ミリアルドは帰らない 1
さらなる追っ手が来る前にと隠れ家に三人と一匹は逃げ込んだ。
逃げ込む前にレベッカが遠くになにかサインを送っていたことにナキは気がついたが、見なかったふりをする。そのサインを送ったと思しき相手はレベッカが気がつく前にナキに合図を送っていた。拝まれたので、ごめん、というところだろうか。
知っていたのに黙っていたのか、本当に気がついてなかったのかは半々くらいだろうか。
隠れ家に入ったレベッカは興味深げにあたりを見回していた。彼女くらいになると庶民の家の中というものは見たこともないかもしれない。
「まあ、とりあえずはお茶の用意するよ。俺、空腹で死にそう」
朝は二日酔いで、昼も軽く済ませた結果である。
すぐに外に出るわけもないのだからある程度は時間があるだろう。ナキはキッチンへ足を向ける。
「お姫様、わかってると思うけど変なことしたら即外に放り投げるから。クリス様も見張っててよ」
白猫にナキはそう言っておいた。
おそらく、ミリアはレベッカに強く出ることはないだろう。姉のようなという表現がナキにそう思わせた。ナキの場合には従姉で、時々しか会わないのだが謎の強者感があったのだ。小柄な可愛い系のはずだったが。実弟はあの姉はやばいと言っていたのでまちがいないだろう。
「わかっておる。
お主の旦那もあれだのぅ。野生に生きている」
「……そうですが、身内以外に言われるとなんかもやもやしますね」
「いや、我の言葉を理解していたのでもしや猫かもしれぬ」
「違うんじゃないかしら」
なにか妙な展開になっているが、ナキはその場を去ることにした。なんだそれとツッコミたくなる。
ナキは冷蔵庫の在庫を確認する。しばらく帰らないつもりで日持ちのしないものは処分済みだ。ほとんど空っぽの中から目についた四角型で四連のチーズを一つ剥いて口に放る。
ふと何かの気配を感じて入口へナキは視線を向けるが、誰もいないように見えた。よく見ればドレスのすそがちらりと見えた。
なにしてるんだろう? ナキは首をかしげるが声はかけなかった。
ナキは未練がましく冷蔵庫の中を確認したが、諦めてレトルトの籠からスープを選ぶ。冷凍庫に眠っていたパンを取り出し、温めている間にお湯を沸かす。
その間、入口の気配はそのままで、中に入ってくるでもない。
「……ミリアは何食べる?」
「き、気がついて」
「気がつかないほうがどうかしてるよ」
ミリアは恥ずかしかったのか顔を赤くしていた。そして、すぐに気を取り直したのかキッチンに入ってくる。
「お茶の準備、手伝うわ」
「ありがとう」
しばし、お茶の用意をする音だけが響いた。
「ミリアルドってなんだったのかしら」
ぽつりとミリアはつぶやいた。
「常に誰かの代わりだったみたい。
私を私として、誰か必要としたのかしら」
ナキはそれを否定しようとして、やめた。ナキが知っているのは、地下牢で助けを求めたミリアからだ。それ以前のミリアルドを知っているとはいいがたい。
ミリアは、ミリアルドとしての自分の話をしている。
「少なくともルー皇女はミリアルドお姉さまが必要だったようだし、リンも主として認めてるみたいだから全部が全部というわけじゃないと思うよ」
「そうね。ルー様は、確かにそう」
ナキはさらりと無視されたリンが、少々かわいそうな気がした。思い返せばリンは危ない橋を渡っている。
ミリアルドのことを誰にも正しく伝えないというのは、背任にあたりそうだ。ミリアルドとの全面的な争いを避けたという立場もあるのであろうが、ナキ一人に出来ることはたかが知れている。
物量で押されるとさすがにまずいからという考えが既におかしいのだが、ナキにその自覚はあまりない。
「陛下は、どうお考えだったのでしょうね」
ナキは一度も姿を見たことがない。それどころか話題にも上がらない。そんな国王がいてもいいのだろうかと思うくらいに存在感がなかった。
誰が悪いってという話をするとジュリアの次くらいに有罪とナキは思っているのだが。
「会いに行く?」
「どうやって?」
「幽霊を用意して、口パクで」
ナキは首をかしげるミリアに耳元でこそこそと思いついた作戦を話す。
「出来るの?」
「貸しがあるのだから来させる。ミリアも危険じゃない。
それから、このまま抱きしめていい?」
「はい?」
無茶な話の展開だとはナキも思うが、同意を得たということでと抱き寄せる。いきなりのことで慌てているミリアを少しだけ抑え込んだ。
「昔のことは俺は知らない。
だけど、ミリアは俺に必要だから忘れないで」
ナキはその言葉が重たいとは知っていたが、重しの一つでもつけなければミリアルドに戻って二度と帰ってこないような気がしている。
昔手に入らなかったものを今差し出されて受け取るかどうかはミリア次第だが、それでも不安にはなってくる。人の好いとミリアはナキに言うけれど、本当にお人よしだったのはミリアのほうだろう。
今までの経緯をたどって、未だに断罪したいと言いださないのだから。それを望むなら、手を貸すくらいなんともないのに。
「……わかったわ。だからその」
「んー。かわいい。癒される。頑張ったかいがあるってもんだよね」
突き詰めて考えていくとやばいほうにねじ曲がりそうでナキは触感のほうに意識を向けた。それはそれで別のまずいことがあるのだが、暗黒面に落ちるよりはましに感じる。
もっともミリアはどう思うかは別であるが。
「ちょ、ちょっとその急すぎっ」
ミリアは腕を突っ張ってナキを引き離しにかかるが元々の力の差は超えられない。
「もうちょっと堪能させて。
……あれ、もしかしてものすごく怖いとか」
「別に、死ぬほど恥ずかしいだけよ」
離すことを諦めたのかミリアは拗ねたような口調でナキの腕の中におさまっている。
「……てことはあれか、あれに反応するのか……。前途多難」
今と以前の違いというとそこに下心があったかどうかである。つまりは欲望をぶつけられるとダメだということに他ならない。
あれってなに? と不審そうに言うミリアにごにょごにょと言いわけして、ナキは抱擁をほどいた。
見ればやかんが苦情を申し述べるように蓋をカタカタ言わせている。
ミリアはお茶を入れ、焼き菓子をいくつか出していく。ものすごく無表情で、でも顔色は赤いという矛盾がその心情を表しているようだった。
ナキはとりあえず温めていたパンにかぶりついて、火傷した。やはりどこか動揺している。
「ミリアってなんでそんないい匂いするの?」
思わず呟いた言葉にミリアは勢いよく振り返った。
「ナキは、薬草みたいな匂いがするわよ」
そう返されてナキは絶句した。言ってやったと言わんばかりのミリアはも可愛いなと思いながらもじわじわと恥ずかしさが込み上げてくる。
ナキは匂いに言及するのはもうやめようと固く誓った。




