21 誤報
※※※2021/3/21より、本作の大幅改稿版『最愛なる猛毒、致死量の慈愛。』を連載しております。大まかな展開は変わりませんが、【演出】【構成】【台詞】【一話あたりの文字量の改変】等、読みやすさを重視した改稿となっており、また、本作では描かれなかった【糸子と星史のはじまり】を書き下ろしております。読まれる際には改稿版のほうを強くお勧めいたします。※※※
駅前だった、という。
『あの、失礼ですが◎◎高校の生徒さんですよね?』
男は、明らかに記者のようないでたちで、それらしい声の掛け方をしてきた。
『え? ああ、まあ。』
『特別進学科の生徒さんに、お知り合いとかいますか?』
『あ。自分、そうっすけど。』
『本当に!?』
途端に目を輝かせたらしい。
『すみませんね、突然。私、週刊××の者なんですけど、少し、いいかな?』
『あー……はい。』
そして真っ先に、その質問をしてきた。
『名塚月乃って、知ってる?』
以上が、クラスメイトの生徒が、ナヅカツキノの名に触れた経緯である。
「えー、何それ超怪しい。」別のクラスメイトが興味本位まじりに言った。
「ドラマでよくあるやつ。」また別のクラスメイトも、参戦してくる。
「で、どうしたの、そのあと。」どんどん参戦してくる。
「普通に知らないっつったら、「だよねー。世代だもんねー」って笑ってた。んで、「特進内でも知名度無い?」とか聞かれたから、とりあえずうちのクラスでは、って答えといたけど……やっぱ誰も知らないよなー?」
「あーごめん。あたしも、それっぽいことあったかもしんない。」
新たに参戦した女子が、思い出したように挙手する。
「駅前じゃないけど、友達の知り合いの知り合いに、ここの特進生探してるって人がいて、それどっかの雑誌の人らしくてー、今度軽く取材させてくれないかって、友達伝手で頼まれてるんだよね。もしかしたら、それ関係くさくない? なんかさー、友達の知り合いの知り合いとか、ほぼ他人じゃん? あんま乗り気じゃなくってさあ。」
「えーまじでなになにー?」「取材とかガチなやつじゃん。」
「行ってこいよ。」「えー逆にやだ。」「何? 人探し系?」
「世代ってなんだよなー。」「てか誰? 有名人?」「あの人は今!? 的な?」
気づけば、クラス全体が参戦していた。皆口々に、湧き出す好奇心を声にする。飛び交う好奇の音に貫かれながら、身体が変な汗で冷えてゆく。
やばい。
どうしよう。何か、言うべきなのか、この場で。
なんとか、なんとか空気を変える方法は? 芯から凍える身体に震えながら、僕は突破口を探した。
……みつからない。
何を発言しても、今のこの教室に充満する、彼らの好奇を鎮めることなんでできるわけがない。しかし、このまま傍観し続けるわけにもいかない。……どうしよう。なにか、何とかしなくては。今ここで、塞き止めなくては。
僕が、なんとか、
「えっ、やばくない? 殺人事件だって。」
凍える僕を容赦なく打ち砕く音がした。
一人のクラスメイトが、スマホの画面をクラス全体に向けながら、『ナヅカツキノ』の検索結果を披露している。
「まじで!? 殺人!?」「どのサイトそれ、」「ナヅカツキノでググればすぐ出るよー。」「うっわまじだ。」「え。しかも犯人とか。」「でも昔過ぎない?」「この辺の事件なん?」「いや、愛媛って書いてあんじゃん。」「つか死んでんじゃん。犯人。」「え? 自殺とか。」「自殺? 犯人?」「うん、ほらここ、」
やめろ……やめてくれ。
祈り虚しく、教室内は先程以上に賑わいだした。更に更に湧き出す声。更に更に参戦してくるクラスメイト。一瞬にして認知された名塚月乃の名に、震えが止まらない。背中がぐっしょりと冷たくなる。
