25 信者
※※※2021/3/21より、本作の大幅改稿版『最愛なる猛毒、致死量の慈愛。』を連載しております。大まかな展開は変わりませんが、【演出】【構成】【台詞】【一話あたりの文字量の改変】等、読みやすさを重視した改稿となっており、また、本作では描かれなかった【糸子と星史のはじまり】を書き下ろしております。読まれる際には改稿版のほうを強くお勧めいたします。※※※
転落なんて、架空だと思っていた。
歴史上の人物だとか、映画やドラマの話だとか、仮に実在したとしても、それはスキャンダルを起こして干された、アイドルだとか。
少なくとも、身近に起きる現象だとは、思っていなかった。
スキャンダルを起こして、干されたアイドル、か。
我ながら、的を射た例えだ。
僕が無関係だとばかり踏んでいた、転落という架空の現象は、僕の、この世で限りなく近い彼に、降りかかった。
この世で限りなく近い、彼。
今日の星史は、校舎裏のごみ収集場にいた。もう放課後だというのに、ジャージ姿で腕まくりをして、何かを探している。
「今日は何だった?」
僕が問いかけると、特に驚く様子もみせず振り向いた。
「本日はねー、制服。」
参ったように眉を八の字にする。
いや、笑ってんじゃねーよ。僕は呆れつつも、一緒にゴミの山を漁り始めた。
「ついに制服まできたか~。」
「日に日にエスカレートしてんのな。」
「まーね。昨日は教科書一式だったし、一昨日は弁当。その前は内履きだったっけ。」
「いや、笑ってんなよ、」
「俺さー、都市伝説だと思ってたよ。「二人組み作って~」で苦労するのって。」
「だから笑えねーよ。」
ようやく制服を発見した僕らは、地べたに座り込んで、パックのジュースで乾杯した。全然、乾杯できるような状況では、なかったのだけど。
やっとの思いで見つけたシャツもズボンも、ずたずたに切り裂かれていたからだ。
「……立派な物的証拠だろ。制服見せて、対処してもらえよ、」
ぼろきれ状態の制服を指して、僕は言及した。
僕だって、こんな転落、都市伝説だと思っていた。
星史は、今、まるで架空の物語みたいな、『いじめ』に遭っている。もはや口にするのもばからしい、テンプレみたいな、いじめだ。
発端はもちろん、ひのでのばら撒いた母子手帳のコピー。
いじめの理由は言うまでもなく、星史が、名塚月乃の息子だと判明したからだ。
最初は、判りやすい無視から始まった。やがて、本人に聞こえるような陰口、中傷。不慮と見せかけて、投げつけられるゴミ。そして、日替わりのごとく捨てられる、星史の私物。
教本どおりの『いじめ』の数々は、日を追うごとにエスカレートしていった。
「そろそろ、机に『死ね』とか書かれるころかなあ?」
だから笑ってんじゃねーよ。僕は割と真面目なトーンで叱りながら、自分のシャツを脱いで彼に渡した。
「ほら、ジャージ脱げ。」
「えっ。何ここで? ダイタン~。」
ふざけながら腕を胸元で交差させる。
「ちっげーよバカ。服、交換しろって。」
いちいち突っ込むのも面倒だ、と呆れる反面、こんなやりとりがまだできる現状に、本音を言うと安心もしていた。
「親、心配させたくないんだろ、」
さっきよりも更に真面目なトーンで言う。
「……それ、言われちゃうと敵わないなあ。」
星史は尚もふざけた調子で、シャツを受け取った。
星史自身が、いじめの救済措置を求めなかったのも、事実だ。
しかし、現状がここまでエスカレートしてしまったのには、別の理由がある。
水浸しのロッカーを前にした時点で、僕は駆り立てられるように職員室へと向かった。星史の意思なんて無視して、彼の腕を引っぱって連行した。陰湿で、悪質な行為を告発するつもりだったんだ。
しかし、告発は成らなかった。
同日に、学内で起きた別の事件のせいだった。
三学年の女子生徒が、交際中の男子生徒に、バットで殴りかかるという傷害事件を起こしたのだ。
両名とも本校の生徒である上、加害者である女子生徒が、明確な殺意以外は黙秘を貫いたため、事件は殺人未遂へと伸展し、話題性が増した。そして少なからず、報道陣がかけつけた。
対処に追われた学校側が、たかがロッカーを水浸しにされたくらいの悪戯に、構っている余裕なんて無かったのだ。
しかも事件はこれだけで終わらない。
間を置かず、また別の女子生徒が殺人未遂を起こしたのだ。
