23 命日
※※※2021/3/21より、本作の大幅改稿版『最愛なる猛毒、致死量の慈愛。』を連載しております。大まかな展開は変わりませんが、【演出】【構成】【台詞】【一話あたりの文字量の改変】等、読みやすさを重視した改稿となっており、また、本作では描かれなかった【糸子と星史のはじまり】を書き下ろしております。読まれる際には改稿版のほうを強くお勧めいたします。※※※
その日は、彼女が死んだ日。
壮絶な最期だった、と、聞く。
分娩台の上で、ボールペンで喉を一突きにして、息絶えていた。
出産を終えたばかりだった。
命を、生み出したばかりだった。
いとし子を抱いて、すぐだった。
「せいじ、です。『星』に歴史の『史』で、『星史』。」
生前の彼女が最後に遺した言葉だった。
今日は、彼女が死んだ日。そして、彼が産まれた日。
どうして、今日、なんだ
……ひので
屋上へあがると、既に星史はいた。コンクリートの壁を背もたれに、空なんか見あげている。僕だって、授業が終わるなりすぐ席を立ったというのに、それより早く来ているなんて。
「あ。やっときた。」
案の定、そんなことを言われた。どーもすみませんね。返事も適当に隣へ腰を降ろす。同じように、空を見あげた。
何かあるな。
懐かしいな、と思うより先に、それを感じた。
彼との昼休みは久しい。前までは彼の「お願い」もあって、毎日こんなふうに隣り合っていたのに、夏休みが明けると「お願い」は自然消滅していた。不思議なくらい、あっさり。
百香のこともあったし、星史が級友たちに囲まれているのもいつものことだし、彼から呼び出しのメッセージが届くまで、自然消滅に気付かなかったくらいだ。
僕と彼の距離が、近づくところまで近づいた、というのもあるかもしれないが。
だからこそ、この改まった呼び出しに違和感をおぼえた。
「これ、なに?」
ほらやっぱり。スマホを差し出された時点で察した。もう何度経験した展開だろう。画面上にはやはり、百香の誤報スレッドが映し出されていた。
「あー。ばれた?」
「うん。」
「普通科まで広まってる感じ?」
「それなりに。」
「こえーな、ネットって。」
並んだまま、見あげたまま、話した。
「きみらしくない反応だね。」
やがて星史のほうから此方を向く。
「おまえこそ、らしくない顔してる。」
僕も彼へ視線を戻し、その真顔に指摘した。
「とりあえず、説明してよ。」
らしくない二人に漂う、ほんの少しの殺伐のなか、僕は一連の経緯を説明した。
ひのでの切りつけ被害、推測される犯人、特進生を付け狙う記者、百香への誤報、そして百香からの提案……包み隠さず全てを、できるだけ詳細に話した。説明はかなり長くなったけれど、その間星史は、ほとんど相槌も打たず、質問もしてこなかった。ただ黙って真剣に聞いていた。
そんな彼が、長い説明のあとに一つだけ尋ねてきた。
「旭くんはさ、桂木さんの作戦を、どうして呑んだの?」
作戦をのむって、妙な言い方だな。しかし星史は真剣そのものなので、僕も真面目に答えることにした。
「保身。」
身も蓋も無いがそれが一番だ。今さら恰好つける意味もないし、プライドだって捨てている。
軽蔑されるかと思うやいなや、星史はそこで今日初めて噴き出した。「最低じゃん。」と、オプションも付ける。まあ確かにそうなんだけど。
「それに、正しいって思ったんだ。」
和んだ空気に便乗して、僕はもう一つの理由、もとい、言い訳を添えた。
「ただしい?」
「百香の提案。おまえが言った作戦だよ。従うべきだなって、単純に思えたんだ。」
再び空気が変わった。
星史がまた黙ってしまったのだ。しかし殺伐とも、和むのとも違う。彼は何かを考え込むように瞼を俯かせ、口元に指を置いて、つぐむ。
「……旭くん、」
しばらく黙ったのち、星史は静かに、はっきりと口を開いた。
「こんなこと言ったら、怒らせるかもだけど、」
彼らしくない真面目な顔つきで、似合わない配慮の言葉まで添える。
