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恋とはどんなものかしら

 それからのわたしは、毎朝、目が覚めるたびに花の世話をするのが日課になっていた。もちろん、お気に入りはあのアフリカンデイジーだ。

 名前を付けると愛着が湧くというから、あの人の名前をもらって『テオ』と呼んでいる。花に向かってテオ、テオ、と呼びかけるわたしの姿は女中たちからはきっと奇妙に映ったに違いない。

 わたしが庭に出ると、いつも決まって、スウドが先にいる。

「おはようございます、お嬢様」

「……おはよう、スウド。いつも早いのね」

 どんなに早く起きても、スウドより早く起きたことは一度もない。それが悔しくてたまらない。

「朝にできることは限られてますからね。お嬢様が呑気のんきに熟睡なさっているあいだにも、私達使用人は、やるべきことがたくさんあるのですよ」

「……わかっているわよ、うるさいわね」

 さりげなく皮肉を言われた気がして、ちょっとムッとする。この人、どうしてこんなに嫌味な言い方しかできないの? 伯母さまとは大違い。ひとつ屋根の下に暮らしていても、こんなにも性格が違うなんてね。スウドだって、もう少し優しい言葉をかけてくれてもいいのに。

「あなた、前も伯母さまに言われたでしょう? 笑顔を忘れるなって。顔が怖いわよ。こんな険しい性格じゃ、当分、お嫁さんに来たいという人も現れないわね」

 だから、わたしもちょっぴり皮肉を言ってやりたくなる。スウドが独り身だということは女中から既にリサーチ済みだ。

「そう言うお嬢様こそ。この顔は生まれつきだと、何度言ったらわかるんですか!? それに、私の性格と、私がまだ結婚していないことは関係ありません! あ……いや、少しは関係あるかもしれませんが。とにかく、お嬢様にとやかく言われる筋合いはありません。結婚のことも、どうか放っておいてください」

 怒れるだけ怒って、これ以上話を続けるのはごめんだと、早々に切り上げようとする。そのあいだも、ほんの少し上気している頬に、わたしは顔がにやつくのを抑えきれなかった。

「知っているのよ。スウドには『結婚しない理由』が他にもあるってこと」

 スウドが、途端にぎくりとした顔をした。わたしの情報収集能力を甘く見てもらっちゃ困るわ。マーガレットはもちろん、他の女中たちの中にも、わたしのお友達はたくさんいるのよ。

「あなた、伯母さまのことが好きなのよね? 初めて会った10代の頃から好きだったんですって? しかも当時はまだ伯父さまの恋人だったとか……頑張れば振り向いてもらえるとでも思ってた? ふふ、笑っちゃうわね。そんなこと、絶対にありえないのに!! そうよ、伯母さまがあなたを愛しているなんてこと、あるはずがないわ!!」

「黙りなさい!!!」

 スウドは顔を真っ赤にして怒鳴った。

「あなたという人は、つくづく、お母様にそっくりですよ。ええ、そうやって他人を小バカにして楽しむところもね――で、誰から聞いたんですか? いや、言わなくてもわかります。こういうくだらない話を言いふらしているのはマーガレットですね? あの娘ときたら、ろくに仕事もしないでまた無駄話して……本当、いい加減にしてほしいものですよ」

「でね、そのマーガレットから聞いたのだけど」

「……まだ何か?」

 苛立ち交じりにそう訊き返す。

「本当は、結婚の話だって、まったくないわけではないのでしょう? 未婚のご令嬢たちから、あなたとの結婚を是非にと望む声も引く手あまただって、彼女が言っていたわ」

 早い話が、スウドはモテるということだ。確かに、彼は背も高いし、身なりも仕草も洗練されていて、顔立ちだって悪くない。ただ少々、怒りっぽくて表情が険しいということを除いては。

 わたしだって、初恋の彼とのことがなかったら……と思ったけど、それは絶対にないと思い直した。いくら見た目が良くたって、怒りっぽい人はごめんだわ。

「見目麗しい令嬢との結婚をことごとく断り続けているのは、やっぱり、いまでも伯母さまが好きだから? 伯母さまを心から愛しているのね?」

「……まだ言いますか」

「ねえ、本当のことを教えて。伯母さまが好きなんでしょう? どうして告白しないの? いまは伯母さまだって独りじゃない、ならチャンスでしょ、さっさとプロポーズしてしまえばいいのに。このまま黙って見ているだけなんて、どうかしているわ」

 少なくとも、わたしがスウドの立場だったら、そうする。

 ずっと想い続けてきた義理の姉。手の届かない人だと思っていたその人が、ある日突然、自分と同じ『独り身』になったら。もう兄の妻ではない、誰の妻でもない、なら自分にも振り向いてもらえるチャンスがあるのではないか?

