ミリアルドは死ぬことにした。
「こんばんは。お嬢さん」
落ち着いた少し困ったような声は、この数日きいたものとは異なって思えた。
ランプの明かりで照らされた顔は想像よりも若く見える。切れ長の目はあまりこのあたりにはない特徴だ。すっきりとした面差しは、異国を感じさせる。
「間に合ったかな?」
彼は不意にミリアに視線を止めてにこりと笑う。
途端に幼いように見えて、ミリアはどきりとした。一瞬、言うべき事を見失った。彼女の返答がないことを不審には思わなかったのか彼は困惑したようにあたりを見回していた。
「異様な空間だね。ここ」
ミリアは苦笑するしかない。彼女が望んだわけではなかった。普通の牢屋に普通の家具。これが組み合わさるとこれほど異様だとはミリアも思わなかった。ベッドなどどうやって入れたのか不思議な気もする。
ミリアはベッドの上から、床に降りた。ベッドの上に座っていたが、立っていた方が良い気がしたのだ。
「そうね。どうやって、ここまできたの?」
ミリアには他に言うべき事もあったような気もする。それでも一番気になるのはこれだ。深夜に忽然と現れるのは異様でしかない。おそらく、ここまでは見張りもいただろうに全く物音一つしなかった。
扉が開く音すらせず、急に明かりが現れたのだ。白猫の事前の知らせがなければ、ミリアでも悲鳴をあげていただろう。
「そりゃあ、人に言えないスキルを山ほど応用して、だよ。
中身は秘密。大事なお仕事の種だから」
彼は冗談のようにきっちり釘を刺してくる。
音もなく扉を閉め、数歩ミリアに近づいてきた。
「近くで見るとほんと美人。うわぁ。宝石みたいな青」
なにかを観賞するように彼はそのまま顔をのぞき込んできた。ミリアの目の色を褒める声には素直な感嘆がある。きれいなものをみたと思ったような声に図らずも顔が赤くなった。
ミリアは実は顔をのぞき込まれるなどというのはあまり経験がない。異性でそれをしても許されるのは元婚約者たる王太子のみで、彼がそれをしたことはなかった。女としてのミリアに本当に興味が無かったのだろうなと気がつく。
「にゃあ」
「わかってるよ。はいはい。セクハラ禁止。それで、相棒に計画は伝えたけどいいのかな? 本当に」
「きっちり殺してくれるんでしょうね?」
「後腐れなくさくっと隠滅する。だからさ」
甘いとさえ言えるような声で誘う。
「俺に任せて」
ざくりと切れる音が耳元で聞こえた。
翌朝、ふぁとナキはあくびをしながら食堂に顔を出した。夜の見回りをした者はだいたい昼過ぎまで寝ているのが常だが、あまりにもうるさくてそれどころではないと皆起き出している。
「なに? 慌ただしいけど」
近くにいたアーガイルに問う。朝から元気いっぱいの彼は、朝食後の見回りらしい。
「さぁね。俺たちは蚊帳の外ってかんじ? あー、お姉様、今日も美しい」
若い傭兵は少々懲りたらしい。だが、過剰で胡散臭そうな目で見られていた。ただし、微妙に色々増量されている。
乙女心は複雑なのです。
ナキはちらっと奥を確認したが、平常通りだった。
「そういや、うちの相棒知らん? なんか昨日から帰ってこなくて心配なんだけど。
どっかでいい子見つけてついてっちゃったかな?」
ナキは朝食をもらいながら、雑談のようにそんな話をアーガイルに振った。彼は首をひねっている。
「そういや、昨日から見てないな」
「厨房にも顔を出してないよ」
厨房の女性にも大人気なので、白猫の動向は結構ばれていた。
「……あれ?」
ナキは変だなと首をかしげて見せた。
気がかりだという風に装いながら、空いている席に着く。今日は満席に近い。
実際、昨日から白猫は帰ってきていない。お仕事は順調なんだろう。良いことだとナキはそのまま朝食をつつく。あまり食欲はなかった。
うーん、血みどろのぐちゃぐちゃ……。
近い未来の予定図を必要以上の想像力で思い描いたせいなのだからナキの自業自得だった。
「どうしたんだ?」
同じテーブルの男が浮かない顔のナキを心配したのかそう声をかけてきた。相棒は愛想は振りまくモノと決めているらしく男女の差もなく媚びている。それで我は皆を幸せにしているのだっ! とご満悦なのだから、単純というか。
それも全ての人に通じているわけではない。
「ん。だいたいの人には好かれるんだけど、一部に憎悪されるんだよ。うちの相棒。そりゃあもう、さらって廃棄されかけたこと何度もあって」
「……なんか物騒だな」
「首根っこ掴んでぽいってのは簡単だからね。
それをする人曰く、化け物だの、見透かされているようで不気味だの言われるけどねぇ。あれがなにか考えているようにみえる?」
「賢いけどな。まあ、なんか察して逃げたんじゃね?」
「だといいけどね。うーん、でも探してくる」
ほぼ手つかずに食事を終える。全く手をつけていないおかずについては、アーガイルに進呈しておいた。
若いうちは肉が良い。ナキも肉教に入信しているが、今日ばかりはお断りだった。
「外には出るなよ。偉い人がきてるんだと」
「えー。困ったな」
不機嫌そうな傭兵に忠告された。ナキがくる前にも出ようとして止められたのだろう。
なるほど、皆燻っているわけだ。
このあと、カードやろうぜ、双六なんてどうだと言い出してくる予想がついた。巻き込まれたら面倒だなとナキは顔をしかめる。
使うあてのない給金があると賭け事を始めたがるのは、こう言った集団の常らしい。ほどほど楽しむ程度で済ますお行儀の良さがあるだけマシだが。
「勝手口から出な」
ナキが困り顔で食器を片付けに行けば、厨房から声がかかる。
不機嫌そうな顔にわずかな不安を滲ませた料理長は勝手口を指さしていた。
「ありがとう。あいつ偉い人に捕まってないといいんだけど」
困った顔をしながらもナキは外に出た。料理長もそれにあわせて一歩だけ外に出る。
なにか言い出しそうな雰囲気に、ナキはにこりと笑った。
「大丈夫だから、心配はいらない」
料理長にナキはそう宣言した。
「そうかい」
複雑そうな表情に軽く手を振ってナキは予定通りの場所へと足を運んだ。
「仕上げは上々かな」
昨日のあれで失敗とかあったら損害が大きすぎる。ナキはじっと地下牢の様子をうかがいながら、昨日のことを思い出していた。