「今回の、この件……」
「―――旭ッ!!!」
突然大声をあげて百香が乱入してきた。
よほど急いで駆け上ってきたのか、息切れまじりに、出入り口から僕を呼ぶ。
「大変! 糸子ちゃんが!」
手短な情報だけで、教室で雨宮に何かがあったことを報せてくる。
「悪い星史、あとで連絡する、」
百香の叫びから明白な緊急事態を察し、僕は百香と共に、教室へと走った。
緊急事態は、異常事態だった。
教室に戻ってまず目に飛び込んだのは、めちゃくちゃになった机の配置。確実に投げたと思われる椅子が、いくつかひっくり返っている。
その教室で、ずぶ濡れになって泣きじゃくる女子生徒と、それを囲んで宥める女子生徒。鼻血を床に滴らせながら、うずくまる男子生徒。
「早く! 早く先生呼んできて!」
「大丈夫!?」
「ふっざけんなよマジで……」
「やめろ雨宮、暴れんな!」
「もおやだあっ!」
飛び交う叫びと怒号の中心では、最も異常といえる光景があった。
髪と制服を乱した雨宮が、男子生徒数名に取り押さえられている。
まるで警官隊と通り魔だ。
「おい! 何やってんだよ!」
女子一人に対し、あまりにも容赦無いその仕打ちに、僕も思わず怒鳴り込んでしまった。男子生徒を一人ずつ雨宮から引っぺがし、彼女を解放する。
しかし、雨宮を救助した……と安堵するより先に、自由になった雨宮は一切の躊躇い無く、特定の生徒へ殴りかかろうとした。ずぶ濡れで泣きじゃくっている、女子生徒だ。
「ひいっ……」
間一髪で僕は雨宮を羽交い絞めにした。
「おちつけって雨宮! おい!」
なるほど、これは男子数名で取り押さえるわけだ。この華奢な身体の、どこにこんな力が眠っていたのか。人一倍体力だって無いはずなのにな、こいつ……。
頭のなかだけは冷静に、力だけは必死に振り絞っているうちに、ようやく教師陣が駆けつけた。
発端は、クラスメイト二名による、雨宮へ持ち掛けた依頼だった。
『桂木の写真撮ってきてよ。出来たら学校外の』
男子生徒がそれを言った。どうやら、知り合いがサイトの管理人をしており、名塚月乃の娘のオフショット画像を欲しているらしい。しかもアクセス数によっては、それなりに謝礼を弾むのだという。
『超いいバイトだよ。あたし、結構稼がせてもらっちゃったし』
今度は女子生徒が言った。言葉どおり、今まで何度か画像を提供したとのことだった。
『でも学校だと限界あんだよねー。雨宮さんなら、プライベートも怪しまれずに撮れるっしょ?』
『着替えとかだと超金出してくれるって』
『ねー? あたしも手伝うからさー』
次の瞬間、雨宮は手にしていたペットボトルを、女子生徒の頭上でひっくり返した。
ほぼ満タンに残っていたメロンソーダは、しゅわしゅわ音と気泡をたてながら、女子生徒をずぶ濡れにする。甘ったるい香りが広がると同時に、女子生徒は悲鳴をあげた。
続けて雨宮は、男子生徒の股間を蹴り上げた。
ただでさえ想定外の雨宮の行動に、たじろいでいた男子生徒は、まともに食らった激痛に悶え、その隙に今度は正拳突きを顔面に受けた。
そこからクラス全体が異常事態と捉え、周りの生徒たちが雨宮を制止しようと動きだしたが、雨宮は邪魔だといわんばかりに、誰彼構わず椅子を投げ飛ばしたらしい。
そして、あの惨状へと繋がった。
「メロンソーダでやめておけば良かったね。」
八重さんが肘をついて言う。
「いや、メロンソーダが余計だったんだと思います。」
僕は大真面目に意見した。
「だってメロンソーダまでだったら、停学は無かったと思うよ。」
「いやいや、メロンソーダを我慢しておけば、あそこまで暴れなかったと思いますよ。」
「あんたたち、メロンソーダメロンソーダうるさい。」
僕らのふざけた議論に雨宮は目を据わらせる。
彼女の妨害に、僕と八重さんはいよいよ耐え切れなくなって声をあげて笑った。
優等生、雨宮糸子、人生初の停学処分だ。
理由は教室内での暴力行為と器物破損。しかし、それは意外にも寛大な措置だった。
