帰るところと戻れない場所 1
「ブチ切れてる」
「ですね……」
ナキの手には使い慣れた長槍がいつの間にか握られている。ミリアには室内では邪魔なので持ってこないと言っていたはずだった。それを疑問に思うが声をかけられそうにない。
ナキが何かを招くときに使う言葉が聞こえてくるが、その数は一つや二つではない。
一体何がと思うが、逆鱗に触れたことだけは確かだ。
「あー、ダメだあれは。
あっちは任せよう。私たちは王を片付けておこうか。ほっとくと後ろから刺されそう」
東方のお方はナキの背を見てさっさと見切りをつけたようだった。
ミリアは心配だったが、ミリアの意見は言えても行動はできない。ミリアの体はきょろきょろとあたりを見回していた。
「で、王様はどこにいる?」
「あちらの椅子に」
そこはミリアがたっていた位置からは全部を見ることはできない。椅子があるということは認識できるが、そこに誰かがいるということまではきちんと確認できるとは言い難い。
「今年は姿を見せてないからどうしたのかなと思ってたのに」
「え? 今年も教会の儀式に参加していましたよ。私は同行の一月前に祖母が亡くなって短期でも喪に服すべきと留守番をしていたのです」
「病気で代理の王妃と大臣たちが同行と聞いたのだけど。気に留めておいたほうが良かった。
椅子が空だ」
ミリアの目にも空の椅子が見えた。そういえば柱と話している間、やけに静かだったなと思い返した。すぐに気がつかないのはミリアも冷静なつもりで全く冷静ではなかったのだろう。
では、いつからいなかったのか。
「ナキが来た時にはいたと思いますが」
ミリアは断言できないことに気がついた。視界からは外れていた。そのうえ、扉を注視していたとは言い難い。ずっと静かにしていることに疑惑を持つべきだったのだろうかとミリアは後悔するが遅い。
そもそもここに連れてくるのが目的であったのならば、いなくなっても不思議ではなかった。
それは行き先を推測できないことになる。
「ミリアもいたと断言はできないと。
あの系統の気配を探るのは我々は苦手だから、いないことに気がつかなかったな。でも、転移は柱固有の能力らしいから室内のどこかにいるはずなんだけどな」
西方のお方はあたりを見回すがそれらしい姿はなかった。しいて言えば柱の裏は見えないが、そこにいる理由があるようにはミリアには思えなかった。
西方のお方も念のためと裏側へと回って、首を傾げた。
「いない。どこいったんだろ」
ミリアもそれにこたえることはできなかった。
「じゃあ、保留しておこう。いないなら邪魔にはならない。
さて、ナキの助力してくるからしばらく貸して」
その言葉を境にミリアの体感が変わった。何となく体が動いている感覚は共有していたがそれがなくなる。声も出せないことにミリアは慌てるがそれも外には伝わらない。
「制限時間は五分。露払いはナキがしてくれたからなんとかなるでしょ」
「ミリアを壊してしまわぬようにの」
繭の中から白猫がしゃがれた声で釘をさす。
「大丈夫。思った以上に頑丈」
口が開けたらミリアは頑丈って何ですかと言いたい。それから、乗っ取った体で何をする気なのかと問いただしたくもなる。
「ナキ、あとは預かるわ」
西方のお方は軽くナキに声をかけた。ミリアが動いていたのは把握していたのか、ちらりと視線をよこすだけで驚いた様子はない。
柱自体にいくつかの傷はあるが破壊されていると言えるほどではなかった。ナキも新たな負傷はなさそうでミリアはほっとする。
「なにする気ですか?」
「後でデータとれるように動力だけ殺しておくの。貴方のやり方だと全部破壊だから、どうしてこうなったのかの検証ができないでしょう」
「そういうことなら。堅すぎて致命傷入れられなくて困ってはいたんですよ」
「だから、壊れるまで壊せばいいかとか思ってたでしょ」
ナキはそれに返答せずにどうぞと言いたげに数歩退いた。その間に柱が何かを投げつけてくるがナキは全く意に介せず撃ち落としている。
ミリアに許された視界で見えた限りでは、なにかの塊であるらしいことがわかる程度だった。西方のお方がうわ、気持ち悪いと言っていたので直視しないほうが良いものであるようだ。
「無事帰してくださいね。無傷ですよ無傷」
「無茶言うな」
