第5部 盗難……亜空の袋が無い
転入歴元年八月
*)娘……リオ
それから濡れた服を脱いで着替えを済ませて夕食の用意をしていた時に、暫くして可愛い娘が牛の乳を搾りにやってきた。でも……何やらおかしい、バケツを持ってきて確かに牛の大きな乳房をシコシコするのが気になる俺~いやいや違う、俺も乳揉みて~……それも違うぞ。
「う~ん、今日は出ないや。」
俺もでないが……いやいやこれも違うぞ。
女の子はそう言いながら私に向き直って話しだした。小屋に入って来るも俺様には? ガン無視して牛の許に歩いていったあの娘が、殊更驚いた様子も無く俺に気がついた振りをしたのがおかしい。
「おじさん……誰?」
「いや……お爺ちゃんだろう。今日はお母さんに案内されて此処に泊まる者だが、そのママから聞いていないのか?」
「聞いていないよ、ママはいそいそと何処かに出かけていったからさ。」
「喜んでか? そうか。で、嬢ちゃんは家事の手伝いかな、偉いぞ。」
この娘は母親と違って豊かに太っていて肉付きもいい。薄着だし出る処が出ていて俺の視線がそこに集中するのは仕方がない、とにかく可愛い……。
髪の色は金髪でいかにも異国人だと感じるのはまた別の意味でだが。そう言えば母親は確か栗色の髪の色をしていたと思ったが、どうだったかな。
「牛の餌が足りないんじゃないのか?」
「あ、うん、そうだね。明日はいっぱいあげるよ。」
「ま、頑張れや。」
「そ……それはお肉なの?」
「そうだが、さっきはママに渡したから今晩のシチューに入っているだろうさ。」
「お鍋は草の根っこだけだから美味しくはないよ。でもお父さんは良く肉やイモを私には食べさせてくれるんだよ。」
「へ~それは凄いや。お爺ちゃんは焼いたナマズばかりで飽き飽きしているんだぜ、おかしいよな。」
「ナマズ……食べたい、美味しいの?」
「ま、最初は美味いよ、食べてみるか?」
「うん、食べたい。……それはお魚なのかな。」
「これは魚だが見た事もないとか、そうなのか?」
「そうだね、細長い魚ならば見た事があったかもしれないな。村で魚は見ないよ。」
この前、川で温泉を作って入っていたが、あれからこの村に来るまでは小さな小川しかなかった事を思い出した。石を転がせば小さな沢ガニが居ただけで、他には山椒魚の細くて食えないモノを見ただけだったか。
道という道は無い獣道を通ってきたが魔物とは遭遇しなかったし、動物とかも見たような記憶は無い。そういう意味でならば魚がこの村に無いのも理解が出来るか。
現代ではイノシシなんかは道路で偶然に遭遇するが、獣道で遭遇する筈はない。気がつけば全部の動物が見付かる前に逃げていくからだ。福岡は住宅地の横の森にも五年前には居なかったはずなのに、今では相当数のイノシシが生息していても驚かなくなった。
「これを全部は無理だが半分ならば、胸もみと引き換えにいいぞ。」
「いいよ、これが役に立つならば何回でもいいよ。」
「うっ……そ!」
「はいバケツ、これをやりたかったんでしょう? おじさんは。」
「そ、そうだよ、なんたってお爺ちゃんは子供の時には山羊の乳を搾っていたから懐かしくてね。」
「ふ~ん可笑しな人。出たら飲んでもいいからね。それで早くナマズを頂戴。」
この娘は意外に聡いのか、それとも親の教育がいいのかのどちらかだろう。俺の視線を読んでいやがったか、これも無事に生き抜こうとする娘の知恵なのか、将又村の男たちがスケベなだけかもしれない。
大体が俺はついうっかりと胸揉みと言ったはず、なのにこの娘は乳とはひと言も言ってはいない。サラリとバケツを差し出すあたりは優秀だと感心したわけ。
最初から芝居だったとはね~……。
美味そうにナマズに齧りつく娘は上品とは言えないが、そもそもがこんなナマズを食べるのは初めてだろう。食う方法をただ知らないだけだろうか、俺だってそうなんだから原始時代に戻った気分だぜ。
皿もお箸もないから噛みつくしかないんだよな~。
「これ美味しい、またあしたも頂戴よね?」
「いいぜ……もういいのかい?」
「うん、あまり食べ過ぎたら晩御飯が食べられなくなるからね。あしたの楽しみに残しておきたい。」
「なるほどね~……またお出で!」
「うん、ありがとう。私……リオ!」
お礼を言えるだけでも娘が優秀だと思えた。なぜならば母親はありがとうなんて言わなかったぜ。可愛い声でリオと名乗り、なんだか男の子のような名前だ。王様の娘とか?!
