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36 告白

※※※2021/3/21より、本作の大幅改稿版『最愛なる猛毒、致死量の慈愛。』を連載しております。大まかな展開は変わりませんが、【演出】【構成】【台詞】【一話あたりの文字量の改変】等、読みやすさを重視した改稿となっており、また、本作では描かれなかった【糸子と星史のはじまり】を書き下ろしております。読まれる際には改稿版のほうを強くお勧めいたします。※※※




 何が少女たちを駆り立てたのか。

 何が少女たちの琴線に触れたのか。


 何故彼女は、少女たちへ、甘く、浸み込んでしまったのか。



 彼女が犯した、最愛の罪。


 最愛への執着、

 独占、主張、理想、美学、証明、庇護、


 選択。




 あるいは


 彼女こそ 侵されていたのか




 だとすれば


 きっとそれは、彼女と、少女たちにとっての、



 最愛、なる―――――











 その存在を忘れていたわけじゃない。むしろ脅威だと、幾度となく思い知ってきたつもりだ。

 名塚月乃の爪痕であり、残り香。彼女がこの世に産み遺した『信者』たちは、世間を騒がせ、時代を超えて僕らの日常にも蔓延った。その魔の手は星史にも及び、ついには間接的に、彼を追放する決定打ともなった。



「名塚月乃になるの。」



 かつて、彼女を模範とした少女たちも、それを目的としたのだろうか。

 真意なんて推し量れるものか。今、僕に見えているのは、桂木百香という幼馴染が、名塚月乃という殺人犯への心酔を口にしている、事実だけだ。


「百香……おまえも、まさか、」


 『信者』……に?

 震える問いに百香の恍惚がやむ。瞳の艶を消して澱んだ無表情を向けてくる。


「他の信者(奴ら)と一緒にしないで。」


 ぎりぎりの空間を保っていたナイフが喉仏にふれた。


「……百香は誰よりも、名塚月乃を理解しているの。思想も、苦悩も、孤独も、愛情も……誰よりも、名塚月乃に近づいているの。手段を真似るだけなんて、そんな、浅はかじゃないもん。」


 「ないもん」なんて、耳に馴染みきったはずの語尾が、ぜんぜん知らない声となって冷淡に響く。

 ……嫌だ。痛覚とか、恐怖とか、驚愕とか、絶望とか、身体じゅうを満たすものは計り知れないのに、絞り出した感情はそれしかない。


「そんなの……いやだ、」

 唯一の感情が勝手に口からこぼれる。


「俺は、おまえに……名塚月乃になんて、なってほしくない。」

 こんな状況下でもまだ、乞う。諦めきれず縋りつく。変わりゆく桂木百香を認められない。


「なんで……そんなの、憧れるんだよ? ……あの誤投事件、も、おまえの仕組んだ事……ってわけ、なん……だろ? なんで、わざわざ、あんな……思いまで、して……名塚、月乃に、なんて……」


 名塚月乃へ近づく彼女を認めたくない。


「ああ、あれねー、」

 命からがらに口を動かすだけの僕と反し、百香は軽やかに喋る。いつもどおり、えくぼを見せて。

 再び恍惚が宿ると同時に、首に微かな痛みが走った。視線の届かない喉下で、きっと、刃先が触れただけの傷をつけている。


「最っ高だったよ。クラスでのあの視線。」


 休む間もなく、百香の真意と事の真相が胸をえぐる。


「みんな、みーんな百香と名塚月乃の関係を疑わないんだもん。あのまま娘ってことにされてても、悪くなかったんだけどねー。まー所詮嘘でしかないしー。」


 僕も、星史も、雨宮も、踊らされていたんだ。

 彼女の企てた筋書きに。


 鋭利な感触が痛覚を残して離れる。百香はナイフを、首から胸元へとんっと置き換えた。衣服すら傷つけない力加減は、無遠慮な猟奇を引き立たせ、絶望を一切薄めやしない。

 血なまぐさい手のひらがまた、頬を撫でる。


「それに、再確認もできちゃったし。」

 再……確認?