「……旭、ちょっと……」
背後から、百香が小声で呼びかけてきた。廊下に目配せしながら外へと誘う。僕らは盛り上がるクラスメイトの目を盗むように、教室から出た。
「……嫌な予感がしたから、ちょっと、調べてみたの。……そしたらね、」
躊躇いがちに操作しながら、小さく息を飲んで、百香はスマホを手渡してきた。画面に映し出されているのは、何か、スレッドのようだ。
その内容に、戦慄した。
【名塚月乃】悲劇の子供の現在【特定か?】
タイトルどおりスレッド内では、名塚月乃が自殺直後に産み遺したとされる子どもについての情報や、それに対する反応が次々と書き込まれていた。
しかしそこには『息子』だの、『仲村』といった、星史に関する情報は一切記されていない。
事態は大きく、誤った方向に捻じ曲がっていた。
スレッド内に貼られた、見覚えのある校舎外観画像。……所在地と学校名は伏字だが、ほぼ名指しレベルの伏字。
それは、今まさに僕らの居る、この高校であり、画像の下にはこんな説明文が添えてあった。
『娘と思われる少女の通う都立高校』
娘。少女。
「……タイミング、できすぎてない? こんな、夏休み明けに……。間違いなく、ひのでを指してるよ。少女って、あるし。……しかも、特進生ばかり、付け狙ってる、みたいだし……旭や仲村くんは、ばれてないみたいだけど……」
百香の言葉を聞きながら、僕も憶測を巡らせた。
情報を流した側が、ひのでを名塚月乃の子だと誤解したのか、はたまた、報復としてあえて誤ったのか……。どちらが真実かは定かでないが、言い切れるのは、僕らの恐れていた事態が起きてしまった、ということだ。
思考が働かない。言葉が出てこない。
今のところ、ひのでの名前や顔の情報は洩れていないようだが、今後どうなるかは、すべて見えない敵の手中にある。もしかしたら明日にでも、いや、今すぐにでも状況は最悪なほうへ転がるかもしれない。
「おちついて旭、」
声を失う僕に、百香は静かに言った。
「おどかしてごめんね……。とりあえず、教室のことは放っておこ。」
静かに、気丈に言う。
「特進って、普通科とあんまり関わらないし、そう簡単に広まらないよ、こんな噂。このサイトだって、いろんなスレ開いて辿り着いたの。そもそも、まだ情報だってこの学校ってだけだし。ここの生徒たちには、逆に漠然としすぎでしょ。」
考えてみれば当然な見解を冷静に諭す。確かにそのとおりだ。僕はずいぶん、錯乱していたらしい。少しずつ落ち着きを取り戻す。
僕が小さな深呼吸を二回繰り返したところを見計らって、百香はまた、切り出した。
「まずは……今、百香たちがしなきゃいけないのは、」
……ああ。
そうだったな。
僕も彼女に倣って、静かに、気丈に、今最も優先すべき相手への対策を、考えた。
「母さん。」
ただいまも省いて呼びかけると、母は腕あたりをぴくりと身じろがせて、顔を向けた。
「もう、びっくりさせないでよ。」
眉を八の字にして迎え入れる。そして鼻歌まじりに、食器洗いを再開した。
別に驚かせるようなことしてないんだけどな。こういう所で、親子間に再び生じたしこりを痛感する。ついでに、取り繕った平穏にも。しかし今言及するのは、勿体ないのでやめた。時間が、勿体ない。
「うちの学校、記者が嗅ぎ回ってるんだ。……名塚月乃の件で。」
単刀直入に言った。
流しっぱなしの水道水の中で、母の手が止まる。
「それで、……一部の人間に、ひのでが、特定されている。」
彼女には酷だと理解したまま、僕は続けた。
クラス内で、名塚月乃について聞き込まれた生徒がいる事実。ネット上で、名塚月乃の親族とされる女子高生の通う学校が、ほぼ名指しで曝されている現状。ひのでが『娘』とされている誤報。包み隠さず、すべて話した。
