10 選択
※※※2021/3/21より、本作の大幅改稿版『最愛なる猛毒、致死量の慈愛。』を連載しております。大まかな展開は変わりませんが、【演出】【構成】【台詞】【一話あたりの文字量の改変】等、読みやすさを重視した改稿となっており、また、本作では描かれなかった【糸子と星史のはじまり】を書き下ろしております。読まれる際には改稿版のほうを強くお勧めいたします。※※※
手応えは、確かにあった。
現に、赤文字の採点は何度も見直すほどに、出来すぎた数字だった。
しかし紙面上の結果は、あくまで僕だけが知る僕の成果だったわけで、大衆の目がつく掲示板にそれが貼り出されてしまうと、ましてや順位なんかつけられてしまうと、まるで、ファンタジーが現実になったような、信じ難い感覚に陥ってしまう。
ありえない。
『科目別 現代文 十位 皆口旭』
『科目別 英語 十位 皆口旭』
『科目別 物理 八位 皆口旭』
『科目別 化学 七位 皆口旭』
『科目別 世界史 三位 皆口旭』
『二学年総合成績 八位 皆口旭』
掲示板に記された自分の名が、違和感でしかない。
違和感どころか異物感だ。共に並ぶ成績上位者たちの名前は常連の顔ぶれなのに、『皆川旭』の三文字だけが、完全に場違いだ。そのぐらいありえない。
皆口旭って誰? 何組だっけ? ……掲示板に群がる至る所から、声が聞こえた。
ほら特進の。ああ、星史と仲良い。 ……これはたぶん、他クラスの生徒たちだ。
皆口くん凄い。爆上げじゃん。最近ガリ勉だったもんな。 ……これは特進の生徒たち。
みんな信じられないとばかりに口々に言う。
ふざけんな。一番信じられないのは僕本人だ。嬉しさや優越感に浸る余裕なんて無い。むしろ居心地が悪いくらいで、一刻も早くこの場から消えてしまいたかった。
しかしどうにも、気まずい場面というのは立て続けに訪れる。
「皆口くん、やったじゃん。」
後ろから飛びつかれるように肩を抱かれた。真横で、仲村の人懐こい笑顔が輝いている。
「一緒に頑張った甲斐があったね。俺、まじで嬉しい。」
訳のわからないことを口にしながら、親しげにじゃれてくる。
何言ってんだこいつ。
仲村の登場により逃げる隙を失うばかりか、一瞬にして注目の的となった僕は、すっかり気が動顛してしまった。
群衆の目が、妙に生暖かい納得の色に変わってゆく。
事は荒立てたくない。彼の腕をほどき、表情を露わにしないよう背を向けて歩き出した。
「なになになにー? あはー。恥ずかしがっちゃってー。」
うしろから、仲村の無邪気な声が同じ速度でついてくる。離れた群衆からも、くすくすと和む声が届いた。
無視を決め込んでもなお、仲村はいつまでもついてきた。
「ねえねえ、皆口くんってばー。」
校門からだいぶ離れた。もうすぐ駅も越える。バイクに着いてしまえばこっちのものだ。
背後に仲村の軽やかな足取りと気配を感じながら、僕は無言で歩き続けた。たぶん、あのむかつく顔も健在だ。絶対振り向くものか。
「けっこう役に立ったでしょ? あんなゴミクズ女でも。」
決心が一瞬で吹き飛んだ。
後ろに目をやると、わざとらしい困り顔が拗ねている。
「あーあ、悔しいなあ。肥溜めブスなんかより俺を頼ってくれれば、鬼門の数学だって一位にしてあげられたのに、」
背筋を伸ばしながら仲村は言った。
勉強会のこと……筒抜けになっているのか。いや、かまをかけているだけかもしれない。
どちらにせよ、だからなんだってんだ。どうあっても、おまえになんか頼りたくない。
「おまえなんかに頼るかよ。」
突き放すように僕は言った。
「その様子じゃ、やっぱり使ってくれなかったんだね、プレゼント。」
余裕たっぷりのまま、仲村は小さくため息をついた。
不敵な笑みを浮かべて、一歩分距離を縮める。
「当たりすぎて怖くなかった? あいつのヤマ。」
僕は一歩分、後ずさった。
「だって、ヤマじゃないんだもん。」
仲村は容赦なく詰め寄る。僕は息を飲んで彼を睨みつけた。
