14、三年後
あれから、三年経った。
ネイリッカは十四、アルヴィは十七になり、ヤルヴィとメッツァ双方を行き来する生活にも慣れて穏やかな日々を送っていた。
「そうそう、ネイリッカ。今度のイェッセ様の王都行きは貴方に付き添ってほしいのだけど、大丈夫かしら?」
優雅にお茶を飲んだカティヤに尋ねられたネイリッカは、しばらく窓の外を眺めてから頷いた。
「当分天気が荒れることもなさそうですし、『加護』は私がどこに居ても契約した土地へ届くはずですから大丈夫です」
「それはよかったわ。だけど、アルヴィ様は淋しがるわね。私が行けばよいのだけど、この状態だからごめんなさいね」
ふふっと笑ったカティヤが膨らんだ自分のお腹を撫でる。ネイリッカも嬉しそうにその様子を眺めて微笑んだ。
「アルヴィはもう大人ですから大丈夫ですよ。今はカティヤ様のお身体が一番大事です。イェッセとカティヤ様の赤ちゃんに会う日が待ち遠しいですね」
「あと三ヵ月くらいかしらねえ」
「楽しみです」
うふふ、と笑い合う二人はこの三年ですっかり仲良くなって、ネイリッカがメッツァの館に来ている間は姉妹のように暮らしている。
あたりのキツイ男ヤミも一年前から用があると王都に戻っていて、ネイリッカは現在、全く憂いのない平穏な日常を送っていた。
「それで、イェッセが王都に行くのはいつですか?」
「それが、今回はちょっと急で来週なの」
「それは大変です。急いで準備しなくてはいけませんね。・・・アルヴィに会いに行く時間はないので手紙をエンシオさんに預けましょう」
「たまには荷を運んでくるエンシオと一緒に会いに来てくれたらいいのにねえ」
「アルヴィも忙しいですし、いつもなら一ヶ月すれば会えるので構わないのですが・・・今回は会いに来てくれたら嬉しいですね」
ヤルヴィの方角を見つめてポツリと言ったネイリッカにカティヤはゆっくりと頷いた。
■■
「ネイリッカ、嬉しそうだね」
「ハイ。昨日、偶然アルヴィがエンシオさんの荷と共に訪ねてきてくれて会えたのです。それで、しばらく王都に行くことを伝えたらこれをくれました」
王都へ向かう馬車の中で、嬉しさいっぱいといった笑顔と共にネイリッカが小さな巾着を掲げて見せる。無地の木綿で作られたそれには何か入っているようで少し膨らんでいた。
「ふーん。よかったね」
「ハイ、出発までに会えないと思っていたのでとても嬉しかったです」
心の底からアルヴィに会えたことを喜んでいるネイリッカに貼り付けた笑顔を返したイェッセは、その薄汚れた巾着への興味をあっという間に失って窓の外へ視線を戻した。
この三年、ずっとアルヴィとネイリッカを近くで見てきた。いつも笑っていて楽しそうな二人を眺めていると不快感が募って、最近はなるべく見ないように避けていた。どうしても、ネイリッカが自分を愛さなかったことに納得がいかなかった。
どうして王命で偶然娶された相手と上手くいって愛情まで芽生えるんだ。おかしいだろう?