「幸い……っていうのも薄情だけど、俺に関する情報は、まだ一切触れられてない。でも、ひのでは、もしかしたら、近いうち……」
酷だろうと、非情だろうと、今は時間が惜しかった。
「しばらく、休学、させたらどうかな。」
妹のために。
説明が済むと、母は一息置くようにゆっくりと、蛇口をさげた。止め処なく流れていた水道水が、あっけなく止まる。
顔を上げた母の視線に、息を飲む。
「そうね。お母さんも、賛成。」
虚を衝かれて、返事を見失った。今の今まで非情に徹していた僕が、滑稽に面食らう。
正直、覚悟していたんだ。
母のことだ。取り乱して、動揺して、うろたえて、泣いたり、騒いだり、饒舌に支離滅裂を並べたり……。そんな覚悟をした上で、必要ならば叱咤も構えていたというのに。
母は余裕たっぷりに賛同してきた。
「えらく、おちついてるね、」
思わず言ってしまう。
「動揺してるわよ、これでも。」
とてもそうとは思えない口ぶりで、一応なことを言う。
「動揺、するわよ。ひのでは……子どもは、大切だもの。……たぶん、なんていうか、もう、一周しちゃってるのかも、しれないわ。」
一周?
「ええ。この前のことから、一周。」
あの、明け方の一悶着にもさらりと触れて、母はこれまた余裕たっぷりに、タオルで手をぬぐった。
「いつの間にか旭に、色々ばれてて、しかも今さら、月乃ちゃんの件が、出てきて。一周して、むしろ、ああ、そうくるかあって感じ。」
ふうっと浅く溜め息を落とす母の表情は、父さんのあの、降参みたいな顔にどこか通ずるものがあった。
「旭の口から、月乃ちゃんの名前聞くのが変な感じ、っていうのも、あるかしら。」
母の余裕が本物だと思う一方、母のいう動揺も嘘じゃないように見えた。そんな憶測だらけの母が、生まれて初めて好意的に映った。
この、どこか諦めた、よくいえば達観した、皆口陽らしくない母が、嫌じゃない。
「それじゃあ善は急げね。ひのでは、お母さんが連れて行く。」
「連れて行く? ……って?」
「いい機会だから話しておくわ、」
彼女らしさを捨てきった母は、今までにないテンポで会話を繋げるもんなので、その不慣れなやりとりに、少々手こずった。
母は水仕事の手を止め、その場に立ったまま、流し台に手を置いた楽な姿勢で微笑む。
「お母さん……ううん、あたしね、旭の言うとおり、勝手に幸せになろうと思うの。」
そして誇らしげに宣言した。誇りと降参が共存した、ふっきれた顔。
そのまっさらな声に、耳を傾けた。
「まずはこの家を出るわ。彼と、暮らそうと思ってる。そしてそれに、あなたたちを巻き込まない。」
宣言は続いた。声は小気味よく僕へ注がれてゆく。
「でもね、母親はやめないわ。」
母の宣言を要約すると、次のようなものであった。
まず大前提として、新生活についてくるのも、ついてこないのも、子供の勝手。
ついてくる場合、新生活先の家にはそれぞれ、私室を設ける。学校も、今までどおり通えるようにする。
ついてこない場合は、食費、公共料金、スマホ代、小遣い、その他生活費を、毎月振り込む。
定期的に掃除洗濯に帰ってくる。場合によっては、夕飯も作りにくる。
月に一度、必ず親子面会の日を設ける。(家で偶々顔を合わせるのはノーカウントとする。)
以上のことは、僕と妹が拒絶しようと正当な理由が無い限り、成人するまでやめない。
そして、僕と妹がどう言おうと、再婚する。
この家を出て、新しい家族と暮らす。
さいごに、もし、名塚月乃の件で、旭にまで面倒が及ぶようであれば、問答無用で新居に連れてゆく。