 スウドは、なぜプロポーズしないのだろう。ひょっとして、伯母さまのことなんてもう好きじゃなくなったとか? いや、それはない。だって、もし伯母さまのことが本当に嫌いになったのなら、いまも変わらずそばで仕えるなんてしないはずだ。

「余計なお世話です。私が私の気持ちをどうしようと、私の勝手でしょう。お嬢様には関係のないことです。もう放っておいてくださいよ」

「でも……」

 本当にこのままでいいの? 伯母さまだってああ見えてまだ31だし、それに、なかなかの美人だ。もしかしたら再婚の話だってあるかもしれない。いや、いまもあるのかも。そしたら、スウド、あなたどうする? それでも落ち着いていられるの?

「お嬢様くらいの歳だとわからないかも知れませんが、大人になるとね、いろいろあるんですよ。特に男と女の複雑な関係というものはね」

 スウドはそう、何か含みを持たせたような言い方をした。

 確かにわたしはまだ8歳だし、十分子どもなのはわかっているけど、急に子ども扱いされたのがなんかおもしろくなかった。

 スウドの気持ちはわからない。伯母さまの気持ちもわからない。


 ……

 でもね、わたし、知っているのよ。

 あなたが毎日愛情を持って育てているアフリカンデイジーの花のこと。庭に咲く、数ある植物の中で一番可愛がっている花。わたしも好きな花だけど、スウドがこの花に並々ならぬ感情を持っていることは見ていてもわかる。

 いつだったか、伯母さまがわたしに教えてくれた。

「あなたの好きなアフリカンデイジーの花、ランスロットとわたしも好きな花だったけれど、あの花はね、あの花は……あの花の花言葉は『変わらぬ愛』というの。ふふ、だからかもしれないわね。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 変わらぬ愛――。

 また思い出す。あの人のこと。わたしに初めてこの花の存在を教えてくれた人。テオは、まだわたしのことを覚えていてくれているかしら?

「……ねえ、スウド」

「何ですかお嬢様。冷やかしならもう受け付けませんよ」

 怒りを通り越してもはや呆れたように、スウドは言う。もう。本当にいやな人ね。

「違うわよ。ただ、ちょっと聞いてみたいことがあって……」

「義姉さんへの私の気持ちとかだったら、何もありませんよ。義理の弟として、そして使用人頭として、職務を全うするだけです」

「ちがうの、そうじゃなくて」

 スウドのことを散々からかったわたしが言うのはずうずうしいと思うけれど、聞かずにはいられなかった。

「あのね、わたし……ううん、スウドは、長い間、同じ人を想い続けるのってどう思う? それも、相手はまだ自分を好きだとわかっているわけではない相手よ。もしかしたら、わたしのことなんて忘れてしまったかもしれない。もう好きじゃなくなっているかも? そんな風に考え始めたら、怖くなって。いっそのこと、何もかもなかったことにしてしまえたらって、何度も考えたわ。ねえ、こんなのっておかしい?」

 3年間。そのあいだ、テオだって、結婚の話がなかったはずはあるまい。

 第一、大人の男が5歳の少女に語る『いつかお嫁さんにしてあげる』なんて言葉を、いつまでも真に受けるほうがどうかしている。正確には、『お嫁さん』ではなくて『いつか必ず迎えに行く』だったけれど。

「……お嬢様は、まだその男のことが好きなんですか?」

 その言葉には、バカにするとか、少なくとも笑い者にするようなニュアンスは含まれていなかった。至って真剣に、わたしの悩みを聞こうとしてくれていた。

「たぶん……ううん、わからない。でも、あのときは間違いなく好きだった。この人のほかにはいない、と思ったわ。わたしは大きくなったら、絶対に彼と結婚するんだと。いまはわからない。わたし、彼の気持ちがわからないの」

 これって変? わたし、間違ってる?

「いつか、お嬢様が大きくなったら――大人になって、いろんな人と出会って、たくさんの恋を知ったら、そのうちわかるようになると思いますよ。いまはわからなくても。たくさん恋をして、それでも、その人のことが好きだとわかったとき、それは、本当の恋だと言えるんじゃないでしょうか。ちょっとクサい言い方になりますが、『運命の相手』というやつですね」

「運命の……、相手」

「そうですよ。自分が生涯で結ばれるべき相手、それが運命の相手です」

 わたしとは違い、たくさんのことを知っているスウドが、そのとき初めて、ひどく大人のひとに見えた。変なの。スウドが大人なのは当然のことなのに。

 そして、わたしはまだまだ子どもなのだと思い知らされた。

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