28 愛憎
※※※2021/3/21より、本作の大幅改稿版『最愛なる猛毒、致死量の慈愛。』を連載しております。大まかな展開は変わりませんが、【演出】【構成】【台詞】【一話あたりの文字量の改変】等、読みやすさを重視した改稿となっており、また、本作では描かれなかった【糸子と星史のはじまり】を書き下ろしております。読まれる際には改稿版のほうを強くお勧めいたします。※※※
あなたと出逢ったあの夜を、あたしは生涯、忘れはしないでしょう。
存じてはおりました。なにしろ、有名人でしたから。
文武両道。眉目秀麗。教職員からの評判も、対人関係も良好。生活態度、女性関係も清廉。非の打ち所のない優等生。
あなたの周りには、自然と人が集まってきて、いつも誰かがいました。
別世界の人間でした。
永遠に関わることのない、人間だと。
でも、違った。
あたしだけが、あなたを見つけました。
まるで、小悪党みたいに、職員室を漁っていたあなたは、
目が合うなり、怯えていましたね。
あたしには鏡を見ているようでした
あなたはきれいなんかじゃなかった。
張りぼてみたいな優等生の裏側は、美しい透明色のなかみは、
真っ黒でぐちゃぐちゃに汚れきっていた。
優等生だと、持て囃されて、
ぎりぎりの淵で、もがいて、
愛してくる者へ応えるために、
愛される子であるために、
愛されなくてはと必死で、
たくさんの愛が、重荷でしたね
たくさんの愛に、踏み潰されていましたね
だから、あたしだけ、
あたしだけが、あなたの、不要な愛となります。
あたしを好きなだけ、踏み潰してください
踏み潰して、笑ってください
あたしがあなたを仕立てます
あつらえます
作り上げます
輝かせます
誰よりも、何者よりも、崇高に
張りぼてのあなたを、崩させはしない
だって、あたしだけ、
あたしだけがあなたを見つけたのだから。
あなただけが、あたしを見つけてくれたように。
あなただけで、よかったんです。
よかった、のに、
『代わるよ。』
どうして この男だったのですか
『おかげさまで、ぼっち認定なもんで。』
この男を 求めたのですか
『鉄屑、乗ってみたくない?』
血ですか?
出生ですか?
本当の なまえですか?
『俺、勝てなくてさ、いっつも。』
こんな男
あなたを産んだ女の呪縛でしかない
『イトコちゃん、やっさしー。』
毒でしかない
『俺のこと、邪険にしないほうがいいよ。』
……それでも あなたがそれを望むならと
あたしは
『何考えてんだよ……? なんでこんな奴に従うんだよ!?』
欲望を まっとうしていた のに
この男は
『好きなのに、殺すんだな。』
あなたを侵す
『俺も、知りたいんだけどさ、』
あたしを蝕む
『キスしたくせに?』
あなたとあたしの中に ずかずかと入り込んでくる
『星史、誕生日なんだ。』
あたしから あなたを奪ってゆく
あなたの平穏に 罅を入れる
『今日、星史来るって。』
『最後くらい、他人、やめろよ。』
『……雨宮、欲望……まっとうしろよ、』
……セージさま
「せいじ……さま、」
「ブース。」
「地味に痛いだろ?」
……あなたが求めたのは
「旭くんを、頼んだよ。」
さいごまで こいつだった
なんで
なんで
なんで
「……あんたは……毒みたいな男ね……」
なんでセージさまの前に現れたのよ
「なんで……あんたなのよ、」
なんであたしの前に現れたのよ
あたしには セージさまだけでよかったのよ
肥溜めみたいに あのひとの養分になれれば それでよかったの
あたしのぜんぶが彼で満たされれば
それが あたしがあたしでいられる意味だったのに
「あたしの中から……出ていけ……!」
なんで あんたなのよ
あんたさえ 現れなければ
あたしは
セージさまだけを見ていられた
欲張りなんてしなかった
こんなあたしになんてならなかった
セージさまは
あのまま平穏に生きていられた
傷つかなかった
愛されるだけの彼だった
「あたしのセージさまを……かえして……」
あんたが 消えてなくならない
セージさまからも
あたしからも
「あたしのセージさまを……かえして……」
