王都へ
「久しぶりですね。姉様」
「ルー様も元気そうでなによりです。叔母様を心配させてはいけませんよ」
「はぁい」
どうなのかしらと言いたげに見ているミリアとあ、叱られちゃう? とおどおどするルー皇女に二人の関係が透けて見えている。
以上が打合せなしに行われたルー皇女とミリア嬢の挨拶である。
ナキは当たり前のように行われたそれに戦慄した。
このやりとりだけであっさりとミリアはこの王城の中での立ち位置を確保している。ルー皇女の従姉で、仲が良くて姉のようなもの。しかもルー皇女が頭が上がらないような、である。
非公式の面会の再会であるので、観客は侍女や護衛のみだが、王国側でも選りすぐりのエリートだ。ミリアも明日からは侍女扱いになるが、それなりに配慮せねばならない相手と察してくれるだろう。
今のところ、ルー皇女のわがままで逗留しているということになっているので、機嫌を悪くして帰ると言われては困る。あるいは、居心地が悪いから帰りましょうよと従姉にそそのかされてもまずい。
ミリアはルー皇女の侍女としているが、それを離れれば客人としておもてなしされる立場になる。それも機嫌を損ねてはいけない客人として。
国境の町で合流して、6日後に王都へ入り登城した。
本来なら、先に連絡を行い登城の調整をするものだ。だが、今はそれどころではないだろうと無作法とごり押しをすることになった。
あと半月もせずに王太子の結婚式が行われるとあって、各国からの大使の対応や祝いの品の把握なども忙しい。予定になかったルー皇女の従姉の同行を問い詰めるほど暇な者はいなかった。
案内もなく慣れた様子で、ユークリッドはルー皇女の滞在先に足を向ける。一度はルー皇女への顔見世が必要だとそのまま全員連れていくのはナキには暴挙に思えたが、誰も止めるものはいなかった。
隣を歩くミリアの表情が無になっていたのもナキは気になる。ただ、問うタイミングでもないのと地味に怖いのでそっと距離を取った。
そして、訪れたユークリッドたちに遅くてもいいとは言ったけど遅すぎると苦情を言っていたルー皇女はまだ余裕があった。
続いて入ってきた侍女たちを見て顔をしかめ、侍従は興味なさげに一瞥し、ようやくミリアの存在に気がついた。
二度見して、ユークリッドを睨みつけたあとに交わされたのが先ほどの言葉だ。
「怖いなぁ」
ナキの心の声を言い当てたような言葉にどきりとした。
それを口にしたのは少年だ。ユークリッドがおまえも来ていたのかと言っていたが、そう、悪い? とツン対応していた。誰なのかは紹介されていないが、他の者は知っている風で聞くのもはばかられる。
彼は無表情でルー皇女とミリアを見ていた。二人は今は並んで楽しそう話をしている。
ミリアは子供のころの話を出しては、もうそんな子供ではありませんと可愛らしく抗議するルー皇女。
二人がきちんと親しいということを裏付けていく作業だが、その気配を少しも感じさせない。
似た面差しの美少女と美女が楽しくやっているのは姉妹感があって、麗しいはずだ。
間違っても怖いというべきところはない、はずだ。
はずだ、としかナキも言えない。
チラ見したユークリッドも無表情ではあるが、少しばかり不自然に眉が寄っていた。こっちも微妙な反応だなと思いながらナキは黙っていることにした。
新参者は地味にしているに限る。そう決め込むが、そうはならなかった。不意にルー皇女と視線があう。
彼女はふわりと柔らかに微笑んだはずだが、ナキはなんだかぞわぞわした。
「待たせてごめんなさいね。
ユークリッド、連れてきた人たちを紹介してくれる?」
「承知しました」
ユークリッドは何事もなかったようにルー皇女の側に行き、追加の人員の紹介をしていく。名を呼ばれたものは礼をするのみで言葉を発することも許されていない。
ミリアの待遇が破格であることを強調するような態度とも思えるが、これが普通かもしれなかった。
ナキには貴族の風習などわからない。ミリアに念入りに、ルー皇女に直答しないようにと言い含められたくらいだ。これには周囲が苦笑いしていたので、別の意図も含んでいるかもしれないが。
この部屋に元々いた謎の少年については省かれていたので、ナキやミリア以外は知っているようだった。もしかしたら、知らないのはナキだけかもしれない。子供の相手ではあるが、丁重に扱われていたように見える。
王の孫、つまりは見合い相手とも思えない。
ナキはそうのんびりと観察していたが、自分も紹介される側であることを失念していた。既に知り合いくらいの気持ちではあったが、この場では初対面を通さなければならない。
「ナキは、話をしたことがありましたかな。ミリア殿の婚約者で、儂の遠縁になります。
しばらくイーリス様のご実家に預けておったらうまくやりおってというところですな」
