22 救済
※※※2021/3/21より、本作の大幅改稿版『最愛なる猛毒、致死量の慈愛。』を連載しております。大まかな展開は変わりませんが、【演出】【構成】【台詞】【一話あたりの文字量の改変】等、読みやすさを重視した改稿となっており、また、本作では描かれなかった【糸子と星史のはじまり】を書き下ろしております。読まれる際には改稿版のほうを強くお勧めいたします。※※※
どういうことなんだ? 何が起こっているんだ?
どうして百香が、名塚月乃の子として拡散されている?
画面上の、隠し撮りらしき百香の姿に混乱した。身体は強制停止状態なのに、脳内はぐちゃぐちゃにごった返してしまう。
どういうことなんだ。何が起こっているんだ。
ひのでと行動を共にしていたことで、見誤られたのか?
それとも、これが、ひのでへの真の報復なのか?
この画像は一体? 盗撮じゃないか……こんなの。
誰が、一体、なんのために……
静寂に充ちた教室内では、軽蔑と、疑惑と、畏怖が、混雑する。その三つの負は一つの塊となって、百香に襲いかかる。僕なんて、まるで、無視して。
(百香じゃない、僕なんだ。その塊に、押し潰されるべきなのは。)
ぐちゃぐちゃな脳内をまっさらにして、僕はその主張を選んだ。声に、声にしなくては。今すぐ。それを告げればこんな誤報、無価値だ。百香への疑念も晴れる。
これは間違いだと正さなくては。
「こ―――――」
「やだーっ、なにこれえ? 百香、超有名人じゃん!」
僕が声を出す寸前で、百香が明るい声をあげた。
教室中がどよめく。
「ないない、ありえないよー。ネットこわっ。ていうか、どーせならもっと可愛い写真、使ってほしかったなあ。」
張り詰めた空気など物ともせず、百香は朗らかに振る舞い、笑顔で否定した。
「じゃ、じゃあ、デマ……なんだな?」
男子生徒のほうが物怖じして、再度尋ねる。
「当然でしょ。百香、この人の子だったら、もっと美人なはずだもん。」
「そ、そうか……」
悪かったな、と苦笑を添えて、男子生徒は百香から離れた。
「っていうか、これ普通に名誉毀損だよねー。超困る。このサイトの管理人さんに問い合わせれば、削除してくれるのかなあ? ちょっと、先生に相談してくるね。」
淀んだままの教室で、始終にこにこしながら、百香は出て行った。退室する直後、一瞬だけ無表情になった彼女と目が合った。
無言の威圧だった。
『何も言うな』……百香は確かに、それを訴えかけてきた。
「なにあれ。超わざとらしくない?」
百香が去ってから、誰かが呟いた。
皮切れに、続々と負の言葉が飛び交う。
なんか怖い あたしも よくあんなへらへらできるよね 逆に怪しいし 前から思ってたけどあの子ってちょっと ねー わかる プロなんでしょ調べてるの ネットもばかにできないよ 火の無い所にって言うし やばいやばい なんで笑ってんの まともじゃないじゃん 怖い怖い怖い
「人生終わりでしょ、人殺しの身内とか。」
僕も教室を飛び出した。
正確には、逃げた。
本当ならここで一喝して、幼馴染の無罪を、誤った情報を、主張すべきだったのに、逃げた。逃げるしかなかった。
もしかしたら、一つ間違えれば、歯車が狂っていなかったら、自分に浴びせられていたかもしれない言葉の数々に、恐怖して逃げた。
「皆口くんっ、関わらないほうがいいって!」
クラスメイトの助言が聞こえたけれど、それどころじゃなかった。
百香を追うふりをして、とにかく逃げた。
「百香っ、」
非常階段でようやく彼女に追いついた。お互い、息を切らして汗だくになっている。嫌な汗だ。
「なん……だよ、あれ。どういう、つもり……だよ、」
呼吸が整うよりも先に、僕は詰め寄った。
「今なら、まだ、誤解、とけるから……戻るぞ。俺も、ちゃんと、説明する、」
うまく息が出来るようになってきて、頭も冷静になってきた。百香に着せられた濡れ衣をなんとかするには、やはりあの場で僕が、真実の関係者であると公表するしかない。証拠品として、母子手帳という最終兵器だってある。
「絶対だめ。」
