05/愉快な解答
四人目は貴族だった。
切れ長の瞳に、すらりとした体躯が特徴の二十歳の才女、ルチ・ペルノキア。
彼女はプライドがやたらと高く、高圧的な印象が目立つ典型的な貴族だったが、キリアに対してだけは初対面の時から違う反応を見せていた。
その原因は明白で、いわゆる一目ぼれという奴だったようだ。
「ちなみに、これは彼の容姿が齎した恩恵であって、それ以外の理由は含まれていないみたいね」
バルコニーで語らう美男美女を退屈そうに眺めながら、アイノアはため息交じりに言う。
「つまり、今回の件に関しては我々のルールに抵触していないということか。だが、どうしてだ?」
「反応が劇的すぎて彼自身が引いてしまったんじゃない? ほら、賞賛や好意って露骨であればあるほど疑わしくなるものでしょう? 嫌味に聞こえたり、本心とは思えなかったり。或いは、自分が本当の意味で好かれているわけではないと強く自覚しちゃったりね」
「そういうものなのか?」
「貴女は素直だからね」
「今のが皮肉なのはわかるぞ?」
「あら、それは残念。鈍感な奴の方が、ずっと生き易いというのにね」
おぞましいくらい優しい声で、アイノアは言う。
それを、どのように受け止めたのか、
「……彼は、生きにくかったんだろうか? これだけの恩恵があっても」
ぽつりと、イーリスはそんな事を呟いた。
「それは私には判らないわ。ただ、どうあっても美醜というものからは逃げられない人生になったことは、間違いないのでしょうね」
「生前と変わらず、か……」
声に滲むのは感傷だ。
それだけ、イーリスは彼に対して関心を寄せている。
狙い通りに事が運ぶというのは、やはり嬉しいもので――
「――ん、なにが可笑しい?」
「別に」
くすくすと口元を手で隠して笑いながら、アイノアは言う。
「それより、今回は甘いひとときでも見るとしましょうか」
瞬間、舞台が変わった。
寝室、暗がりのベッドに腰掛けたルチがブラウスのボタンを外している。その背中を、キリアはどぎまぎした表情で見つめていた。そういう経験はすでに豊富だろうに、未だに慣れてはいないらしい。
そういう部分は受動的故というべきか。
「ちょ、ちょっと待て!」
下着を露わにしたルチが、キリアの方を濡れた瞳で見つめたところで、イーリスが慌てた声を挟んできた。
「どうかした?」
「こ、こういうのは苦手なんだ。なんだか落ち着かない気分になるから」
だから早く場面を切り替えろと、イーリスは上擦った口調で言う。
「あら、以前にも見た事があったんだ? それは意外。これは是非とも具体的に聞きたいところだけど」
「……語ると思うか?」
「いいえ。だから諦めるわ」
肩をすくめて、アイノアは視線を二人に戻した。
「だ、だったら早く切り替えてくれ!」
「心配しなくても貴女が想像しているような事は起きないわよ。起きてもよかったんだけどねぇ、彼女の方も貴女に負けず劣らず初心だったみたいで、結局そういうところにまではいってないの」
言葉通り、二人がその先に進むことはなかった。
震えるルチの肩に気付いて、キリアが引いたためである。
「可愛いらしいものでしょう? 昔話でお茶を濁して、何事もなく別れるなんて」
「ま、まあ、そうかもしれないな」
安堵の息を零しながら、イーリスは頷き。
「これで終わりか?」
「いいえ、今回はこれからよ」
言って、アイノアは場面を切り替える。
ルチの父親と、下卑た笑みが特徴の男の密談。
父親は男に頭を下げて、男はそんな彼の肩を叩き、耳元で何事かを囁く。
父親はその言葉に一瞬びくりと身体を震わせるが、最終的には頷いてみせて、彼の意向に従う事を選んだ。
「ペルノキアは名門貴族だったけれど、時代の波には勝てなくてね。今や没落寸前。そして、当主であるルチの父親はそれを打開するために、娘を生贄にする事を選んだ」
要は政略結婚である。
「この男は本当に酷い男でね。でも、彼女はそれを知った上で結婚を承諾した。家を守ることが何よりも大事だという考えがあったからでしょうね。だけど、初めてまでは奪われたくなかった」
先程の光景は、そういう事情込みの誘惑だったわけだ。
