密談―現地人の場合― 1
ミリアはナキを見送ってそのまま室内に入った。入った室内にいた5人ほどの視線が集中する。普通に見られたならば焦りもしなかっただろうが、やや殺気を含んだものでは身構えてしまう。
新しい侍女に警戒されているのかとミリアが思い言葉を探している間にその空気が霧散した。
「やっぱり、ミリアじゃないの」
「え?」
彼女たちの一人に助走をつけて突進されることに対応する知識はミリアにはなかった。
あ? え? なに? と困惑しているうちにぎゅうと抱きつかれていた。倒れそうになるところを別の人が受け止めてくれる。
「ミリアが別れた後、貴族と揉めて、消息不明とか聞いたから心配してたの。
クリス様は元気?」
よかったーと嬉しそうな声が続き、少しばかりミリアは困惑した。そして、視線を向ければルー皇女がいたずらが成功したと言いたげに笑んでいた。
すぐに気がつかなかったが彼女たちはルー皇女にそのまま同行していた冒険者や傭兵たちだった。今は侍女見習いといった風の服装で印象が違ったせいだろう。
そういえば、昼に顔見せをしたときには彼女たちはいなかった。
「噂しか聞こえてこなくて、それもすぐに火消しされたから心配してたみたいよ。
大丈夫と言っておいたんだけどね」
ルー皇女はそう言って肩をすくめる。その内情は決して外に出せない。代わりに言える程度の話は貴族と揉めて逃げ出して、今は消息不明くらいだ。
「その本人というのは内密に」
「わかってるわ。
ああいうのは本当に厄介だから」
彼女たちはそれぞれの表現方法でうんざりだと表現している。当事者だったり、近い誰かが同じような目にあったことがあるのかもしれない。
抱きついてきた彼女の名前を呼び、ミリアは離すようにお願いした。
「そろそろいいかしら?」
「ありがとうございます。殿下。
では、我々は明日の朝まで参りません。寝坊は容赦なく起こしますので、その点はよろしくお願いしますね?」
寝坊の件についてはミリアに念押しをしていたようだが、ミリアのほうがそれは危うい。ルー皇女はそれを言わずに曖昧に微笑んで、さっさと行ってと言わんばかりに手を振った。
彼女たちの去り際に、じゃあ、またね、後で話聞かせてよ、などミリアは声をかけられた。
帝国の皇女相手とは思えないような対応は、彼女が望んだからそうあるのだろう。
「彼女たちも外ではそれなりに取り繕っていますよ」
「……別に何も言ってないんだけど」
「だって、姉様、嵌め外しちゃって、みたいな視線送ってくるんですもの。
外では堅苦しいものに付き合っているんだから、私室くらいは気楽にやりたいものですわ」
「わかるけどね」
ミリアはため息をついた。ルー皇女はおそらくこれは曲げないだろう。後宮は王城よりは気楽であっただろうし、彼女の重要性はそれほど高くなかった。監視の目もそれほどなかったに違いない。同母の兄弟はなく、母は皇帝の寵愛深いわけでもないように思えた。
それは、違っていたのかもしれない。ミリアは今はそう感じる。
注意深く隠され、守られていたのではないかと。
ルー皇女はなにかを誤魔化すようにミリアの背を押して、ソファの近くまで連れていく。
「立ち話もなんですから! どうぞお座りください」
「その言葉遣いも辞めない? もう、私のほうが上というわけでもないのだけど」
「ほら、聖女様は王さえも膝を折りますからね。ま、うちの母がそんなのだったって言うのが一番信じがたいのですが」
「対等でありたいわ」
「善処します」
それって断るってことよね? ミリアは確認しそうになって黙って座ることにした。それに怪訝そうな視線が向けられた気がしたが、ミリアは気がつかないふりをする。
ユークリッドやナキの推定異世界語録をルー皇女がどこまで把握しているかはわからない。
ユークリッドがナキのことを遠い血縁と紹介していたが、それ以上のことをルー皇女が知っているとは限らなかった。
迂闊なことを言わないほうが良い。
ルー皇女はすぐに気を取り直したのか、ミリアの隣に座った。
目の前のローテーブルには軽食が並べられていた。二人分と考えるには多すぎる。
「余ったら食べる人がいるので、気になるものだけつまんでください。
飲み物は果実水くらいしか用意はありません。お酒はダメなのですって」
