14 「いつものおにいのニオイじゃないってことっ!」
その後、葵太は姫奈を家まで送り届けて解散した。時刻はもうすでに夕方。昨日、姫奈の家に泊まってからずっと一緒にいたので丸一日になる。
まさか姫奈にあんな秘密があったとは。自宅までの約10分の徒歩の間、葵太は自分の脳内を整理した。『ロリータ』で知られる文豪・ナボコフの幽霊が降臨し、呪いをかけられて寝不足になる……聞けば聞くほど意味のわからない展開だが、現実問題として、姫奈がああやってロリ返りしている以上、受け入れるしかない。
(……まあ呪いとか姫奈は言ってたけど、ナボコフ的には祝福とか祈りのほうが近いよな。ずっとこのままの姿でいてくれ! って神に願って、結果、特定の条件のもとで当時の姿に戻るっていう)
そんなふうに思いはするものの、幸か不幸か、葵太の脳内は収容している情報が少ないので、整理にそこまで時間はかからなかった。し、難しいことを考えるより受け入れるほうが性に合っているので、そういうものだとすることにした。
そんなことより、彼女ができたということのほうが大きいのだ。高校生男子なんて、かわいい女の子と1日中イチャイチャしていたいだけなのだ。それができるならもはやなんだっていい。
ナボコフは『ロリータ』の中で、高尚な芸術と大衆文化の出会いとか、ヨーロッパとアメリカの出会いを描いたらしいけど(帰り道に姫奈から聞いた。ロリから難解な文学話を聞くのはなかなかシュールだった)、いたって平凡かつ健康な男子高校生である葵太には、そんなインテリの机上の試みはどうだっていいのだ。机上より騎乗なのだ。
(ロリ返りは大変だけど、姫奈いわく月に一度のペースらしいから、そこを除外しても月に25日はイチャイチャするチャンスが……くくく、妄想が止まらないぜ)
そんなことを思いつつ自宅に到着。鍵を入れようとすると、
「あ」
ドアが開き、中から小柄なセーラー服姿の少女が出てくる。
「わっ、びっくりした!」
そして、葵太が目の前にいることに気づくと、ビクッと体を跳ねさせた。
彼女の名前は梅田環奈。同じ名字なことからわかる通り、葵太の妹である。現在中2で、セミロングの髪をハーフツインにしている。
「帰るときは帰るって言いなよ」
「す、すまん」
「ドア開けておにいの顔があるとガッカリ、じゃなくてビックリするでしょ」
「おいちょっと待てガッカリってなんだ。ビックリとガッカリの言い間違えは見逃せないぞ」
「LINEのやり方わかるでしょ、猿じゃないんだし、たぶん」
「猿じゃないんだしで悪口として十分なのに、たぶんを添えてくるとは……しかもほんのり倒置法」
「あ、でも、おにいのLINEブロックしてるから見れないや」
「おいブロックすんな。『ハハキトクスグカエレ』って送っても見れないだろ」
そんな粗暴な毒を、環奈は腕組みの体勢で、葵太の20センチ斜め下からポンポンと放つ。ボケとツッコミと言うよりも、毒とツッコミ。しかも、ツッコミに対して環奈は一切反応しないという、二重の毒っぷりである。
こんなふうに反抗期真っ最中の環奈だが、顔立ちは葵太とはあまり似ておらず、どういうわけかかなり整った顔立ちをしていた。色素が薄いせいで髪色、瞳の色が茶色く、ギャルっぽい雰囲気を持っている。
「てかさ、そんなことより」
環奈は腕組みを崩さないまま、やや強引に話題を変えると、
「おにい、昨日帰んなかったでしょ? どこ行ってたの?」
キツい視線を葵太に向けてくる。急に外泊したのだ。こういう反応が来るのは自然なことだ。
「と、男友達の家だけど……」
「ウソついちゃダメだよ。おにい、友達は普通に結構いるけどみんな表面上の付き合いで、本当に心許せる相手なんてほぼ皆無でしょ」
「ちょっと待て。こういうときは『おにい、友達なんかいないでしょ』って言うのが正しいだろ。なんでちょっと工夫して余計傷つけてくるんだ」
「でも、男友達ってのはウソだ」
「な、なんでそう思う」
若干動揺しつつ、そう返すと、環奈は少しだけ葵太に顔を近づけ、鼻をクンクンさせて、
「オスのニオイがしない。ってかメスのニオイがする」
などと述べる。表情はしっかり歪んでいて、さすがの葵太も心が折れそうになった。どうして自分は妹にこんなに嫌われているのだろう。べつにそんな嫌われることなんかしてないのに……。
いや、今はそんなことを言ってる場合じゃない。姫奈は環奈とも当然知り合いで、むしろ仲良しだけど、朝まで一緒にいたとなると話がややこしくなりそうだし。
「め、メスのニオイってなんだよ」
「香水ってか、いや柔軟剤かな? なんか石鹸のような、甘酸っぱいニオイがするの」
「そ、そうか? とくに制汗剤とかつけてないけど。体育の授業後に男子たちがやるやつ、すげえ苦手で」
「普通なら、昨日と同じ制服だからすごくおにい臭がキツくなってるはずなのに……」
「ちょっとやめてそのおにい臭って。加齢臭みたく言うの」
「いつものニオイはもっといいニオイってか……」
「あ、なんか言ったか? 小声で聞こえなかったんだが」
心が折れるあまり、聴力が一時的に低下していた葵太が尋ねると、
「なんでもないっ! ともかく、いつものおにいのニオイじゃないってことっ!」
環奈は軽くキレて、そのまま去っていった。
「なんだよあいつ……」
そんなことをひとり口にしつつ、葵太は家の中に入っていった。
……環奈が実は重度のブラコンであることを葵太が知るのは、まだ随分先の話である。
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