俺は娘が置いていったバケツを手に取って臭いを嗅いでみると、少しも乳の臭いなんかは残っていなかったんだな。草っ葉の臭いがするだけだよ俺は間違いなく騙された口だな。
──翌朝──
翌朝は雨も上がっていて、快晴まではいかないがこれだと雨も早く乾いて農作業へ行けるかもしれないと俺は考えた。村へ散歩に行こうと小屋を出たら既に子牛さんらも散歩していた。
俺は二十分は歩いただろうか、そこで牛とリオを見つける。随分と遠くまで行くのだな。
「おはよ~、」
「おう、随分と早いんだね。」
「そうね、雨が草っ葉についている時に食べさせるんだよ。これだと水汲みが必要ないからね、エヘヘ・・・。」
「でも必要なんだろう?」
「そうね、重い桶を担ぐのは大変だけれども仕方ないよ。」
「この牛に担がせたら良いだろうに、出来ないのか?」
「?……どうやって? 歩く時に零れてしまうでしょうに。」
「あ、それもそうか。桶に蓋をすればいいね、蓋はないのかな。」
「う~ん……無い。」
ま~それもそうかもしれないが、知恵者がいないだけかもしれない。水汲みは桶を持って行くものだと、昔からすり込みさせられてきたのかな。
閑だから俺が作ってやるか。
「いやいや待っていろ、お爺ちゃんが作ってみようじゃないか。」
「ふ~ん、どうやって?」
「戻って袋の中を探すかな、帰るか?」
「うん帰る。」
「……ナマズかぁ~? 朝ご飯だよな~。」
俺は亜空の袋に桶の蓋がないかと探してみたい衝動に駆られた。それで小屋に引き返したが亜空の袋は無い、盗られたようだ。
「わ~無い、無いぞ……俺の荷物が無い~~~~~!!!!」
「それだったらここのお母さんが持って行ったわよ、今は家に居るかもしれないね。」
「ぅわ~大変、あれに手を入れたらもうこの世には戻れないよ、無事かな~……、」
「え?……そうなの?」
「そうなんだよ、あれは……いやお化けの袋だから何でも食らってしまう、あ~大変だ~。」
「いいのよ、あんなのは嫌いよ。」
「親に向かってそれはないだろう。第一に嬢ちゃんに飯を食わせてママは食わずに痩せているだろうが。」
俺は少し勘違いをしていた、娘のリオは昨日の女を「ここのお母さん」と「あんなのは嫌い」とも言っていた。これだと自分の母親ではないよと言う意味なんだが俺は気づいていなくて、その後もリオには騙され続けていた。
「それは……そうなんだろう、けどね、それはお父さんからの命令なんだよ。」
「そうか、いやいやここで議論している時ではないよ。直ぐにママを助けないと袋の餌食になってしまうよ。」
「う、うん、家に案内するから付いて来て、お兄ちゃん。」
お兄ちゃん? 昨日はおじちゃんと呼ばれていたのを思い出した。大体が六十五歳を過ぎたジジイにお兄ちゃんはないだろう、ゴマの擂りすぎだろうに俺はこんな事で喜んだりはしないぞ。
「お、おう、走って行くよ。」
「うん、」
結構な速さで走る娘に付いていくだけで精一杯だった。ジジイの走る能力はとうの昔に置き忘れてきたというのに、いったい何処に置いてきた?
