3、初めまして、私があなたの花嫁です
「やあ、アルヴィ。こちらがうちの『空読み姫』になってくれたネイリッカ殿だよ。さあ、ご挨拶して」
息子を窘めるように声を掛けたオリヴェルの台詞に、ネイリッカの背筋が伸びた。
怯えていてはいけません、アルヴィさまの誤解を解かねば! いえ、まず先にご挨拶をしなくては!
気合いを入れて勢いよく振り返ったネイリッカの目に飛び込んできたその少年は、背が高くユッタと同じ黒髪で、筋肉がしっかりついているオリヴェルとは違いひょろっとしていた。
そして、顔の上半分がふわふわの髪の毛に覆われていて口以外が全く見えず、表情がわからなかった。
それでも、ネイリッカには彼が自分に冷めた視線を向けたのを感じた。
「は、初めまして。ヤルヴィの『空読み姫』になりましたネイリッカと申します。す、末永く・・・」
ネイリッカは夫となるべき人から拒否される恐怖に全身が震えたけれど、一生懸命見えないアルヴィの目と目を合わせるように顔を上げ、つっかえながら挨拶を始めた。
そして目が合ったと思った瞬間、アルヴィの刺々しく冷たかった雰囲気がガラリと変わった。
「えっ?! この子がうちの『空読み姫』なの?! 冗談でしょ? 君、何歳なの?」
アルヴィはネイリッカを見た途端、驚き過ぎて挨拶をすっ飛ばし叫んだ。
台詞を途中でぶった切られたネイリッカは彼の勢いに押されて一歩下がる。
「あ、えと、今年で十に・・・」
「ええっ十!? 父さん、四十一歳のくせに十歳の花嫁もらったの?」
「あのね、アル。ネイリッカ殿は見ての通りまだ小さいものだから、私じゃなくて君の『表の花嫁』になったんだ」
「僕の?!」
「そう。国王陛下がお決めになったことだから覆せないし、ほら、君達の結婚通知書もここにある」
「うわー、本当だ」
ついに私がアルヴィさまの花嫁だと知られてしまいました。私のこと、どうお思いでしょうか? ・・・『空読み姫』のことをあまり良くは思われていないようでしたから、私のこともきっとお嫌いですよね。
ネイリッカは急激に悲しくなった。彼女自身はアルヴィについて好ましいとも嫌いだともまだ判断がつかなかったのだが、そんなことより夫となる人の自分への評価の方がものすごく気になった。
スカートを両手でぎゅっと握り締めて審判の時を待つ彼女に、予想外の明るい声が降ってきた。
「初めまして、ネイリッカ様。僕がアルヴィです。僕らは今初めて会ったばかりで、まだお互いよく知らないのにいきなり夫婦だと言われても困りますよね。だから、友人か兄妹という関係から始めませんか?」
それは想像していたよりずっと幸せな提案で、ネイリッカはパッと彼の顔を見上げ、笑顔で頷いた。
「はい! ぜひお願いいたします。アルヴィさま、私を嫌わないで下さって嬉しいです。ありがとうございます!」
勢いよく頭を下げて喜んだネイリッカに、ぽかんと口を開けたアルヴィが不思議そうに首を傾けた。
「会ったばかりなのに、嫌うも何もないでしょう。・・・ええまあ、『空読み姫』のことは聞いていましたけど、だからと言っていきなり嫌いやしませんよ」
穏やかな彼の言に、ネイリッカは心の底からほっとした。
「それでは、アルヴィさま。私をこのヤルヴィの地の『空読み姫』とする契約を行わせてくださいませ」
「え? 領主の父さんじゃなくて、僕が契約するの?」
張り切ってそう告げたネイリッカにアルヴィは思わず素に戻り戸惑った表情を浮かべた。つられてネイリッカも戸惑う。
そう言われれば、確かにそうだ。
通常なら『空読み姫』の契約相手は夫である領主だ。だが、自分は特例なので夫は領主ではない。そしてその場合、どうすればいいのか誰も教えてくれなかった。
今から王都の空読みの塔へ問い合わせても返答が来るのは半月以上先になる。契約が終わらねばこの土地へ自分の力を使うことは出来ない。見渡す限り痩せ細ったこの大地を豊かにできる力があるのに、無駄に半月以上も放っておくなんて耐えられない。
だけど、領主と夫、どちらと契約するのが正しいのか、ネイリッカには判断しかねた。