「だからとりあえずはね、避難ってかたちで、ひのでを連れて行こうと思うの。ほとぼりが冷めたら、ひのでにはまた選び直してもらう。それでどうかしら?」
宣言の終わりに、それを踏まえての、ひのでの匿い方を母は提案してきた。
僕はもう、笑うしかなかった。
「どう? って……」
腹の底から、この、ばかばかしい、自分勝手で一方的な愛情を、
「最高でしかないよ。」
ふっきれた母さんを、敬愛して笑うしかなかった。
愛されるだけの、息子として。
身勝手な息子だ、僕は。
十七年間、母親からの依存に辟易していたはずだった。それがひょんなことから距離ができて、憂鬱に感じた。ところが、母から再婚の意を打ち明けられれば、今度は呆れと怒りに任せて感情を爆発させた。そして此度、ふっきれた彼女に、生まれて初めて好感が持てたと同時に、なぜか合点のいかない自分がいる。
「女ってわかんねー。」
「あのね、単純にね、旭がすっごく、すっごく、こよなーく面倒くさい男ってだけだと思う。」
ぼやく僕に、百香は目を据わらせた。言葉の区切りに頷きを入れながら、特に「こよなく」を強調して、言い切ってくる。
「話し聞く限り好条件でしかないのに、まだ文句言うとか、息子様もいいとこじゃない?」
百香のいうことは一理どころか真理だ。しかし反論する僕もまた、間違ってはいない。
文句とかじゃないんだ。ただ、僕はあの母親の弱い性分を誰よりも見てきて、誰よりも被害をこうむって、誰よりも理解していたつもりだったから、あんなふうに気丈になれる母に、まだ現実感が持てない。
「……わかんねー、女って。」
切り替え早えよ。ほんと。嘆く反面、新たな一歩を踏み出せた母が、正直羨ましくもあった。勿論そこが、好意的になれた理由の一つなわけだし。
「女は上書き保存、男は別フォルダに保存、って言うよね。恋愛において。」
恋愛って……。今度は僕が目を据わらせる。
「恋愛みたいなもんでしょ、子育てなんて。」
高二の小娘が何を知った口叩くんだ。物言いたげな僕の視線を、真っ向から受け止めたまま、百香は人差し指を立てた。
「誰よりも愛情注ぐのに、報われないこと多いだろうし、理想だけはたっぷりなのに、絶対思いどおりになんていかないだろうし、どんなにバカでも手がかかっても、結局可愛いし。旭が大変だった以上に、おばさんもおばさんなりに、駆け引きしてたんじゃないの? きっと。」
散々言いたい放題の終わりに百香は、
「ま、旭はもう上書きされたんだよ。過去のオトコ過去のオトコ。」
と、肩を叩いてきた。
上書き、されたのかあ……
「そうそう。だからもうママ離れしなよ、おにいちゃん。高校生で一人暮らしなんて、ドラマや漫画だけの世界だよ? 超贅沢。」
ママ離れ、という腹の立つワードはともかく、彼女の言うとおり、今夜から贅沢な生活のスタートだ。
贅沢で、少し不安な、これもきっと新しい、日常。
この日常に辿りつくのは、もの凄く早かった。それはもう、目まぐるしいほどに。
母は『善は急げ』と提案したその日のうちに、僕ら兄妹と再婚相手をひきあわせた。
あまりにも急過ぎる面会だった。
再婚相手だというくだんの彼は、温厚を絵に描いたような小太りの中年男性で、想像していたよりも、庶民的な雰囲気をしていた。しかし裕福なのは間違いないらしく、面会の場として、ちょっとお高めの創作料理のお店を、母が思い立った当日に、しかも個室でおさえてくれた。
「庭木数仁、と申します。」
よほど緊張していたのか、庭木さんはこまめにハンカチを宛がいつつ、たかが高校生相手に、勿体ないほど丁寧な挨拶をしてきた。そんな彼の隣には園服姿の男の子が、ちょこんと座っていた。庭木仁成くん。庭木さんの連れ子だ。そして僕とひのでの、弟になる子だ。今のところあくまで戸籍上だけど。