「どういう意味だよ、」
精一杯の威嚇を、仲村は愉快そうにみつめていた。
楽しくて、構いたくてしかたない、悪趣味な表情をしている。
「答え合わせは自分でしなよ。せっかく渡したんだから。」
踵を返して逃げるように僕は走った。
仲村の気配が遠ざかってゆく。もうついて来ていない。それでも走り続けた。バイクまで辿りつき、エンジンをかけてからも必死に逃げた。追ってこない影から、ひたすら逃げた。
帰路上の走行、信号待ち、右折、左折、自宅の開錠、靴を脱いだこと、階段を昇ったこと、ほとんど記憶に無い。
気づいたら自室に逃げ込んでいた。乱れた呼吸のまま、一心不乱に鞄を漁る。
どこだ。どこに入れた。あいつに渡された、あれは。たしか、鞄の、そうだ、内ポケット。
あった。……USBメモリ、だ。
握ったまま呼吸を整える。息を飲む。そして迷いなくパソコンを起動させた。
背いていた心当たりが、正直あったんだ。
あまりにも出来すぎていると、不自然だと、考えたくなかったのに。仲村は引き金をひいた。
「……なんだよ、これ、」
予感は確証に変わる。
画面いっぱいに映し出されたのは、記憶に新しい中間試験のテスト用紙、そのものだった。
問題文もフォントも一字一句違わず、ご丁寧に回答まで記されている。震えながらスクロールすると、現代文、数学、英語、世界史、化学……全教科が揃っていた。
当たるのよ、あたしのヤマ。
当たりすぎて怖くなかった? あいつのヤマ。
だって、ヤマじゃないんだもん。
けっこう役に立ったでしょ。あんなゴミクズ女でも。
……あんた、あのとき、みた?
ささやかなプレゼント。
雨宮、仕事だ。
はい。
記憶も、場面も、時系列も、
ばらばらに散らばっていた不自然が、ひとつに纏まって戦慄へと変わる。
鳥肌だらけの腕を震わせながら、スマホの画面に触れた。
画面内に眠る『雨宮糸子』の番号を、初めて押す。一分近いコールののち、やっと繋がった。
無言のまま通話時間がカウントを始める。
雨宮? 声をかけると、素っ気ない「なに、」が返ってきた。
今、どこ? ……。返事は無い。あのさ、今から会えない? ……。また、無言。
「黙ってんなよブス。代われ。」
電話口から距離を置いて罵る声に、背筋が凍った。
「やっほー皆口くん。さっきぶりー。」
『雨宮糸子』の画面から届く、仲村の声。僕はたじろいで耳にあて直した。
「絶対連絡くれると思ったあ。ご用件はなーに?」
「……おまえに用なんてねえよ。」
強気な語調で対応した。こいつに、隙を見せてはいけない。
「またまたー。プレゼント見てくれたんでしょ? 聞きたいこと、あるんじゃないの?」
「雨宮に代われ。」
「えー。こんな根暗なんかより、俺とお話するほうが絶対楽しいよー?」
「代われ。」
動揺を、不安を悟られてはいけない。僕は気丈を振舞い続けた。
なんだよーつまんないなあ。仲村はわざとらしい口調で、子供のように拗ねる。
あーあ。俺だって皆口くんと仲良くしたいのになあ。ずるいなあ、こいつばっかり。妬けてきちゃうなあ。つまんない。つまんないよ、皆口くん。やだなー、こんな女なんて。ほんと、
「殺したくなる。」
通話はそこで切られた。
青ざめて血の気がひく。
ふざけんな。冗談じゃねえぞ。慌てて掛けなおすと三コールもせずに繋がって、仲村が「もーしもーし」とちゃらけた声で出た。
「何考えてんだてめえ、」
気丈になんていってられない。僕は声を荒げた。
「あはー。慌ててる慌ててる、」
なおも愉しそうに仲村は笑った。
「ねえ、皆口くん。きみに会いたいな、」
いつかの耳打ちと同じだ。艶やかで、粘り気のある声が耳にへばりつく。
会いたいよ、いますぐ。今さ、学校にいるんだ。戻ってきてよ。ゴミクズの奴もいるからさ。ねえ? 皆口くんに会えないと今度こそ俺、冗談とか、無理かも。――――
そこからは、より記憶が薄く断片的だ。