「あのときだって、旭は百香を頼ってくれたよね? 百香に言われたまま、従ってくれたよね。」



 ……そのとおりだ。


 あの日、百香に疑惑がかけられた日、僕は言われるがままに彼女を生贄にした。命じられるがままに保身に走った。すべてが自分の意思なのだと、決断なんだと言い聞かせて、黙って、絶望して、従った。

 ……どうしていつもこうなんだ、僕は。

 答えを与えられて、望まない結果が出てから……ようやく気づくんだ。



 百香を、名塚月乃に近づけてしまったのは、第二の名塚月乃に加担したのは、


 僕だ。




「安心して、旭。」



 本物のでくのぼうに、彼女はやさしく言う。



「旭は、それでいいの。このままでいいの。」



 麻酔薬のような母性で、麻痺させる。



 旭のことは、百香が守ってあげる

 百香よりお勉強ができなくて

 百香よりお友達もいなくて

 人殺しの家族で

 ママから離れられない妹にも勝てない可哀想な可哀想な旭を

 百香は絶対助けてあげるの



 ……出来損ないのままでいいのだと、慈しむ。



「百香だけはずっと味方でいてあげる。」



 心地良く息の根を止めてくる劇薬に、呼吸を忘れてしまう。もしかしたらこのまま、鼓動も忘れてしまうかもしれない。何を見ていて、何に触れて、何を嗅いで、何を考えているのかさえ、わからなくなってしまうかも、しれない。

 気づかないまま、死ぬことさえ、できそうだ。


 気づかなくていいなら、わからないままなら、

 それも……いいかもしれない。



「百香はね、名塚月乃を継いで、誰にも引き裂けない愛をまっとうするの。」



 幼いころから聞きなれた、無邪気な声が、甘くしみこむ……





「―――――同じだろ。」




 身体の芯か、骨の髄か、

 僕の、触れてはいけない最深部に届く手前で、透明色の声が甘美を塞き止めた。


 百香の無邪気な声が、すうっと僕から抜けてゆく。

 身体が自由を取り戻す。錆びれた関節が軽くなる。

 振り向いた視線の先で、脚を血まみれにした星史が、座り込んだまま強がった笑みを浮かべていた。


「結局てめえも、あのイカれた女に影響された量産型メンヘラの一人じゃねーか。偉そうに思想だの愛だの、クソぬかしてんじゃねえよ。」


 挑発的に百香を煽ると、治まりやしない痛みと呼吸を絶え絶えに、「気に入らねえ……本当、気に入らねえ……」と、呟きを挟む。

 三度目の「気に入らねえ」だけ、溜め息まじりにうな垂れて落とす。そしておもむろに顔をあげた。


「殺るなら俺にしろよ。そこまでナヅカツキノナヅカツキノほざいてんなら、実の息子を殺したほうが箔がつくだろ。」


 力めない足腰で不安定に立ち上がる。さして距離のない僕のほうへ、まともに縮まらない一歩を踏み込む。

 彼の行動に百香はうろたえる素振りも見せず、表情を平らに、声を太くした。


「自惚れんな。名塚月乃の成り損ないが。」

 冷めた舌を打つ。

「あんたみたいな欠陥品を産んじゃったのが、唯一の汚点だよねー。欠陥品(あんた)壊した()()で箔なんてつくかよ、カスが。」


 貼り付いていた手のひらが頬から離れてすぐ、全身に体温が纏わりついた。胸にナイフを突きたてたまま、彼女は僕になまめかしく密着し、抱きつく。


「いい? 百香はあくまで、あんたから旭を救ってやるの。助けてあげるの。手段の対象(方法)が、旭になるかあんたになるか、それだけの違い。欠陥品にはわかんないかなあ?」


 ナイフと同じ位置で、顔半分をうずめながら凄む声が、僕の内部で反響して心音を曖昧にする。甘く侵略する不協和音に蝕まれながら、僕の目は、わずかに、わずかに接近してくる星史を映した。

 呼吸が乱れている。苦痛に時折顔が歪む。冷や汗が輪郭をつたう。真っ赤な脚を引き摺っている。それでも、前へ、前へ、進む。

 殺されようと、近づいてくる。


「死に勝る演出なんて無いの。誰もが、百香の隣に旭を置く。旭の存在に百香は不可欠になる。旭は、百香だけの物になるんだから。」



 『……もう、やめてくれ、』



 僕はたしかに言った。けれど、その音の無い声は、星史にも百香にも、そして僕自身にも届かない。麻痺した唇が微かに震えるだけの無様な懇願を、死へ近づこうとする彼に向けた。


 澄んだ瞳がまっすぐ僕を見ている。口角が、いたずらに上を向いた。


 眩むほどに美しい透明感が、あの女の姿となって重なる。



「……旭くん、」

 『……あさひくん、』



「おれは、きみを……」


 『わたしは、選んだの』





 ……皮肉すぎるだろ、こんなの。

 百香をこんなにしやがったのも、星史をこんな目に遭わせやがったのも、



 僕に優先順位を迫るのも、おまえだなんて……――――




 ――――……名塚月乃……!




