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おもいでの庭

 翌朝、目を覚ましてすぐに、見慣れない天井が見えた。

 身体の下にはふかふかのベッド。そうだ、ここは伯母さまの家だ。

 わたしは昨日、ロンドンの孤児院から、伯母さまの住む西ヨークシャーのハワースの村へとやってきた。伯母さまは8年間ずっと、実の姪であるわたしのことを探してくれていた人で、それがようやく念願叶って一緒に住むことになったのだ。

 わたしはこの村を、一目で気に入った。

 かつて、ブロンテ姉妹も過ごした村。物語の中に入り込んだような不思議な光景に、まだドキドキしている。これから、わたし、ここに住むの? 本当に?


 そして思い出す。夢の中の出来事。大丈夫、まだ覚えている。

 妙に現実味があって、ただの夢とは思えなかった。まるで、遠い昔、どこかで経験した出来事のような……まさか、わたしの身に本当にあった出来事なのだろうか?

 ハワースの村によく似た、のどかな田舎町のこと。わたしが『叔父さま』と呼んでいたあの人。叔父の隣にいた優しい男の人のことも。

 もう一度思い出す。今度はゆっくりと思い出す。大切な記憶。そうだ。()だ。

 あのとき、孤児院を去っていった広い背中を、わたしはまだ朧げながらに覚えている。大好きだった。離れたくなかった。本当はわたしも、彼と一緒に、そして叔父さまと一緒に、行きたかった。


「おはよう、マーヤ。よく眠れた?」


 考え事をしていると、視界の端で、伯母さまが部屋に入ってくるのが見えた。優しい伯母さま。今日からこの人のもとで暮らすのだ。それがいまから楽しみでならない。

「ええ。孤児院の硬いベッドよりも断然いいわ。こんなにふかふかのベッドで眠ったのは初め……()()()()?」

 またひとつ、思い出す。ふかふかのベッド。とっても寝心地がよくて。だけど、初めてじゃなかった。前にもこんなことがあった?

 ひょっとして、それは5歳まで過ごしていたという叔父の家……?

「気に入ってくれたのならよかった。今朝は、マーヤがうちに来て初めての朝だから、庭を案内してあげようと思って来たの」

 伯母さまはそんなことなど気にならない様子で、そっとわたしの手を取る。

 それで、着替えを手伝ってもらって、髪も結って、ふたりして庭に出た。


 朝起きて一番に見る庭。昨夜の景色とは随分違う。鮮やかな緑が、朝の柔らかな光を反射してこの上なく美しく見える。冷たく澄んだ空気も、どこか心地良い。

 伯母さまのお気に入りの庭園は、とても広くて、一日では回りきれないほどだった。一方には大きな噴水とベンチがあり、また別のところには豪華なバラ園が。ほかにも至る所に植木があり、小さな鉢植えもあって、四季折々のさまざまな花が楽しめるようになっている。

 中でも、わたしが気に入ったのは、噴水のそばで目立たないようにちょこんと置かれていた、小さなアフリカンデイジーの花だった。

「ああ、それね、ランスロットのお気に入りの花だったの。昔、彼が旅先で買ってきた花なんだけどね。可愛らしい花でしょう。一目惚れだったそうよ。生きていた頃は、彼も熱心に世話をしていたものだったわ。マーヤが気に入ってくれたと知ったら、ランスロットもきっと喜んだでしょうね」

 伯母さまは嬉しそうにそう語る。亡くなった伯父さまが大切にしていた花と知って、わたしも嬉しかった。この花は伯父さまの分身みたいなもの。なら、わたしもこの花を大切にしよう。


 ふいに、いくつかの残像が脳裏をよぎる。

 突然のフラッシュバックのように。何枚も何枚も、それはわたしの頭の中をかすめていった。


『マーヤ、花は好きかい? わたしは昔から植物を愛でるのが好きでね、この庭には世界各地から集めた珍しい花がたくさんある。いつか、マーヤの好きな花も教えてほしいな』


 わたしを呼ぶ声。優しい笑顔。覚えている。あの人は……彼は……わたしの『おじさま』だ。

 ()()()()だけど、ランスロット伯父さまじゃない。

 あれは昔住んでいた村――確か、名前はハザセッジ村といった。いつものとおりシスター情報ではあるが――そこの小さな邸宅に、召使とたったふたりだけで暮らしているわたしの叔父さまだ。名はエリオット。エリオット叔父さまは、わたしの父親の弟にあたる人で、幼くして両親を失ったわたしをずっと育ててくれていた人だった。だけど、あるとき、彼は重い病気に罹ってサナトリウムに移ることになり、わたしは孤児院に移されて、叔父とは離れ離れになってしまった。

 いま、叔父さまはどこにいるのだろう。

 まだサナトリウムに? それとも、ハザセッジのあのおうちに戻ったかしら?


