失言
色々な兼ね合いもあったのか皇女は実質三日ほどこの町に逗留した。王国側の迎えがきちんと国境の町についたことを知らせる伝令を待っていたらしい。
町と砦、両方に知らせが届き、その翌日に砦から町に降りてきた。早朝から活動のため、皆が眠そうではあったが否はなかった。
町に戻り、それぞれ住処に戻り、準備を行い昼前には出立と慌ただしすぎる行程であった。
ナキは仮の住処を引き払うことにしていた。今後の予定については全く予測が付かない。ミリアはすでに部屋を引き払い仕事の予定を白紙に戻している。
白猫情報によればお仕着せを着て、もうずっと侍女やってますけどなにか、という顔をして皇女の側にいるらしい。
今日戻ることは白猫に伝えてあるが、ナキの顔を見に来るかは不明である。
それでもナキは仮の住処について、つい、隣の部屋を覗いてしまった。鍵はかかっていない。
住人の気配も残っていなかった。残り香すらない。
「重傷だなぁ」
思わず独り言が零れた。
たかが数日、顔を会わせなかったくらいで寂しい。少し照れたように名を呼ぶ声が聞きたい。
底なし沼のようにド嵌りしている。
自覚はあるんだよ、自覚は。心の中で呟きナキは重いため息をついた。最良を目指すはずが、最悪を望むような矛盾に揺れる。
離れたら少しは頭も冷えるかと思ったら悪化するなど悪夢としか思えない。
誰もいない部屋を閉じて、自分の部屋に戻る。元々荷物は少ない。持ち歩ける分しか持たない用に気をつけている。チートで買った容量拡張版のポーチと普通の背負い袋一つ分。
内容量無制限の異次元倉庫には憧れるが、そのお値段はお財布には優しくない。
そちらは死んだらロストするというのも良くない。ポーチは現実にモノとして存在しているためか、死んでも残る。代わりに穴があいたら中身が零れて落ちてくる、らしい。
忘れ物がないか点検し、部屋を出るばかりになった時、扉を軽く叩く音が聞こえた。
そんな相手など一人しかいない。
「どうぞ」
「お帰りなさい」
視線を向ければ半分だけ開けた扉からミリアの姿が見えた。今日は赤毛ではない。艶やかな茶色の髪は結い上げられていた。紺のワンピースは踝までの長さがあり、袖も長い。胸元もきっちり隠され露出していない。
生真面目な表情でいればとてもお堅い侍女といったところだろう。
確かに、ずっと侍女ですが、なにか、とでも言い出しそうな変装ではある。
「変?」
「そういうのも似合うなと思って。ただいま」
ナキはどう言うか迷ったあげくに無難なことを言った。しかし、それでもミリアは嬉しそうにはにかんだ笑みを溢す。そのまま彼女は部屋に入って、ぱたんと扉を閉じた。
あ、ダメだ、これ。
ナキはうっかり、手を伸ばしそうになって慌てて背後に隠した。密室、2人きりで抱き寄せるなどと理性がどこかにいってしまいそうになる。白猫の姿はどこにもないのは、意図的なのだろうかとうっすら思う。
「クリス様は?」
「姫様のところ。朝からブラシをかけられてご機嫌だったわ。
すぐに出るって聞いたけど、本当?」
「本当。人使いが荒いってより人のコト考えてないんじゃない?」
「自分が優秀であるという認識はあまりなさそうだから、他の人もこれくらい頑張れば出来ると思ってるのではないかしら?」
「迷惑」
確かにまあ、優秀でありカリスマもあるのであろうなぁと思ったのだが。
色々な者の予想は外れ、砦ではなにもなかった。多少、実力測定をされたが穏便に済んだほうだろう。
特に得るべき情報もなく、皇子様がミリアの件以外ではまともで優秀であることがわかったくらいだ。
規律を重んじすぎるところはあるようだが、一律に自他共に厳しい。余裕のなさと見るべきか芯が通ったと思うべきかは人によるだろう。
柔らかさがないため、いつか折れそうだなとナキは思う。
全く笑わない美貌は、ミリアルドのために笑ったのだろうかとふと気になった。彼女はどんな顔をして返したのだろうか。
つまらない感傷だとナキは苦笑した。
介入の方法を間違えたのではないかと過ぎるのは、どれを選んでも同じだろう。長くミリアが生きるのは、この選択しかなかった。
思ったよりも彼女は頑固であるし、祖国を裏切るかもしれないということに怯えてもいたように思う。
本人は否定するであろうが、時間をかければミリアは皇子に絆されていただろう。彼女は愛されることになれていない。ナキがかける言葉程度であの反応では、溺愛されたらすぐに落ちる。
そして、その自分を嫌悪しそうな雰囲気がした。
嫌いと言うより、好きになりたくなかった。そっちの方が近いような気がする。
ナキに対して警戒が薄いのは利害関係が薄いせいだろう。あるいは、信用せねば生活すら危ういと思っているからか。聖獣様の効果もあるに違いない。
状況が違えば、見向きもされない自信がナキにはある。遠くから綺麗な人だなぁと思うのがせいぜいで生きている世界が違う。
「どうしたの?」
「なんでもない。さて、僕もそろそろ出るよ。清算もしないとね」
ナキがそう言ってもミリアは扉の前を動かなかった。じっとナキを見上げ、迷ったように切り出す。
「ずっと考えていたの。私はなにを返せばいいのかしら?」
「んー? そうだなぁ。ちょっと片付いたら、慰謝料の取り立てでもいこうか。それで、搾り取って半分こ、ってところでどう?」