トラブル相手とされる生徒二名から雨宮に、慰謝料、治療費、クリーニング代などが一切請求されなかったのだ。更には学校側からの、器物破損による弁償請求も無し。その背景に居たのは勿論、百香の存在だった。
まず、教室内に居た生徒数名の証言により、事の発端として雨宮に非は無いとされた。クラス全体が百香と距離をとっていたとはいえ、さすがに盗撮行為は悪質だと感じたクラスメイトは、少なくなかったらしい。
それにより、百香の誤報被害、盗撮被害、いじめを告発されてもおかしくない特別進学科の現状が、浮き彫りになった。
学校側は百香の自宅へ出向き、両親に此度の騒動を報告、そしてネット上の百香に対する情報が事実無根であることを確認し、特進内での現状を謝罪した。
謝罪には、盗撮を依頼した生徒の保護者も同席しており、百香はその場でこんな希望……もとい、取引を提案したという。
雨宮に慰謝料等を請求しなければ、ネット上での行為を訴えない。
学校側も相手側も、二つ返事でそれを呑んだ。いじめ紙一重の実状に、法に触れる盗撮行為、更には悪質な金銭のやりとりまで確認されているのだから、当然だ。
そして職員会議の結果、雨宮と相手生徒二名の停学処分、双方請求は無しという、喧嘩両成敗な処分が下った。
「そんな条件呑むくらいなら、雨宮の停学は無くてもいいような気、しますけどね。」
今度こそちゃんと真面目に、僕は八重さんに意見を言った。
「そういうわけにはいかないよ。暴れたのが、その桂木って子だったらまだしも、糸子は完全に私情だからね。」
だからしょうがないよ、と、八重さんはのんびり笑う。停学なんて無縁だったはずの娘を前に、全く悲観していないのだから不思議な人だ。
「いいからさっさと出掛けなさいよ。」
不機嫌に雨宮は指摘した。八重さんは今夜もまた、夜勤であるもう一人の父に差し入れをする予定があるらしい。
ちなみに、雨宮の騒動で対応にあたったのは八重さんではなく、その『もう一人の父』だ。話によると彼は、愛娘の暴走にかなり滅入っているのだという。普通に考えれば、そのほうが当然なのだけど。
「はいはい。旭、俺が戻るまで帰らないでね。」
相変わらず無駄に色香を撒き散らしながら、八重さんは反応に困ることを言う。雨宮が僕の代わりに、「通報するわよ。」と、辛辣に言い捨ててくれた。
八重さんが出てゆく音を確認してから、僕はまた、薄く笑いをこぼした。
「いつまでも笑ってんじゃないわよ。」
雨宮はすかさず睨んでくる。その反応も相まって、僕は腹を抱えた。
「だっておまえ、メロンソーダって、」
「しつこい。」
「早まるな、って、どなたの台詞でしたっけ?」
「うるさい。」
「本当、すげーよな。」
「まだ言う?」
「いや、真面目な話。おまえ学校動かしたじゃん。」
だいぶからかいはしたけれど、雨宮の成し遂げた偉業には、感心していた。
明日は、臨時の全校集会が行われる。
その集会の場では、ネット上におけるマナーやモラルを注意喚起し、最近出没する記者への対応(通報等)を説明し、既に拡散されている情報については、すべて事実無根だと公言される予定だ。
これは、百香の件が明るみとなり、事態を問題視した学校側がとった対策だ。
つまり、雨宮の偉業なのである。
「それ、まだ全校生徒に公表されてないんでしょ。言い触らしていいの、」
「いーのいーの。百香から報せてくれたんだし。」
臨時集会は確かに対策の一環なのだが、それとは別に、学校側が桂木家に対する謝罪と贖罪の意も含まれていた。
これは百香から得た情報で、教員が桂木家へ訪問の際、約束してくれたのだという。
「ま、これで百香の問題もだいぶ落ち着くだろ。無駄にならなかったじゃん、おまえの暴走。」
「だからうるさい。」
「ていうか、おまえって結構、百香のこと好きなんだな。」
以前彼女は、僕にとっての百香を『不要な愛』だと見下し、利用するよう助言してきた。また別のときは、やたら親交を深めたがる百香に畏縮し、逃げ回ったりもしていた。今でこそ親友のように接してはいるが、それだって元はといえば、星史の命令みたいなものだ。
