砕け、立ち上がることすらできないだろう。
それがただの人間だったのならば。
「来い」
不二はたった一言、それだけを言って剣を縦に振り上げて構える。
女王蟻にもあるように、不二もヘルメットの内側は憤怒の表情を浮かべていた。
SCに対する怒り。
それは本能から来る恐怖さえも凌駕していた。
「ギチギチギチギチッ」
大量の死骸を蹴り飛ばして女王蟻が突っ込んでくる。
その速さは一瞬で彼我の距離を詰めた。
が、大顎が不二の身体を挟もうとしたとき、すでに建御雷は振り下ろされていた。
まさしく雷のごとく速さだった。
「ギ…… チ……」
真ん中から両断された女王蟻が左右に分かたれ、壁を乗り越えて庭へと落ちていく。
不二が振り向く。
家族全員がビクリと怯えるが、誰も傷ひとつ負っていなかった。
□3
「素晴らしい!」
不二の初陣をドローンカメラでモニタリングしていたアモンドールが喝采の声をあげた。
「見込んだ通り! 彼は恐怖が麻痺してる。怒りに包まれている。彼こそは兵器フリアムだ!」
モニターには、ヘリによって救出される家族と、ひとりたたずむ不二の姿が映っていた。
手にした直剣から緑色の体液が滴り落ちる。
大量の死骸を前にして身動きひとつしない男の姿は、本当に神話の中だけで語られる英雄のようだった。
「阿修羅に金剛、そして建御雷……駒が揃ってきた。防衛しかできなかった人類の反撃は近いぞ」
「反撃……直接討って出るんですか」
「当たり前だ。あの小さなゲートが開く前に。連中を絶対追い返さないといけない。じゃないと……」
アモンドールが手元のコンソールのボタンを押し、天井を見上げる。
すると天井が透過され、青空が広がった。
同時に、空に異様な渦巻き状の黒点が見える。
そこから新たに、小さな点がひとつ、地球に向かって射出された。
それは昆虫型のSCだった。
「じゃないと、滅ぶのは私たちのほうだ」