そう西方のお方は呟いている。ナキは繭にくるまれた白猫を預かった。我、人質か? と白猫が呟いているが、きっと保護のはずだ。
「どこに培養してたんだろ。後処理やだなぁ。燃そう」
そうぼやきながらなにかを西方のお方は撃ち落としていた。ミリアの手には見たこともないような白い塊が握られていた。冷たいような感触は遠く伝わってくる。
「日々撃ち落としている私の実力を思い知るがよい」
背後でやっぱ、そっち系と呟いているナキがいた。振り返りたくともミリアには今、体の主導権はない。
ミリアは小さい羽音に気がつく。二つ三つと増えた音。その姿を見ることはない。ただその結果を見ることはできる。
焼け焦げたにおいと落とされるもの。そして、柱自体にも傷がついていた。
「そんな中途半端に作ったやつが悪いのよね。恨んでも憎んでもよいわ。でも、死んで」
悪役のようなセリフだなとミリアは思う。そして、明らかに話がおかしいことに気がつく。ミリアに聞こえないだけで、柱が何か言っているようだ。
しかし、西方のお方はそれを意に介さず淡々と処理している。
「思い切り光るからよろしく」
「主! なんか来るぞ」
「へ? って時空が乱れ……」
ミリアは急に体が重くなったことを感じた。そのまま立っていることができず崩れ落ちた。西方のお方の力はどこにも残っていない。
突然去った。
それも意図せぬ形で。
隙だらけのミリアがそこに残ったが、柱からの追撃はなかった。新しく起こったことへの対処に戸惑っているようだった。西方のお方が去った理由。
それは新たに二人がこの部屋に忽然と現れたせいだろう。
柱の前にはこの部屋にいなかったはずの王が戻っていた。その手にもう一人の腕をつかんでいる。
「この娘を捧げる」
そう王は宣言した。
「ミリア」
柱と王、それからジュリアのやり取りがある中でナキは小さい声でミリアを呼んだ。見ればナキは膝をついて心配そうにミリアを見ていた。
「やっぱりクリス様なんか出来ない?」
「無理じゃよ。グダグダ言う時間はないぞ」
ナキは重いため息をついた。
「ちょっと、気を引いてもらっていい? 隙というか、弱点が出てくるはずだからそれを何とかする。クリス様が」
「我か? ぐちゃってするのか」
「ちょっとずるするだけだよ。ほら、形態変化して」
「……そっちか。まあ、今のほうがよいかものぅ」
二人だけにわかるなにかなのだろう。西方のお方からも憑依という話は聞いたことがない。ミリアは問いただす時間も説明する時間もないのであろうと黙っていた。
柱たちが話す声は聞こえてくるが、不穏な方向に向かっているのはわかる。
「で、俺たちがあれを片付ける準備に時間がかかる。その間の時間稼ぎをお願いしたい。
三分くらいかな。」
「五分は欲しいぞ」
「出来る限りでいいかしら」
ミリアには自信はなかった。彼らがミリアの声を聞くかということが。
「どいつも正気じゃなさそうだから、出来るだけでいいよ。
それからこれはお守り」
お守りであるなら何か渡されるのかと思ったが、少しナキはためらっているようだった。
額を覆う前髪を払われそっと触れるもの。なにをしたのかというのを理解するとミリアは目を見開いた。
「こういう仕様なのでご了承ください」
焦ったように弁解してくるナキにミリアはどんな顔をしていいのかわからなかった。無表情になっている自覚はある。
大したことではない。おそらくなにかのスキルを発動したのだろう。体の周りを柔らかいものに包まれた感触がした。
その発動方法が、額へのキスだっただけで。たかが額と思うがその事実に思った以上に衝撃だったのだ。一瞬状況などをぶっ飛ばしてしまうくらいに。
どうにかミリアは立て直そうと反芻はあとでと押し込む。かさついたような柔らかかったようなふわっとしたようななんかだったような……と表に出てきそうなのをさらに押し込む。
「が、ばんばる」
「む、むりしないでいいよ」
ミリアは立ち上がる手助けに差し出されたナキの手をえいっと握る。大きな手は硬くミリアとは違う。
「大丈夫。頼ってくれるほうが嬉しい」
守られるだけでなく、手助けをされるだけでなく。役に立てることが。
ミリアの言葉にナキは頭が痛そうに額に手を当てていた。
「……早く片付けよう」
「うん?」
驚異的じゃのぅと白猫が呟いた。