仲村に、すぐ向かう、変な気は起こすなと念を押した気がする。雨宮の名を何度も呼んだ覚えもある。気づけばまたバイクに乗っていた。見慣れた景色を横に飛ばしている。無我夢中で学校へと急いだ。
帰路を巻き戻す。
先程よりも死に物狂いで。
間に合え。間に合ってくれ。何もあってくれるな。
走りながら願うしかできなかった。
おかえりなさい。
視聴覚室に飛び込むなり、仲村は笑顔で迎え入れてきた。
絶対、ここだと思った。現に二人は、いた。
仲村は椅子で脚を組んでいて、雨宮はその足元で、寄り添うように膝を崩していた。見たところ暴行された様子は無い。息切れの合間に安堵のため息をついた。
なんだか、悪徳富豪と高級な飼い猫みたいだな。そんなくだらない例えがよぎるくらいの余裕も出てきた。
「じゃあ、受け付けよっか。質問。」
手のひらをこちらに翻して、仲村は小首を傾げた。僕は呼吸を整えながら視線を外し、雨宮へと向けた。
「雨宮……おまえ、くれた……あの、プリント、って、」
まだうまく喋れない。息切れと疑惑が邪魔をする。
「話されているのはセージさまよ。」
雨宮は冷たく突き放した。
「うるせーよ、肥溜め。」
割って入るように、仲村が雨宮に罵声を浴びせる。
それからすぐに僕のほう向くなり、にこやかな優等生の表情を戻した。
「ごめんね、気分悪くさせて。聞きたいことはわかってるよ。」
テストのことだよね。まばたきを挟んで、仲村は核心に触れた。
「こいつが作成したプリント。俺が渡したUSB。今回の試験問題。すべての内容が一致した件について、きみは困惑している。」
すいすいと言葉滑らかに見透かしてくる。身じろぎ一つできずに、僕は口を噤んだ。
「たぶんお察しの通りだよ。俺とこいつは、盗み出した試験問題を共有した。そしてきみも、その恩恵にあずかったってわけ。」
いとも容易く暴露された優等生たちの秘密に、頭が追いつかない。
盗んだ? 学校から? どうやって? 今回だけ?
いやそんなはずはない。それならいつからだ? 常習犯?
僕も共犯になるのか? ばれたら、ばれたらどうなる? 学校に、家族に、世間に。
収拾がつかない思考なんて、正直どうでもいいことばかりだ。
でも、瞬時に閃いた推測だけは見過ごせなかった。彼らの主従関係の理由。きっと、ここにあるに違いない。
手に入れた試験問題を盾に、彼女を下僕にしているのか。僕は詰め寄った。
「勘違いしないで。セージさまに、そんな薄汚いことさせないわ。」
淡々と雨宮が口を挟む。
言葉を失う僕に更なる追い討ちをかけた。
「汚いことはあたしの仕事よ。」
あたしの仕事。主人の足元で跪いたまま誇る。
「こいつ、調達だけはお手の物なんだよ。教師たちもこいつなら警戒しないしさ。」
そこからも信じられないような、事実と認めるしかない追い討ちが続いた。
雨宮は俺たちの代の入学生首席。今更不正を疑う教師なんていない。素行に悪評も無く、成績以外目立つ部分も無く存在感も薄い。校内に晩くまで残っていようと、試験期間中教務室への出入りが頻繁になろうと、警戒されることもない。
その実、この女はけっこう手癖が悪い。
そのうえ記憶力は良い。
最近は試験問題をデータ管理する教師ばかりだ。調達なんて、さほど難儀なものではない。
以上の事を、仲村はかいつまんで説明した。
その内容と、これまで遭遇した雨宮との記憶が、一致してゆく。
初めて喋った夜更けの校門。
慌てて隠していた鞄の中身。
幻聴にも思えた二度目の夜更け。
当たりすぎるヤマ。
不自然が、音をたてて昇華してゆく。
「まあ、どうしてもガードが固い場合は、俺も手助けしてやるんだけどさ、たいていは余裕で成功するよ。まさか学年ツートップがグルだなんて、誰も思わないでしょ。俺たち、普段は他人同然だし。」
痛み入ります、セージさま。足元で雨宮が俯いて瞼をふせる。
「良かったね。こんなゴミクズ女とでも仲良くしていたお陰で、きみもおちこぼれから見事脱却だ。……でも、残念だなあ、」
流暢な言葉が途切れる。とたんに目元から笑顔が消えた。