今度は、二学年の生徒だった。バイト先の同僚である男子大学生を、駅のホームから突き落としたらしい。幸い電車との接触こそ無かったものの、彼女もまた前件の女子生徒と同様、動機について口を閉ざした。
二件の事件、二人の女子生徒に本校という以外接点は無く、不可解な連続殺人未遂事件は、更に報道を過熱させた。学校側は、教職員総動員で対応に追われた。
星史の被害が放置されたのをいいことに、いじめ加害者たちの行動は、徐々にエスカレートしていった。それが星史の現状の、経緯である。
人殺しの息子なんだから制裁は当然
誰かが言ったわけではない。でも、誰かが言っているような気がした。きっと加害者たちに、いじめの自覚は無い。彼らにとって、これは正義だ。
名塚月乃の子。殺人犯の息子。出生を隠し、名を偽り、人気者の優等生として何食わぬ顔で周囲を欺いていた、卑怯者。そんな、仲村星史という男が、赦せなかったのだろう。
忌み子のくせに、愛されていた、彼が。
何度、深呼吸をしただろう。画面上の、雨宮糸子の番号をタッチできないまま、もう二十分近く経過している。
雨宮に報せなくては。星史の現状を。
妙な使命感に課せられたのはいいとして、情けないことに覚悟が決められない。ようやく腹が括れて発信すると、数コールもせずに雨宮はでた。
「……なに、」
馴れたはずの素っ気無さが、初めて、怖い。
「よ。元気?」
自分でも何を言っているんだろうと、思った。
「だから、なに、」
「停学、満喫してる?」
「用件は?」
「なんだよ冷たいな、」
「用が無いなら切るわよ。」
「あっ、いや……その、」
喉を鳴らせて唾をのむ。
「星史の、こと、なんだけどさ、」
「知ってるわ。」
淡々とした返事に、一瞬理解ができなかった。
「彼から直接、聞いたから。」
続けて淡々と言う雨宮の声で、一気に目が覚める。
「……ごめん、雨宮、」
「やめて。」
雨宮は芯のある語調で、かぶせてきた。
「セージさまから言われてるの。あんたに謝らせるなって。あんたを、責めるなって。」
また、理解ができなかった。いいや、理解できてしまったことに、なぜか納得してしまったことに、理解ができなかった。
また、それかよ。いつものことかよ。
「星史の命令だから、俺を……妹のしたことを、責めないわけ?」
「そうよ。」
雨宮は頑なに言い切る。
「あのひとの意思は、あたしの意思。」
なんだよ、それ。
もう何度目の溜め息かわからない。もう、問い質すことさえ面倒だ。だから諦めた。諦めて、相談にシフトした。星史を助ける方法はないか、現状を打破できる手はないか。彼への救済は、きっと彼女も望むことだから。
「……雨宮。何か、手、無いかな。星史のこと――――」
「皆口、ごめん、」
また、声を被せてくる。
「今は、あんたと喋りたくない。」
通話は一方的に断たれた。
ああ、もう。
天井を仰いで両目を覆った。覚悟、していたつもりだったのに。充分、予測もできていたのに。やっぱりこうなってしまったか。
再発した、妹との不和。生じてしまった、父への憤激。明るみになった、星史の秘密に、打つ手の無いいじめ被害。そして、雨宮からの隠しきれない、恨みと敵意。
すべてがめちゃくちゃだ。修整なんてできっこない。
それでも、足掻かなくては。
覆っていた手を下ろして、天井を見上げる。真っ白だ。天井も、蛍光灯も、白い。目前に広がる人工的な白に、彼を映した。
ふざけた、腹の立つ、へたくそな笑顔。
いい加減、泣かせてやりたくなった。泣かせて、一緒に、足掻きたいと。思い切りぶちまけて、足掻いてもがいて躍起になれば、解決策の一つにでも繋がるんじゃないかと。
不明瞭な期待を携えて、バイクのキーを握り締めて、飛び出した。
「さすがに夜は冷えてきたよね。」
「そりゃ九月も終わるし。」
そんな会話を交わしながらも、手にしているのはお互い、冷たい飲み物だった。僕が炭酸飲料で、星史は相変わらずカフェオレ。いつもと違って、ちゃんと飲みきりサイズだったけれど。
夏休みが開けてもうすぐ一ヵ月。夜が最近、肌寒い。なのに僕らは、学校の駐輪場にいた。適当にバイクを走らせた末に、こんなところに行き着いて、自販機で買ったペットボトルを、飲み交わした。
「ここで初めて、雨宮と話したんだ、俺。」
唐突に語る昔話に、変な空気が流れた。
「たぶんさ、答案用紙、盗んだ帰りだったんだよ、あいつ。すっげー慌ててた。」
真顔になる星史をお構いなしに、僕は続けた。