「領主でないといけないと決まってないの? それなら、いずれ代わるのだし今からアルと契約しておけば途中で変えなくて済むわよね?」
自分が今すぐ決めなくては、と思い詰めていたネイリッカの耳に、ユッタののんびりとした声が聞こえてきた。
その意見は理に適ったもので、ネイリッカは成る程と飛びついた。
「ユッタさまの言う通りですね! そういたしましょう、アルヴィさま。私は貴方と契約いたします」
言うなり、善は急げとばかりにネイリッカは鞄からヤルヴィの地図を取り出し、地面に置いてアルヴィにその前に立つように指示した。それから自分も地図を挟んで向かいに立ち彼と両手を繋ぐ。
「私、ネイリッカは次期領主アルヴィ・ユハナさまのもと、この地図の領域において空を読み大地を富ませる力を行使いたします」
アルヴィもネイリッカに教えられながら誓いを唱える。
「私、アルヴィ・ユハナはネイリッカを庇護することを誓い、彼女がヤルヴィの地において力を使うことを認めます」
二人が言い終わった瞬間、足元の大地から天空へ向けて眩い光の柱が突き上がり、置いてあった地図が消えた。光に包まれた二人の衣服や髪が下から風に煽られたようにはためく。
話には聞いていたが初体験のネイリッカと、このようなことが起こると全く想像だにしていなかったアルヴィは、二人揃ってこの不思議な光の中で口をぽかんと開けて顔を見合わせた。
その時、アルヴィの長い前髪が風で上がり、見えなかった顔が現れた。
・・・あら、思っていたより随分と整ったお顔なのですね。それに瞳が緑と黄色が混ざっている不思議な色です。
ネイリッカがぼうっと見惚れたところで光の柱が消失し、アルヴィの顔も元のように前髪で隠された。
「終わり、なの?」
「だと思うのですが・・・」
何処か変わった所はないかと両手を広げたり閉じたり足を振ってみているアルヴィの側で、ネイリッカがしゃがみこんで地面に手のひらをつけた。
「きちんと契約が成されていれば、私が力を使えるようになっているはずです。試しにこの畑に地の加護を加えてみましょう」
呟きながら、彼女がえいっと小さな気合を入れた途端、目の前の畑の作物がむくむくと成長し始めた。
「えええっ?!」
「あらまあ」
「ネイリッカ殿っ?!」
「はい! ご領主さま、いかがなされました?・・・ファッ?!」
笑顔で顔を上げたネイリッカが、そのままの表情で固まる。
彼女が加護を加えた畑は見上げる程の高さに葉や蔓が密林のように生い茂り、一抱えもあるような豆がどかんどかんとぶら下がっていた。
「あああ。これは、その、少しやり過ぎました・・・申し訳ありません」
元に戻すことは出来ないのです、と消え入りそうな声で続けた彼女の目には涙が溜まっている。初めて加護の力を披露する場でとんでもない失敗をしてしまったと悄気返っていた。
それを見て、大丈夫だと慰めてあげなければと思いはするものの、小さな彼女のとんでもなく大きな力に圧倒され動けない両親を置いて、側のアルヴィが勢い良くネイリッカの手を取った。
「ネイリッカ、凄いよ! この時期食料が少なくて困ってたんだ。この大きさなら皆がお腹いっぱい食べられるよ! 君が来てくれてよかった」
彼の心からの言葉にネイリッカの顔がパッと晴れた。
「アルヴィさまにそう言って頂けるなんて、もう今直ぐ儚くなってもいいくらいです!」
今度は嬉しい涙を溜めた彼女の台詞に彼が慌てる。
「ついさっき、来たとこなのにもういなくならないでよ。これからこの土地をよろしくね、ネイリッカ様・・・うーん、様づけだとよそよそしいからリッカって呼んでいいかな?」
いきなりそんな可愛い愛称で呼んでもらえるなんて!
ネイリッカは大喜びでぶんぶんと首を縦に振った。長い前髪の向こうでアルヴィの顔が綻ぶ気配がして、更に驚くべき提案が続いた。
「それで、リッカは僕のことヴィーって呼んで? リッカだけの呼び方だよ」
なんだか二人だけの秘密のような密やかな声とその内容に、ネイリッカの思考は沸騰した。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
手のひら返しのような