13、アルヴィの決意
「あらあらっ? イェッセ様の愛する『空読み姫』様はまだ子供な上に他の男の子に懐いているみたいねぇ」
裏口で棒立ちになっているイェッセの後ろから間延びした声が割って入ってきた。
「カティヤ様! こちらは裏口ですので、お召し物が汚れてしまいます」
「構わなくってよ」
ヤミが慌てたように奥から現れた女性を押し戻そうとしたが、彼女は気にすることなく突き進んでイェッセも押し退けネイリッカの前にやってきた。
小麦色の髪を複雑な形に結い、全体的にふわふわモチモチした身体つきのその人は、ネイリッカの片方の目と同じ茶色の瞳でじっと見下ろしてからニコリと笑った。
そばかすの散った頬を緩めた彼女は、太陽の花のように明るく爽やかだった。
「貴方がうちの『空読み姫』のネイリッカ様ね。初めまして、私はイェッセ様の妻のカティヤよ。貴方はイェッセ様の『表の花嫁』だと伺っているのだけど・・・」
そこで言葉を切ったカティヤがアルヴィの方へ面白そうな視線を向けた。
「・・・もしや、三角関係というやつかしら? ネイリッカ様は今おいくつ?」
「初めましてカティヤ様。私は十一歳です。あの、私はイェッセ様の花嫁ではございません」
「ネイリッカは僕の花嫁です。申し遅れましたが、僕はヤルヴィ領主の息子のアルヴィ・ユハナです」
ネイリッカとアルヴィが矢継ぎ早に『表の花嫁』説を否定したので、カティヤは目を瞬かせてイェッセとヤミの方を振り返った。
「あらあらっ?! これはどういうこと? 私の耳がおかしいのかしら?」
「なに、簡単なことです。メッツァにおられる間はイェッセ様の『表の花嫁』同然ということですよ。ねえ、イェッセ様?」
いいタイミングで口を挟んできたニコの言葉にイェッセが大きく頷いた。
「あら、そういうことなの? それではキレイに棲み分けられていて、泥沼愛憎劇は起こりそうにないわね、残念だわ。では、改めてアルヴィ、ネイリッカ、これからよろしくね」
頬に手を当て無念そうに首を振ったカティヤに、周囲が一瞬たじろぐ。
「私の国には『空読み姫』は存在しなくて、表と奥の花嫁制度がなかったものだから女同士の軋轢などちょっと楽しみにしていたのよね」
隣国から結婚のためにこの地に来たばかりというカティヤは、両手を握りしめながらそのふっくらとした身体を無念そうに捩った。
「す、すみません・・・」
「いや、泥沼愛憎劇も家庭内の軋轢もない方がいいから」
思わず謝るネイリッカに、それまでの会話を側で聞いていたアルヴィがつっこむ。
「そ、そうですよね。では、ヴィーが『奥の花嫁』様をお迎えになった時、そうならないように気をつけます」
自分に言い聞かせるように呟いたネイリッカの頭を無言で撫でたアルヴィは、しばらく考えてから周りに聞こえるよう大きな声で言った。
「僕はネイリッカ以外の花嫁は貰わない。そうすればネイリッカが気を遣わなくていいものね」
「えっ?!」
驚くネイリッカへ、アルヴィはすっきりとした声音で続けた。なんだか彼の全身から嬉しそうな気配が湧き出ている。
「ここ最近、ネイリッカは僕にとって何なんだろうと悩んでいたのだけど、答えが出たよ。ネイリッカは僕にとって一番大事な女の子でもう妻なんだから、君以外の妻なんていらない。今は妹とも思っているけれど、他の男に任せるつもりはない。僕が自分の手で責任持って幸せにする」
「あらあら、熱烈な愛の言葉ね。素敵だわー」
アルヴィの突然の宣言に呆気にとられる人々の中で、いち早くカティヤが手を叩きニコニコと称賛した、その時。
「うわああっ」
「ひえええっ」
遠くから悲鳴が聞こえてきた。それも、一か所ではなくあちこちから響いてきたものだから、護衛のニコがさっとイェッセの前に行き周囲を警戒した途端。
「何だありゃああっ?!」
思わずといったように素で叫んだニコの視線の方向を皆が振り仰ぐ。
庭園と思われる方角の空に大きく大きく育った花達が、館の屋根より高く咲き誇っていた。
「あ・・・」
「ありゃあ・・・」