だが、それももうすぐ終わる。王命で始まる愛など儚いものだと証明してみせる。
そう思えば、ボロ巾着一つで喜んでいるネイリッカが哀れにも思えてきて、イェッセは彼女へ笑みを向けた。
「今度僕も君になにか贈るよ。ドレスがいいかな? それともアクセサリーにしようか?」
イェッセにニコッと笑い返したネイリッカはそのまま首を振った。
「私にそんな物は必要ありませんから、どうぞカティヤ様に贈って差し上げてください」
「もちろん、カティヤにも贈るよ。それとは別に君にも身につける物をなにか贈りたいんだ。急がないから考えておいて」
あっさり断られて些かムッとしたイェッセは断れないように言い切って再び窓の外へ目を向けたが、その瞳は車窓の景色を見てはいなかった。
一方、ネイリッカはそんなイェッセの鬱屈には全く気付かず、昨日アルヴィに巾着をもらった時のことを思い出していた。
『えっ、リッカが王都に行くの?! イェッセ様一人じゃダメなの?』
『ええ、カティヤ様に頼まれましたので。やはり、あちらでは夜会等でパートナーが必要だそうです』
『・・・カティヤ様が身重だから一人で、じゃダメなのかなあ。僕はリッカと長く離れるのは寂しいよ』
『わ、私だって寂しいです』
うん、と頷いたアルヴィはネイリッカの腕を取るとを手のひらに巾着を乗せた。
『これ、お守り代わりに。花の種が入ってるんだ。帰ってきたら一緒に庭に蒔こうね。で、これは早く帰ってきますようにのおまじない』
そう言ってネイリッカの頭に軽くキスを落としたアルヴィのいたずらっぽい笑顔が蘇り、一人沸騰したネイリッカは両手をばたつかせて脳内からソレを追いやった。
・・・最近、ヴィーがちょこちょこ触れてくるからその度に心臓がドキドキして困る。だけど、少しでも離れると直ぐ会いたくなるのが不思議。今も、ものすごく会いたい。
「早く、帰りたいなあ」
イェッセと反対側の窓を眺めながらネイリッカの口からこぼれ出たその言葉は、彼の耳にも届き、その心を凍らせた。
「そういえば、今回の王都滞在はどれくらいの期間ですか?」
ふと思いついて尋ねたネイリッカへ、イェッセは口の端を上げた。そして視線を外へ向けたまま、冷たい声で答えた。
「無期限」
「無、期限? ・・・イェッセはそんなに長く王宮に居なければならないのですか?」
「君も、だよ。まだ公にしてないのだけど来年の春になったら、現国王陛下は譲位なさる。そして正妃の息子である私が王位を継ぐんだ。君は僕と契約しているのだから『王の空読み姫』になってその桁外れの能力でこの国を豊かにするんだ」
ネイリッカの思考が止まる。イェッセは言葉が出ない彼女を目を細めて眺めながら、ゆっくりと諭すように続けた。
「君とアルヴィは王命で結婚したのだから、王命で離婚もできるわけだ。ネイリッカ、君は『空読み姫』なのだから国土を富ませることが何より大事な役目だと解っているだろう?」
「アルヴィとの結婚が、なくなる・・・」
イェッセは目を見開いて自分を凝視している彼女に留飲を下げた。
「そうだよ、王命でアルヴィには別の人と結婚してもらう」
これでアルヴィとネイリッカの関係は切れる。もう、二度と会うこともないだろう。
イェッセは今、高笑いしたいほど爽快な気分だった。三年間、ひっそりと下準備を続けてきた甲斐があった。二人を黙って眺めていたのはこの瞬間のためと言っても過言ではない。
「君は、我が国が誇る『空読み姫』であり、王になる私の『表の花嫁』になるんだ。間違っても逃げてアルヴィの所に行こうなんて思わないでね。そんなことをしたらヤルヴィに軍を差し向けて焼き払うよ?」
真っ青な顔で震えているネイリッカに余計なことを考えないように釘を刺しておく。ここで逃げられたらたまったものじゃない。
あの憎いアルヴィに報復でき、ネイリッカも手に入れた。
イェッセは今、最高の気分だった。
「ああ、そうだ。私が王位に就くまではヤルヴィとメッツァの『空読み姫』として今まで通り天気を予測して加護を送っておいてね、王都から」
一瞬、帰れるのかと期待を抱いた彼女を最後の一言で地に突き落とす。
「・・・分かり、ました。私は、『空読み姫』ですから」
ネイリッカは観念したようにポツリと平坦な声で答えた。そして、彼女の顔から一切の表情が消え失せたのだった。
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なんてことだ・・・!