「え」
思わずナキは声をあげた。打合せにもないことを言われてのことだが、室内の視線が集中したのは気のせいではない。
それは空気の読めないやつ、と言われているようでナキはいたたまれない。もうずっと黙っているか、ミリアに確認してからでないと口を開かないようにしようと心に決める。
「ユークリッド、そんな意地悪言うものじゃないわ。かわいそうに。姉様に付き合って、こんなところまで来てくれるお人よしなんだから。困っちゃってるじゃない」
ルー皇女は笑って軽く流した。雰囲気もやや穏やかになったように思えたが、ナキがこのような場に慣れていないことは露呈しただろう。今後、どうなるかは予測できない。
ナキは田舎者と見られるほうが気楽は気楽かと気を取り直す。
「姉様をよろしくね」
ナキは返答をしていいものか迷ってミリアに視線を向けると、頷かれたのでこの場合は良いらしい。
「はい。傷一つ付けずとはお約束できませんが、出来得る限り支えてあげたいと思っています」
嘘にならない、人に言ってもおかしいと思われない程度の言葉。ナキはそのくらいで済ませたかった。時々自分でも引くほどの発想が出てくるので、油断ならない。
「あら、自信がないの? ねぇ、姉様どうおもいます? 姉様?」
その返答はルー皇女には気に入らなかったようで、ミリアに話を振ろうとして失敗していた。彼女の怪訝そうな呼びかけにミリアははっと気がついたように表情を取り繕っていた。
「な、なにかしらっ」
しかし、ミリアの声は上ずっているうえに、頬が赤いので全くの無表情と相まって違和感を覚える。落ち着いているようで全く落ち着けてないということが丸わかりである。
先ほどまでの制御の行き届いたところは全くない。
「顔が真っ赤です。どこに赤くなる要素ありましたか。むしろ、傷一つつけないとか、守ってあげるとか言わないと恰好がつかないところでしょ」
「だ、だって、そういうこと聞いたことなかったから」
「いつもなに言ってるんです?」
ナキはそう言うルー皇女に半眼で見られた。それは、まさか、姉様を弄んでないでしょうね? という圧がある気がするが、ここで話をしていいのか少し躊躇した。
「え。可愛いとか?」
ナキがためらっている間にミリアはきょとんとした表情で、そう言いだす。
あれは作っていない素の表情で、それを他者がどう受け取るかなどと全く考えていなそうだった。
「は?」
「頑張ってえらいとか、そういうのを……」
「やめて。ミリア、それ以上言わない。それ二人の秘密で良くない!?」
皇女の前とか黙っているべきとかということを放り投げてナキは慌ててミリアを止めた。
周囲から生ぬるい視線が、向けられるのも絶対に気のせいではない。ナキは顔を覆った。どちらかと言えばどこかで丸くなりたい。穴にはまりたい。壁の隙間で反省したい。
するっとそんなことを言いだすミリアもミリアだ。本人に言うのはいいが、他人に話されると話は別だ。もしかしたら、今までもそんな話をしていたりしたのだろうか。妙に生ぬるい視線が向けられることがあったが、あれはもしかして。
ナキはいろいろ振り返りそうになって放棄した。
「え、あ、そうね。うん。次は言わない。でも、優しいとか、甘やかしてくれるとかはいい?」
「恥ずかしいから本気でやめて。いうなら俺の知らないところでやって」
「いいところだと思うのだけど」
「ほんとに、なんでこんなところだけ天然なんだ」
天然? と首をかしげるミリア。ここでは養殖は存在しないと別のツッコミを始めるユークリッド。ついていけていない観客としての侍女や護衛や追加の人員たち。少年だけがおかしそうに肩を揺らしている。
カオスすぎる。ナキは誰かどうにかしてと本気で願った。
「……想定を超えていちゃらぶでどうしていいのかわからないんですけど。
お花畑になりましたか。そうですか。楽しそうですねっ!」
ルー皇女が呆れたような、少し怒りの滲んだ口調でそう言いだした。そう言われても先に言いだしたのは彼女のほうだ。
その中でユークリッドが楽し気に笑っていた。
「いらぬツッコミをするからです。
今後はご注意ください」
「ユーリ知ってたの?」
「同行中に何度か。おかげで、誰もちょっかいを出そうと考えるものはなくなりましたな」
「忠告いるじゃない!?」
「実物を見なければ、あの姉様が? と鼻で笑うでしょう?」
「まあ、確かに」
散々な言われようのミリアは気まずそうだった。
「後でお話は聞きます。そうですね。今夜は寝かせませんよ」
ええぇと言いたげな表情のミリアは言葉では否定せず、ただ頷いた。ナキはミリアに釘を刺しておこうと決意した。するりとなにを言いだすかわからない。
こうして、色々なことがぐだぐだのままに紹介は終了し、ルー皇女は次の予定に押し流されていった。