ただ、覚悟が足りていなかったから寸前でビビってしまった。
「さて、この状況でキリアくんはどう動くかしら?」
「……わかりきっている気もするがな」
微かに目を細めて、イーリスは言った。
ごもっともな感想だ。
ただ、そうはならないという予感があったからこそ、アイノアはこの場面を選んだのである。
そして、その殆ど予知めいた予感は見事に的中した。
キリアは暴力による解決に出ることも、権力などに訴える事もなかった。
彼は、問題である相手の貴族を求めている別の女を利用したのだ。特別な魔法などを使う事もなく、相手の貴族がその女に夢中になるように手助けをして、相手の気持ちを変えてみせた。
貴族の男はクズといっていい人種だが、相手の女もかなりの性悪で、お似合いの二人に見えた。きっと将来、お互いのエゴで潰し合ってくれるだろうという期待が抱ける程度にはだが。
「予想通りだった?」
「……いや」
「私もそう」
おかげで酷く愉しめた。
見下しているからこそ発生した驚きではあるが、こういう感情はアイノアにとってとても重要なものだった。
渇いているという感覚を、一瞬でも忘れられるからだ。
「ねぇ、神様はこれを見てどう思ったのかしらね?」
そんな気持ちをかかえながら、アイノアは訪ねる。
その言葉が孕むものに、イーリスは眉を顰めた。
「思い通りにコントロール出来ていなかったというのか?」
「少なくとも、スカッとする勝ち方ではないでしょう? 彼等は自分たちが気持ちよくなるための行動を人形に望む。そう行動するように仕向ける」
「……」
「面白いわよね。こういうケースも結構あるのよ。大体、途中で本当の傀儡にされたりするのだけどね。今回、我々の対処は早かった」
本来、神殺しというのは末期状態になってから機能する事が殆どだ。致命的に世界の流れが狂ってしまってから、後始末を始める。
欠伸が出るほどの遅さ。愚神という加害者に対する過保護っぷりから、出来る限り管理者は変えたくないという思惑が透けて見えるようでもある。
まあ、そのあたりはアイノアにはどうでもいい事ではあるのだが、最近は世界にあまり干渉しないで、小さな枠の中で自分に酔っぱらう奴が増えた気がする。
正しくは、そういう酔っ払いに自己投影してマスターベーションする神共がだが。それをアイノアはまだマシな傾向だと捉えていた。
少なくとも、致命傷になるまでに時間がかかるし、今回のようにたとえ人形が死んでも、世界に何一つ影響がない状況で片付く事も増える。
もっとも、そういうこそこそした悪事を見つけ出す仕事を与えられた者にとっては、より面倒な事態なんだろうが、見つけられなかったら見つけられなかったでアイノアの仕事が減るだけなので万々歳でもあった。
「…………」
そんな、楽観的かつ投げやりなアイノアとは違い、イーリスはこれを見て色々と思う事があったようだ。
そのハラワタを引き裂いて、是非とも中身を拝見したいところではあるが、他者というものは実物を見るより幻想を見ている間の方がずっと魅力的に映るものである。
だからこそ、その先に踏み込むことはしない。それは、アイノアにとって何より重要な、好きな相手との関係においてのルールだった。
「さて、いよいよ次が最後の子ね」
「……なにか、他とは違うのか?」
声のトーンが今までより少し高い事に気付いたらしいイーリスが、やや不安そうに眉を顰める。
「ええ、そうね。だって、最後の子は幼馴染だから」
「それが、どう違うというんだ?」
「全てが違うわ。だって、幼馴染というのはなによりも特別な存在なのよ。誰よりも自分を理解してくれる他者だもの」
どこまでも甘い声で、アイノアは嘯く。
「幻想だな」
相反するような冷たさで、イーリスは吐き捨てた。
神によって押し付けられた意味の不快さがそうさせたのだろう。
「でも、永遠に続けば本物だわ」
夢見るように、アイノアはわらう。
「そして人間の永遠とはせいぜい百年程度。我々と比べてなんと短いことかしら。その程度で、叶ってしまう。贅沢な話よね」
「……」
その、どこまでも深く昏い瞳に、イーリスは数秒ほど押し黙ったのち、
「それは、そうかもしれないな」
と、絞り出すように頷いた。




