一方その頃 王国では 2
いったい何のご用かしら?
エリゼは笑みを絶やさないが、心の中で呟いた。自室にいたところを父親に屋敷内の書斎に呼び出されたのだが、用件を切り出しはしない。
書斎というより書庫というほどに本だけがぎっしり詰め込まれた陰気な部屋。
本の保護という話で窓は小さく、それも厚いカーテンが閉められていることが多かった。
苛立ったように室内を歩くのは父の癖だ。考えごとをしているときにそれをしている。
エリゼはそろそろ座っても良いだろうかと思い始めた。父の前では、なにをするにも許可がいる。言われぬ事をすれば叱責が飛んでくる。例外は、母ぐらいだろうか。
母は言われずとも書斎に置かれた椅子の一つの優雅に座っている。
「どうなさいましたの?」
おろおろとしている母は役に立つことはない。おっとりと穏やかに見えるが嫉妬深く、隠しているが娘ですら近寄ることを嫌がっている。
そこまで執着する夫が外にも女を作っていることを母は知っているのだろうか。
甘い蜜色の髪はエリゼと同じ。緩やかに波打つそれに白いものが混じり老いを感じさせる。年頃の娘を持ちながら姉妹かと言われるほどに若々しい母もいつまでもそうではない。ならば、新しい若い娘が良くなるということもあるのだろう。
エリゼは、知りたくもないのに自称親切な人たちが教えてくれた。父ももう少しうまく隠せば良いのに。
だから、エリゼは、他の誰も選ばない人が良かったのだ。わたし一人で良いと言う人が。
シリル殿下は約束してくれた。
他に誰もいらないと。一人だけの妻にしてくれると。
どうなさっているかしら。エリゼは少しの不安がある。自宅に閉じ込められて一月近くたつ。愛しい殿下に会う事も出来ず、手紙を送っても返事は来ない。
同じように閉じ込められているのではないだろうか。寂しがっているのではないだろうかと。
「帝国の皇女殿下との見合いがあるそうだ。今回の訪問は非公式ではあるが、外へ出さぬと思われていた方を王家が逃すとは思えぬ。
殿下の相手としては年が離れているが、政略結婚ならあり得る」
「なぜですの?」
エリゼは首をかしげた。エリゼとの婚姻は既に決まっている。これだけは渋い顔で父が知らせてくれたことだ。
姉を妹に変える程度ならば、そんなに問題は無いだろうがここまで整ったことを破棄するのは難しいのではないだろうか。
「エリゼにも帝国が大きいことはわかるだろ? その帝国の姫が嫁いでおきながら、その夫が王ではないということは大きな問題となるだろう」
「なぜですの?」
「侵略されるような隙は無い方が良いのだよ。おまえには難しすぎただろうかね。
まあ、殿下をお助けすることは変わりない。婚姻は延期になるであろうな」
「そう」
わたしは、殿下がいればそれでよいのですけど。エリゼはそう心の中で呟く。別に、王位にも王妃にも興味はない。ただ、シリル殿下の唯一になりたかった。
エリゼとて姉がいなくなれば王位は難しいであろうことは知っていた。口さがないものたちが、言うのだ。楽に暮らしてきたければ、愛されたければ、ミリアルドの邪魔をしてはいけないよ、と。
エリゼとてシリル殿下の望みは王になることならばと我慢しようとしたのだ。
しかし、唯一になれる誘惑は抗いがたかった。姉は知らないうちに敵を多く作ってもいたらしい。排除するための手伝いは思いの外多かった。
「延期になるなら新しいドレスを作りましょう。あの子のお下がりなんて嫌だわ」
「リセ、そういう話ではないのだよ。
それで気が晴れるなら、良いのだが」
「ありがとう、お父様」
エリゼはにこりと笑った。
「殿下には、いつお会いできますの?」
「執務が忙しくて、時間が取れそうにないよ。陛下にお伺いをしてみよう。おまえが城に上がる方が良いだろうから」
「うれしい! 父様、大好き」
屋敷に籠もっているのも色々働きかけるには不便だった。エリゼは思わず、父に抱きつく。それをきつい目で睨んでくる母にも気がついていた。
少し嬉しげな父を見て、エリゼは微笑んだ。今、欲しいものは父に機嫌良くいてもらわねば困るのだから。
母様の小言は仕方ない。でも、理不尽だ。
だって、欲しいものはどうあっても手に入れろと教えたのは母だ。
妻となるために排除したものをエリゼだって知っている。皆がなにも知らないように思っているが、エリゼは色々な事を知っていて、知らないように笑うことしていた。
賢しい振りをして、利用されるのはごめんだ。要領の悪い姉のような目にはあいたくない。
「早く殿下にお会いしたいわ」
心変わりなどないと思うけれど、殿方というのは気まぐれだ。絶対などと言うことはない。今は良くても、長い年月の末に変わってしまうことも。
母のようにはなりたくはない。
エリゼは次はどうすべきか、考えていた。
「母様、ちょっといい?」
そう言って、レベッカの執務室にウィルが尋ねてきたのは昼過ぎのことだった。
なんとなく元気がない息子に椅子を勧め、侍女にお茶の用意を頼む。きりはよくないが、朝から根を詰めすぎていた。少々の休憩は良いだろう。
「猫がいない、ですって?」
「そうです」
しょげていた息子に聞けば、そんな理由が返ってきた。朝、起きたらいなかったのだそうだ。
数日前に息子が連れて来た白い猫。誰の飼い猫でもなかったようだ。そのわりに人懐こく誰にでも愛想がよい。
レベッカの知る猫というのは、警戒心が高いものだがそんなものどこにもなかった。
可愛らしいことを熟知しているような振る舞いに少々いらっとしたのだが、ウィルが気に入ったのならばと好きにさせていた。
その結果、白猫と一緒に寝ていたらしい。しかし、白い毛が抜けて大変と侍女から苦情があったため、一緒に寝ることを禁止し、専用の寝床を用意させた。それが昨日のことだったような気はする。
いや、一昨日だっただろうか?