こいつなんかより、俺を使ったほうがもっと良い結果出せたのに。俺のほうが、ぜったい、役に立ったのに……どうしてかな。おれのほうが、きみのこと、こいつなんかより、絶対……。仲村は曇った声で、悔しそうに不平不満を並べた。ぜったい、ぜったい、おれのほうが、きみを……――――。
ぼそぼそと唱える独り言が、聞き取れなくなってゆく。
「まったく使えねえなてめえはぁッ!」
次の瞬間彼は豹変した。
怒号を浴びせながら雨宮の三つ編みを引っぱりあげる。吊り上げられた雨宮は無抵抗のまま、表情を歪めた。
「なんでてめえが二位に居座ってんだよブス。皆口くんに八位取らせるとか、ふざけてんの? この役立たずが、」
三つ編みを離すと同時に足蹴にして突き飛ばす。倒れこんだ雨宮を前に、吐き気を催しながら僕は駆け寄った。
「やめろッ!!!」
頼りない壁になって仲村を睨む。
「八位以上の結果が出せなかったのは……俺の責任だろ、」
庇って抱いた雨宮の身体はなんだか無機質で、いつもの体温が嘘みたいだった。怯える僕の腕から、作り物みたいな身体がするりと離れる。
「……セージさま、」
茫然とする僕をよそに、雨宮は額を床にあてて跪いた。
「はばかりながら、申し上げます。……やはり、段階は踏むべきかと。」
雨宮は淡々と続けた。
「二位となれば、全教科の高得点が必須条件となり、それでは些か違和感が生じます。まずは特定の教科で点数を稼ぎ、他の教科は赤点のまま留めておけば、『特定の教科だけ猛勉強した結果』として、周囲も教師も納得した状態で、自然と十位圏内に入り込むことができます。これにより皆口旭は、『努力が成果となる人間』として認知され、次回からはどんな結果を出そうと、疑惑の目を向けられることはありません。」
ひと息に、冷静な見解を示す。
あくまで従順な彼女を見おろしたまま、仲村は読めない表情をしばらく保った。
やがて、例の、わざとらしいしぐさで、「それもそっか。」と、人差し指を顎にあてる。
僕はかっとなって雨宮の肩を掴んだ。
「何考えてんだよ……? なんでこんな奴に従うんだよ!?」
起き上がらせて、向かい合わせても彼女は無機質なままで、電源が切れてしまったみたいに、ただただ揺さぶられた。
「おまえにこんなことさせてまで、俺は結果なんて出したくない。おちこぼれのままでいい。もうこいつに関わるのなんてやめろ。」
どんなに語りかけても視線さえ合わせてくれない。素っ気ない言い草も、豊富な悪口も、返ってこない。僕のぜんぶが彼女には届かないのだと、絶望した。
「俺、おまえを――――」
「皆口くん、」
落胆する背中に仲村の声を浴びた。
「それ以上は言わないほうがいいよ。俺が我慢できなくなる。」
忠告か脅迫か、危険を察した体がこわばる。
雨宮……どうして。僕は情けなく呟いた。
「きみには解らないよ。」
わずかに仰いだ先で、仲村は頬杖をついていた。僕を、見おろしている。
「こいつのことも、俺たちのことも。知る必要なんて無いんだ。」
とるに足らない興味でしかないんだよ。役に立たない好奇心なんて捨てなよ。損得を見極めてよ。上手に生きようよ。もう高二なんだから、俺たち。口元だけで仲村は笑う。
「きみには、俺だけを知ってほしい。」
隣から気配が忍び寄る。気づけば、硬直する僕の首筋で、雨宮が顔をうずめていた。
細い腕で絡みつき、かよわい力をこめて抱きついてくる。
「……皆口、おねがい、」
罅われた声が、耳もとで鳴いた。
「あんただけは、このひとを捨てないで。」
懇願が、体温を連れだって身体へ浸透してゆく。
どうしよう。悔しいくらい身に覚えのある、雨宮糸子。
認めたくない体が抱擁を返せないまま、離れてゆくのを待つ。差して時間も経てずして雨宮は僕を解放し、無機質な塊に戻った。
「選択肢をあげるよ皆口くん。俺のお願いを叶えてくれるか、こいつの願いに唾を吐くか。さっそく見極めよっか。あはー。」
透きとおる声と共に差し伸べられた手は、薄暗い部屋に白く映えていた。