僕の捨て身の訴えを、百香は一蹴した。それどころか、続けさまに耳を疑うようなことを言ってくる。
「……糸子ちゃん、まだ来てなかったよね? 旭、お願い。糸子ちゃんを、百香に近づけないようにして。……それと、旭も、クラスでは百香に話しかけちゃだめ。一緒にいると、何言われるかわかんない。」
この期に及んで何を言ってるんだこいつは。長年の付き合いであるはずの幼馴染が、理解し難い。わかってはいるんだ。百香は、優しい女だ。お節介が過ぎるほどに。
すぐに僕の心配をする。いつも僕を守る。……でも、だからって、こんなの、
「……ふざけんな。」
心の底から言えた。百香の優しさはお節介の域を超えている。
無実の彼女を生贄にして、このまま順風満帆に高校生活を送れるほど、図太くなれるわけがない。しかもそれが、彼女の善意のうえに成り立つなんて、まっぴらだ。またそうやって、善意で僕を殺すつもりなのか。後ろめたさなんかよりも、怒りに似た感情が声になった。
「ふざけてるのは旭のほうだよ。」
感情むき出しの僕に対して、百香は至って冷静に、また一蹴してきた。
「おちついて、よく考えて、旭。」
思わぬ返しにたじろぐ僕を、百香は宥めるように諭しだした。
「百香に掛けられてる疑いは、結局、ただの誤報なの。……これって、逆にすごいチャンスなんだよ? 誰がどんなに調べても、絶対に真実なんて出てこない。だからマスコミだって動けないし、週刊誌に取り上げられることだって、絶対に無い。」
百香は淡々と続けた。
「でも、旭は事実なの。名塚月乃が、本当に絡んでるの。メディアやマスコミが動けば、あっという間にいろんなことが明るみになる。……言ってる意味、わかるよね?」
……わかりたくなんかないのに、わかってしまう。彼女のいうことは、全部正論だ。すべて現実だ。淡々と、優しく、宥めるように、残酷な現実を叩きつけてくる。
「旭の言動一つで、ひのでも……仲村くんも、最悪の事態になり得るんだよ?」
僕が置かされた立場から、百香は逃がしてはくれなかった。
「いい旭? 今は、くだらないプライドなんて捨てて。きついこというけど、旭に百香は守れないの。でも……ひのでと仲村くんのことなら、守れる。旭がこの件に関して、事なかれに徹すれば、あの二人だけは旭にも守ることができるんだよ?」
そこからの僕ときたら、もう情けないことこの上なかった。反論なんてできやしない。更なる案出などあるわけもない。百香への、配慮の言葉さえ、みつけられない。
絶望する。なさけない。どうしてこんなに、出来損ないなんだ。
「百香なら、だいじょぶだよ。」
立ち尽くすだけの僕に、百香はまた、麻酔薬のような「だいじょぶ」を投じる。
「影響があるのなんて学内までだろうし、平気ヘーキ。もし何かされても、堂々と訴えられるし! 出るとこ出てやるんだから!」
だから、だいじょぶ。
百香はふたつの拳をきゅっと作って、僕を麻痺させた。出来損ないのままでいいのだと、思わせるように、僕は黙って、絶望して、従った。
妹と星史のせいにするつもりはない。でも、秤にはかけてしまった。
僕は自分と、妹と、星史を守るために、無実の幼馴染を犠牲にするのを、選んだ。百香にそうしろと言われたから? 違う。僕が自分で決めたんだ。
怖かった。クラスメイトの、百香に対する視線や言葉が、自分に向けられるのが。世間がまた、名塚月乃に注目するのが。十七年前の事件を、掘り起こされるのが。
僕とひので、そして星史が、可哀想な子どもだと、憐れみや、好奇や、畏怖の目に、曝されるのが。
百香の目論見どおり、その後彼女に記者が付き纏ったり、週刊誌に取り上げられたりする事はなかった。状況から察するに、今のところ、普通科の生徒たちにも広まってはいない。
しかし、特進ではそうはいかなかった。
今やクラス内での百香の立場は、最悪だ。
判り易いいじめとは違い、クラスメイトの誰もが彼女と距離を置いた。軽蔑だったり畏怖だったり、何かしらの異質として遠巻きに眺めつつも、そこに『桂木百香』なんて人間は存在しないかのように、無視に徹したのだ。
百香も、その扱いに準じた。
