12/そして一つだけが残った
失うという事は、思い知るという事だ。
それが自分にとってどのような価値があり、意味があり、どれだけ必要なものだったのか。
或いは、どれほど不要なものだったのか。
(キリアくんの場合は、全部当て嵌まりそうね)
何故三人が死んだのか、それを探る内にキリアはある真実に辿りついていた。
間違いなく、知らなければよかったと思えるような真実。
レクナは使用人たちを苛め、精神的に支配したうえで、キリアに嫌がらせをするように画策していた。自分が屋敷のヒエラルキーの頂点に立って、全てを思い通りに動かそうとしていたのだ。
リコはまったく懲りずに殺しを続けていた。また失敗をしないように、練習を兼ねて外で無差別な殺人を行っていた。拙さは多少緩和されたようだが、爪の甘さが完全に拭われることはなく、それはやがて屋敷への捜査を予期させるものだった。
ネッサはキリアに生命保険を掛けていた。その上で、彼を殺したいと思っている人間に接触して、自分がその手伝いをしたいと申し出て二重の利益を得ようとしていた。
自分を好きになってくれた女たちの、どうしようもない悪性の数々。
ならば、ケイトもきっと――と、キリアは考えてしまっていた。
「いや、そんな筈……」
ない、と何度も何度も自分に言い聞かせるが、誤魔化しは利かない。
もう知りたくはなかった。だが、知らなければこれ以上一緒にいる事も難しそうだった。
いっそ、死んでしまいたい。
それが、今キリアの中に渦巻いている感情だった。
(そちらを選んでもよかったのだけど)
異世界への転生は、多少なりとも彼を前向きには変えていたのだろう。
キリアはそれでも知る事を選んだ。ケイトの真実に手を伸ばす事を決めた。
その結果、見つけたのは日記だった。
彼女が外出している時に部屋に無断で入り込んで、中身を覗いたのだ。
それ自体は褒められた行為ではないが、彼の状況を鑑みれば理解は出来る行いだ。それ故に、イーリスも殊更に眉を顰める事はなかった。
それよりも、この先が気になってしかたがないといった様子だ。もやは疑いようもなく、感情移入してしまっている。
(……やっぱり、そうなるのよね)
こちらが意図した遊びではあるが、ここまで嵌ると、なるほど設計者の心配も理解できる。
まあ、そんなアイノアの事情はともかく、日記を読み終えた彼は、拳を震わせ溢れだしそうな感情を堪えるように強く歯を食いしばっていた。
ケイトが殺したのだと、理解したのだ。
そして同時に、その動機にもたどり着いた。
だからこそ、キリアの胸中には裏切られたという思いは微塵もなかった。
むしろ、幼馴染を理解しているからこそ、彼女が次に取るべき行動が想像出来て、その恐怖に駆けだした。
「どこだ、どこにいる!」
ケイトは朝から姿を見せていなかった。
出かけると昨夜に報告はあったが、場所は聞いていなかった。
屋敷にはいない。使用人たちも行先を聞いていない。
八方ふさがりだ。手がかりがない。
「くそ、くそ、くそ……!」
抑えようがない恐怖がキリアの中に広がっていく。それはまだ根拠のあるものではなかったが、もう時間がないという確信が彼の中にはあった。
「けれど、キリアくんは間に合わない」
幼馴染の少女は最後の最期まで、手ぬかりなく事をやり遂げた。
そうしなければ、キリアを守れないと判っていたからだ。
「ねぇ、イーリス、これは罪かしら? 彼女は死ぬべき人間だった?」
「……」
アイノアの問いかけに、イーリスは黙り込む。
もう聞くまでもない。彼女にも判っているのだ。
あの三人を放置していたら、近いうちにキリアは破滅していた。彼だけではなく、その周りの関係者の多くも不幸になっていただろう。
簡単に引き下がるような人種でもなかったから、スマートに退場させるのも難しい。
だから、ケイトはこれ以外の手段を取れなかった。或いは、最初に殺人に発展に発展しなければ、ここまではいかなかったのかもしれないが、どちらにしてもそれは誤差の範囲だろう。
「殺人はこの社会において絶対的な悪だ。どんな事情があろうとそれが許される道理はない。同情の余地などあるわけもない。……貴女は、ちゃんとそう言わないと駄目よ」
呆れるように、アイノアは言った。
