白猫は傍観する
平和な昼下がり、白猫は毛繕いにいそしんでいた。リビングと位置付けられ場所には柔らかいクッションがある。大変素晴らしい。
相棒は俺、疲れたと部屋にさっさと引きこもり、ぽつり残された同居人(仮)は一通り中を見てくるとふらっといなくなった。
なにやら色々話をしている途中に少々不在にしたが、面白いことは起こらなかったようだ。
素知らぬ顔で部屋に戻った時にはミリアに白い目で見られたのだが気がつかなかった振りをした。忠告は忠告として言ったまで。
白猫が常にいるとは言ってはいない。
白猫としては数日もしないうちに所用で出かけるのだから、そこはお互いでなにか折り合いをつけてもらいたい。
そういえば、出かけるとは言っていなかったなと思い出したが、まあ、いいかと先送りにした。
今は念入りに毛繕いをしてやすみたいのである。
しかし、その気分を邪魔するかのように悲鳴が聞こえてきた。一瞬、聞こえなかったことにとも考えたが、様子を見に行くことにした。
なにやら楽しい予感がする。
「お約束のようなことをやるのぅ」
白猫が悲鳴を聞きつけてたどり着いた場所はお風呂だった。悲鳴の主は着衣のままずぶ濡れである。
赤毛からは水が滴り、ワンピースは肌に張り付いてその曲線がよくわかる。その手にはシャワーヘッドを持っていた。なんとなく白猫は事情を察した。これなんだろうと触っているうちに余計なことをしてしまったのだろう。
「こ、これなに!?」
「シャワーなんじゃが、まず水を止めるとよい」
水が飛び散る浴室に白猫は入りたくない。出来る限り距離を取り、ミリアに助言する。
「え、どこ!?」
「うむ。そのくるっと回すところなんじゃが」
「え。あ、これ」
「逆じゃのぅ」
再び悲鳴をあげる事態になったがなんとか水は止まったらしい。
「筒から水がぱしゃーって降ってきたのっ!」
ミリアがシャワーヘッドを持ってぶんぶん振っている様は、大変混乱していることを示している。
この世界にはまだシャワーというものはなかったかのうと白猫が遠い目をした。元々の持ち主が元の世界の仕様にこだわったのだろう。
「うむ。説明しなかったナキが悪いが……」
「ど、どうしたのっ! って」
タイミングが悪いのぅと白猫は胸の内で呟いた。
三度目の悲鳴が響く直前だった。
白猫はリビングと設定された部屋まで戻ってきた。幸い水には濡れていない。
「都合よく、バスローブなどあったものだのぅ」
「そこは、置いてあった風で即購入したよ」
ナキもさっさと退散していた。
ミリアはバスローブを服の上から着た後、部屋へ戻っていった。ナキは一瞬しか見ませんでしたよと言った風ですぐに背をむけていたが。
「……うん。なんか、得した気がする」
真面目そうな顔で言うような言葉ではない気がする。白猫はにゃあと返答をした。意味はない。
以前、人形を使ったときにも色々思い出して大変だったことを忘れたらしい。まあ、あれよりは刺激は弱いであろうが、次に顔をあわせるときに気まずくはないのだろうか。
「目、覚めちゃったし、お風呂でも試そうかな」
「我は入らぬぞ」
「はいはい。聖獣様はお綺麗で、いい匂いがしますからね」
ナキのからかうような口調に白猫は不快感を憶えるが反論はしない。主のように、はいはい、と首根っこを掴んで湯船に放り投げるような無体はしないのだから。
もちろん湯船の中には受け止めるものがいるので溺れはしないが、やはり焦る。
「一応、ミリアの様子見てきてくれると嬉しい」
「承知した」
それでもナキの気が変わる前にその前を去りたい。少々喰いぎみ返答をし、足早に去った。小さく笑う声が聞こえた気がしたがおそらく気のせいだ。
ミリアの部屋とされた場所の扉を叩く。白猫が名乗ると少し躊躇ったように返答があった。そのまま扉をすり抜けて中に入れば、彼女はすでに着替えを終えていた。
ただその様子は妙ではあった。
ベッドの縁に座っているのだが、こちらに視線を向けない。うむ? と思いながら近づいて顔をのぞき込む。
ぼんやりとしたというより虚ろな表情にびくりとした。
「ど、どうしたのであるか」
「忘れていたのよね。こんなの気持ち悪いんだったわ」