むりに友人たちの輪に入り込もうともせず、理不尽な扱いに怒りも悲しみも見せず、自分に原因があると認めるかのように、孤立者に徹した。
そして僕と雨宮さえ、一切寄せ付けなくなった。
誤報の日、僕と百香が非常階段でもめていた頃に登校してきた雨宮は、僕と同じように、クラスメイトから一連の報せを受け、しまいにはこんな『助言』も貰ったらしい。
殺人犯の身内だって 雨宮さんも気をつけな
その助言も無下に、雨宮は教室に戻ってきた百香に声をかけた。
「桂木、おはよ。」
百香はそれに応えなかった。
それは休み時間でも、昼休みでも、放課後でも同じだった。
雨宮が近づこうとするものならば、百香は逃げるように姿をくらます。そして授業が始まるぎりぎりで、教室に戻る。終礼が鳴り次第、一目散に逃げてゆく。着信にはでない。メッセージには返信しない。
「超感じ悪くない?」
百香の雨宮に対する態度について、全く関係の無い女子生徒が聞こえる音量で呟き、それに賛同した別の女子生徒が、「ねー。雨宮さん。」と、賛同に雨宮を巻き込もうとしたけれど、雨宮は雨宮で、彼女たちを無視していた。
翌日から、雨宮は再び孤立者となった。百香は、新しい孤立者となった。そして僕もまた、孤立者に戻りつつある。
三人とも、クラスでの扱いはそれぞれ違うけれど、孤立者として、ばらばらになった。
「で、どうする気よ、あんたは、」
騒動から翌々日、僕と雨宮は久しぶりに映写室に集合した。正確には、集合、じゃなくて、居合わせた、のだけど。お互い孤立者に戻って、お互い以前の行動にでた結果だ。
「どうする……たって、」
本を開きながら素っ気なく質問してくる雨宮に、僕は真剣に向き合うべきか、適当にふざけるか、対応に悩んだ。少なくとも後者を選んだら、それこそクズだけど。
「俺だってどうにかしてーよ。」
「だったらさっさと行動に移しなさいよ、クズ。」
どちらにしてもクズ認定は受けてしまった。ぐうの音も出ない。
「悠長なこと、言ってらんないわよ。」
口調だけは素っ気ないまま、雨宮はどこか険しい目つきで、スマホ画面を向けてきた。もう何度も見た、あのスレッドだ。見飽きたくらいなのに、また心臓が止まりそうになる。スレッド内の続報に、百香の新たな画像が載せられていたのだ。
「明らかな盗撮よ。しかも、教室での物ばっかり。……桂木のこと、まだ普通科には広まってないんでしょ? つまり、」
雨宮の冷静な見解は、盗撮してネットに上げている人物が、クラスメイトの中に存在することを示唆していた。
「ずいぶん楽しんでるみたいね、あいつら。」
声に宿る軽蔑の影は、クラスメイトが百香に向けるものなんかより、ずっとずっと濃かった。
雨宮のことばに後押しされるかのように、僕は躊躇うことなく、百香へのメッセージ画面を開いた。
一応言っておくけど、早まるんじゃないわよ。
心配ご無用。わかってるって。
僕らは彼らに心底軽蔑しながら、おそらく、憤りも携えながらも、いつもの調子で会話を交わした。きっと考えていることは、同じだったから。
「つーわけで、この度ぼっちが増えました。」
転入生を紹介するかのように、僕は百香を隣に並べ、雨宮に披露した。
「そう。」
彼女は相変わらず、ぶれずに素っ気ない。
一方百香は、半ば無理やり呼び出された放課後の映写室に、戸惑うばかりだった。
「旭、これ、どういうこと?」
少々不機嫌に、大分気まずく、頬を膨らませて睨んでくる。
「ここさ、ぼっちの社交場みたいなもんだから、まあ気軽に来いよ。昼休みとかさ。」
「ちょっと、低脳な名称つけてんじゃないわよ。」
「俺たち前からここで逢引しててさー。」
「無視してんじゃないわよ。ていうか、あんたが勝手に居ついたんでしょ。ていうか逢引きって辞書引いてみろ、たわけ。」
「すげーだろ? こいつ、ここだとめっちゃ喋るんだ。んで、すっげー口悪い。」
「ちょ……ちょっとストップ!」
僕と雨宮のやりとりを遮って、百香は困惑した表情をみせた。
「……だめだよ。百香と仲良くしてると、二人にだって迷惑が、」
「だから、映写室なら堂々とできるだろ、」