ルー皇女に用意されていた果実水はイチゴ水と呼ばれていた。イチゴと砂糖を漬けたものにハーブ水を注いで作られる。春先に良く作られるもので、今の季節にはあまり見かけない。温室から用意したのかもしれないが、それでも特別待遇が察せられる。
「ルー皇女は飲むの?」
「ミリア姉様が飲むかなぁって。ほどほどに嗜んでいたはずですよね?」
「最近は飲まないわ。それほど好きだったわけでもないし」
ナキがほとんど飲まないので家に常備されていないことも一因ではある。ミリアとしては酔い潰して本音のあたりを聞いてみたいと誘惑もされるのだが、存在しない以上は仕方ないと諦めている。外では酔うことはあっても酔いつぶれるほどはみたことがない。
「そのわりに残念そうな顔してますけど。
ジュースですけど祝杯でもあげますか?」
「祝杯ねぇ」
ミリアは祝うほどのことはない。どちらかと言えば、復讐しにきたのだ。なにに、なのかはまだ決めていない。
祝われぬ望まれぬ婚姻、元王女の死病、王の選定者になりかねない元敵国の王女の滞在。
一つでも王家が揺れるというのにあわせてあるとは不幸だろう。ミリアはこの処理をする側ではなくてよかったと心底思う。
あの狸たちが右往左往しているかと思えば胸がすく思いがするが、国家の弱体化を願っているわけではない。
ミリアができることはせいぜい、ルー皇女に釘をさす程度だ。
「盟約の盃ならいいけど」
ミリアはちらりと見て、イチゴ水を手に取った。ルー皇女が嫌そうに顔をしかめたのを見て、彼女は少し笑う。意地の悪い笑い方の自覚はあった。
盟約というのは、約束より重い。家同士の同盟を結ぶときに持ち出すようなものだ。ミリアに帝国と王国の安寧を願ってなどと言われたらルー皇女は困るだろう。
ミリアは聖女としての立場でそれを言いだしたら、帝国の姫であり、現在王国で婚約予定の彼女は双方の立場で受けなければいけない。
「できませんよ。ただの小娘ですからね」
「王の選定人がなにをおっしゃいますやら」
「ルーは子供なので、よくわかりません」
ことさら子供っぽくルー皇女は言うが、半ば冗談のようなものだろう。半分は自棄も含まれている気もした。
よほど聞かれて鬱陶しい思いをしているに違いない。
「本命はどなた?」
「決め手に欠けるので様子見です。お姫様扱いされるのは嫌ではないのですが、風が吹いただけでも風邪をひくと言わんばかりの対応は少し困りますね。
姉様相手でもそうだったんですか?」
「室外で会ったことはほとんどないわ。勉強を教えて欲しいと来ることのほうが、なに変な顔して」
「ウィル様もですか? あの人、勉強から逃げ回ってますよ?」
「え? 一番熱心に聞いていたのだけど」
「……なるほど」
その言葉でルー皇女は納得がいったらしい。そう言えば、以前にもこの話でナキは妙な反応をしていた。理由は濁されたが、ミリアが鈍いところがあったのだろうか。
「なに?」
重ねて聞くミリアにルー皇女は少し困ったようだった。彼女はそのままイチゴ水の杯を手に取り、手の内で揺らした。その内側に視線を落としたままというのは、少し不穏のようにミリアには思えた。
「女の勘、ですよ? なにか、私自身に誰かの影を見ている気がしていたんです。無意識に誰かを思いやるのと同じことをしている、みたいな。あまり女性と接していないようなので、扱いに困ってのところがあると思うのですけど」
「それがミリアルドだと」
「そうじゃないかなぁって思いまして。
考えてもみれば、身内の女性があのレベッカ様と妹様ですもの。あの、弟様といいたくなるような。失礼な物言いですけど、お姫様扱いする相手ではない気がしますね」
「生粋のご令嬢なのだけど」
ルー皇女の言いたいことはわかる。
さっぱりとした颯爽とした毅然としたという言葉が似合いのレベッカとそれに影響されている娘では、お姫様感はない。
身内以外に親しい女性もウィルにはいなかったはずだ。婚約者を長く決めていなかったせいもある。
それも不自然ではあった。有力な家門とも結びついて、王太子の地位を脅かすのではないかと懸念されていたところはあるがそれだけが理由ではなかったのではないかと今なら思える。余裕のないほどに追い込まれていたようにも感じる。
なにか、知られてはならないことがあるように。
少し考え込んだミリアにルー皇女は様子を窺うように視線を向けた。
「思うに、ミリアルド様が初恋なのではないかと」
「……え」