「にゃ?」
「これ」
ミリアが見せたのは左腕に残る火傷のあと。それは白猫も知っていた。同様に足にも残っている。
昔はひどかったのであろうと想像出来るが、今はもう薄く言われて気がつく程度であった。ただ、同様に小さな傷跡というものはミリアの体に刻まれている。
幼少期であろうが、なにかしらの過酷なものがあったのだと想像するに足るものだ。白猫はそれについて痛ましいとは思いはすれど、不快とは思わない。
「ナキは気にしないであろう。傷が気になるならもっと薄くなりそうな薬すら探そうとするのではないか?」
ミリアはそうかなと言いたげに首をかしげている。
おそらく相棒は憤るのではないだろうか。むしろ、誰がやったのか穏やかに聞き出した後、制裁をひっそり加えそうな予感すらする。
同等の報復してもよいと思わない? なんて、邪気のない邪悪な顔して。
「というか、脱ぐようなことをするつもりはあるのかのぅ?」
「そ、そそんなすぐとかじゃなくて」
「すぐとは言わないが、その気はあると。箱入りと思えば思いの外耳年増なのだの」
「ち、違う……。教育の一部……。むしろ、強制だったわ」
ミリアはがっくりと項垂れているが、首元まで赤い。
「うむ。なにも知らぬというよりはましであろう。気をつけるべきことが理解出来るなら。
意図せぬことで気まずくならぬようにな」
「……そうね。そういえば、理由を聞いてなかった」
「にゃ?」
白猫はどのことについでだろうと首をかしげる。ミリアが問うべきことは多いはずだ。ナキは己の事情などはほとんど口にしない。深く聞こうとすれば、のらりくらりと逃げるだろう。どうしてもと言われれば、困ったと言いながら逃亡を図るに違いない。
あれも面倒な男である。
察しているのか無意識なのかミリアは深く問うことはない。雑談で混じりそうなどこの生まれかなどと言うこともなかったように思う。ナキはこの地域の顔だちとはやはり違うので、聞かれることは多い。
ずっと遠くで帰れないなどと言っているせいで、訳あって流浪しているいいとこの生まれ説が密やかに囁かれている。本人は知らない。
「ま、まあ、そのうちでいいわね」
自分を無理矢理納得させるようにミリアは口に出していた。動揺が隠しきれていないところを見ればナキについてのなにかであることは明白である。
ミリアも他のことはだいぶ冷静に処理しているようなのだが、ナキだけが例外である。
「ミリアも難儀だのぅ。まあ、しばらくは休むとよかろう。この避難所もしばし借り受けられるそうであるからな」
「これってどういうものなの? 説明してもらってないけど」
「ナキがその気になったときに教えるであろう。今のところは特別マジックアイテムとでも思ってスルーした方が良い」
「ユークリッド様もすごくワケありなのね……」
「うむ。あれのほうが大変に大変であったと聞く。我はあまり付き合いはないので詳細は不明ではあるが大暴れしたとか」
白猫は控えめに証言した。西方のお方が爆笑して話を聞いていたということは知っている。同僚の聖獣がこき使われたと嘆いていたのもわかっている。
異界からの客人はやはりちょっとやり過ぎる。
そのやり過ぎたユークリッドの遺産を処理する依頼をナキは受けている。異界からの客人も死ぬ。ユークリッドも死後の処理に困るようなものについて考え出すような年頃になったということだろう。
残処理を守護者に任せるでもなく同郷のものへゆだねるところは人らしいところとも思う。
白猫としては西方のお方に新しいおもちゃを与えなくてよかったと安堵していることである。
「さて、ミリアよ。この隠れ家の探検でも行こうかのぅ。それなりには説明は出来ると思うのでな。触らぬ方が良いことくらいは忠告出来よう」
「うっ。それはごめんなさい」
「あとでナキにも言う必要は、ないか。うむ。ないな。得したとかなんとか言っておった」
「え」
「下心もあるので気をつけるように」
「え、ええっ!?」
白猫は先に部屋を出た。慌てたようなミリアの様子を不思議に思いはしたが、自身の失言には気がついていない。
あとで恨み言を言われることになるとは思ってもない。
白猫は気ままなのである。




