内緒の話
ルー皇女は特に隠すでもなく、帝国の内情についてミリアに教えてくれた。
帝国としてはミリアの生死については言及せず、連れてきてしまったことに対する詫びとしてルー皇女をいずれかの王族の婚約者にしても良いと提示する予定であること。
詳細については、同行する宰相の部下が詰める予定だが、否という気はないだろうと想定されている。
婚姻について言及されないのは、場合によりいずれ破談にして違約金を払うほうが双方好ましい場合があるからだ。
帝国はミリアルドという損失に対して、持参金、あるいは違約金を払う気はある。随分と譲歩しているようだ。
これには数年内に皇位を譲るという前提があって国内の安定を図ることを優先するためらしい。
通常、ここまでのことを皇女に話すことはないようなのだが、彼女の母親が納得しなかったらしい。
元聖女には皇帝も否とは言えないようだ。
「それで、姉様はどうだったんです?」
「私は当事者ではあったけれど、流されてここまで来たようなものよ。
両陛下が不在時を狙ってのお茶会、そこでの婚約破棄、それから皇太子に求婚されるまで流れるように進んだわね」
「兄様の求婚はなぜ拒否されましたの?」
「両陛下不在時の婚約破棄は認められない。婚約中の身の上で他の男の求婚に応じることはない。ということよ。後日、改めて国を通して話がついたら、どうかわからないわ」
「……姉様が本物の姉様になる可能性もあったのですか」
ミリアは曖昧に笑って誤魔化した。
おそらく、断る。それくらいなら修道院にいくと言うだろう。好みではないし、やはり機密事項が多すぎる。それを知られたら、皇太子は利用せずにはいられないだろう。
そして、あなたのために、あなたを傷つけた者を滅ぼしてきたよと言いそうな気すらする。
「それで、連れて来られてなぜ死んだことに? そこは誰も教えてくれないのですけど」
「監禁されて逃げるのも無理と思ってたところにクリス様に助けられてここにいるわ」
ルー皇女には途中をかなり省略して説明した。ナキについては説明にも入れたくない。
あれこれ言われるのは目に見えている。これについては自分でも説明できないのだ。
先ほどから黙って毛繕いをしていた白猫が首をかしげるような仕草をしたのが、視界に入る。ミリアはなにか嫌な予感を憶えた。
「うむ? 我、1人ではないが」
「……姉様?」
「男の人に助けてもらったとか言えば邪推するじゃない」
ルー皇女から問いただすような圧さえ感じたというのは、少々の後ろめたさからだろうか。
ミリアはそっと視線を逸らしていいわけを口にする。
「意に沿わぬ求婚から助けてもらうというのは、物語だけかと思ってました」
「そ、そうね」
ミリアはそんな風に考えてはいなかった。指摘されたそれに頬が熱くなる。
ルー皇女が面白げに見ていることに気がつき、小さく咳払いをした。
「ふぅむ。姉様は、長年の婚約者に婚約破棄されて、好都合とばかりに意に沿わぬ相手に押しつけられて、その求婚を拒否して監禁、そして、見ず知らずの相手に助けられたと」
「……そう言うと別人の出来事みたいね」
事実としては合っているがなにかもっとぐだぐだな出来事の連続だ。誰も彼もが一時的な恋情に右往左往していた。
いつもならあるはずの冷静さを投げ捨てたようなそれは、操りやすかっただろう。
今はその中には自分も含まれるのであろうなとミリアは自嘲する。この気持ちをどう扱っていいのか少しもわからない。どうにか押さえつけているのが精一杯で、それでも、少しばかり零れてしまう。それが困惑したような顔をされてしまう。
過去の自分が見たら馬鹿じゃないかと言い出しそうだ。
「その方にお会いしてみたいですわね」
「会えると思うわ。護衛に選ばれたと言ってたもの」
「では、楽しみにしておきますけど。どのような方なのですか?」
「このあたりの顔だちとは違うからすぐにわかるわ。冒険者という印象からも遠い穏やかそうな人よ。少し、変わっているけど」
少し、で済むかというのはわからない。わざわざ危険を冒してまで、ミリアに構う必要はないはずなのだ。