素足で地面を蹴るだけで足の裏が痛むから、やはり靴は大事だという事が良く理解ができた。亜空の袋が戻ったら直ぐにでも靴を召喚しようではないか。
「あっち!」
「おう、先に行ってくれ。俺は足が痛くて走れないよ。」
「袋を取り返せばいいのよね。」
「そうだ……頼んだよ。」
朝起きた牛小屋が母屋と隣接していないとは思いもしなかつた、何故だ!
道がたまたま曲がりくねっていた為に随分と走ったような気がする。ほんの二百メートルでも遠いと感じるからやはり年寄りだと思うよ。
そう言えばだ昨日、女の人がどうして雨の中を歩いていたのかが疑問に思えてきた。もしかして俺を見かけていたとしたら目的が理解できたかも。魔物が出る森に山菜取りはないはず、籠には何も入っていなかったよな?
俺をわざと置いていくようにリオの足はとても速くなった。俺もリオに続いて家に飛び込んだらリオが泣いている。
「お兄ちゃんパパとママが袋に入って出て来ない、どうしよう。」
娘は棒立ちになって泣いていて、両親ともに袋に飲み込まれる瞬間を見てしまったらしい。娘は袋に触ると自分も食われてしまうと思ったのか、足許からは離れた処に袋が横たわっていた。
急にここの夫婦が消えたとなるとこの俺が殺したと疑いが、嫌疑が掛けられてしまう。だが死体が無ければ殺人なんて立証は不可能だろう。
「どうしようって言われてもな、俺にもどうにもこうにも出来ないんだよ。まだこの亜空の袋が理解出来ていないからね。」
「いや、直ぐに出してよママを帰して!」
戻したいが戻す事が出来ない。亜空の袋にただ言えばいいのは判っているが、それだとこの袋の存在が知られてしまうから却下しよう、うん絶対に却下だ!
「腕を入れてみても掴めない時は勘弁してくれよ、大体がママが泥棒するのが悪いからね、判るだろう?」
「うん、それ位は判るよ。村だってドロボウしたら財産没収されて村から追放されるからね、誰もドロボウはしないよ。」
「でもママは俺の袋を盗んだ……違うか?」
「パパが袋を盗んだんだママは違うよね、」
「いや~俺にも判らん、どれ袋に腕を伸ばして探ってみようか。」
「早くして、お願いよ。」
村での窃盗は罪だが旅人からの窃盗はありなのか。それ以前にこんな辺鄙な山奥に旅人が来るとかないわな。
気が気ではない娘は気が逸るのか、俺の横に来て一緒になって袋を覗き込んでいる。可愛い処もあるもんだ。
もしかして、意思ある持ち主だけが亜空の袋に手足を入れても、亜空の袋には吸い込まれないもかもしれない。でも自分だけでは実証は出来ないよ、誰かに手を入れて貰わないと比較にならない。
袋の中はかすかに明るいとは思うが底は真っ暗で何も見えないのは、亜空に通じているからそうなんだろう。俺は全身が入らないようにして腕を袋に入れてみた。前回同様にそこは当然に何も手に当るものなどはないから。
「……無理だよ、もう手も届かないよ。嬢ちゃんも手を入れてみれば理解が出来て諦めがつくだろうよ。ま、魔物に食われたと思って諦めてくれ。」
「この前は村外れのお爺ちゃんが戻っていないよ。偶には村に帰って来ない人が居るにはいるけど、探しに行っても見付からないのよね。」
「そうなのか、この村は魔物対策はどうなっているんだい、……?」
「リオよ、もう忘れたの?」
「あ、そうだったね。リオちゃん。」
「ここは貧乏だから何もしないし、きっとなにも出来ないのよ。でもね、そんなに人は襲われていないんだ。あ~……、」
そう話しながらリオは亜空の袋に肘まで入れて、感触の無さに悲観して泣き出す。まだ十歳にもなっていないと思うが。
肘までならば入れても大丈夫なのか? ここに俺が疑問を持つも直ぐに忘れてしまったか。それと魔物についても俺はまだ知らないし、この辺に出る魔物は少ないという理由もまだ考えも出来ていない。