38 祝福
※※※2021/3/21より、本作の大幅改稿版『最愛なる猛毒、致死量の慈愛。』を連載しております。大まかな展開は変わりませんが、【演出】【構成】【台詞】【一話あたりの文字量の改変】等、読みやすさを重視した改稿となっており、また、本作では描かれなかった【糸子と星史のはじまり】を書き下ろしております。読まれる際には改稿版のほうを強くお勧めいたします。※※※
約束の時間はまだ先なのに、どこかふてぶてしくインターホンが鳴った。
いいや、ふてぶてしいも何も実家なのだから、本来は必要の無い手間を一つ挟んだと考えれば、彼女なりに弁えた行動なのかもしれない。その礼儀を賞して玄関まで出迎えると、一瞬にして考えは覆った。
数秒前までの賞賛を返しやがれ。僕は無言で妹に訴える。
「……なんで荷物取りに来たのに増やしてんだよ、」
「うるさい。」
妹は両手にスーパーの袋をぶら下げていた。単に開けるのが面倒だっただけかよ。てかなんだよ、その袋。手土産? 野菜と……卵もあるな。生鮮の土産とかやっぱわかんねーわ、こいつ。
物言いたげに目を据わらせる僕へ、妹はただ一言「寒い」と、やはりふてぶてしく発して、図々しく上がりこんだ。
いや、だから実家だからいいんだけど、別に。僕は少々不満げに、乱雑に脱ぎ捨てられたブーツを揃えた。スウェード生地のつま先に溶けた雪がとどまって、きらきらしている。
もう三月も終わるのに東京には今日、なごりの雪が降った。久々の最高気温一桁は、妹が不機嫌を溢してしまうくらい、たしかに寒い。
どうして今日に限って降るもんかな。
無念か感慨か、複雑な溜め息を一つ落としたところで、リビングへと踵を返した。
両親の離婚が成立してまもなく一ヶ月。裁判も慰謝料も無い、比較的円満な(それが相応しい表現かはさておき)離婚の末、妹の親権は父が、そして兄の親権は母がそれぞれ得ることとなった。
いつかの宣言どおり父と暮らすことになった妹は、ここしばらくのごたごたや、後始末を済ませた最後の仕上げのように、本日、実家の私物を引き取りに来たのである。
そう。荷物の回収に来たのだ。それなのにどうして、
「で、なんだよ、この袋。」
話が重複してしまうが、なぜ回収しに来たのに物を増やしているんだ。この妹は。テーブルに置かれた買い物袋に視線を落としながら、僕は再度妹に問いかけた。
「昼飯。」
ひるめし。平然と簡単な答えが返ってくる。
「は?」
「おまえが、ついでに昼にしようって言ったんだろ。」
いや、うん、言ったけど。……え?
スーパーのロゴが印字されたビニールから、卵や野菜が透けて見える。……え? 昼飯って、そういう? え?