「で、でも、どこで誰が見てるかなんてわかんないし……」
「つか、もともと俺のせいじゃん。」
そこまで話すと、百香は息を飲んだ。ちらりと雨宮へ視線を配る。
「雨宮は俺と名塚月乃のこと、知ってるから。」
百香の憂いを晴らすつもりで、さらっと告げた。思わぬ事実に一瞬驚愕した様子の百香だったが、すぐにまた意見してきた。
「それじゃ……なおのことだめだよ。糸子ちゃんまで巻き込めない。」
「こいつ元々ぼっちじゃん。痛くも痒くもねーよ。」
「なんであんたが威張んのよ。」
決着のつかない僕と百香の間に、ようやく雨宮が入ってきた。
「桂木、」
厳しめな声音で百香を見据える。
「正直、あたしはこのバカの計画に反対なの。」
そしてまさかの主張をしてきた。
おいおい何言ってくれてんだ。ここまで無理して飄々と振舞っていた僕だったが、つい口を開けて固まる。百香もさすがにショックだったのか、言葉を失って目を潤ませた。
今にも泣きそうな百香と、気まずく固まる僕を順番に見たあと、雨宮は呆れるように溜め息をついた。
「映写室じゃなくても、堂々と教室で話せばいいじゃない。」
……え? 別々の表情をしていた百香と僕は、一瞬にして同じ顔になる。
「あんたの好きにしなさいよ。」
素っ気なく、雨宮は続けた。
「あたしに迷惑かかるのが嫌ってんなら、無理に一緒にいなくていいわ。独りでいようが距離置こうが、あたしは余計なこと言わない。全然気にしない。でも、あんたと一緒にいることで周りが何言ってこようが、それも全然気にしない。」
だから好きにしなさいよ。言い終わりにはまた本を開いて、普段どおりの雨宮糸子を貫いた。
その姿に、僕は変な笑いが出た。嬉しいような、安堵したような、単純に、ぶれない彼女が面白いような。とにかくツボに嵌ってしまって、にやけ顔が治まらない。
雰囲気が回復したところで百香を見ると、これまた面倒くさい状況になっていた。
「……! ちょ、ちょっと、」
さすがの雨宮も動揺の声をあげた。百香が黙ったまま、ぼろぼろと涙を溢している。
「なっ……なななに泣いてんのよ!」
僕らに注目されたところで、百香はいよいよ声を漏らして泣き出した。何かがぷっつりと切れてしまったみたいに、涙も泣き声もしゃっくりも止まらない。
「……っく、ごっ……ごめ、……っく、なさいっ……いっ、いとこ、ちゃん、すっ……好きぃ……っく……」
泣きながら、わけのわからない告白までしてくる。雨宮は更に慌てふためく。その光景がますますツボに嵌ってしまい、僕は声を殺しながらしばし二人を眺めた。
「わ、笑ってないで、なんとかしなさいよっ、」
当然、理不尽な苦情を貰う。
「俺もー、イトコちゃん好き~。抱いて~。」
「……くたばれボンクラ。」
文庫本でも顔面に直撃すると、けっこう痛かった。
これで良かったんだ。
百香の気持ちを無下にせず、出来損ないの僕なりに、彼女を救う方法。半分……もしくは大半、雨宮の手助けあってこそだけど、それこそ今はくだらないプライドなんて捨てるベきだと、自分を納得させておく。
まだクラス内での、百香への疑念は晴れないけれど、僕か雨宮が常に近くに居ることで、盗撮への抑制には繋がるだろう。僕らも目を光らせるつもりだ。
そしてすっかり忘れていたが、この度、ひのでが休学中で本当によかった。
もし、今の百香の状況を妹に知られでもしたら……と想像すると、血の気が引く。きっと二学年特別進学科の教室が、惨劇に見舞われていたことだろう。
不幸中の幸い、なんて軽薄な言い方だけど、起きてしまった事態のなかで、僕はぎりぎりの平穏を保った。
百香には、本当に申し訳ないことをした。彼女の件に関しては絶対修正するつもりだ。時間は掛かるかもしれないけれど、もう一度、百香の日常を取り戻す。
その際にはちゃんと、僕なりの言葉を、この、優しすぎる厄介な幼馴染に、捧げよう。
クラスメイトと距離を置き、百香への視線に目を光らせ、三人で映写室に集う日々が、定着しつつあった。
『昼休みあいてる?
話したいことがあるんだ』
星史に呼び出されたのは、そんな折だった。