仁成くんは最初こそおとなしくしていたけれど、すぐに飽きてしまったのか、もしくは、元々人見知りしない性分なのか、僕とひのでにやたら絡んできた。そして意外にも、ひのでと馬が合うようだった。
「モモカの親戚の子と、同じくらいの歳だから。」
幼子を上手く扱っていた理由を、妹はそう語る。そういえば園児のいとこがいるとか言ってたな。
気疲れからか、僕は妹の意外性に驚くこともなく、ぼんやりと思い出すだけであった。
それから三日もしないうちに、母と妹は必要最低限の荷物をまとめ、休み明け最初の土曜である今日、庭木さんが用意した大型トラックで、避難もとい、引越しを決行した。
何もかもとんとん拍子に進み、ひのでは月曜から親公認の登校拒否だ。
引越し作業には僕はもちろん、百香も立ち会った。正直手伝うようなこともなかったのだけど、まあ、言うなればひのでの精神安定係だ。
引越し作業を終えてすぐ、僕と百香は早々に退散した。本当はみんなで食事を予定していたのだけれど、仁成くんが突然熱を出してしまったのだ。
子どもって、そういうものだから。
申し訳なさそうにする庭木さんに、母さんと百香が同じような台詞で「お気になさらず」を言っていた。
「じゃあ月曜にね。」
百香は珍しく、いつもより早く帰ってしまった。おそらく彼女も彼女で疲れたのだろう。もしくは、僕のいない空間でひのでに連絡を入れてやりたい、みたいな、彼女特有の気遣いがあるのかもしれない。
一人残された家で僕は、嵐のような展開からの、唐突に始まった一人暮らしをさっそく実感させられた。
不思議だ。これまでだって一人で過ごす夜は何度もあった。特段、珍しいことでもなかった。それなのに明らかにいつもと、ちがう。秒針の音とか、部屋のにおいとか、少し減った家具とか。ぜんぶ、よその家みたいだ。
ソファに寝転がって、例の、あのスレッドを開いた。
……よかった。その後特に続報は無い。書き込みも、最初に見たときより沈静しているみたいだ。ひので、あっという間に戻ってくるかもしれないな。このソファで、また妹が踏ん反り返る日も、きっと遠くない。
そんな妹を真似るように、誰もいない空間で踏ん反り返りながら、僕は、最後に妹と二人きりで過ごした晩のことを、思い出していた。
面会の日の、深夜のことを。
庭木さん親子との面会後、帰宅した二人きりのリビングで、僕らは久々に空間を共有した。そして珍しく、その日の感想を簡潔に、言い合った。
「いいひと、っぽかったな、」
「……うん。」
ひのでが妙に素直だった。
「一緒に暮らせそうか?」
「とりあえず。」
「……ぶっちゃけ、今んとこどっち派?」
「何が、」
「皆口か、庭木か。」
「頭悪そうな聞き方すんじゃねーよ。」
まだまだ仲良しとは言いがたいけれど、妹は会話を繋げてくれた。
「私はたぶんまだ、ひずるさん。」
まじかー。僕は形だけのリアクションをとっておいた。
「……庭木……さんも、嫌いじゃないけど、」
「けど?」
「なまえ変わるの、いやだ。」
「…………。」
妹が何気なく溢した感想は、正直、結構くらった。
最後に妹に殴られてから、もうすぐ季節が二つ跨ぐ。
僕の知る妹は、きっとあまり、変わっていない。変わったのは、僕だ。
仲村星史と出逢った。雨宮糸子と通じた。
仲村星史をみつけた。雨宮糸子を知った。
異端として僕のなかに深く住みついた彼らは、いつの間にか重厚な殻を開いていて、それまで知りえなかった部分を露見するようになっていた。そのせいかもしれない。
僕の目は、無駄に肥えてしまっている。
妹の、ひのでの本質が、見え始めている。
年子の、妹。同じ材料で産まれた、たった一人のきょうだい。