助けてもらったことだってお願いであって、依頼という形ではない。
いつか一目惚れなどと言っていたがそれだけでここまでするとは思えない。もし、そうだとしたらもっとなにかを求められそうだと思うのに。
極めて慎重にそれを避けているように思えた。
「少し変わってるだけで、姉様を助けたり、色々したりしないと思うのですけどね。
……ということは、姉様、1人でここに留まるのですか?」
「そうなるわね。クリス様がいるから大丈夫?」
ここに来るまでミリアはナキの数日の不在くらいは何とかなると思っていた。皇太子がここにいるというなら、少しも安全な気がしない。
白猫もすこしばかり困っているようではある。
ナキは知っているのだろうか。思えば、あの急な呼び出しなどやりそうなのは皇太子以外いない。思いついても実行出来るほどの権力は必要になるからだ。
いくら冒険者ギルドでも次期皇帝の命に逆らえるものではないだろう。公的な機関である以上、表面上は従うしかない。
「あまり自信はないのぅ。できれば、一緒に移動してもらいたいところだ」
「そうだ。姉様、侍女しません? 兄様が同行するって決まった時点で、侍女たちを排除されてしまって」
「……なにそれ」
「そうですよね……。でも、揉めるんです。ほら、兄様のお世話したいとか気に入られたいとか一時でも情けをとか。私の世話そっちのけで、揉めるんです。いっそいない方が清々するんですが、さすがに野営を数日経て向こうの国に入るとなると身繕いに不安があって。変装道具とか色々持ってきたので、それで化けてみてはどうですか?」
「変装道具?」
「ええ、母様が色々見ておいでって用意してくれました」
自信たっぷりに言うルー皇女は可愛いが、言っていることがおかしい。ミリアは少々頭が痛い気がしてきた。
彼女の母については大人しいという印象しか持っていなかったが、実体は違ったのかもしれない。
待遇が良いからと後宮に移動するような聖女が大人しいわけもなかったのだろう。たぶん。
白猫が呆れたというようにみゃうと鳴く。
「え。今も、色々お出かけしてますよ。父様にも呆れられてますけど、その情報は重宝しているようですし」
先ほどのみゃうは白猫はルー皇女にひっそり話しをしたらしい。彼女はどこがおかしいのかわからないと言った風ではある。
後宮に住んでいる元聖女、かつ皇帝の妃の1人がふらついて良いわけがない。それこそ宝石のように優しく包まれて仕舞われておくものではないのだろうか。
この様子では、ルー皇女本人もどこか1人でお出かけしていてもおかしくはない。
ミリアはそんなお忍びでのお出かけをしたことはない。そんな暇はなかった。その自由さを少しばかり羨ましく思う。
「我もナキとあまり離れるのは良くないと思う。別々に何かあれば、ナキを優先するがおそらくそれは嫌がるであろうからな」
「相談したいけど、戻ってくるかしら」
「うむ。話はしておこう」
白猫は軽く請け負った。
ミリアとしては同行したほうが安心出来る。皇太子の目に留まる可能性が高くとも、それはこの町に残っても同じだ。
それならば偽装でもして、皇女の庇護下にいた方がましではある。その上、側にナキも白猫もいるならそちらのほうが安全だろう。
また借りが増えるとミリアは思うが、今は仕方ない。どのような形で返済をするにしても落ち着いてからのことだ。
「色よいお返事待ってます。クリス様を寄越してもらえば、きちんとわがままを言いますので」
ルー皇女はにこにことそう言った。
この旅程の責任者は大変だなとミリアは密かに同情した。王族2人を抱えての失敗出来ない任務など、胃が痛いどころではないのではないか。
どちらも自分の主張の通し方を知っているだけに手こずりそうだ。
「さて、王国の様子について教えていただけるとうれしいのですけど。私の旦那様候補ってどんな方ですの?」
ルー皇女は身を乗り出してそれを聞いてきた。
「そうね……」
ひとしきり候補について話をしていたはずが、好みの異性についての話に盛大に脱線し、外で待つ守り役が焦れて扉を叩くまでそれは続いた。
白猫は呆れたようにテーブルの上で丸まって寝ていた。