「おまえらってさ、なんなの?」
お構いなしに、唐突に、まじめに聞いた。
何度も、何度も何度も何度も懐いたのに、結局明らかにならなかった疑問。
僕はとんでもない卑怯者だ。解決策を、なんて望みながら、便乗している。この機会に予てからの謎を解き明かそうと、企んでいる。弱った彼の殻を、このタイミングでぶち破ろうとしている。
泣かせるために、道連れに足掻かせるために、彼の中身を引き摺りだそうとしている。
みつめ続けると、真顔だった星史に、薄っすらとした笑顔が灯った。
「大した話じゃないよ。」
降参みたいな、薄い溜め息をおとす。
「俺が答案用紙盗んでいたのを、あいつが目撃したんだ。」
雨宮も、まったく同じこと、言ってたな。思い出しながらも無言のまま、彼の話に耳を傾けた。
「……おれの、汚いところ、知ったのも気づいたのも、あいつだけだったんだ。でも、おれだって、すぐ気づいたよ。あいつの、ぐちゃぐちゃに、汚いところ。」
星史も話し続けた。「大したことのない」という、二人の、はじまりを。
「肥溜めみたいな女だって、すぐ、気づいたよ。……だから、おんなじだったんだ、おれたち。」
声にはまだ、ふざけた音を残す。
口元にはまだ、へたくそな笑顔を残す。
「すっげー気持ち悪かったよ。気持ち悪くて、鳥肌もたって、めちゃくちゃむかついて、」
徐々に、両方とも、消えてゆく。
「……めちゃくちゃ、楽になった。」
その瞬間だった。
外灯の届かない闇の中から、何者かが、現れた。
小柄な影の手元が、きらりと光り、星史へ突進する。
刃物を持っている。
「――――! 星史ッ!」
僕は星史を引き寄せ、間一髪で影との接触を免れさせた。
「……きみは、」
影の正体は、同じ学校の制服を纏った、女子生徒だった。どこか、見覚えのある顔……そうだ。星史の誕生日の朝、どぎまぎしながら祝福してくれた、あの下級生だ。
しかし、彼女の様子は、あの日と違っていた。
「……ふふっ……あはっ、」
あの日の、どぎまぎと赤面していた面影は、どこにも無い。
小さな手でナイフを握り締め、不敵な笑みを浮かべている。
そしてまた、星史目掛けて襲い掛かってきた。
僕は反射的にヘルメットを彼女に投げつけた。自分のと星史のと、二つとも。
見事片方が彼女の手に命中し、ナイフが転がり落ちたその隙に、僕は彼女を取り押さえた。早く警察を呼べと星史に叫ぶ。
「あはっ……あははははははははっ、」
僕とコンクリートに挟まれたまま、下級生の彼女は、狂ったように笑い声をあげた。
通報している星史だけをみつめている。
「あはははははっ、……なづかっ、……名塚ぁ、月乃ッ! あはははははは!」
狂気に満ちた笑い声のなかで、その名を、叫んだ。
『――――都内同高校で連続していた、女子高生による傷害事件で、加害者である生徒全員が、十七年前の殺人事件の模倣をほのめかす供述をしていることが、明らかになりました。この事件は今月――――』
VTRで、見慣れた校舎の映像が流れる。ナレーションは、『十七年前の事件』にこそ触れるものの、詳細までは説明しない。
そんな配慮、無意味だってのに。
もうこの学校に、名塚月乃を知らない人間は、いない。
近隣の別の学校にも、広まりつつある。
ネット上では、元々有名だった彼女と、その事件を、更に掘り起こして再燃している。
十七年前、名塚月乃という殺人犯がいた。
類い稀な美貌を持った彼女は、身重の身体で、愛する夫を殺した。
そして、最愛の我が子を産んだ直後、分娩台の上で自ら命を絶った。
不可解な事件。不可解な死。
謎ばかりが残る事件は様々な憶測を呼び、『信者』とされる人間たちをも生み出した。
その多くは、十代二十代の、若い女だった。
交際相手を切りつけた少女。
意中の相手を監禁した女学生。
婚約者に薬を盛った女。
そしてこの連日、学内で連続した、殺人未遂事件。
交際相手をバッドで殴打した、三学年の女子生徒。
バイト先の意中の相手を駅ホームから突き落とした、二学年の生徒。
星史に襲い掛かった、下級生の女子生徒。
……どうして、今になって思い出す。『信者』の存在を。
彼女たちは、
現代に蘇った信者たちだった。
名塚星史の存在を、引き金として。
「ねえ聞いた? やっぱり退学らしいよ、仲村星史。」
突きつけられた現実は、あまりに、残酷だった。
どんなに足掻こうと、手遅れなほどに。




