好意がいつもありがたいものではない
「まあ、早めに戻るよ」
ナキは軽くそう言って扉をくぐる。
ユークリッドの隠れ家は入った場所からしか出られない。そうでもしないと次元の狭間に飛ばされる可能性が発生するらしい。隠れ家自体はどこかの次元の狭間にあるわけではなく、どこかの島にあるということだ。
ナキは消えかけた扉に不安げに視線を向けた。残したのは聖獣二匹にミリアである。間に挟まれるだろう白猫は大変であろう。
ナキとしては、まあ、がんばって。そう遠くから祈るくらいである。薄情な気もしたが、仕方ない。
気を取り直してナキは辺りを見回した。入った時とそれほど変わっているようには見えない。もちろん誰かがいることもなかった。
ナキはこのまま国境に向かい、帝国側に逗留する予定である。その二日後くらいに燈明が町にやってくる手はずだ。
聖獣という自由な生き物が人の話をどこまで聞いてくれるのか不安にもなるが、そこは主の方からなにか言われると信じたい。
「さてと真面目にやりますか」
まずは無事国境を越えられるか、というところだろうか。少しばかり懸念していることがある。
ミリアを見失った失態をどう対処したのか、ということだ。出来れば諦めて、忘れて欲しいのだがそれはないだろう。皇子からの指示なのだから、出来る限り遂行しようとするにちがいない。本人の無意識下での執着も加わるだろうからたちが悪い。
他国で自由に動けないのであれば、どうあっても帝国側に戻らねばならないナキを捕まえたいと考えそうだ。
それでミリアの行方がわかるとは期待していないであろうが、ある種の餌として確保しておく、なんてこともあり得る。
あるいはただの八つ当たり的に捕まる可能性も捨てがたい。
想像するだけでもげんなりする。振られたら黙って引き下がれ。などと思うのは関心を得られたものとしての傲慢だろうか。ナキはため息をついた。
その日のうちにナキは国境にたどり着いた。閉門直前に滑り込んだのは意図的ではある。泊まるところに困るより、暇な時に訪れて色々調べられる方が都合が悪い。
特に何か言われることもなく、出入国は出来た。それだけではなく、国境の町まではなにもなくなんだか肩すかしを食らったような気がした。
「なんか罠でもあるのかね」
ナキは呟いて顔をしかめた。白猫との旅暮らしが長すぎてうっかりいるつもりで言葉を口にしている時がある。
白猫ならば知らぬよとのんびりと言うことくらいで益もなさそうなのだが。
要するに相棒の不在が寂しいという事実に直面するはめになる。不本意である。
不気味なほど順調に町に入り、宿をとることもできた。異変は冒険者ギルドに入ろうとしたところで起きた。
「ちょ、ちょっと、まったっ!」
受付嬢がなぜか路地裏から出てきた。ギルドに入るちょっと手前。
そのまま腕をとられて引きずられそうになる。ナキはとっさのことに抵抗し損ねた。害意があればなにかしら反応できたのだが、まったく気配すら感じない。
「すみませんけど、静かに裏手に回ってもらいたいんですよ。非常事態なのでっ!」
声を潜めて、有無を言わせずに話すというのは特殊技術ではないだろうか。
ナキは遠い目をした。
たぶん、ろくな話をされない。
「わかった」
受付嬢がほっとしたように息をついたのが分かった。これは、待ち受けられていたようだ。こちらですと案内された先にいたのはこの町のギルド長だった。
強面が渋い顔でさらに凶悪になっている。案内された場所が訓練場だったのも相まって、いらぬ緊張感が漂う。
誰もいないがらんとした訓練場というのもナキは初めて見た。ここから人を出すよりも個室を用意したほうが良かったのではないだろうか。
「もう少し王国で遊んでいてもよかったんだぞ」
意訳すると戻ってくるなバカであろうか。ナキは表情を引きつらせた。よっぽどのことを言われているらしい。
ギルド長に面倒そうに訓練場の隅に置いてあった机と椅子に案内された。酒瓶がどんと置いてあるところをみると大荒れである。その瓶はすでに半分開いていた。
「あ、僕お茶で。飲むと使い物になんなくなるから」
「はい、ご用意します」
受付嬢がこれ幸いと訓練場を出ていった。怖いギルド長からの話など知りたくもないだろう。出来ればナキも聞きたくない。
「皇太子殿下から、直々にお誘いだ。個人的に雇いたいと。その後は、近衛にいれてもよい、だそうだ。出世だな」