 百香と星史の対峙する位置、距離にして歩幅一歩分、在るか無いか。

 僕は、臨戦態勢に入りかけた百香を力強く抱き寄せ、命懸けでここまで辿り着いた星史を、突き飛ばした。


 星史との距離が無情に広がる。百香とは更に密着する。

 突き飛ばされて倒れこんだ星史も、抱きしめ返され顔を仰ぐ百香も、愕然と僕を見た。



「殺すのは俺にしてくれ。」



 二人の視線が集まってから、僕は百香に告げた。



「演出ってなら、最高だろ?」

 彼女が用意した選択肢への答えを、軽薄に笑って、決める。



 とたんに、真顔で見上げていた百香の表情が蕩けた。



「……ッ……あさひぃいっ、あなたって本当にさいこおお大好きいいいッ、」

 頬を紅潮させ僕の鎖骨で爪をたてる。


「百香をぜんぶぜんぶぜーんぶ解ってくれるのはあなただけだよお旭いい!!」


 離れた場所で、今度こそ動けなくなった星史が、絶望の面持ちで僕を見据えている。さっきの強がりはどこ行ったんだってくらいに、今にも泣きそうな顔をして、もはや立ち上がることさえ、できなくなっている。



 ……ごめんな、星史、



「―――ッ、旭くん!!!」




 これしか思いつかねーわ。俺の、優先順位。




 星史に目を向ける視界の片隅で、百香がナイフを振り翳した。



「きれいにきれいにきれいにきれいに終わらせてあげるからあぁッ!!!」




 願わくば、



 僕のおわりに映るものが、最愛であればと、

 泣きそうな子どもから背かないようにと、



 強がって、わらった。









「――――――うああああああああああああっ!!!」




 女の絶叫と共に衝撃が全身に走る。

 よろめく足元で、百香が手にしていたはずのナイフが転がり落ちる。同時に、絡み付いていた体温が消える。

 僕の体温が僕一人分に戻ることで状況を把握する。


「………!」



 僕らに体当たりをかまし、百香を引っぺがし、突き放していたのは、



「なっ……」



 雨宮糸子だった。



「なんで……あんた……がッ!?」


 困惑と敵意を混合させながら百香は隠し持っていた鋏を取り出した。

 凶器を手に反撃体勢をとり、再度接近しようとした彼女を、何者かが羽交い絞めにする。


「……!? あんたまで…っ……どういう、つもり……」


 背後で彼女の動きを封じている、くすんだ銀髪とえげつないピアスの、世界で一番見慣れた顔。



「……モモカちゃん、」



 (ひので)だ。




 突如として形勢を乱した二つの猟奇に目もくれず、雨宮は僕を睨みつける。そして有無を言わさず胸ぐらを掴み上げた。


「ふざけるなあっ!!!」


 華奢な両手が筋を立てて、震えながら僕を捕らえる。



「こんな女にあんたの人生を毒されるんじゃないッ!!」



 レンズの奥の真っ黒な眸が光をともす。



(あさひ)!!!」


 体ぜんぶで咆哮して、僕を呼ぶ。



「あんたとあたしが……何もかも捨てて……捧げるのは誰!?」



 甘くもない。透きとおってもいない。

 ただの雨宮糸子の声が、


 脳をぶん殴る





「……あさひ、」


 もう一人、誰かが僕を呼ぶ。雨宮の咆哮とは真逆の、せつない声。

 暴れて抵抗する幼馴染を捕らえながら、妹が僕をみつめていた。


「モモカちゃんを……たすけて。」


 今しがた、どこかで見た、泣きそうな子どもみたいな目をしている。





「モテモテだねえ。」


 気づくと、星史が脚を引き摺りながら真後ろまで接近していた。合流するなり力尽きて座り込む。

「……! セージさま…!」

 雨宮は僕を解放して星史へ駆け寄った。袖を破いて彼の脚に巻き、止血を試みる。手当てを受ける星史のそばで、僕もしゃがみ込んだ。


「とんでもねーのにばっかモテるけどな。」

 視線を合わせて笑うと、星史も笑い返してくれた。


「で、どうする?」


「おう。そこの「下の上」さまのお陰で目が覚めたよ。」

 二人で同時に、もう一度笑う。