瞬時にありえない仮説が浮かぶ。いやいやまさか……と、自らの仮説を否定する僕の傍らで、妹はがさごそと袋を漁り、ごぼうと人参を手に取った。
「作る。」
畳み掛けるように仮説を実現にしてしまう。はあ……としか言えなかった。
いやいや、外食って意味だったんだけど。とか、もしくは出前のつもりだったんだけど。とか、どういう風の吹き回しだよ。とか、そもそもおまえ料理できんの? とか、色々突っ込みたい精神は満載だったけれど、はあ、としか言えなかった。
ひのでの爪が、料理に適する長さに切り揃えられていたせいかもしれない。
僕も一緒に、袋を漁り始めた。
胡麻油でにんにくと生姜を炒め、香り立ったところで豚肉とささがきごぼうを投入し、粉状出汁と塩をふった。豚汁を作ると言っていたが、なんだか面白い手順だな。米を研ぎながら横目で妹を観察した。
料理をする妹という珍しい生き物が、見慣れない段取りで作業を進めている。
「父さんにも作ってんの?」
「たまに。」
「なに作ってんの?」
「色々。」
「てかおまえ、料理できんのな。」
「ネット見れば充分。」
手と口が、作業と会話が、同じ調子で進む。どちらがどちらの邪魔をするでもなく、どちらかがやたら盛り上がるでもなく、殺伐でも和気藹々でもなく、進む。
「髪、伸びたな。」
「のばしてる。」
「爪、切ったんだな。……って、よく見たら色付いてんじゃん。」
「ジェルだから問題ない。」
「なんだそれ。」
僕のほうを向かない妹をひたすら観察した。
包丁を使う上で邪魔にならない程度のミディアムヘアが、両耳にかき上げられている。髪色は、以前より幾分濃くなっていて銀よりも灰色に近い。露出した耳には、飾り気の無い樹脂ピアスが二つほど装着されているだけで、残りの穴は放置されている。
何が「問題ない」のかよくわからない爪は、短いながらも艶のある薄ピンクに仕上がっていて……そして、少し視線をずらした手の甲には……
「今日、あいつは?」
視線が移動しきる前に、ひのでは問いかけてきた。
本日初となる妹からの質問に、僕は一瞬だけ間を置く。
「保護司さんとの面会日。」
やがて、できるだけさっぱりと答えた。
「おまえは? 次、いつ?」
「来週。」
妹の返答も、ずいぶんと淡白だった。それが意図的なのか自然体なのかは、判らないけれど。
今さっき観察し損ねた、妹の手の甲を、今度こそじっと見た。
乾いてこそいるが、当時の凄惨さを物語る傷痕が、新しい皮膚に覆われてくっきりと残っている。
難なく調理を進める手元と軽やかに動く指に、安堵の息をついてから、冷蔵庫を開いた。
百香の事件からもうすぐ半年。
知らぬ間に交わされた星史とひのでの談合により、二人は家庭裁判所の審判において、保護観察処分を受ける事となった。
あの事件から一晩明けて目覚めた僕は、意識が鮮明になってゆくのと同時進行で、いろんな大人たちにあれこれ聴かれた。親だったり、警察だったり、いわゆる聴取だったのだろう。大人たちの態度は時に物々しく、時に不自然なほど穏やかで、全体的に僕を腫れ物扱いしているようだった。
その中で生じた矛盾や食い違いを、星史とひので、そして雨宮による口裏合わせだと察するのは容易かった。
そして僕は、それに従順した。
『はい。間違いありません』『妹が友人を退学に追いやりました』『友人はそれを恨んでいました』『それが発端で言い争いになりました』『言い争いは暴力沙汰に発展しました』
『僕と幼馴染が止めに入り、巻き込まれました』
子供にも理解できるくらい噛み砕いた嘘の証言を、何度も、何度も、大人たちに繰り返した。
彼らの仕立てた事実無根に加担して、星史とひのでに罪をかぶせ、雨宮と協力して、百香を、庇った。
「材料、余る?」
冷蔵庫の中を指して、僕はひのでに聞いた。
「長葱以外は、もう使わない。」
思いのほか丁寧な返答がもらえた。
「じゃあ俺も一品作ろうかな。」