 ハザセッジ村。懐かしい響きだ。ここによく似たのどかな村で――大好きな場所だった。優しい叔父さまも大好きで。そう、あそこにはもうひとり、叔父さまの身の回りのお世話をしている召使の男の人がいたっけ。

 名前。そう。名前は……。


『テオドアですよ、お嬢様――おや、呼びにくいですか? なら、テオで結構です。ええ、どうぞお嬢様のお好きなようにお呼びくださいませ』


 そうだ、テオだ。テオドア。なぜ、いままで思い出せなかったのだろう。

 大好きだったのに。

 初恋の人だった。物心つく前から一緒にいて、気付いたときには好きになっていた。幼いわたしにとっては、彼はまるで、おとぎ話に出てくる『王子様』みたいな人だった。

 いまは離れ離れになっても、いつか必ず迎えに来てくれると、夢みたいなことを願ったりもした。そんなことありえないって、いまではわかっているけれど。


 エリオット叔父さまの集めてきたコレクションの中に、あの、アフリカンデイジーの花もあった。わたしが叔父さまのコレクションで一番好きな花だ。

 そして、それをとりわけ熱心に育てていたのが、テオだった。

 植物の世話は叔父さまの日課だったけれど、テオも同じくらい植物が好きで、一緒になって面倒を見ていた。そして、その中でも特に目を掛けていたのが、このアフリカンデイジーの花だったのだ。他の花たちのように増やすこともせず、たった一鉢だけ育てられているその花が、なぜだか愛しく見えたのは言うまでもない。

 テオは毎日世話をしながら、口癖のように言っていた。


『花というのは、愛情をかけた分だけ、それに応えてくれるんです。子どもを育てるのに少し似ていますね。まあ、子どものいない私が言うのも何ですけど』


 だから、わたしもこの花を一生懸命育てようと思う。

 毎日お世話をして、土が乾いたら水をやって。花がら(咲き終わってしおれた花)や枯れた葉っぱがあったら取り除いてやって。母親が我が子を可愛がるように、優しく、愛おしく。そうしたら、少しずつでも、あの人に近づけるような気がするから。


「スウドも喜ぶわ。いま、この花の面倒を見ているのはあの子なのよ」

 伯母さまが言う。スウドって、あの、目つきの鋭い、無愛想な人が? 花を愛でてる? 嘘でしょう!

「スウドって、昨夜会った、伯母さまの弟さんでしょう?」

「そうよ。主人が亡くなってから、このお屋敷を切り盛りしているのは彼なの。庭の手入れも、食事も、お屋敷の管理のことも、全部、あの子がやってくれているわ。ほら、わたしは身体が弱いから。彼には感謝しているのよ」

 執事のような仕事をしているとは聞いていたけれど、まさか、そこまで任されているの? 伯母さまは彼をかなり信頼しているのね。

「あの人が花を愛でるタイプには思えないけれど」

「あはは。スウドは気難しい人に見えるものね。でも、それは誤解なのよ。あれは真面目すぎるが故に厳しく見えるだけで……」

 伯母さまが言いかけたそのとき、突然、わざとらしい咳払いの音が聞こえた。振り返ると、険しい顔をしたスウドが立っている。やだ、この人、いつからいたの?

「あら。噂をすれば何とやらね。ちょうど、いま、あなたの話をしていたのよ」

「……また私の悪口でも言って盛り上がっていたんでしょう。あなたがたの笑い声が、離れのほうまで聞こえてきましたよ」

 スウドはいつになく不機嫌そうだ。けど、伯母さまはいつもの通り笑ったままで、スウドが顔をしかめるのすらおかしい様子だった。

「いやね。あなたの悪口だなんて、誰が言ったの? 違うわよ。あなたは真面目でいい執事だって、そう言っていたの。それに花がとても好きだってこともね」

「なんですって。この娘に話したんですか、それを? まったくあなたって人は……! 他人の感情をもてあそんで楽しむところは、本当、あの女にそっくりですね! さすが姉妹だと、感動させられるくらいですよ!」

「まあ。褒めただけなのに、そこまで言われるなんて心外だわ」

「褒めてくれなくて結構です! 特にこの娘の前では! この娘が誰かわかっていますか、あの女の娘ですよ、あなたの放蕩者の妹のね!」

「いい加減になさい! いくらあなたでも、わたしの姪を貶すことは許しませんよ!」

 これから一緒に暮らすことになるのだから、と伯母は言った。一緒に暮らすのだから、お互いに仲良くしてくれなくては困る。それはわたしに対しても同様だと、伯母は釘を刺してきた。いますぐ受け入れろとは言わない、けど、スウドのことを悪く言うのはやめてほしいと。

「花が好きな人に悪い人はいない、そうでしょう? だったら、せめてわたしのいる前では、仲良くしてちょうだい」

 伯母さまにそう言われたら、受け入れるしかない。それはスウドも同じようで、わたしに目線だけで合図をよこしてきた。しかたない。まだ少し腹は立つけれど、しばらくは休戦協定ね。

「スウドは花の水やりに?」

 わたしが訊くと、彼は仏頂面のまま頷いた。

「当然です。植物だって人間だって、同じように生きているのですよ。誰かが目を掛けてやらなかったら死んでしまいます」

 スウドは怖いし、厳しいし、花を愛しているなんてとても思えなかったけれど、その言葉は、ほんの少しだけわかるような気がした。

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