睦まじくもない。かわいいだなんて思えない。全てにおいて勝れない。
くすんだ銀髪、えげつないピアス、若さを謳歌した化粧、派手な爪。女を匂わす完成された体つき。暴虐的で幼稚。激情家で傲慢。
そして、ただの、十五歳。
幼いんだ。彼女はただただ、幼い。本能のままに生きているだけなんだ。
そんな妹が溢した感想だからこそ、ぐさりと刺さった。そんな妹だと理解したからこそ、僕は今、自ら面倒事と向き合って、彼女を救おうと奮起すらしている。厄介なものだ。
大切なものが増えてしまうのは、案外、つらい。
月曜日。新しい日常の、普段どおりの朝を歩いた。
バイクなら駅裏のスーパーに隠した。まだ暑い日が続くが、今朝も校庭では朝練の運動部が声をあげている。自転車通学の生徒に追い抜かれ、喋りながら登校する生徒を追い越し、校門をくぐったあたりで百香が声をかけてくる。
「独身生活はどう?」
いたずらに、あどけなくえくぼを見せてからかってくる。
「おかげさまで。」
僕はあくびまじりに返答する。
教室までの道のり、廊下では他クラスの生徒たちが、人それぞれ朝の挨拶をかけてくる。
いつもどおりの平穏、普段どおりの朝だ。
家に妹はいないけれど、しばらく学校にも来ないけれど、僕の高校生活は、薄情にも幸いに、いつもどおりだ。
平穏を噛み締めて、百香と肩を並べたまま教室の扉を開いた。
その瞬間、すべての音が、やんだ。
教室内に散らばっているクラスメイトが、しんと鎮まりかえる。
その場にある視線が、すべて、こちらを向いている。
軽蔑のような、
疑惑のような、
畏怖のような、
視線が、無数の槍のように、ぶすぶすと。
静寂のなかで、刺してくる。
嫌な、予感が、する。
まさか、
「え? ……な、なになに? ドッキリ?」
取り繕う百香の発言を機に、今度はひそひそ声があがり始めた。そこかしこから一斉に。
視線はひたすら、こちらに集中したままだ。
僕の足は完全に硬直してしまった。
「ねー、どーしたのー?」
百香が明るく、親しい女子生徒に近づいた瞬間だった。
「―――ッ、きゃあっ」
女子生徒は叫び声をあげ、彼女を避けた。
……どういうことだ
なにが、起こっているんだ
刺すべき視線が、僕に向いていない。
ぜんぶ、ぜんぶぜんぶ、彼女に、
百香を刺している。
「……え?」
視線の集中砲火に気づいた百香も、その場で立ち尽くした。繕った固い笑顔のまま、混乱している。
「……どうする?」「どうもこうも……」「おまえいけよ。」「見つけたんだから。」
男子生徒のグループから、何か相談する声が聞こえた。しばらくしてグループの中から、一人の生徒が意を決したように立ち上がり、百香に歩みよってきた。
「桂木……これ、まじなん?」
距離を保った位置で彼女と向かい合い、スマホを手渡す。
百香はゆっくりと受け取り、画面に映る何かを目撃するやいなや、目を見開いて言葉を失った。
「み……皆口くん、」
百香に声をかけるよりも先に、クラスメイトの女子生徒が、僕を呼びかけた。
「……皆口くんも……気をつけて、」
男子生徒が百香にしているのと同じように、僕にスマホを渡してくる。
僕も、目を見開いた。言葉を、失った。
そこに映し出されていたのは、あの、スレッドの、続報。
どういうことだ……どうして……どうして、どうして、どうして、
【名塚月乃】悲劇の子供の御尊顔【娘特定】
妹じゃ……ない……ひのでじゃない……どうして どうして どうして
どういうことなんだ
貼られていた、画像に、映っていたのは、
「……どうなんだよ、答えろよ、桂木。」
加工の一切施されていない、桂木百香の姿が、そこにあった。
名塚月乃の、娘と、されて。