ごぼうを取り出して意気込む。適当に引っ張り出したアルミホイルをぐしゃぐしゃにして、擦り当てながら皮を剥く。
「……なんだ、そのやり方、」
とたんに手を止めた妹が、据わらせた目で僕の手元を見ていた。
「ん? ああ。こうすると簡単に剥けるんだよ。ごぼうってさ、皮のあたりに一番風味も栄養もあるから、無駄にならないって教えてもらっ……」
「早く言えよ、それ。」
「え……あ……悪い。」
妹の理不尽さは相変わらずだと感じつつも、まだまだ反射的に謝ってしまった。
以前に比べ多少は丸くなったとはいえ、未だに棘を残す妹を疎ましく感じるより、案じた。そんな態度で、保護司との面会大丈夫なのかよ。うまくやれば、二年もかからなくて済むかもしれないのに。
おまえのそれが単なる幼稚って捉えられるのは、俺が兄だから、なんだからな。
説教の一つもかましてやりたいところだったけれど、今日という日に免じて、目を瞑った。
本人たちを含むとはいえ、計四人もの重傷者を出した暴力沙汰が、保護観察で済んだのも、彼らの計画通りだった。
まず、星史とひのでの『喧嘩』に関しての刑罰は事実上、無しである。
双方の供述から充分な反省が見受けられ、互いに訴える意思も無かったため、いわゆる喧嘩両成敗で事なきを得たのだ。
しかし、僕と百香が『負傷』した件については、いくら巻き込まれたとはいえそうはいかなかった。
僕らの証言により、双方の家族も納得した上でどうか穏便に……と、話は進んだものの限界はあり、形ばかりの示談と保護観察処分は下ってしまったのである。
事件隠蔽に加担しておいて、どうか穏便に……なんて、相変わらずどうしようもない奴だ、僕は。
星史も、ひのでも、そして雨宮も、僕らを……僕と百香を、これからの僕らを、守ってくれた。
僕と、百香を。
百香……そう、百香は、あのあと……―――――
「いただきます。」
向かい合い一緒に手を合わせながら、僕だけが言った。
テーブルには、妹手製の豚汁と、鶏の塩だれ焼きと、卵焼き、ついでに僕の作った筑前煮が二人分ずつ並ぶ。最初の一口に豚汁を選んだ。
「うまいじゃん。」
「ネット。」
謙遜なのか自慢なのかよく判らない返事に笑う。僕の一口目が済んでから、ひのでも筑前煮に箸をつけた。
「……ちゃんと筑前煮だ。」
褒めているのか皮肉なのか、これもまた判らない。一応、口には合っているみたいだ。
「まあな。今んとこ、唯一再現できる師匠の味。」
少々得意気に目を細めつつ食事を続けた。
「しごと……うまくいってるんだな。」
妹は箸を口元に置いたまま、呟いた。
「はは。大変だけどな。まー楽しい。」
「私も、来月から働く。」
「まじで。なにすんの?」
「いつもの美容院。」
「あー、サロンモデルの? え? 美容師なんの?」
妹は、ちいさく首を振った。
「雑用しながら、ネイリストの資格とる。あそこ今度、ネイルも併設するから。」
妹の報告に胸を撫で下ろすあたり、僕もひのでも、そして兄妹自体も、進歩していると実感できた。以前の僕が、以前の妹に、「働く」なんて聞かされていたら、きっと身体意識全機能停止の末、各所に説得を試みていただろうから。
ひのではこの半年で、だいぶ角が取れた。
僕への態度や愛想はまだまだ怪しいけれど、内と外をそれなりに弁え、表と裏を使い分けるようになってきた。
此度の就職(と言ってもまだバイトレベルなのだろうけど)も、常連兼サロンバイトとして通っている店側からの声かけらしい。
彼女の見栄えと自前のネイルゆえのオファーならまだ頷けもするが、そこに性格人柄が入るとなれば話が別……と、以前なら眉をひそめていたと思う。
しかし今のひのでであれば、経験さえ積めば接客もなんとかなるだろう。
というより、店側もそう考えたからこその、オファーだったのかもしれない。
「おまえ爪いじるの得意だもんな。よかったじゃん。」