と同時に、キリアの進路が変わる。
真っ直ぐに、縁もゆかりもない、さびれた宿に向かって彼は駆けだしていく。迷いのない足取り。その速度は凡人のそれだったが、この上なく運よく途中で馬車を拾い、彼は彼に出来る最速でそこに辿りつく。
それは幸運と呼ぶにはあまりに幸運過ぎて――
「……貴様、一体なにをした?」
驚愕と怒りに彩られた表情で、イーリスは震える声をはきだした。
それなりに上手くやったのだが、やっぱりこういう事に関しての感度はずば抜けているようだ。まあ、といっても露見するのは判りきっていたので、特にやらかしたという思いもなかったが。
「悪いこと」
と、アイノアは悪戯っぽく笑う。
その、あまりに事態の重さとかけ離れた軽さに、イーリスは声を荒げずにはいられなかったようだ。
「ふざけるなっ! 貴様、自分がなにをしたのか判っているのか?」
「我々のルールに抵触したというだけでしょう? この世界でいうのなら、そうね、空き巣くらいの悪事なのかしら? あぁ、貴方に嘘をついたわけだから、詐欺にもなるのかしらね」
「……私は、報告するぞ」
どこまでも硬い口調でイーリスは言う。
その気弱さに、アイノアは失望のため息をついた。
「当たり前でしょう? あまりつまらないことを言わないで。私の中で、貴女の評価が下がってしまうわ」
「……どうして、こんな事をした?」
「どうしてって、ただで覗き見するのも悪いじゃない? だから、報酬はあげないと、つり合いがとれない」
「人間など塵芥だろうが! 何故、そんなものの為に……」
「お説教は遠慮するわ。どうせ、このあと他の子にされるんだから、貴女までする必要ないでしょう?」
そういって、適当に会話を切り上げようとしたところで、突然アイノアの視界に罅が入った。
文字通りの罅だ。
視覚だけではなく、目の当たりから上に亀裂が入ったらしい。
金色に輝く鮮烈な朱色の血が、まるで重力に縛られた生物みたいに地面に向かって伝っていく。この色の血が出たという事は、かなり深いところまで損傷を受けたという事だ。
「あらあら、早い仕事」
視覚が完全につぶれる前に映ったイーリスの驚きからみて、彼女が報告をした結果というわけではなさそうだった。
「私って、やっぱり信用されているみたいね。ふふ」
上の迅速さとタイミングの良さを感心しつつ、アイノアは垂れてきた血を舐め取って、久しぶりにその味を噛みしめつつ、訪ねる。
「それはそうと、キリアくんは間に合ったのかしら?」
「……あぁ」
その声に合わせて、どさりと何かが墜ちる音が届く。
きっとキリアがロープを剣かなにかで切ったのだろう。その後、ごほごほ、と少女の咽るような音が聞こえてきた。
なら、もうここに用はない。
彼等の未来は、もはや彼等だけのものだ。
神を失い、大事なものをほぼ全てを失った男には、特別な一つが残った。
その残った者とどう生きていくのか、興味がないわけでもなかったが、そのあたりは想像するに留めるのが最良だろう。
まあ、どの道、目を潰された以上追いかける事は叶わないので、他に出来る事もない。
「では、そろそろ帰りましょうか? ……あぁ、もちろん、貴方がまだ見たいというのなら、付き合ってもいいけれどね」
「……必要ない」
まだ感情の整理が出来ないのか硬いままの声で言って、イーリスはアイノアの手を掴んだ。
「あら、私に触れるのは嫌ではなかったのかしら?」
「そんな事を言った覚えはない」
「じゃあ、好き?」
「そうなる理由がどこにある?」
素っ気なく言いながらも、イーリスはその手を離すことはなかった。
「視えなくなっただけなのに、大袈裟ねぇ」
そこらの生物じゃあるまいし、別に手なんて握られなくても、どこに何があるかくらいは最低限わかるし、帰る事に支障があるわけでもないのだ。
にも拘らず、ここまで手厚くしてくるということは、つまるところアイノアの行いに非難以外のなにかを抱いたという事を示していて――
「……貴様が、無頓着すぎるだけだ」
やや掠れた声で言って、イーリスは握る力を強める。
それが少し痛かった事を可笑しく思いながら、アイノア嫋やかに微笑んだ。
「では、帰路のエスコートはお願いしましょうかしらね。私の素敵な相方さん」