「わぉ。そんな言われる理由わかんないんだけど」
双方、嫌な顔をしての応酬というのは壮大な無駄な気がする。腹の探り合いから始まらない分ましなのかもしれないが。
ギルド長は言葉を吟味するようにしばし黙った。
「俺もわからんよ。気に入った、らしい。ユークリッド将軍が一目置くのならば、価値はあるだろうと。白猫もその恋人もついてくるならさらに良い、と」
「僕を捕まえればお得な特典付き、みたいな扱い……」
ギルド長は苦笑いしながら、ショットグラスに酒を注いだ。ナキには勧めないらしい。それには安堵する。
「殿下本人は断ってもそれを気にしないたちだ。皇女殿下のご機嫌を取れればと言いだしたに過ぎないだろう。ナキ程度なら他にもいるだろうし、特別だとも思ってない。
問題は、周りだ」
ちびちびとやりながらギルド長が眉間にしわ寄せる。一気にやるかと思えば違うので、よほど強い酒らしい。甘く濃厚な香りに混じって強いアルコールの匂いはする。
ナキは匂いだけで酔いそうと顔をしかめた。
ギルド長という立場でそんな酒を持ち出すほど、嫌なことがあるか、あったらしい。
「近衛は実力よりは忠誠心で選ばれる。つまりは、皇帝の一族に逆らうことはない。その意向を無視するなどありえないと思っているし、他のものもそうすべきと考えている。
断ったら、説得するより前に断罪する」
「……えー。じゃあ、受ければいいわけ?」
「それはそれでな、普通の貴族でもない家の出でしかも冒険者などやっていたやつが、自分たちに混ざるのはプライドが許さない」
「なにそのめんどくさいやつ」
「さらにめんどくさいことに、将軍に気に入られたんだろ。なんだとあの野郎と心証最悪だ。むしろ断らせて、さっさと処分したい過激なのもいるようだ。あとは、侍女にも手を出してとかなんとか。あれ、本人だよな?」
「本人だよ。赤毛の娘さんが危ないって情報があって染めてもらった。
知らない間に恨み買ってる。俺、何もしてないんだけど。とりあえず、ギルドから断ってよ。殿下に直で断らせるとかないよね?」
「恐れ多いとかなんとか言葉を飾って伝えておく。ナキに任せると嫌だからとか言いだしそうだ。おお、いいところに戻ってきた。例のやつ」
「はい?」
受付嬢がちょうどよく、お茶をナキの前に置いた。気配が薄いどころかいつからそこにいたのかナキにはわからなかった。
さすがに驚いて彼女に視線を向ければ、にこりと笑うだけだった。
「では、こちらの書類に目を通してください。税金の処理はしておきました。手数料はサービスしておきます。こちらは現在まで預かっていた預金です。きちんとお返ししますね」
「は? え? な、なに!?」
「死んだり、行方不明になった場合の後処理をしたくない。先に全て済ませておけ」
つまりは、冒険者ギルドはナキが断った場合、そうなると踏んでいるということだ。
皇子本人というより、周りが許さない。心酔されるとここまでになるのか。ナキは少しだけあの無表情な皇子に同情する。
迂闊に好きだの言える環境に育ってない。欲しいものを欲しいといえば、相手の同意など必要もないと処理される立場というのはなかなかにしんどい気がした。ただ、自覚はなさそうではある。
それにしたって。とナキは思うが。
「そこ、説得するところじゃない?」
「おまえ、自分の大事なもの人に差し出すなんてできないだろ。遅かれ早かれ、反抗するしかなくなる。今、どっちも隠してきたんだったら、自分だけどうにかしろ」
「……いや、どうにかするけどさ」
「こっちが、見舞い金だ。少しは色がついてるぞ」
ナキは全くうれしくない。
おそらく、この場にいる人は誰も皇太子殿下からの申し出が嬉しくなかった。淡々と国外に出る手続きとギルドへの預かり金の受け取りの署名、一か月後の情報破棄への同意などをすすめる。
「そうそう。これは、餞別だ。他所ではもっとうまくやれよ」
さらっとナキに渡されたのは以前に使っていたスキルと鑑定で知ったであろうものだった。ご丁寧にスキルの発生条件などの付記もある。
「……うわぁ……」
「じゃあな」
ギルド長にバカにしたように一瞥され、ナキは机に突っ伏した。
「あのぅ。なんですかそれ」
「死ぬほど恥ずかしい黒歴史」
ナキには心配そうに言ってきた受付嬢に辛うじてそう答えた。精神的に潰しに来たんじゃないかと錯覚するほど致命傷である。