「星史、捨てていいか? おまえ以外。」



 続けて、同時に、まじめな顔をする。


「はー……役得のような、損な役回りのような……。」

 耐え性のない星史が先にふざける。



「いいよ。おれも捨てる。きみ以外。」


 ふざけたまま、応えてくれる。




「雨宮、」

 呼ぶと同時に僕はスマホを投げた。雨宮は運動神経の悪さ丸出しの下手くそなキャッチをする。

「外で救急車、呼んでくれ。」

「はあ!?」

 あたふたした面白い動きからの、眉を顰めた変な顔に、星史も一緒になって吹きだす。

「おれからも頼むよ。」

「えっ、」

「ははは。こりゃ断れないだろ。」


 状況に似つかわしくない和やかなやりとりも束の間、猟奇が僕らを、現実へ引き摺り戻す音がした。

「……うっ……あァッ……」

 妹の呻き声が部屋に響く。苦痛の音に視線を走らせると、ひのでが血まみれの脚を押さえて倒れていた。


「そんな子にした覚えはないんだけどなあ? ひのでぇー。」


 血を滴らせた鋏を手に、百香がひのでを見おろしている。流血の出所は箇所にして太腿正面……あの、古傷を刺したんだ。


「……急がないとまずいっぽいよ?」

 察して星史が呟く。

「いけ、雨宮。」


「……意地でも守りなさいよ。」

 僕に釘をさして雨宮は部屋を飛び出した。

「仰せのままに。」

 届かない返事を深呼吸と一緒におとす。


 ゆらりと動く首と同期するように、百香の眼球がひのでから僕へ睨む先を替える。心底うんざりして、溜め息と、舌打ちと、ありとあらゆる不機嫌をぶちまける。


「あーあーあーあー、ほんっとあんたら兄妹って、マジで、こよなく、めんどくっさい。いつまであんたらの兄妹SMごっこに付き合わされなきゃいけないわけえ?」


 沸々と濃くする形相に合わせ、声を荒げる。

 僕は足元のナイフを拾って立ち上がり、彼女と向かい合った。


「言っとくけど、おれ、さっきの怒ってるからね。」

 少し遅れて星史も立ち上がる。痛みに堪えながらゆっくりと、ある程度身を起こしたあたりで僕の肩に摑まって、もたれた。


「うわ、根に持つなー。」

「許してないから、まじで。」

「わかったわかった。続きは今度ちゃんと聞くって。」

「やだよ。あとですぐ聞いて。」

「あー、そういう方向でいく?」


「当然でしょ。」


「俺、本格的に雨宮に怨まれるなー。」


 言いながら、ナイフを彼に渡す。


「大丈夫だよ、あいつは。おれが望んだことなら。」


 ナイフの柄を、彼はぎゅっと、にぎる。


「はは。いい女じゃん。」

「えー、趣味わるーい。」


 僕らはいつもどおり会話を交わした。

 (ぼく)星史(かれ)として、会話を繋げた。


 殺気立った百香が近づいてくる。彼女の歩いた途には、点々と赤い滴り模様が飾られる。

 寄り添う星史へ目配せをして、僕は少しだけ笑った。



「でもさ、雨宮のことは、嫌いじゃなかったよ。」



 笑い返してくれた星史を、焼きつけて、瞼を閉じた。



「……きみの次に、だけどね。」





  どす





 星史は全体重をかけて、もたれかかるように、僕の脇腹を刺した。



「―――――っ……!!?」


 ……だよなあ。その反応、正解だよ、百香。……うわ、すげーいてえ……



「……わりいな、メンヘラクソビッチ。」

 僕も星史にもたれかかる。どっちがどっちを支えているかなんてわからない。


「反吐が出るけどさ、こちとら本物の名塚月乃の血がどろっどろに流れてんだよ。」

 星史が勝ち誇ったように、百香に言う。



「おまえに、このひとは渡さない。」



 驚愕から一転、百香はみるみるうちに形相を歪ませた。



「……こンのドグソビッチがああああっっ!!!」



 怒りをあらわに罵声をあげる。手首に青筋が立ち凶器を震わせる。

 僕は自由のきかなくなってゆく意識のなかで、起き上がれ、と、自分に命じた。

 ……よかった。まだ、身体の自由は、残っている。


 星史をその場に残し、傷口を押さえながら彼女へ歩み寄る。

 