それなのにこんな暴れてまで、停学になってまで、百香を庇うようになるとは。
「庇ったわけじゃないわよ。」
雨宮はぴしゃりと言う。そして真っ向から指をさしてきた。
「あたしがしてなかったら、いずれあんたが暴れてたでしょ。そんなの、セージさまは望まないわ。」
出た出た、またこれだ。行き着く先はいつもこれ。半ば諦めながら、僕はテーブルにもたれた。
「それなんだけどさ、もういい加減説明してくんない?」
「は?」
「だから、なんでそんなにあいつに尽くすわけ、」
彼女にこれを問うのは何度目だろう。最初のころは迫真的に、少し前は真摯に、そして今となっては、正直呆れ気味に、僕はその疑問を抱く。何度でも何度でも。
対して雨宮は、いつだって満足のいく回答を返してくれない。たぶん今回だってそうだ。雨宮の無表情を前に、僕は予感した。
「全部包み隠さず説明したけど。」
予感どおり、空砲みたいな回答がさも真面目に返される。
「いやいやいやいや、何一つ理解できる説明してくれてないって。」
「あんたがバカだからでしょ。」
「おまえの説明が足りない。」
「足りなくない。」
「じゃあ、やっぱ俺バカだから、もっとちゃんと説明してくれ。」
「じゃあ何度だって言うわ。あたしは、自分の欲望をまっとうしてるだけ。」
なんだこいつ。こんな女だってことは、かなり前から解ってはいたけれど、改めて思う。
僕らの間には遠慮が無い。言葉を選んだり、雰囲気を守ったり、顔色を窺ったり、小さな嘘さえつく必要も無い。そんな、身を削らなくて済む関係が楽で、心地良ささえ感じていたというのに、こんなふうに裏目に出てしまうとは。
「あー。もーいーや。じゃあさ、せめて馴れ初めくらい教えろって。」
埒の明かない質疑応答に匙を投げ、僕は譲歩することにした。
「馴れ初めって……」
「それだけでいいから。」
出会い。きっかけ。ふたりの始まり。せめてそれだけでも知れれば、あとは勝手に解釈できる気がした。
「彼が答案用紙盗んでいたのを、あたしが目撃したの。」
雨宮は案外あっさりと答えた。
「で?」
「で? って?」
「え? ……おわり?」
「? ええ。」
「それだけ?」
「ええ。」
はああああ?
「あ」の数だけ顔が歪んだ。わからん。この女は。いや、こいつらはわからん。塵ほどの解釈も推理も望めそうにない。雨宮は僕を、変な生き物でも見るかのように首を傾げている。
「教えてやったんだから、次はあたしの番よ、」
やがて素っ気なく言った。
「何が、」
僕も素っ気なくなげやりに返す。「教えてやった」って、まともな返事貰ってねーぞ。……そんな指摘さえ面倒なくらい、なげやりになっていた。
「明日、彼の誕生日だから、おめでとう、言ってあげて。」
彼女の睫毛が僅かに伏せるのを、声が少し籠もるのを、僕は見逃さなかった。
「星史、誕生日なんだ。」
わざと、気安く名前を出した。雨宮は静かに頷く。
「九月十二日って、なんの面白味も無い日だな。」
乾いた笑いでふざけた。彼女から視線を外すために、スマホを取り出だして、『9月12日』と検索する。「……へー。宇宙の日だって、うける。フランソワ1世と同じ誕生日だってさ。マジで誰だよ、うける。」全然うけない雑学を、二つ読み上げた。
「あんたから言われると、たぶん、救われるの。」
雨宮がしずかに言う。
「誕生日ってだけじゃないから……彼にとって。」
ああ、そうか。
救われるかどうかは、自信、無いけど。
星史が産まれた日、ってことは、
名塚月乃の、命日だ。
俺の母親は一人だけだよ
星史のあの言葉に、嘘偽りなんて無かった。
彼にとっての名塚月乃は、『自分を産んだだけの女』だ。彼が親と認識しているのは、高校生の息子が一晩外泊しただけで、渋滞みたいな着信履歴を残すような、おまけに、心配と安堵を右ストレートで表すような、深い愛情を注いでくれる、今の両親だけだ。
