ミリアの長い一日 2
ざらりとした何かが、頬を撫でた。びくっとして、ミリアは飛び起きた。
子猫がそこにいた。
「朝なのだが」
「ううん?」
白猫はなぜだかしょげていた。耳もへしょりとし、元気いっぱいのシッポも地面を擦っている。
「その、済まぬ。すっかり忘れていたのだ」
「な、なんですか?」
「抜け毛の季節」
「あ」
ミリアは寝起きから白い猫の毛に悩まされることになった。
今はまだ森の奥のほうだそうだ。ほどほどに町に近いところまできたので、広い場所で休憩していたと聞いている。
ミリアは全く気がつかず、毛布にくるまって白猫を枕に寝ていたらしい。
器用すぎてもしや、人型を取れるのではないかと疑うほどだった。
白猫は疑惑の視線にきょとんとした表情をしている。なにかの? くらいの邪気のなさだった。
「お世話をおかけしました」
「別に構わんよ。幼子の相手よりは骨が折れぬ。あれらは我が人形かなにかと思っているに違いない……。
背負い袋の中に食事などは入っているときいている。着替えも準備してあると言っていたが、中身は確認していない」
「本当に、あの人って魔法使いなんじゃないの?」
「種があるから魔法使い(ウィザード)というより奇術師の類であろうな」
背負い袋の中から着替えを出し、一般的旅装になる。ミリアが普段着ているようなドレスやこの砦の中で着ていたようなワンピースは旅に向かない。
用意されていたのは膝丈のチュニックと細身のズボンだった。ミリアにとっては乗馬服以外のズボンをはくのは初めてに近い。
足を覆うものは奇妙な感じがする。
それに編み上げのブーツを履く。外套は少々厚手でごわごわしていた。
「顔も汚した方が良かろう。髪も綺麗過ぎるから少々、泥もいるかのぅ」
「汚すの?」
「旅をしてようやく町に着いた者が、綺麗なままだったらおかしかろう?」
「そうね」
土埃くらいは歩いていれば被るだろう。旅の間はそれほど綺麗にしておけるはずもない。
ミリアは白猫の指導のもとほどほどに汚していった。
食事はもそもそしたパンに申しわけ程度に挟まれたチーズとハム、ピクルスが挟まっているものだった。
今までのものと比べると劣っているように見えたが、すぐに食べないから保存を重視したように思える。
「水はそこの杯をこちらに」
言われたように白猫に空のコップを向けると水が湧いた。
「まあ、これでも聖獣ゆえ、多少の魔法は使える」
「……なぜ、冒険者なんてしてるの? どこかの国に仕えたほうが安定的でしょう? 使い魔とか言い逃れはいくらでもできるのに」
「我は、西のお方のご要望で放浪しているよ。ナキは、まあ、変なヤツだからどこに行っても浮いていてな。定住には向かぬであろう」
「変、なの?」
「一般的なうまれと思うには、賢すぎる、とでも言えばいいのかの。
ミリアよ、あれはずっと冒険者をしていたと言っているのだ。それで、あの言動には違和感はおぼえなかったかな?」
「それは……」
初めて文字を見た時に変な気はした。ミリアでもあそこまで癖のない字はかけない。ぱっと見は読みやすく思うだけだろう。それを誰が書いたか知らねば。
冒険者が、というわけでなく、一般的な生まれであればあそこまできちんとした字を書く必要はない。それ以前に習う事も難しいことがある。
それに誰がミリアをここに連れてきたのか話す前に、それをしたのが皇太子であると感づいたのは冒険者としては普通なのだろうか。
「勘の良い冒険者なら、他国のご令嬢をさらってくるまずさには気がつくであろう。
その時点で逃げ出すことを考えるであろうな。こんな風に扱うことはあるまい」
「そうね」
「正直、なにを考えているのかはわからん。小難しく考えている時もあれば、なぁんも考えずに行動にでることもある。でもまあ、ミリアの命を惜しんだということだけは憶えていてほしいかの」
「どうしてかしら?」
「うむ。本気かはわからんが、美人の消失は世界の損失、などと言っていたな」
笑うように子猫は言った。
ミリアはどういう顔をしていいかわからなかった。そんなものにここまで労力をかける意義がわからない。
「変な人」
「だから、変なヤツだといったであろう? あとは本人に聞くが良かろう」
聞いて果たして答えてくれるであろうか? ミリアはそこからして疑問に思う。なにか誤魔化してしまうような気がする。
変な人の気まぐれとでも処理したほうが、いいのであろうと思う。
それでも、なにか、理由を求めたい気持ちはミリア自身もよくわかっていなかった。
「我は少し仮眠する。昼過ぎから夕刻に町に降りていくつもりなのでな。
庶民の暮らし基礎知識という本が入っているはずだ。軽く読んでおくように」
「え?」
「西のお方が、聖獣を各地に送るさいに作ったモノだ。古いが多少の役に立つであろう」
「わかったわ。ありがとう」
西のお方も結構変わっているのではないだろうか? ミリアは初めてそんな感想を抱いた。