「うん。得意。」
「モデルのバイトも続けんの?」
「続ける。」
「なら一石二鳥だな。」
「うん。」
思わぬ近況報告と朗報に、会話も箸もすいすい動く。
……あ。鶏焼き、うまい。塩味だけどみりんも入ってるか? 最近自分も料理をかじるようになったせいか、味付けだの焼き加減だの、これまで気にも留めなかった部分に目が行くようになった。
「……それに、近く、なんだ。」
会話の続きが、唐突に感じた。
妹は唐突のつもりではないのだろうけれど。まだ、こういうあたり、接客業に就くなら頑張らないとだな、こいつは。指摘を胸に秘めつつ、僕は会話を繋げた。
「近くって、何が?」
幼子に接するように、できるだけおだやかに、きいてやる。
「モモカの、学校。」
取り繕っていた微笑みが、音も無く、やんだ。
事件により、ひのでは高校を退学処分となった。
むしろ今までが寛大だったのだろう。さすがに今回ほどの事件となっては、いくら成績優秀者とはいえ学校側も擁護しきれなかったようで、しかも休学中の騒動であったせいか、教師達は満場一致で処分を決定したらしい。
後を追うように、というわけではないけれど、同時期に僕と雨宮も退学した。
答案用紙の窃盗および、カンニング行為を自首したのだ。
学校側から下されたのは停学処分だったけれど、揃って退学を願い出て、一年半の高校生活にピリオドを打った。罪の意識……はあったっちゃあったけれど、決定打ってほどでもなくて、しいていえば、何もかもまっさらにしたかった。
まっさらに、したかったのだ。
彼女の事件をきっかけに。
彼女と、同じように。
「記憶が……無い?」
意識が回復した桂木百香には、事件の記憶が残っていなかった。
汚職事件に関わった政治家特有の『記憶にございません』戦術とは違う。正式に診察を受けた上での小難しい診断名のついた、いわゆる、記憶喪失だった。
しかも、都合よく事件だけぽっかり抜けているのではなく、かといって、自分自身が解らないといった重症なものでもない。
百香から失われたのは、およそ、この一年間の記憶だった。
「稀な症状ではあるけど、症例が無いわけじゃないみたい。」
主には転倒の多いスポーツ選手等に起こりうる例なのだと、雨宮は説明してくれた。
症状の度合いも影響する期間も個人差があり、一日だったり、一ヶ月だったり、それこそ一年だったり……決してあり得ない事ではない、と、医療従事者である父親から教わったらしい。
「ただ、原因が頭部外傷じゃないあたり……桂木の場合は、特例中の特例なんでしょうね。」
聴取やら、治療やら、一通りの面倒事が済みようやく自由に接触できるようになってすぐ、僕らはまるで口裏合わせの反省会のごとく集合した。
そして、百香の詳しい容態と現状を知った。
特例中の特例。聞けば聞くほど頷けた。
ひのでによる刺し傷は奇跡的にどの内臓も破損させず、傷の深さに対して、命には何の別状も無かったのだ。
それなのに、百香は目を覚まさなかった。心拍数も脳波も異常をきたさないまま、およそ一週間も眠り続けた。
意識の回復の仕方も、まるで、ただの寝起きだった。多少の混乱や時差ボケのようなものはあったにしろ、衰弱した様子も特に無く、見舞いに訪れていた雨宮と視線が合うなり、はっきりとした表情と声で、こう発したらしい。
『あれ? 雨宮……さん?』
「そりゃそうよね。一年前のあたしと桂木は、クラスメイトってだけの他人だもの。」
リセットされた百香との関係について、雨宮は冷静な感想をあげた。感想というより分析ととれる冷静さに、こっちが戸惑ってしまう。
「おまえはさ、納得してんの?」
率直に聞いた。
此度の事件。加害者と被害者、すべてが僕らの捏造だ。百香は罰せられないどころか、主犯でありながら真実を知らず完全な被害者となり、すべての罪を星史とひのでが肩代わりしたのである。
星史の命令とはいえ、こんな結末を受け容れてしまうなんて。