ミリアはぽかんとルー皇女を見返した。
ありえない。思わずこぼれた言葉にルー皇女は苦笑していた。
「あ、やっぱり想定してませんでしたか。
姉様、魅力的なのに、全くもてないって思い込んでる節がありますからね。向けられる好意に全く気がついていないんじゃないかって思ってましたよ」
「それ本気?」
「ま、勘です。それほど外れてない気もしますね。姉様のようにはなれないので、どこかで軌道修正を図って無理そうなら他の人を見繕います。
最悪、他国の王子でもよいわけですし」
あっさりと乗っ取りを宣言しているルー皇女は澄ました顔でイチゴ水に口をつけた。味を確認するように含んだようだが、あれは毒の有無を確認している。
ミリアにも身についた癖のようなものでしてしまうのだが、ナキはそれを猫舌だからと勘違いしている。
イチゴ水の杯を弄ぶだけで口をつけないミリアを見ていたルー皇女ははっと何かに気がついたようだった。
「あ、毒消しいります? なにもないと思うけど、確約はできないという感じなのですよ。
自国より大きい国の王女とか邪魔すぎます。目ざわりですね。って言うのはわかるので、無視してますけど」
「ライカ、ロザリー、クレア、このあたりかしら」
「当たりです。ウィル様との婚約を狙っていたようですから大変困ったようですね。
ま、潰して他の家がやりだすのも困るので泳がせておきますよ。それでも死ぬと困るので、偽の毒薬をわからないように支給してます。
そう言う知恵がまわるのがいるとなかなか良いですよ」
「……裏切られて毒殺されないようにね?」
「一番毒殺してきそうなのは姉様ですよ。為政者として育ったのならば、乗っ取りをかけそうな私が目障りに思っても仕方ありません。
傀儡にはなりようもありませんから」
「普通に暮らす者たちが困窮しないなら、上が変わっても問題ないわ。
元々、私に権力を渡すことが乗っ取りに近いものだもの」
「では、今のところ共闘という方針でよろしいですか」
「私は落とし前を付けにきただけで、それ以外はしないつもりよ」
ミリアは思い通りにしようとした人に問いただすまで。その機会が失われる前にやってきたにすぎない。揺れ動く今でしか叶わないと無理を通している。
ナキにも危ないと思ったら同意を取らずに撤退することを宣告されていた。それで、嫌われても構わないといいだすほどの強い意思に少しばかり驚いたものだ。
ルー皇女はミリアの言葉に眉を下げた。
「お願いする立場ではないと重々承知していますが、ほどほどにして欲しいです。
国王陛下にはあと五年は頑張ってもらわねばならないと思いますし。じゃなきゃ王太子をきっちり廃嫡にしておいてですね」
「そうね」
少しだけミリアは思案した。
あの妹が妙に静からしいのは噂で聞いた。裏で何か企んでいてもおかしくはない。ただ、彼女は王太子至上主義ではなかった。
相互の利益があれば、優先することもあるだろうが、譲らないところが譲らない。
誰かの唯一でありたい。
妹がその願いを覆すことはないだろう。それを超えてまで王にしたいなど思わない。逆に依存させて囲い込むくらいのことをしそうだ。
強かでなければ、正当な婚約者であるミリアルドを押しのけて恋人をやっていられるわけがない。周囲からの害意をきちんと受け流して、退けなければあっという間に引きずり降ろされる。ミリアは世論から責められるように焚きつけていた側なので妹のその能力は把握している。
王太子が、きちんと守っていたならばその強さは必要なかっただろうが、そう言ったことに気がつくタイプとは言い難い。
「そこまで頑張る必要はないと思うわ」
「そうですか? まだ、しばらくいてくださいね。姉様はきっと大丈夫って信じてますよ!」
「善処するわ。さすがに国を売られるとその範囲は超えるけど」
「善処でもいいです」
上目づかいで見上げてくるルー皇女にミリアはなぜか白猫を思い出した。
ルー皇女はあざといながらも可愛いを極めていく途中のようだ。ちょっとうらやましいと思うがこれは特殊技能と諦めているものだ。
ミリアはそんな風でなくても天然で可愛いとナキは言う。しかし、その天然なのはなんなのか、ミリアには説明する気はないらしい。白猫もまあ、可愛いという意味だのぅと雑に答えてきたので正解ではないのはわかった。
今度ユークリッドにも聞いてみようとミリアは決めた。