レベッカはここ数日の記憶が怪しいと少し反省する。少々、忙しかったのだ。寝不足が堪える年頃ということだろう。認めたくないが。
その多忙は予想外の手を帝国が打ってきたことが起因している。
あの帝国が、俺は悪くない、以外の返答をしてくるとは思わなかった。
うちも悪いところがあったから、内々で話をしたい。その隠れ蓑として皇女の非公式の見合いを用意した。
要約するとそんな文書が送りつけられた。
御年12才のルー皇女。ミリアルドと交友関係もあり、手紙を送り合う仲であった。聡明と聞くが、年相応におてんばなところもあるらしい。生まれが少々特殊なため、国外に出されることはないと思っていた。
そのため、婿として息子を送り込めないかと思ってもいたのだ。
それが、相手からやってくるとは思わなかった。
ウィルは今、15才。年頃はちょうど良いだろう。王太子である弟は22と少し離れすぎていた。妹の子であるゼルは13、ジェイは10とこちらも近いのが頭が痛い。多少の年齢差は年下でも良しとされている。
相手も本気で見合いさせる気はないだろうが、せっかく来たのならば誰かを気に入ってもらいたい。
それも自分の息子を、だ。
「母様、さがしていい?」
おずおずと尋ねられて、レベッカは物思いから戻る。
「そうね。良いのだけど、白猫は西方の方の使いなんて言われているから見つからないかも」
「西方の方?」
「そう。白き聖獣を従えた魔を払う、人の世の守護者。
確か習っているはずだけど」
「え。ええと」
ウィルは遠い目をした。この子もあまり王に向いてそうにないのよね。レベッカはため息をついた。父親に似たのか、どちらかと言えば体を動かす方を好む。
一番向いているというのは、おそらくゼルだろう。柔和な笑顔で騙されがちだが、観察している目はとても冷静だ。
ただ、既に候補を降りている。
返す返すもミリアルドがいないことが問題だ。十年もかけて教育して、ようやく引き継げると思ったものすら戻ってきている。
成果のみかすめ取られた。あるいは失われた。未だにどうなっているのかわからない。
国境は閉鎖に近い状況だが、魔物の大量発生の調査でといわれれば無理に推し通るわけにもいかない。
敵対でなければ良いとレベッカは思う。
ミリアルドと同じになることは時間をかけてもエリゼには無理だろう。
馬鹿だからということではない。彼女は見た目のはかなさとは裏腹に、強かで合理的だ。ただ、彼女の価値観は国を支えるのには向いていない。それだけだ。レベッカから見れば、シリルのどこが良かったのだろうか、と思ってしまう。
弟というだけで点が辛くなるのは悪いと思うが。
陛下にはあと十年は頑張ってもらわないと困るわね。
近頃、白髪のめっきり増えた父を思い出してレベッカは苦笑する。この婚約破棄騒動を聞いてさらに老け込んだ気がする。母はそのまま卒倒して、現在も寝込んでいるらしい。
彼女は娘かというほどにミリアルドを気に入っていた。愛憎半ばといったところもあったらしい。恋敵の娘を養育するというのはいったいどういう心境の変化であったのだろうか。
夫とは政略結婚で特に問題なく婚姻したレベッカにはよくわからない。嫌じゃないからいいじゃないというと絶句される。
この息子も政略結婚をすることになるだろう。嫌だとごねたりするのであろうか?
ウィルは叱られるかなと上目遣いで見てくるのがあざとい。なにかやましいことがあるのだろう。
これはしばらく、猫と遊んで勉強を放り投げていたなと察する。
「帝国のことは復習した?」
「したけど、ほんとに来るの? お姫様。ちゃんとお姫様?」
「……そのちゃんとお姫様ってどういうこと?」
「物語に出てくるみたいな、可愛い感じ?」
首をかしげてウィルは述べた。
レベッカは崩れ落ちそうなくらいの衝撃を受ける。
「母様も一応、お姫様だったのだけど」
「うん。知ってる。昔の絵は可愛かった」
他意がないと思いたい。ウィルに引きつりそうな笑顔でレベッカは礼を言う。他の誰かが言った場合、取り乱す自信がある。
母としての矜持がどうにか喚きだしそうな気持ちを抑えつける。
「ジュリア叔母さんのほうが、可憐」
「……叔母さんって言ったら怒られるわよ」
「気をつける」
レベッカは本気で心配になってきた。この失言の嵐に息子は気がついていない。男ばっかりのところで育て過ぎただろうか。下の子が妹というより弟なのも問題がある。
どこかで淑女の扱い方を叩き込まねば。
「じゃ、母様、猫探しに行ってくる」
「気をつけてね」
侍女にそつなくお茶おいしかったと話をしていくところは、ちゃんとしているのだが。
レベッカはやることリストの上位に付け加えた。付け焼き刃でもないよりましだ。護衛の問題が片付いたと思えばすぐに別の問題がやってくる。
頭が痛いことだらけだ。
レベッカはため息をついてやるべき事に注力することにした。