「桂木のことは許せないけど、嫌いきれそうにないから。」
至って真面目に雨宮は答えた。どこまでも冷静な声には、悔しさや不服さが微塵も見当たらなくて、それに影響されてか僕の戸惑いも薄れた。
「親友ごっこしてるうちに情でも移ったわけ?」
意地悪く、からかう余裕まで生まれる。
「わかんないわよ。そんなの。」
色々吹っ切れたのか、雨宮は否定も肯定もしなかった。
「似てるのよ。あのふたり。」
あくまで、自分のペースで、心情を語った。
「本人たちは、水と油のつもりだろうけど……やっぱり似てる。」
まっさらになったのは、なりたかったのは、雨宮も同じだったらしい。
「本当、調子狂うわ。……桂木百香は。」
それ以上は、からかえそうに、なかった。
「おまえは納得してるのか?」
本日二度目となる妹からの質問に顔をあげた。右手に箸を、左手に茶碗を持ったまま見据えあう。一呼吸をおくつもりで、僕は両方テーブルに置いて、姿勢を正した。
「納得も何も、俺は救われてしかいない。」
ひのでと星史が罪を被ってくれて、一番都合のいい形に事件が捏造されて、僕と雨宮がまっさらに吹っ切れられて、百香が、悪者にならなくて。
それどころか、……こんなふうに考えるのは、最低かもしれないけれど、
「百香が、まっさらになって……正直、安心してる。」
今の百香は、名塚月乃を知る前の百香だから。
僕と星史が出逢う前の、百香だから。
『僕らが出逢わなければ』
認めたくない仮説に、どれだけ囚われただろう。偶然の産物ではあるけれど、星史と、妹と、雨宮は、百香の狂ってしまった歯車を直してくれた。
僕の幼馴染を取り戻してくれた。
僕は救われただけだ。事件の結末に対する思いに、嘘偽りは無い。
「………。」
しばしの沈黙に身構えた。顔をあげるのが怖い。妹の目を見るのが怖い。殴られるかもとかそういう恐怖じゃなくて、どこか孤独に似た不安。箸を持ち直すことも、口を開くことも、妹のほうを向くのも、何も出来ないまま、僕は妹のことばを待った。
「私も。」
顔をあげると、妹の、見慣れた無愛想と派手なメイクが、不釣合いにやわらかい眼差しで僕をみつめていた。
「……モモカ、元気だよ。新しい学校、たのしそう。」
また唐突に、会話の続きと食事を再開した。
やはり接客業に就くには苦労するだろうな、最初のうちは。
先ほどと同じように胸に秘め、僕は妹が伝えてくれる、幼馴染の近況に耳を傾けた。
退院後、百香は百香で、転校という形で学校を辞めた。これにはもちろん、くだんの記憶喪失が関係している。
百香の両親や担当の医師、そしてカウンセラーの意向から、彼女に今回の事件についての詳細は伏せられた。
百香には、『どんな事件に』『どう巻き込まれ』『誰に刺された』という情報が、一切入らないようにしたのである。
それに伴い、今までと同じ学校では何かと不都合なのではという理由から、百香は都内の別の私立高校へと転校することとなった。偏差値を少々下げ、彼女の日頃の生活態度も幸いし、特に問題なく二学年からの編入が許可された。
ひのでの話によると、クラスにも難なく馴染み、休日には友人たちと過ごすことも多いらしい。
「あいつ、コミュ力だけは凄まじいからな。力技だけど。」
近況報告を聞いて笑うと、妹もこくこくと小さく頷いた。
「……たしかに、似てるかもな、」
雨宮の言葉を思い出して、ついこぼした。
「……なにが?」
当然、ひのでは食いつく。
「ん? ……ああ。星史と百香が似てるって……クラスの奴が言っ―――」
「似てない。」
即座に声をかぶせる妹に、雨宮糸子の名前を伏せておいて正解だったと安堵する。
「全然似てない。」
攻撃的に妹は念をおした。
「いや、顔とかじゃねーよ? ふんい……」
「似てない。全然似てない。似ても似つかない。」
「んなに連呼しなくても……」
「あいつ嫌い。」
「いや、そん……」