でも、彼のなかに名塚月乃が根付いているのも、紛れもない事実だ。
僕が、皆口陽を、『自分を産んだだけの女』だと、切り捨てられないように。
そしてこれは、きっと、すごくすごく、星史には酷な、二律背反なことを思うのだけど、彼が僕を探し求めた根本にも、名塚月乃の存在が、あるから。
そんな彼女の、命日。九月十二日。
壮絶な最期だったと聞く。分娩台の上で、助産師から盗んだボールペンで喉を一突きにして、息絶えていた。出産を終えたばかりだった。命を生み出したばかりだった。いとし子を抱いてすぐだった。
「せいじ、です。『星』に歴史の『史』で、『星史』。」
生前の彼女が最後に遺した言葉だった。
十七年前の事件を調べた際、ネット上に蔓延る数多の情報を掻き集めて知った、名塚月乃の最期を思い巡らすうちに、朝になっていた。いつの間にか眠っていたらしい。
九月十二日。今日は、彼女が死んだ日。そして、彼が産まれた日。―――――
「おっはよ。」
星史は今朝も、代わり映えのない挨拶をしてきた。飛びついてくるように背中を押す、無邪気でやかましい、戯れの延長。彼にとって今日という日が、めでたいのか憂鬱なのか判らなくなる。
「連絡、ずっと待ってたんだけどー?」
誕生日なんかよりも、僕が堂々と破った約束について触れ、咎めてくる。悪い悪い、昨日は色々と立て込んでて……。とりあえず素直に謝罪しておいた。
「んー。ま、いいけど。」
ずいぶんと軽く、大目に見てもらえた。
「それより旭くん、昨日の話、なんだけど……」
「星史、あのさ、」
祝いの言葉を急ぐあまり、彼の話を遮ってしまった。ひとの誕生日におめでとうを言うなんて、永らくやっていない。慣れない祝福に、僕は少々戸惑っていた。
「あの……さ、」
「仲村先輩っ、おめでとうございます、」
背後から複数の黄色い声がした。振り向くと、下級生の女子生徒が三名いた。うち二人はきゃあきゃあと笑い合いながら、残りの一人は、目に見えてどぎまぎしている。
「って、この子が言ってまーす。」
笑い合っている二人が、女子生徒を前に押した。
「あっ……あの、お誕生日……ですよね。お、おめでと……ございます。」
赤面もプラスしてどぎまぎ言う彼女に、後ろの二人が更にきゃあきゅあはしゃぐ。
「うん。ありがと。」
星史は透明感のある笑顔を、ぱっと輝かせた。たったそれだけの短いやりとりが、綺麗に終わる。再度歩き始めた僕らの背後では、彼女たちの華やぐ声が、だいぶ遠くなっても響き続けた。
「……知り合い?」
「ううん。知らない子。」
まじか。驚くのも束の間、今度は違う声が飛んできた。
「仲村ー、おめでとー!」
道路を挟んだ駐輪場から、彼のクラスメイトらしき女子生徒が数名、手を振っている。
「ありがとー。今日ジュースおごってー。」
奢らねーよ! 女子生徒たちは笑いながら言い返してきた。
その後も、ずっと同じような場面が続いた。
校門、玄関、階段、廊下……至るところで、星史は祝福を浴び続けた。同級生だったり、下級生だったり、男子だったり女子だったり。時に笑いを交え、時に真面目に、擦れ違う生徒は多種多様なおめでとうを彼に告げる。
完全に機会を失ってしまった。と、言うより、自信を無くしてしまった。
溢れんばかりの祝福の中、僕の「おめでとう」にいかほどの価値があるものなのか。
こんなふうに考えるから、こよなく面倒くさい男なのだと、つくづく思う。
「星史、」
教室へ分かれる際、やっと機会を捻じ込んだ。
「ん?」
「その、さ、」
救われるかどうかは、自信、無いけど、僕が振り絞った精一杯の、祝福。
「帰り、送ってこっか?」
バイクのキーを見せながら、ぎこちなく、聞いた。
「いいの!?」
満面の笑みが不意を衝く。大げさで幼い喜びように思い知らされた杞憂は、容赦なく僕を赤面させた。
臨時の全校集会は、大方、百香の報せどおりだった。
