地面の下から初めまして。1
1人と一匹となって半年。ナキは国境近くの砦までやってきた。
残念ながら、そこからなにか覚醒するでもなく、のんびり流れ流れてこんなところまで。といのが感想である。
なにか目立ったトラブルもなく、商隊の護衛や店の用心棒などで小銭を稼ぎはとてもうまくいった。
ナキの暗い茶色の髪は目立つわけでもなく、眼が細いせいかなんだか柔和な印象を相手に与えるらしい。ほどほどに腕が立って、威圧的ではないということは日常を一緒にするような仕事には向いていたようだ。
雑用も断るでもなく、場合により率先してやっていたのだから文句のつけようもなかったのだろう。
一緒にいた愛らしい猫の存在も一役買っていた。
定住しないか、一緒に旅をしないかとお誘いは受けたがナキはやんわりと断った。
「流れ流れて、国の果て。でも、出られないとか意味わからん」
などと呟いても、事実はなくならない。
「にゃう」
相棒の合いの手も心なしか力がない。国外に出ようと思ったら、想定以上に難しかった。もはや国境閉鎖くらいの勢いで、出入りが制限されている。
それはこの半月くらいの出来事らしい。
きな臭い、という話ではない。
ナキが麓の町で小遣い稼ぎをしながら、国境閉鎖が解かれるのを待っていたら高額バイトの依頼が来た。冒険者ギルドからのお達しである。拒否権はない。
ナキにとっては砦の兵士相手のお店のお姉ちゃんたちとの楽しい日々もさらばであった。
猫もそれは不満であったらしい。飼い猫になる! と言い出しかねない相棒を連れてこの砦にやってきたのは昨日のこと。
「なぁにがあるんだろうなぁ」
今は食後の腹ごなしと言って、建物を出て外周を回っている途中であった。当たり前の顔で、その横を白猫が歩いている。
砦は質実剛健な石造りの建物と数十メートル程度の距離を置いて外壁で構成されていた。
その外は森か崖か、険しい山。
誰がどこから攻めてくるのか謎だ。あるいは攻めてこられたときの補給基地とでもしていたのだろうか。
裏では野菜を作っている。わき水が出ると言っていたから飲料も問題ない。その気になれば籠城くらい容易い。
街道沿いといえば、確かにそうだしなぁ。
今は人手が足りないのか雑草が生い茂っているところがあるが、それ以外は驚くほど綺麗に整っている。
国の外れならば気の緩みもあっても良い気がするし、色々な監視なんてなさそうに思えるのだが。
「規律正しい、品行方正なのしかいないのがほんと、きな臭い」
「にゃ、にゃーっ!」
そのくせ、巡回の兵士はいない。
砦の外だけではなくその中の巡回としてナキのような国を抜け損ねた傭兵や冒険者が雇われている。金払いはいいが、期間が終わるまでは麓に降りない約束だ。
それも、麓の町で見た名のある者たちには声がかかっていないようだ。彼らにとってははした金だからという話もあるが、そもそも話が無いのではないかとナキは思う。
それにいるはずの正規の兵士たちはどこに消えたのか。厨房のおばちゃ、お姉様方の話によればどこかに出かけて2,3日に一度交代しているようではある。
ナキの感想はやっばいなぁ、であった。
使い捨て、などと良くない言葉を連想したのは、ナキが心配性だからだろう。この世界は、あっさりと命を捨てる。
平等などあり得ない。黒も人によっては真っ白になる。
なにか、始めるか、もう既に始まっている。
予兆は一週前に通り抜けたという噂の馬車だろうか。夜間に町を通り抜け、砦へ向かったという。
夜の物音は思うよりも響き、この町は兵士向けの歓楽街が繁盛している。隠すなら、昼間にのんびりと抜ける方が良かった。
人目を避けるよりも速度を重んじたか、そもそもそこに考えが及ばなかったのか。その謎の馬車の話は、密やかに広がっていた。
不吉ななにかの象徴のように。
「さっさと国境抜けとけば良かった。文書偽造くらいちゃっちゃっと」
「にゃあ」
猫は咎めるように鳴く。
「んー。今更遅いよね。なに? 飼い猫で暮らしたかった? いやそれは何年も子猫とか不気味過ぎない?」
「にゃっ!」
「うん。かわいいは正義だけどね」
ナキはご機嫌とりのように言いながら、辺りを見回す。
とりたてておかしいとは思わないが、なにか違和感があった気がする。視界にちらっと白いものが見えた。地面になにか落ちている?
「極力問題には首はつっこまないようにするけど……。ひぃっ!」
3歩近づいて気がついた。
「にゃ?」
「手。手が生えてるっ!」
砦の建物と地面の隙間。
白魚のような、嫋やかな手が落ちていた。
手袋ではないことを証明するようにひらりと動く。
ナキは悲鳴をかろうじて飲み込んだ。動く、ということは人なのだろう。まさか、手だけ落ちてたりは……。
白猫は興味を引かれたように、その手に近づく。
「……誰かいるの?」
何かの気配を感じたのか奥から声が聞こえる。
それがナキと彼女の初遭遇だった。