「モモカをビッチって言った。」
「えー……そもそも先に百香が……」
「モモカはビッチじゃない。」
「…………おう。」
色々諦めて、最後に残しておいた卵焼きに箸をのばした。
口に運ぶなり、はっとする。
全然甘くない。
「あいつむかつくし、嫌いだけど、もう私、この家戻らないし、陽も、いないし……部屋、あまるし、……使うのは、ゆるしてやる。嫌いだけど。」
僕の反応に気付くこともなく、妹はまだ文句を垂れている。
そんな彼女を眺めているうちに、出汁の利いた卵の味が口に拡がる。
砂糖味の卵焼きなんかより、本当は大好きなんだと、ずっと言えなかった味。ゆっくりと飲み込むのと同じころ、妹の文句も底をついた。表情だけはまだ拗ねているようにも見えて、なんだか目の奥が熱くなった。
軽く唇をかみしめて、むりやり微笑む。
「ありがとな。おまえ本当は、星史じゃなくて百香に、自分の部屋使ってほしかったんだもんな。」
……約束破って、ごめんな。
間を置いて謝罪した。
やっと謝れた。
妹との、守れなかった、約束を。
僕が小学二年生。妹が小学一年生の夏休み。八月三日。
僕は妹と喧嘩をして、怪我をさせた。
後悔と罪悪感で、情けないことに僕だけが大声をあげて泣いた。
冷静な妹を前に、ひたすら許しを乞い、わんわん泣いた。
「ごめん……ごめんね……ひので、」
泣きながら何度も謝った。
「なんでも……なんでもするから、ぼくをゆるして。」
謝るばかりの僕に、妹は一つだけ、願った。
「おにいちゃん。おねがいが、あるんだ。」
どうして僕は、このたった一つを、叶えられなかったのだろう。
守れなかったのだろう。
「モモカちゃんと、……家族に、なってほしい。」
「結婚、って、そういう意味だったんだよな。」
答え合わせに、妹はこくりと頷く。
「……一応、きいてもいいか?」
続く質問に、今度は見据えて頷いてくれた。
「どうして、俺と百香に結婚してほしかったわけ?」
眉もよせず、目も見開かず、でも無機質と感じさせず、妹は僕をじっと見ながら、「家族、」と溢した。
家族? 僕はにぶいおうむ返しをする。
「私が、モモカと家族になりたかったから。」
喋る度に、長い睫毛を伏せてゆく。
「おまえが結婚してくれれば、私、モモカの義妹に、なれた……から。」
最終的には、目を瞑っているようにも見えるくらい、視線を下げていた。
空気が詰まる。
リビング内は曇り模様で、ある意味、外の雪よりもたちが悪い。
完全に僕の責任だ。この息苦しい雰囲気を打破しなければ……
「……そっかー。いや俺さー、百香が俺に惚れてたから、おまえが気を利かせてくっつけようとしてんのかと思ってたわ。」
謎の使命感を胸に、大いにふざけた。
「自惚れんな。グズ、無能、ボンクラ。」
容赦なく妹の目つきが変わる。……なんか聞き覚えのある三連罵倒だな……。
思い切り睨まれた対価として、空気が見事に晴れてくれたので良しとした。
「それに……」
? ……それに?
「……なんでもない。」
……。
深くは聞かないでおいた。
たぶん妹は、吹っ切れようとしている。しかしその達成を阻止しているのもまた、妹自身だ。たかだか二年弱、長く生きていればわかる。一応、兄として、わかる。
考えるほど考えすぎなんだ、妹は。
変な所ばかり兄に似て、わが妹ながら不憫な奴だ。
「俺が言えた立場じゃないけどさ、」
僕はおもむろに調子に乗った。
「家族になる方法なんて、いくらでもあんだろ。」
調子に乗って、兄ぶった。
「この先、おまえが家族になりたいって思える相手も、まだまだ現れるって。世の中、百香だけじゃねーよ。」
偉そうに言うな。次にくる妹の台詞なら、容易に想像できた。
カラコンで覆った眼球で鋭く睨んで、長いマツエクでばっさばさと威嚇をするんだ、こいつは。
「偉そうに言うな。」
ほらきた。本当、わかりやす……
「ふられたくせに。」
……は?