校長が壇上に立ち、まずは最近ネット上に、本校及び特定の生徒に関する不名誉な情報が、拡散されている件について触れた。続けて、その情報が事実無根であると断言し、昨日、それが発端で学内にて騒動が起きた事を公表した。
関連して、不審な記者も目撃されている事と、犯罪に近しい行為も起きていた事についても、『今後この件に関して首を突っ込めば、進学にも影響する』のだと、半ば脅かすような言及をし、最後は、ネット上におけるマナーやモラルを注意喚起する、という形で、締めくくった。
これで、ようやく息がつける。
百香には、本当に申し訳ない役を押し付けたけれど、正直、彼女の案に従ったことについては後悔していない。
保身だったのは本音だ。けれど、彼女の案により僕やひので、そして星史に、一片の疑惑も向けられなくて、本当によかった。
先ほどの、星史の満面の笑みが焼きついて離れない。
よかった。本当に、よかった。今日という日に、彼が喜んでくれて。こっちが恥かしくなるくらい、大げさだったけど、それでも、よかった。
九月十二日。今日は、彼が産まれてくれた日。
――――― かつん かつん かつん、
館内が静かにどよめいた。
校長の話が終わり、進行役の委員が礼を言った直後の、短い静寂。
その静寂を、最大限に活用して、彼女は現れた。
まだ校長が退席していない壇上に、堂々と上がってゆく。
全校生徒が、彼女に注目する。
なんで、おまえが、ここに……?
くすんだ銀髪。えげつないピアス。丈の短いスカートから伸びる、包帯を巻いた長い脚。完成された体つきと、派手な化粧を施した、十五歳。
ひのでだ。
「ねえ、あれって、」
「皆口……ひので?」
「一年の?」
「髪、短くなってない?」
「たしか停学中じゃ……」
「いや、休学って聞いたけど……」
突然壇上に現れた一学年の問題児に、ひそひそと声が飛び交う。
壇上に残されたままの校長も、他の教員たちも、驚愕のあまり立ち竦んでいる。
その場の視線がすべて、彼女に集う。
僕は何が何だかわからなかった。
壇上にいる自分の妹を、全校生徒に溶け込んで目で追う。硬直したまま、妹を眺める。
ひのでは休学中にも関わらず制服姿で、腕には何やら紙の束を抱えていた。コピー用紙のようだが、目算でも数百枚とありそうだ。
全校の視線を一身に受けながら、壇上の前に立ったひのでは、有無も言わずステージ上から、抱えていた紙の束をばら撒いた。
大量のコピー用紙を、何度も何度も、四方八方に、まるで号外のように投げ撒いてゆく。
館内中に散らばるコピー用紙に、今度はわかりやすいどよめきが起きた。
なになに?
何あれ?
なにか書いてあんの?
うしろに回してー!
こっちも!
みせてみせて
生徒も教師も、あわただしくコピー用紙を拾いだした。
周りより一歩遅れて、僕も一枚、コピー用紙を拾った。
喧騒のなか、ひのでが壇上のマイクを手にする。
「……特別進学科二年、桂木百香は、名塚月乃とは無関係だ。」
スピーカー越しに妹の声が響き渡る。
次の瞬間、館内が、また違うどよめきで、満ちる。
僕も、どよめきの、一部と化した。
「名塚月乃の、本当の、子どもは、――――」
コピー用紙に、印刷されていたのは、見覚えのある母子手帳の、表紙。
『愛媛県今播市 母子健康手帳
保護者の氏名:名塚 暁
:名塚 月乃
「―――― 普通科二年、仲村星史だ。」
子の氏名 名塚 星史
生年月日:平成×年9月12日』
妹の声が響き、館内が騒ぎ出す。教師たちが壇上へ駆け上がる。ひのでを無理やり壇上から降ろしている。
そんな光景が、無音の世界で拡がった。
立ち尽くす僕の、頭んなかは、無音だった。
今日は、九月十二日。
コピー用紙に印刷されている母子手帳と、同じ、日付。
彼が、産まれた日。
そして、彼女が死んだ日。
名塚月乃の、命日。
どうして
どうして 今日 なんだ
……ひので
コピー用紙が散らばる館内。騒ぎ立てる声と潜まる声が、混ざる喧騒。大声で制止を計る教師、ひのでを取り押さえる教師。僕は無音の世界で、星史を探した。