 ……やっぱり、めちゃくちゃ痛い。

 頭がくらくら、する。

 でも、せめて、身体が動く、うちに……


 朦朧としながら、感覚のない足取りで、怒り狂う百香の前に辿り着いた。


 息を荒くして、いいようのない、殺意に満ちた眼差しを向けてくる。



「ごめんな、百香、」



 血まみれの両手で彼女の頬を包んだ。

 不意に身じろぐ百香の(はだ)と、僕の手のひらが、なまぬるく滑る。


 そのまま、唇を、重ねた。



 血のにおいが する




「ありがとう。」



 

 顔を離してすぐ、目に飛び込んできた百香の顔は、赤く汚れていて、ちょっと、まぬけに、ぽかんとしちまって、ああ、ももかだなあと、おもえた。


 ももか。

 桂木百香。

 皆口旭(ぼく)の、幼馴染み。



「おまえが仕立ててくれた人生(まいにち)、嫌いじゃなかった。」



 心から、言えた。



「ゆるして、くれよな。」



 謝罪と、感謝と、謝罪、と……これで、ぜんぶか。

 朦朧とする。寒気もする。指先が、ちりちり、動きづらい。

 力がぬけて、膝から崩れ落ちた。

 倒れそうな僕を誰かが支えた。

 星史だ。



「なに……それ……」


 僕らを見おろして、百香が呟く。


「……施しているつもり? 哀れんでるつもり?」


 ゆっくり、乙女の声が、ぼとぼとと落ちてくる。


「百香に……与えてるつもりなの? あんたが……?」


 落下する声は徐々に音を強めているはずなのに、僕の耳には、届きにくく、なってゆく。



「図に乗るな……!」



 ……ああ、また、百香が、どこかに行ってしまうな……



「与えるのは百香だ……哀れむのも、施すのも、あんたを救ってやるのが百香だ……!!」



 僕らが出逢わなければ、

 百香は、ずっと百香のままだったんだ。



「……ほら……いつもみたいに助けてって顔、してよ……弱っちく百香を頼ってよ……!」


 名塚月乃なんて知らずに、信者なんかにならずに、お節介で優しい、幼馴染のままだったんだ。


「旭は百香がいないとだめなんでしょ……? 生きていけないんでしょ……!?」



 僕らが出逢わなければ……



 それは、彼女との未来にも、言えたのかもしれない。

 僕は、百香を、名塚月乃なんかにしなくて済んだのかもしれない。


 だけど、ごめんな、百香。

 おれは、なにを捨てても、って、きめたんだ。ごめん……ほんとうに、ごめん……



「……もも、か……」

「―――ッ……そんな顔するなあああっ!」



 僕らが出逢わなければ なんて

 思いたくないんだ



「おかしい……おかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしい! おまえたちみんな狂ってる! 百香は……百香は間違ってない! 正しいのは百香だ! 百香は普通なの! 百香は普通……ふつう……なんだ……!! おかしいのはおまえらだ!」


「ごめん……ももか、」


「うるさい!!! きもい……きもいきもいきもいきもいきもいきもいきもい!」


「お……れは……」



「百香を求めろ! 従え!! この出来損ないがああああああああああッッ!!!」




 薄れゆく意識のなかで、猛り狂う幼馴染を見あげる。


 色のない世界で、どす黒く染まった鋏が、僕らに振り落とされる。





 突然、何かが割って入る。



 銀色のきらめきが、身を盾に、僕らを庇った。




「――――ひので……!」


「……ももかっ……ちゃん……」



 僕らを守る妹の手の甲から、血まみれの刃が生えている。

 妹の手を、鋏が貫いている。


 百香が鋏から手を離す。小刻みに震え狼狽する。即座に、ひのでは貫通した鋏を抜き取った。




 薄れゆく意識のなかで、色のない世界で、僕の目に、最後に映ったのは、




「モモカちゃん……愛してる。」




 幼馴染を刺す、妹の姿だった。

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