「……なんの話?」
「糸子。」
「……は?」
読みきれなかった展開に突如として参戦した名前に、固まる。え? へ? 頭の処理が追いつかない僕をあざ笑うように、妹のスマホが鳴った。
「あ。糸子からだ。」
画面を確認しながら妹はまた、その名前を呼ぶ。雨宮の下の名を、あまりにもさらりと。
僕はいよいよ混乱した。
「は? え? え、おまえ達……連絡先…え? あ、電話?」
「ライン。」
まじかよ。
混乱の末は呆然だった。まじかよ。俺しらねーんだけど、あいつのライン。てかラインやってんのかよ、雨宮糸子。
混乱の末の呆然、呆然の末の冷静、そして冷静の末の敗北感、または劣等感。
「いやまだフられてねーから。今度デートするから。」
一周してわけもわからず、むきになった。
「十年早いって、糸子言ってた。」
「糸子とか呼ぶな!」
年子の妹に打ちのめされるのなんて、とっくの昔からだったはずなのに、久しぶりにまぬけに、むきになった。
最終的に纏まった荷物は紙袋三つ分。まだ雪は降っているみたいだし、ビニールで包んでいくかと提案すると、「ださいからやだ。」と一蹴された。もっといい断り方ってものがあるだろ。
「駅まで、ひずるさんが迎えにきてくれるし。」
そうそう、そういうのでいいんだよ。
「おう。父さんによろしくな。」
「陽にも、よろしく。」
「はは。たまにしか会わないけどな。」
適当な、それでも進歩した兄妹の会話が一段落したあたりで、ひのではブーツを履いた。
「……じゃ。」
さよならの態度は、相変わらずだ。
「……ひので、」
でも僕も、あまり妹のこと、言えない。
呼びかけて振り向いた妹に、僕は小さな包みを投げた。両腕に紙袋をぶら下げる妹は、決して自由とはいえない両手で、見事にキャッチする。
受け取って一瞬だけ僕を見ると、ひのでは断りもせずにすぐ、封を開けた。
「誕生日、おめでと。」
包みから出てきたマニキュアを見つめる妹に、告げる。
三月二十一日。
日程が今日に決まって、取り急ぎ、ドラッグストアで購入した空色のマニキュア。ラメが入っているのと入っていないのとで悩んだけれど、僕なりに感性を信じて選んだ、ラメ入りのマニキュア。
「…………ださ。」
「言ってくれんなよ……。」
「ラメが超絶ださい。」
「これ以上、お兄ちゃんをいじめないで。」
まだ雨宮の件も立ち直れてないんだから。真面目なトーンで言うと、ひのでは肘の内側に顔をうずめて背を向けた。小刻みに震えてやがる。
「今さらかよ。」
声まで震えてやがる。
笑ってやがる。
つーかいじめてた自覚あったのかよ。僕も手を口元において、咳払いをして、笑いをごまかした。
「旭、」
震えが止まってから、ひのでは背を向けたまま、小さく言った。
「……モモカちゃんを助けてくれて、ありがとう。」
振り向かず、言った。
「俺は、なんにもしてないよ。」
妹は今、どんな顔をしているのだろう。
派手なメイクの下で、どんな表情をしているのだろう。兄をどう思っているのだろう。
皆口ひので。十六歳。
三月二十一日生まれ。血液型B型。
容姿端麗、成績優秀、素行不良続きで高校中退。来月、就職。
暴虐的で幼稚。激情家で傲慢。最近は、そうでも、ない。
僕は妹を知らないようで、まあまあ知ってる。知っているようで、まだまだ知らない。
もどかしいな。むずかしいな。歯痒い兄の感傷を裏切るように、妹はあっさりと振り向いた。
ヘーゼルのカラコン、ばさばさの睫毛、濃いめのリップにチーク。
隠し切れないどこか軽薄な笑顔。
そうか、こんな顔か。
僕たちは、
けっこう、似ていた。