アルヴィとエンシオはパッとネイリッカの方を見る。彼女は真っ赤になってキュッと口を引き結んで、何かを堪えるような顔をして両手でスカートを握りしめていた。
「リッカ、もしかして嫌だった・・・?」
自分は彼女から好かれていると思っていたけれどそれは友愛的なもので、実はイェッセの方に密かに恋愛的な気持ちを抱いていたとしたら、さっきの宣言はショックだったに違いない。
アルヴィの顔が青ざめていく。それに気が付かぬままネイリッカは首を横に振って叫んだ。
「あんな、夢のように嬉しいことを言われたのに嫌だなんて有り得ません!・・・私、嬉し過ぎて、このまま飛んで行っちゃいそうで」
ネイリッカがそう言った途端、大きな花からブワッとタンポポの綿毛らしきものが一斉に飛び立った。奥の方ではホウセンカと思しき種がクラッカーのように弾け飛んでいく。
地上の人々は口を開けてそれを見送った。遠くでイテッと声がしたから、誰かの頭にホウセンカの種があたったのかもしれない。
アルヴィはホッとしてネイリッカを抱き上げると、くるりと回った。
「リッカ、ずっと僕と一緒にいてね!」
「もちろんです! 私はヴィーの花嫁ですから」
ネイリッカも笑顔で応えてアルヴィに抱きついた。十四歳と十一歳の幼い夫婦を祝うように空から花びらが降ってくる。
「あらあら、『空読み姫』の能力って当人の感情に随分と引きずられるのね。面白いわー」
頬に手を添え空を見上げるカティヤの独り言に、近くでネイリッカ達を眺めていたイェッセが忌々しそうに吐き捨てた。
「あれは『空読み姫』の能力というより、ネイリッカ個人の資質だ。父の国王陛下も彼女をあんな小さな貧しい土地にやるとは、何を考えているのだか」
「あらあら、イェッセ様はあのお二人の縁組が随分とお気に召さないようですわね。ですが、一番貧しい土地に一番能力が高い者を派遣して富ませるというのは理に適っているのではありませんか?」
それにお二人はとても相性がよさそうですわ、と続けたカティヤへ、イェッセは冷たい視線を向けた。
「『空読み姫』はそんな勿体ない使い方をするものではない。しかし、『唯一の花嫁』宣言をするとはな・・・いや、もしかすると彼は何故表と奥の花嫁が必要か知らないのかも」
イェッセは自分を鼓舞するかのようにそう呟くと、アルヴィを手招いた。
ネイリッカを置いて、やや警戒気味にやってきたアルヴィに顔を寄せたイェッセは小さな声で告げた。
「アルヴィ殿、何故表と奥の花嫁制度があるか知ってる? 家同士の繋がりのためというのは建前で、『空読み姫』は子ができないからなんだよ。領主には跡継ぎが必要だから、そのために『奥の花嫁』がいるんだ」
これがどういう意味か分かるよね? 目線でそう尋ねれば、アルヴィの目が丸くなった。
やはり、知らなかったのだ。イェッセは内心で快哉を叫んだ。これでネイリッカがアルヴィの唯一でなくなれば、イェッセも同じ土俵に上がれる。
どうしても自分の血を分けた跡継ぎを得なければならないイェッセは、そのために確実に子を産んでくれそうな相手を探した。それが家柄も見た目もさほど良くないカティヤを選んだ理由だ。彼女は、代々子沢山の家系でその中でも一番健康そうだったのだ。
だから、貧乏でも領主の後継ぎであるアルヴィも同じだと思ったのだ。
子を産めないネイリッカを『唯一の花嫁』にするわけがないと。
「ああ。それで、『空読み姫』は気の毒にお飾りだの金食い虫だの言われながら、もう一人の花嫁に気を遣う生活を強いられていたのですね。大丈夫です、僕はそんなこと気にしません。一生、ネイリッカだけが僕の花嫁です」
目の前の彼の口から放たれたその言葉は、イェッセの僅かな希望を粉々に砕いた。
イェッセはぎゅっと唇を噛み締めて、自分とは反対に自由に心のままに生きているアルヴィの笑顔を暗い目で睨みつけた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
イェッセがねじれていく…