あくまで軽く言葉を投げる。お金は大事だ。ナキだけでなく、ミリアにとっても重要だろう。今後の生活がかかっている。
少しはその気になってくれると助かるのだが。
「ナキは、どうするの?」
「どっか土地でも買って、のんびり暮らしたい、かな。少し落ち着いて生活したい」
「そう」
「ミリアはゆっくり考えればいいよ」
「ううん。決めたから大丈夫」
「へ?」
にこりと笑ったミリアになぜかぞわりとした。表面上は可愛らしいそれが、大変好戦的な表情に見えた。だからと言って感情を押し殺したようなミリアルドの顔でもなかった。
嬉しそうで楽しそうで、なぜか物騒。
ナキが、ああ、なにかこういうモンスターいたかもーと現実逃避している間に彼女は決意を固めてしまったようだ。
「がんばる」
「な、なにをっ!?」
「この方面なら多少は出来る子だったんだから」
ナキを混乱の渦にたたき落としておきながら、ミリアは全く説明しなかった。
くるりと向きを変え、扉を開けている。
「じゃあ、またあとでね」
上機嫌のミリアをナキは見送った。足取りがとても軽い。
「……失言した気がする。ものすごい、まずかった気がする」
え、慰謝料取りたかったの? そうなの? いや、違う気がする。
なぜそんなにやる気があるのか、わからない。
ナキは途方に暮れて、近くの椅子に腰を下ろした。疲労が一気に押し寄せてきた気がしている。
「うむ? うちひしがれているがどうした」
「慰謝料だの家の話をしたら、ミリアがものすごい乗り気になった……」
相変わらず神出鬼没の白猫にナキは答えた。
「……ああ、そうであろうなぁ」
「なんで」
「ナキが、定住を嫌がっていると思っているようだったからのぅ。遠からず別れるくらい想定はしていたのではないか?
それがどこかに落ち着きたいというのであれば、その側にいれる可能性が高いであろう? 張り切って準備するであろうなぁ」
呆れたような白猫の声が不吉なことを言っている。
「なんか、それ、俺の事、すごく好きみたいだけど」
ナキはちがうよねぇと一縷の希望をもって問い返した。かなり本気で入れ込んでいるように聞こえる。
気の迷いとか後々、冷めるとかそう言う話ではないような雰囲気さえ感じた。
「窮地を助けてもらって、見返りも要求されず、その後の世話をしてくれ、下心が見えもしない。その上、優しく甘やかして恋人のように振る舞われて、惚れるなというのは無理なのでは? それに傷心で落ち込んでいる最中も加わるか。」
「……そーゆーつもりはない。というか下心くらいある」
誰の話だと言いたくなるが、内心はともかく事実だけであればそうだ。好かれたいとかあわよくばなどとぐらぐらに揺れているところが行動に出ている。
もう少し、お仕事として請け負うくらいの距離感があれば良かった。最大の誤算はミリアが全く、同年代の男というものに慣れていないということだろう。
婚約者居たって言うから多少はあしらえるなどと思っていたが、違った。お店の給仕ですらもうちょっとうまくいなすだろうに。
この状況はナキの完全なる自爆とも言える。
「責任を取れば良いのではないか?」
「どうやって。俺、ただの冒険者だし、連れて行くの無理なのわかってるじゃないか」
「だから、ミリアは一度も連れて行って欲しいなどと言ってはいないであろう?
それが定住する気があるというなら、ミリアは頑張るのでは?」
「そ、そう。失言だったなぁ……。
それにしても助けて惚れるってイケメンに限る、ってのじゃないか」
「人の美醜はわからんが、娘さんがたによれば、どこか異国風なところがよい、切れ長の目が素敵、屈託なく笑うところにきゅんとくる、だそうだ」
「……は?」
「意外にモテモテだぞ。下ネタ言わない、下品じゃない、お触りしてこないというのも高ポイントだそうだ」
「……なんか、やけにお姉さん方が愛想が良かった理由が今わかった」
それから一部野郎に目の敵にされている理由も。付き合いのない相手に睨まれても困惑するだけであったが、その男の気に入りの子に気に入られていたのかもしれない。
全く、想定していない。
ナキの外見も態度も元の世界なら普通だ。それを意識しろと言うのは難しい。そして、馴染んできたつもりでもまだまだ異質であることを痛感する。
だからといって態度を改めるかと言われると改めないのだが。承知しているのとしていないのでは差がある。
「難点は鈍いってところとも言われておったな。ミリアが町に来たときにはちょっと揉めたんじゃが……」
「それ、聞いてない」
「口止めされていてな。簡単に言えば、皆に一律優しい態度の男に恋人だと名乗る女が追いかけてきたのだから少々、査定は入るであろう?」
「……なにそれ」
「みんなに優しいのに自分だけと思い込んでいるとでも思われたようだ。まあ、余裕の態度で相手をしていたが知らん方が良い」
「そうする。色々衝撃すぎて、処理しきれないんだけど」
白猫はにゃあと楽しげに笑って、去って行った。今後、ミリアと顔を会わせづらい。
今更撤回もできなかった。
「責任、ねぇ」
まあ、クリス様の判定ではあるしあてにはならないかと思い込むことにした。ナキにとっては仕事に支障がでるどころか日常に困るような話だ。
先の話は今のことが片付いてからだ。