かすれた声が絞り出されるのと同時に、喉元を捕らえていた鋭利な感触が消えた。視界外のどこかで、ボールペンが転がり落ちる。
温い水滴が頬にしたたり、手に力が入らなくなる。
激情が薄れてゆく。殺意が、やんでゆく。
目が醒めた、なんてドラマチックなものじゃない。僕も雨宮も、きっと充電切れのごとく、互いに捕らえていた首を解放した。
「……返して……かえしてよ……」
殺意から一転、雨宮は憔悴の声を震わせた。眼鏡で塞き止められないほどの涙が、ぽたりぽたりと僕の頬を濡らす。押し倒したまま距離のない真正面で、子どもみたいに泣いている。
涙まみれで用途をなしていない眼鏡を、僕は彼女から奪うように外した。抵抗どころか抗議さえする余裕も無いのか、雨宮は泣き続ける。
僕だって、それなりに余裕なんてない。なのに、なんでおまえばっか好き勝手に爆発してんだよ。
取り戻した冷静が主張をめぐらせたけれど、結局は泣いた者勝ち、なのか、もしくは、涙は女の武器、なのか。僕は雨宮を突き放せないでいた。固くて冷たい砂利の上、仰向けに押し倒されたまま、馬乗りにされたまま、彼女を泣きじゃくらせた。
結構すごい状況なんだけどな、今。
客観的に捉えられる余裕も出てきた。
めっちゃ喧嘩っぽくもなってたんだけどな、さっき。数分前の殺伐が、自分のなかで既に黒歴史として昇華し始めもした。
雨宮からすれば殺伐も喧嘩も、まだ続行中かもしれないけれど。それ以上に、今はただ泣きたくてどうしようもないのだろうけど。
いやだな、それは。
潤んだ瞳に映る自分が、形相から一転、心底困った顔をしていた。なんだよ、その表情。解りきっている真意に文句をたれる。なんだよ、ちくしょう。
悔しさからか、恥かしさからか、気まずさからか、もしかしたらほんの少しの、庇護欲、からか、
「……。」
雨宮を抱き寄せて胸にしずめた。
雨宮は無抵抗に、僕に密着した。泣きじゃくりがすすり泣きに変わる。すすり泣くたびに、振動が伝わる。振動のたびに、僕は彼女の後頭部を撫でた。
こいつに怒られるのも、嫌われるのも、睨まれるのも、素っ気なくされるのも、豊富な悪口を投げつけられるのも、
まあ、不本意ながら、慣れたもんなんだけど、
いや、事実これまで何度も、「嫌い」だとは、言われてるんだけど、
毒って、出ていけとまで、言われてんだけど、
こいつに泣かれんのは、いやだな。
湿っぽい髪を撫でる。
水っぽい泣き声が心臓に響く。
背面に砂利道の固さと冷たさ、正面に雨宮糸子の体温と重量を感じながら、挟まれたまま、少しだけ意気込んだ。
撫でるのをやめて、だきしめた。
「……すっげブスなんだけど、顔。」
ほら、また、こうやって、
意地の悪い僕は、
こんな状況下でさえ空気ガン無視で、ふざけてしまうけど、
嫌われる要因、満載なんだけど、
「…………、」
やっぱり僕は、
「…………あんたに、だけは……」
こんな彼女が、
「……言われたく……ないわよ。……くそド低脳。」
けっこう好きだ。
「って、言いそうだよなー、星史なら。」
おとなしく、そして辛辣になった雨宮へ、軽薄に笑った。
「……知ったような口、利くんじゃないわよ。」
素っ気ない口ぶりが、反撃してくる。
「ああ、知らね。」
素っ気なさに、軽薄で反撃をかわした。
「全然知らねーわ、おまえの星史とか。結局おまえらのことも、わかんね。全然わかんね。」
かわすだけで済ますものか。軽薄で応戦もしてやった。胸に沈んだまま、腕に納まったまま、雨宮が無抵抗なのもいいことに、さっきの仕返しもこめて、一人で勝手に笑ってやった。逃げ出さないのをいいことに、抱きしめ続けてやった。
「だから、無理やりにでも引き摺り出す。」
笑ってやった。抱きしめてやった。
どんな怒られても、嫌われても、睨まれても、毒だと、怨まれようと、既に、とっくに、お互いさまだ。
「星史を取り戻す。」
ぶち壊されても、ぶち侵されても、
囚われても狂わされても、
それこそ、蝕まれていようと、
僕はこの、面倒くさい彼女がけっこう好きだ。
「おまえの星史は、俺が取り戻す。」
むかつくくらい、とっくに、好きだった。




